5話 pierce-3
「ところで、そろそろ話を再開してもいいか?」
一度静かになった場の仕切り直しを行おうとしたのはヒューゴだ。普段自分の執務室からあまり出てこない彼が今こうして捜査課の部屋にいるということは、何かよからぬ案件が舞い込んだ時くらいのものだと、フィーリクスは知っている。ヒューゴの口から次に飛び出た言葉は、正しくそういった類のものだった。
「事件だ。みんなこれを見てくれ」
最近になって捜査課の壁に大きな液晶画面が設置された。その時に取り付けに来た技術部の人間は正確には液晶ではないと熱く仕様を語っていたが、その解説を真面目に聞いている者はいなかったようにフィーリクスは記憶している。その画面にとある映像が映し出され、その場にいる者全員が注目したのを確認したヒューゴが話を続ける。
「穴だ」
「穴?」
誰かが聞き返す。画面には地図と共に、いくつかの地点を矢印線で繋ぎ紐付けられた数枚の写真が映し出されている。民家や車、どこかの地面に、立体交差道路の橋脚部分など。そのどれもに、似たような穴が複数カ所空いているのが見受けられた。一つ一つの穴の直径は小さいものだが、写真横に添えられた注釈、調査結果によると穿たれた穴の深さはかなりのものだ。
「そうだ、穴だ。穴があちこちに空くという事件が現在進行形で起きている」
「はいはーい! モンスターの仕業なの?」
手を振って質問するフェリシティにヒューゴは鷹揚に頷いた。
「いい質問だ。今のところモンスターに関する有力な目撃情報などは入ってきていない」
「じゃあウィッチ!?」
続けてフェリシティが、瞳を輝かせて聞く。いきなり件のウィッチ案件かもしれない。そう思うとフィーリクスは心に震えるものを感じた。喜びと、未知のものに対する恐怖だ。
「それはまだ何ともいえない。以前現れたような透明タイプのモンスターという可能性もある」
今度はフィーリクスが質問をする。
「人的被害の報告は? ……こんな穴が体に空けられたら大怪我じゃすまないけど」
「幸いなことに、今のところはない」
フィーリクスは自身の身に写真にあるような出来事が起きたらと思うと、その恐ろしさに身震いした。
「何だ、ビビったのか?」
真横に来たディリオンがフィーリクスの肩に肘を掛けもたれるようにして、小馬鹿にしたように小さく鼻で笑う。それに憤ったフィーリクスは反射的に反論しようとした。
「ビビってなんか……」
「俺はビビったよ」
フィーリクスが言い終わる前、ディリオンが更に何かを言う前に、援護は意外なところから来た。ヴィンセントだ。
「これを見る限り、ベテランでも食らえばおしまいだと思うな」
「……食らえばな。そんなヘマをする前に仕留めるさ」
ディリオンは手で何かを払うような仕草とともに、目をつむって格好付ける。その彼のそばにヒューゴが近寄った。
「それは頼もしい、ぜひ君に任せよう。ついでに新人教育も兼ねてフィーリクスとフェリシティも連れて行くように」
「ふぅん、……ほぁ? へ!? 何だって!?」
間の抜けた調子で聞き返すディリオンからいきなり余裕が消えた。
「この二人を連れて現場に行け。危ないようなら守ってやるんだぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! お守りはまっぴらごめんだ!」
フィーリクス達をピースサインのように二本指で示して、ヒューゴは当たり前のように言う。対照的に、先程までクールに振る舞っていたディリオンが焦って反論を試みるがヒューゴに睨まれて押し黙ってしまった。
「これは命令だ。不服か?」
「ぐっ、……いや、分かった。こいつらと一緒に詳しい現場調査と聞き込みをして、問題解決を図ろうじゃないか」
「よろしい。ああそれから、君の相棒のキーネンはこちらで少しやってもらうことがある。三人のチームで動いてくれ」
「……了解」
未だ見ない脅威への不安と恐怖はある。だが思っていた形とは違ったが、嫌疑を晴らすためのチャンスと同僚の協力を得られたことに、フィーリクスは隠しきれぬ喜びを感じていた。それはフェリシティも同様だったようだ。彼女に肘で脇をつつかれ振り向くと、彼女はぱちりとウィンクを決めたあと両手共に拳を握った。
「やったろうじゃないの!」
三名ともすぐに出発する。車に乗り込みディリオンの運転で発進させると地下駐車場から地上へと出た。フィーリクスとフェリシティは後部座席に落ち着いている。街中を走りながら、ディリオンがポツリと漏らす。
「お守り」
「頼んでない」
「まあしょうがないよな。命令だ」
ディリオンはわざとらしい諦め口調で言う。バックミラー越しに見える彼の表情は眉を吊り上げ、人を馬鹿にしたようなものだ。これは彼の悪い癖が出ているものだとフィーリクスは思う。彼の憎まれ口は今に始まったことではないが、フィーリクスでも腹が立つものだ。ましてやフェリシティならばどうなるか。
「じゃあ黙って運転しなさいよ」
「お前らみたいなへっぽこコンビを預けられたんじゃ、愚痴の一つも出るってもんだろ」
「何よそれ」
「事実だろ? ……楽しいだろうなぁ。少しばかり活躍したからっていい気になるのは分かる。だが現実はそんなに甘くない。お前らみたいなひよっこなんか、すぐに敵にやられてぐぇっ!」
フェリシティが恐ろしい形相で後ろから腕を回しディリオンの首を絞めた。アクセルペダルの踏み加減ができなくなったか車が急加速し、猛スピードで前を走る車の間を抜って通りを走り抜ける。なんとか制御できているがこのままでは事故を起こすのは明白だ。
「ちょっと! それはまずいってフェリシティ! まだ死にたくない!!」
ややあって三人は一つ目の現場、MBIから北西方向にある立体交差道路下の橋脚の前に到着する。道路わきの地面から直径数十センチメートルの太さの円柱型の柱が幾本も並び生え、上部を交差する道路を支えている。そのうちの幾本かに、写真で見た通り複数のまばらな大きさの穴が、人の背丈くらいの高さに開けられていた。直径は数ミリから数センチメートルの間で、穴はドリルで削った、もしくは銃弾などで穿たれたような感じではない。鋭利な切断面を持った綺麗な状態であけられており、どれもが完全に貫通して向こう側が見える状態だ。
「無理やりじゃなくて、綺麗にくりぬいて中身を抜き取った、って感じだな。こんな芸当が可能なのか」
ライトで照らし穴の状態を見ていたディリオンが首をひねる。フェリシティが何か思いついたのか人差し指を立てながら言った。
「職人技ね。誰かがドリルで穴を開けてからヤスリで丁寧に磨いた、とか! ……違うか」
フィーリクスは思わず苦笑いを浮かべ、ディリオンは片眉を上げて睨みつける。それを見た彼女は居住まいを正し、表情を引き締めると真面目ぶって穴の詳細を調べ始めた。三人とも思うさまに調べたが特にこれといった物は他には見つからず、場所を次の現場へと移す。次に訪れたのはすぐ近くの、十数棟程の家屋から構成される小さな住宅街がいくつも点在する地域の内一つだ。
「物は違えど、状態は同じだな」
被害に遭い、通報をした住人に話を聞くことができた。ディリオンがチェック中の穴をあけられた車の持ち主は中年の男性だ。彼の話によれば車を使っていない数時間の間にしてやられた、ということらしかった。
「最初は誰かのいたずらや嫌がらせの類かと思ったんだ。でもこれを見てくれ、ボンネットや、中のシートやエンジンルームまで、全部綺麗に貫通してるんだ。こんなことができる奴なんざ人間じゃねぇ」
「それでモンスターの仕業と疑って通報したんだね」
フィーリクスが住人に確認を取ると、男性は苦々し気に腕を組み小さく唸った。状態を見ると車は年式は古いがよく手入れされており、愛着を持って扱われていることが窺えた。それだけに、フィーリクスには愛車を無惨な姿に変えられた男性の無念さがよく想像できた。
「あなたが見てない間の数時間の内に起きた、と」
「いや、まだ昼間だったし、小さい子供を持つ家庭もある。人が少ないとは言えど、誰にも見られずにこれをやれた時間はもっと短いと思う」
「そうなんだ……、ありがとう!」
「いいんだ。絶対に犯人をとっちめてくれよな、バスターズのあんちゃん!」
「ああ、任せてよ!」
胸を叩いて自信ありげに答えてみせたはものの、フィーリクスに何か当てがあるわけではない。犯人の動機についても不明だった。何ともいえぬ不気味さを感じた彼は黙って次の現場に向かうために車を置いた場所に向かう。それはフェリシティもディリオンも同様のようで、三人とも何も言わずに車まで歩き続ける。車に間に乗り込むと、フィーリクスはディリオンに聞くべきことを聞いた。
「それで、ベテランの戦士さん。何か俺達にアドバイスはある?」
「ああ? そんなもんあるか、自分で考えろ。……いや、待てよ。いいぞ、一つ忠告してやる」
フィーリクスは普段ののらくらした態度とは違い、いつになく真剣な様子のディリオンに、つばを飲み込んで話の続きを待った。
「今まで、二人はいくつか事件の解決をしてきた。何とかやってきた。そうだよな?」
「ああ、そうだよ。それがどうしたの?」
「いいか、どうにもならないピンチに陥る時が必ず来る」
ディリオンは運転席から振り返ると、フィーリクスの眼前に指を突きつけあくまで真面目に、フィーリクスに問いかける。
「その時フィーリクス、それにフェリシティ。お前らはどうする? どう対処する?」
「それは、勇気と知恵を振り絞ってなんとか……」
「なんとかならないその時に! お前らは、相棒を犠牲にしてでもやり抜く覚悟があるのか?」
「犠牲にって、そんな!」
フィーリクスとフェリシティは見つめ合う。フェリシティが口を開き何かを言いかけたが、それを遮るようにディリオンが更に畳みかけた。
「事件が起きた時、相手の正体が何なのか、どんな手を使ってくるのか。経験を積んでる俺達にも分からないときがある。お前らも少しは分かってきただろ?」
「ええ、多分」
「多分だと!?」
今ひとつ真面目になりきれないフェリシティに、ディリオンはややヒステリックに叫んだ。すると圧に押された彼女が反射的に返事をする。
「よく分かってきた!」
「それでいい。でだ、今回もそうだ。ヴィンセントの言ってたとおり、確かにあれを食らえば体のどこに当たってもヤバい。ビビるとか、ビビらないとか関係なく事実だからだ」
「そう、そうよね。でも」
「相手がモンスターか、それともウィッチか知らないが、相棒が避けられないタイミングで攻撃がきたらどうする? 身を挺して助けるか、その隙をついて敵を倒すか」
ディリオンはフェリシティに反論する暇を与えないが、次の質問に彼女は即答する。
「助けるに決まってるじゃない!」
「そして仲良く、あの世行きか」
「なによそのクソみたいな選択肢は!?」
会話の内容はひどいものだが、憤慨するフェリシティを見ながらフィーリクスは彼女の答えに嬉しさを覚えた。迷うことなく自分の身を案じる回答をする彼女に、深い感謝の念を抱く。
「実際のところ、クソみたいにやばいかもしれないって話だ」
「だったらどうして、ヒューゴはそんな危険な仕事に、あたしとフィーリクスと、ついでにあんたを行かせたってのよ?」
フェリシティとディリオンは言い争った挙げ句、突然黙ってしまった。フィーリクスが気付けば、二人とも顔面蒼白になっていた。




