4話 capture-7
まだ十代前半の少年だ。中性的なかわいらしい、といった顔立ちでまだあどけなさが僅かに残っている。しかしそこにはどこか勝気なところがあり、フィーリクスはふとフェリシティと彼が重なって見えた。
「なんだ、銃なんて持ってないじゃないか。……それに子供って言われるほど、お兄ちゃんと歳が離れてるようには見えないよ」
「生意気な奴だな。君は、誰だ? ゴミ箱を漁って何を? 何で森に入ろうとした?」
「いっぺんに聞かないでよ。質問をする時は一つづつって、誰かに習わなかったの?」
彼はまだ声変わりもしていないその声で、挑発するような調子でのたまった。フィーリクスは横柄な少年の態度に苛立ちを覚えたが、顔には出さないように努めて、まず聞くべきことを聞く。
「じゃあ、まず一つ。俺はフィーリクス。君の名前は?」
「アーウィン」
「よし、アーウィン。さっき君は一体何やってたんだ?」
「お腹が空いたから、何か食べられるものがないかと思って」
一瞬彼が何を言っているのかフィーリクスには分からなかった。最初に思い当たったのが、このような村でこんな少年がまさかホームレスを、というものだった。それは可能性としてあまりに低いと考えを捨て、次に浮かんだのが家出の線だ。これならば、十分にありうると思えた。
「家出、かな?」
「お兄ちゃんの想像力は思ったよりもヒンコンみたいだね」
「――ッ!!」
どこまでも生意気なアーウィンという少年に対し、フィーリクスは額に青筋を立てて、それでも笑顔で対応する。
「じゃあ、何なのか、想像力の乏しいお兄さんに、教えてもらえるかな?」
「家出だよ。この僕の様子を見てそれくらいも分からないの?」
彼の服は薄汚れており、あちこちに小さなゴミや木の葉などが付着している。洗濯された様子はない。おおよそ長時間森に入っていたためだろうと思われた。一見憐れな出で立ちだが、それよりも。
「よし、お兄さん次の君の対応次第でちょっと荒れちゃうぞ?」
そろそろフィーリクスの我慢の限界が近づきつつあった。そんな彼をアーウィンは眉をひそめてフィーリクスを見つめている。
「変なの。でも、異常じゃないみたいだ」
アーウィンが言った言葉を聞いて、フィーリクスは背筋に冷たいものが走った。彼は今、何と言ったのか。たった今まで抱いていたこの少年への怒りは吹き飛んでいた。
「ちょっと待ってくれ。今『異常』って言った?」
「お兄ちゃん、頭だけじゃなくて耳も悪いの?」
「頼む、大事なことなんだ」
アーウィンの言い方は気にならない。それどころではない。彼の、腹の音が大きく鳴り響いたのだ。彼は顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「あー。これ、食べる?」
「いいの? ありがとう!」
まだ残していた手付かずのパンをちらと見せる。フィーリクスは場所を森に少し入ったところにあった倒木の前へと変え、そこに腰をかける。パンを受け取り一心不乱に食べる少年の様子は、年相応のものに見えた。どこか敵意まで見えた先ほどまでの態度は、空腹と周りへの警戒心から来ているもののようだ。アーウィンは多少落ち着いた様子で、大人しくフィーリクスの横に座っている。パンをのどに詰まらせたのか苦しそうになり、予備で持っていたドリンクを手渡してやると急いで飲み込んで深々とため息をついた。
「やっとまともなご飯が食べられた」
「これでまともって、よっぽどひどいもの食べてたんだね」
「ひどいってもんじゃないさ。残飯漁りの毎日だよ。っていってもまだ三日目だけどね」
アーウィンに聞いた話をまとめるとこうだった。彼は三日前の朝、家で起床した時から既に異常に感づいていたらしい。両親、一つ上の姉、学校の友達や教師に至るまで、どうにも様子が普通ではない、と感じたそうだ。理由は簡単で、反応が鈍い時がある、というものだった。加えて、その時に限って先程と言っている内容が逆だったりちぐはぐだったりする、とも述べた。
「おかしいと思ったんだ。よく行くお店の人も妙だし、何か、嫌な予感がした。それから、親とかに気付かれないように家を出た」
何が起きたのかは分からない、だが、一夜にして村が変わってしまったのだという。一見して、みな通常の営みを続けているように見える。だが見る者が見れば、つまりアーウィンのような村の住人が見れば、異常事態が起きているのは明白だという。
「それから、隙を見計らって何回か様子を見てたんだけど、一度見つかっちゃって、追いかけられた」
「それはそうでしょ。みんな心配してるだろうし」
「お兄ちゃん頭が……」
フィーリクスは唐突にリミッターを突破した。何のリミッターなのかと言えば、堪忍袋の緒だ。アーウィンは何かを察して逃げようとしたが、それよりも素早い。彼のこめかみに拳を両側からあてがい、力を込めた。
「やっぱり。やっぱりこの村に何かが起きてたんだ。睨んだとおりだ」
「いだだだだだ! ストップ! プリーズ、ストップ! ごめん、ごめんってば!」
アーウィンが涙目で謝り容赦を願い出ると、フィーリクスは少々大人げないことをしたと思いつつ彼を開放する。
「……言葉には気を付ける。皆心配どころか、無表情だった。不気味だったよ。……それで、お兄ちゃんこそ誰なの? この村の人じゃないのは知ってる」
「俺? あー、えーっと。俺はこの村に滞在してる友人の友人を訪ねてきたんだ」
「友人の友人? 随分暇なんだね」
「懲りないやつだな……」
また拳で頭を挟むまねをして、フィーリクスは昨日この村に来た時のことををふと思い出す。
「……あ、ってことは昨日霧の中、村の入り口で俺達を見てたのは……」
「僕だよ」
「見間違いじゃなかったんだ」
「お兄ちゃんも僕のこと見てたよね。急に車が止まって、僕を探しに来たから、びっくりして思わず逃げちゃったよ」
あの時アーウィンが隠れたのは、やはり警戒してのことだったらしい。そう漏らした彼の顔には疲れと、恐怖が覗けて見える。憔悴していた。フィーリクスには、彼は生意気な口を利くとはいえ、まだ年齢が年齢だ、無理もない。そう思えた。むしろ、今までよく持ちこたえていたものだとすら思ったほどだ。
「今俺達が泊まってるモーテルがある」
アーウィンの反応を確かめるようにゆっくりと言った。
「一緒に来るかい?」
アーウィンをかくまう。フィーリクスとしたはそのつもりで言った言葉だが、彼なら理解できるだろうという目算だ。立ち上がり、数歩前へ出る。村に近づく方だ。背中越しにアーウィンの返答を待った。
「ありがとう。でも、やめとくよ」
「行く当てなんて……」
「誰も、信用できない。お兄ちゃんは信用できるかもだけど、それだけじゃ、ね」
フィーリクスは彼が付いてくるだろうと思っていたのだが、彼の言葉には思った以上に強い意志が込められていた。
「お兄ちゃんも、誰も信用しない方がいいと思う」
アーウィンの疲れた調子のセリフにフィーリクスは振り向くがそこには、誰もいない。
「いや、マジかよ」
先程も呟いた言葉を再び言うと辺りを探し回ったが、アーウィンの姿を見つけることはできなかった。
「山育ちは違うな……」
誰に言うともなく言う。と、そこへ端末に着信が入った。静かな場で急に鳴り響いたそれはフィーリクスを驚かせるのに十分だった。情けない声を上げ、それを誰かに聞かれていないか辺りを見回しながら通話に出る。
「やっほー、あたし。ディーナだよ。元気してるー?」
「何だ、ディーナか。驚かせないでくれよ」
「どしたの? なんかあった?」
「いや、ちょっとね。少しは進展があったというか何というか」
フィーリクスは今し方起きたことを報告する。村の少年、アーウィンの証言をつぶさに語った上で、ディーナ達の現在の状態が気になり尋ねる。
「そっちは変わった様子はない?」
「特に何もないよ、考えすぎなんじゃない? でも心配してくれてありがと」
ディーナのさっぱりとしたものの言い様の中に含まれる、どことなく甘いニュアンスを感じ取ったフィーリクスは照れながら、アーウィンが姿を消したことにむしろ感謝していた。今の自身の態度を彼に見られたら、何と言われるか分かったものではないからだ。
「いやいいんだ。これも仕事の一環だからね」
「あれ、仕事じゃなかったら心配しないんだ」
「いや、そういうわけじゃ」
端末の向こう側で笑い声がする。複数の声が遠くで聞こえ、その中にはないものがあった。
「ところでフェリシティは?」
「あ、そうだごめん、言わなきゃいけないことがあったんだった」
「それって?」
「彼女、ついさっきまではここにいたんだけど、『やっぱりあたしも聞き込みに行ってくる』って言って外に出ちゃってさ」
「何となくそんな予感はしてたよ」
歩き森を抜け出ると道路沿いに伝って進み、まだ行っていない方面へと足を延ばす。
「彼女のことよく分かってるって言いたいのなら、少し違うけど」
「うぬぼれちゃいないよ。彼女はあまり女子会みたいのには慣れてないみたい、でしょ?」
フィーリクスは相手に見えるわけではないが、心得ていると言わんばかりに胸を張った。
「なんだ、大丈夫そうね。あと、もちろんフィーリクスのことを心配してるって感じも、ちゃんとあったから安心しなさい」
なぜかにやにやと笑うディーナの姿が頭に思い浮かぶ。いや、恐らく笑っているに違いないと、フィーリクスには感じられた。
「……そっか」
「あ、それからもう一つ。あたしは今日はイヴリンの家に泊まるから。お二人でごゆっくりどうぞー」
「ど、どういう意味!?」
「そのままの意味。ゆっくり眠って英気を養って、って言おうと思ったんだけど。何かするつもりだった?」
「あ……」
してやられた。今度こそはっきりと笑い声が聞こえ、フィーリクスは何度目かの顔の火照りを感じることになった。
「じゃあそろそろ切るね。また明日」
「ああ、また明日」




