4話 capture-13
「フィーリクス、無茶しないで! って言いたいけどあたしもやろうっと」
フィーリクスは気付いていなかったが、フェリシティもまた彼のすぐ後を走っていたらしい。彼女がフィーリクスとは反対側に飛びつき、頭を車の上に覗かせた。
「ええ!?」
「こういうシチュって燃えるでしょ!?」
車は最早それなりの速度まで加速され、イヴリンの家から遠ざかりつつある。イヴリンは車にしがみついた二人を振り落とそうと蛇行運転を開始した。
「うわっ、ちょっと!」
「おっ、落ちる!」
車の上側に登る猶予なく、三人は小さな住宅街を抜け、本線へと向かう交差点に差し掛かる。そこを曲がる際、角にある店舗に車が異常接近した。これはもちろんイヴリンが意図的に行ったものだろう。そしてそれはフィーリクスのいる側の方だ。
「なっ! くそっ!」
建物と車の間に自分の通れる隙間はなかった。このまましがみついていればぶつかるか、挟まり身が削れて大けがを負うだろう。選択肢はなく、手を離したフィーリクスは地面に転がった。
「フィーリクス!」
「フェリシティ!」
「あたしに任せときなさい!」
フェリシティは車の上側によじ登ることに成功したようで、片手をフィーリクスに挙げてみせる。フィーリクスが起き上がり見ている内に、イヴリンの車は速度を上げあっという間に小さくなっていった。
「どうしよう、これじゃ車に追いつけない!」
加速を高出力で使えば追随可能だったが、あくまでそれは制御できていれば、の話だ。フィーリクスは身体強化と同様に低出力の制御で手一杯なのが実状で、その速度は自動車に届くものではない。
「フェリシティ……」
悪いことは重なるものだ、とフィーリクスは胸中で呟く。周囲から住人達がまた、彼を目掛けて集まりつつあった。その数は多く、全体で数十人はいるように思われた。まだ距離はあるが逃げるなりしなければ、囲まれなす術なくやられる可能性がある。それはイヴリンの追跡に少なからず影響を及ぼすものであり、追いつくことは絶望的だった。フィーリクスは彼女達の安否を気遣う。今はそれしかできないからだ。
「ん、誰だ?」
フィーリクスに接近してくる車が一台あった。古いピックアップトラックで、所々塗装が剥げ地金が見えている。そこには錆が浮き出ているところも見えたが、走行に問題はなさそうだった。
トラックは彼の目の前で急停止し、運転席の窓からフィーリクスの知っている人物が顔を見せる。
「早く乗れ!」
「あなたは、宿の管理人!? ……いや、操られてない?」
「俺は正気だ、いいから早く! 見失っちまうぞ!?」
「……分かった!」
迷ったのは一瞬だ。荷台に飛び乗ると管理人はすぐにトラックを出発させる。アクセルを全開まで踏み込んだか、タイヤと地面の摩擦でキュルキュルとスキール音を立てての急加速だ。
山道でのカーチェイスが始まった。
「えーと、管理人さん」
「ブルックスだ」
「ブルックス、よろしく!」
「任せな!」
運転席に顔を寄せ、ブルックスと言葉を交わす。彼の運転は確かで、徐々に遠くにあったイヴリンの車との距離が近づいていく。
「俺は昔バスターズだったんだ。とうに引退して、今じゃしがないモーテルの管理人だがな」
車上にしがみつくフェリシティは窓を蹴破ろうと試みているようだ。片足をはみ出すようにして踵でウィンドウを蹴っている。フィーリクスは彼女の大きな臀部がその度に震えるのをはっきりと目に焼き付けた。
「バスターズの? 道理で、なんか雰囲気が違うと思ったよ」
窓ガラスにひびが入り、それは次第に大きくなっていく。
「宿帳によると、あんたはフィーリクス、だったな」
「ああ」
「俺には分かる。ただのその辺のあんちゃんじゃ、なさそうだな。彼女も」
ブルックスは顎でフェリシティを指し示す。今この村で起きている異常事態や、目の前で繰り広げられている光景は尋常のものではない。それに対処しようとしている二人を見てそう思うのも難しい話ではないだろう。
「あれを見りゃ一目瞭然だな」
村の外れへと抜け、フィーリクス達が来た道とは逆方向へ向かっていた。このまま車を走らせれば次の街へと行けるはずだ。
「あの。ことが終わっても、その、今回の事件のこと……」
フィーリクスは気が気ではなかった。ブルックスはどこまで知っていて、どこまで感づいているのか。
「事情があるんだろ? 安心しな、誰にも喋らんさ。昔にも一度、こういうことがあった。その時も約束したさ。それから誰にも話さなかった、ずうっとな。たった今、それを破ったがな」
村を離れ、左右すぐに山に挟まれた道に出る。もうすぐ、イヴリンの車がそこまで見えている。カーブを曲がる度にその姿が大きくなっていた。フェリシティの臀部が一際大きく揺れる。遂にウィンドウを蹴破ったようだ。
「ブルックス……、俺あなたのことを勘違いしてた」
「それも無理はねぇ、そういう風に装ってたんだ。身を守るためにな」
アクセルをさらに踏み込む。
「それが今回役に立った!」
車が横に並んだ。フェリシティは丁度中へ侵入するところだ。
「フェリシティ!」
「おいフィーリクス、どうするつもりだ?」
「決まってる、飛び移るよ!」
言うが早いかフィーリクスは荷台から隣の車両へ跳ねた。天板に飛び乗り、縁を掴んで後部座席の窓を一気に蹴破って侵入するとフェリシティともみ合っているイヴリンを後から羽交い締めにする。
「車を止めてくれ!」
「了解!」
フェリシティに運転を任せ、暴れるイヴリンの首筋をそっと押さえる。頸動脈の脳への血流を塞き止め、その結果起こるのは気絶だ。ものの数秒で意識を失った彼女は途端にぐったりと力なくうなだれ、フェリシティは問題なく車を道路脇へと停めることができた。ブルックスもすぐ後ろ側に止め、車内からフィーリクス達の動向を窺っている。
「彼女大丈夫なの?」
「気絶させただけだよ」
フィーリクスは一度車から出ると運転席のドアを開け、イヴリンの体を調べる。モンスターがどのような形で彼女に寄生しているかが分からないためまさぐるような感じになってしまい、フェリシティから白い目で見られた。
「そんな目で見ないでよ。……あの、君がやる?」
「どうぞ続けて、変態さん」
ボタンをはずし、シャツをはだけさせると下着が見える。彼女が身に着けているものは他にもあった。ネックレスだ。それには見覚えのある石、緑色に筋状の黒い模様が入ったものが取りつけられている。フィーリクスはそれを引きちぎろうとして、その妙な感触に気が付いた。よく見ればネックレスではない。金具だと思われた何かが肌に放射状に癒着しており、つまんでも皮膚ごと引っ張られるのだ。
「そんなの早く取っちゃいなさいよ。それともイヴリンの体をもっと見ていたいから、わざとのんびりやってるんじゃないでしょうね?」
「いやそれが、肌にくっついて取れないんだ。無理にはがしたら皮膚ごとはがれるかも」
フェリシティがやはり不満げに催促をするが、これはいかんともしがたいと判断したフィーリクスは一度後ろに下がって考える。代わりにフェリシティも試してみるがフィーリクス同様の結果を得られただけのようで、彼女は唸りフィーリクスの方を向く。
「どうしよう?」
「分からない。もしかしたらディーナなら何かいい手を考え付くかもだけど」
「今はそれは叶わない、か。……ん?」
再びイヴリンを観察していたフェリシティが何かに気が付いたようだ。後ろに飛びのくとフィーリクスの横に着地して縋りついた。
「あ、あれ! またあれ!」
「あれって? ……あれだ!!」
震えるフェリシティの見る先、イヴリンの胸元を凝視する。緑の石に、例の人間のもののような眼球が生えていた。それだけではない。放射状に広がっていた何かが流動し、脈打ち、その体積を急激に増加させる。それは瞬く間にイヴリンの体を覆っていくと、更にその何かが膨れ上がり車内を圧迫する。
「まずい、フェリシティ! 距離を取ろう!」
「賛成!」
「ブルックス! 車を後ろに下げて! ここから逃げてくれ!」
「何だって!?」
静観していたブルックスは慌てて止めていたエンジンをかけ直し、バックを始める。フィーリクスとフェリシティはイヴリンを取り込んだ何かからは目を離さず、十メートル以上離れて事の次第を見守った。イヴリンの車が変形し、歪に膨れ盛り上がっていく。窓枠から何かが四方に突き出した。それは、巨大な節足動物の肢だ。計六本生えた肢を地に着け車を持ち上げる。車のフレームが耐久力の限界を迎え、膨れ上がると爆発するようにバラバラになる。その下からモンスターがその正体を現した。




