5話 pierce-5(挿絵あり)
風が辺りを吹き抜け、落ち葉が幾枚も流れ落ちる。木々の枝葉が揺れ動き、木漏れ日を受けた少年が眩しそうに目を細めた。彼は金髪でまだどこか幼いところを残す中性的な顔立ちをしている。彼は、以前フィーリクスが会ったことのある人物だった。
「ミア、出てこいよ」
少年が誰かの名をどこへともなく呼びかける。すると近くの木の裏から一人歩み出てくる者がいたのだが、そこでフィーリクス達が目を疑う事態となった。現れたのは少女だ。暗い茶色の髪を肩口で切り揃え、右側頭部の長く伸ばした一筋だけを明るいオレンジ色に染めている。少し甘えたような、目尻の下がった目つきでアーウィンに流し目を送った。
「やっと出番? 遅かったじゃない」
やや高めの声、軽い調子で彼女が第一声を放った。身長は平均的、体型は標準よりやや細めか。フィーリクス達の驚いたポイントは彼女の身体的特徴ではない。では何が問題かと言えば、彼女が出てきた木の太さがそうだった。それはどう見ても人が一人隠れられるほどの太さを有する木ではない。直径十センチメートル程度しかない幹の影から、彼女は突如として出現したのだ。
「しょうがないだろ、こいつらがここに来るのが遅かったんだから」
ミアと呼ばれた少女は不満げに返すアーウィンのそばに並んだ。二人の身長差は頭一つ分ほど。少女の方が背が高い。奇妙な現象を引き起こした二人組は、にやにやと笑いながら三人を値踏みするかのように眺めまわす。フィーリクスは二人組のその笑い方に、悪意のこもった人を不快にさせる何かがあると感じ取る。自分が無意識のうちに歯を軽く食いしばっていることに気が付いた。
「お前ら一体何者だ!」
「お前みたいなMBIのバカが必死で追ってる者さ」
ディリオンの誰何にアーウィンは嘲りを含んだ声で応える。口の端を片方だけ釣り上げ、皮肉と自信をたっぷり乗せて、悠然と構えた。
「何だと!?」
唸り、前に出ようとする怒り露わのディリオンを押しのけて、敵前に出たのはフェリシティだ。
「つまりあんたらがウィッチってわけね。バカはそっちじゃないの? あたし達の前にのこのこと出てきちゃってさ!」
得意げに、勝ち誇ったように二人を交互に指さしながら、フェリシティがアーウィンの挑発に挑発で返す。だが彼はそれをまるで意に介した風はなく、馬鹿にした表情を崩すことはない。
「のこのこと出てきたのがそっちだってことが、まだ分からないの? お前は相当頭の回転が悪いみたいだね」
「なっ、なっ、何ですってぇ!?」
フィーリクスは今まで見たことのない激しい怒りの形相のフェリシティを見た。肩を震わせ、髪が逆立っていると錯覚するような勢いの彼女こそが、むしろ魔女のようだとフィーリクスに思わせた。
「じゃあこう言い換えればわかるかなぁ。罠にはまったんだよ、無能な政府の犬ども」
「今一つじゃない? なんの捻りもない」
「ミア、酷いじゃないか」
ミアはチチチ、と軽い舌打ちに人差し指を左右に振る。彼女のダメ出しにアーウィンが眉をはね上げた。怒りに染まった人間を相手にしているとは思えないやり取りに、ディリオンとフェリシティが一層その表情を険しいものに変えていく。
「ならもっといいネーミングをしてよ」
「じゃ、バニラで」
「あっさりね。まあでもいいんじゃない。あの二人は見ない顔だからきっと新人かな」
「トッピングのされてないのっぺりとしたただのバニラアイス。面白みのない連中さ」
フィーリクス達を無視して会話を続けるアーウィンとミアに、フェリシティの我慢が限界に達したようだ。
「あんたらさっきからふざけてんの!? 好き勝手言って、……ねぇフィーリクス! さっきから黙ってないであんたも何とか言ってよ。……その、あたしだけ活躍しても悪いでしょ?」
セリフの途中から急に静かになり、しかしせっつくフェリシティに腕を掴まれ引っ張られ、次いで背中を押されて、一歩下がり気味だったフィーリクスが一番前に押しやられる。一触即発の雰囲気がある中で、ただフィーリクスだけがその場にそぐわない思いを胸中に抱き、その場に立っていた。
「アーウィン。……君は、無事だったんだね」
「は?」
アーウィンは最初フィーリクスの言うことが分からなかったようだ。彼は訝しげにジロジロと睨みつける。
「あの後、君を見つけることができなくて。心配だったんだ」
続けて言ったフィーリクスのセリフが以前の事件のことを示している、と気が付いたものらしい。再び嘲笑しようと顔を歪めかけた。
「そんな暢気なことを言って……」
「よかった。そして残念だよ。君は、本当にウィッチだったんだな」
歪めようとして、フィーリクスの言葉を聞いて失敗した。
「『本当に』、だって? ……そうか、気付いてたんだね? 道理で大して驚かなかったわけか、つまらない」
アーウィンは、顔をしかめると吐き捨てるように言う。それからフィーリクスの話の続きを待っているのか口をつぐんだ。それを好機と見たかフェリシティがこそりとフィーリクスに耳打ちする。
「ね、ねぇフィーリクス。あいつを知ってるの?」
「ああ。前にコートフォードで寄生型のモンスターと戦ったときに、家出少年に会ったって言ったろ? それが彼だよ」
「そっか。あいつが……」
「あれから調べたんだ。あの村にアーウィンという人物は存在しなかった」
「それって。……フィーリクス、やっぱりあんた頭いいじゃない。あたしよりずっと」
フェリシティもある程度フィーリクスの持つ考えに見当がついたようだ。納得したような顔を見せると一歩後ろへ下がる。
「煽ろうと思ったのに、そいつが言う通りお前はそこそこ頭が回るみたいだ。……で、どこまで調べたのさ?」
「美味しそうにパンを食べて、和やかに話をした。俺を心配するような言葉もあった。あれは、演技だったの?」
馬鹿にするつもりの表情の中に何か苦いものを見せるアーウィンは、すぐにそれを打ち消すように首を軽く横に振る。
「ゴミ漁りもパンも言った言葉も全部フリさ。お前等の分断を狙ってたんだけど、うまくいかなかった。それだけさ。……こっちの質問にも答えてくれないかな」
「さっき君はあの村にいなかったって言ったけど、実際過去にはそういう名の少年がいた。十年以上も前に行方が分からなくなって以後消息不明だって、あの村の保安官が事件記録を調べて教えてくれたよ。当時の顔写真もメールで送ってくれた。その写真に映ってる顔と、今目の前にいる君の顔が、一致する」
フィーリクスの胸中にある思いは、寂寥感だった。アーウィンがなぜ十年も前から歳をとっておらず、ウィッチとして活動し、今この場に立っているのかは分からない。だが、フィーリクスは彼に同情に似た感情を持っていた。アーウィンは心に孤独を抱えている。何故かフィーリクスにはそう思えてならなかった。彼は前にフィーリクスにこう言っていた。『誰も信用しない方がいい』と。
「ふぅん、そりゃ気付くよね」
「何が起きてるのかは分からなかったけどね。でも君を目の前にして、確信したよ。君をこのままにしておけない。逮捕する」
ただ、相手が敵対するウィッチの一人だと確定した以上、容赦をするつもりはないのも事実だ。そんなフィーリクスの決意を知ってか知らずか、アーウィンはあくまでも人を見下した態度で接する。
「今日はいい日だよ。いい天気だし、風も気持ちいい。何よりお前らが来た。MBIの連中と来たら僕たちの邪魔ばかりするだろ? ちょっとずつ減らそうかと思ってね」
「人に迷惑かけたり簡単に傷つけたり。更に体に穴を空けて殺そうとする奴なんて排除するほかにないよね?」
両者の会話はかみ合わない。フィーリクスはゆらりと、無造作に一歩目を踏み出した。
「フィーリクス?」
フェリシティに呼ばれたが、止まる気はない。二歩目、またどこか不安定な足取りで前に出る。
「おいフィーリクス、落ち着け。相手の出方を探るんだ」
ディリオンも呼び止めるが従わなかった。呆れた様子のアーウィンが侮蔑の色をまるで隠さずにフィーリクスに問いかける。
「おいおい、お前。フィーリクスだっけ。仲間の言うことを聞いた方がいいんじゃないの? それにしても凄い顔するじゃないか。これじゃまるでお前の方が……」
何なのか、最後までは言わせない。三歩目からは全速力でもって即座に間合いを詰め、アーウィンの鳩尾に拳をたたき込む。彼も何かをしようと動きを見せていたが、フィーリクスの方が圧倒的に速かった。
「ぐぅ、かはっ!」
地面に倒れ伏し腹部を押さえて咳き込み悶えるアーウィンを見下ろす。
「フィーリクス! 危ない!」
フェリシティが叫ぶ前に、既に移動を開始している。また嫌な感覚が背筋を襲ったからだ。数瞬遅れて今までいた地面に穴が開く。その魔法を放ったのは、アーウィンだ。
「どうなってるの!?」
フェリシティがまた叫ぶ。今し方地面に転がしたはずのアーウィンが、フィーリクスから何メートルも離れた位置に、何事もなかったかのように立っていた。その彼が苛立った様子でフィーリクスに吠える。
「だから何で避けるんだよ!」
「聞きたいのはこっちだよ! 確かに殴ったはずなのにどうやって!?」
フィーリクスはいささか混乱していた。しっかりと拳が鳩尾にめり込む感触があり、倒れて苦しむアーウィンを見ていたはずだった。それはそれとして、アーウィンが困惑気味に叫んだ内容もまた、フィーリクスにとってもよく分からない出来事の内の一つだ。先程と、今。二度、何かしらアクションが起きる前に何かを感じ取り、その直後に攻撃がきた。これが意味するものが分からない。
「フィーリクス、どうなってる?」
「幻覚、幻の類だと思うけど」
アーウィンの不可思議な魔法はディリオンにも理解できないようだった。フィーリクスの推測に、アーウィンが顔を歪めて舌打ちをする。実体のある偽物なのか、偽の感覚を植え付けるのかまたは他の手段か。今の段階ではフィーリクスにはまだはっきりと敵の起こした現象の正体は掴めていない。
「何だ、もう見破ったの? お前は本当に賢しいな。僕の嫌いなタイプだ」
「君みたいな奴に好きなタイプがいるとは思えない」
見破った、などと言いつつも実は全く別の種類の魔法を使っており、フィーリクス達にブラフを仕掛けている可能性もある。フィーリクスにアーウィンの言うことを鵜呑みにする気はなかった。
「それも正解だよ。全く、どいつもこいつも気に入らない」
「あれぇ、あたしのことも嫌いだったの? すんごくショックなんだけどなぁ」
ミアに突っ込まれ、首を竦めて嫌がる素振りを見せたアーウィンが慌てて彼女に向き直る。
「も、もちろんミアは特別だよ! なんと言っても僕のパートナーなんだから!」




