4話 capture-4
山間の村、コートフォードは静かだった。道路沿いに作られたここは全体を見ると長細い形をしている。村の中心部は切り拓かれそれなりの面積を持ち、役場や学校、商業施設がある程度あるらしいとマップから読み取れた。端末から顔を見上げたフィーリクスは辺りを見回す。
「誰もいないなんてわけ、ないよね」
人通りが全くないのはいよいよ濃くなった霧も手伝ってかもしれなかったが、それにしても静かすぎるという印象をフィーリクスは受けた。日は傾き始めたとはいえまだ高い。それでもなお薄暗く感じるほどに深い霧は、一行の視界を妨げる役目を存分に果たしている。そろそろと車を走らせていたフェリシティがある地点で停め車のエンジンを切る。車から降りるが、辺りに動くものの気配はなく、鳥の囀る声すら一つなく静寂が支配している。それらの醸し出す陰鬱とした雰囲気が、フィーリクス達三人の士気にも影響を及ぼしていた。
「嫌な感じ」
フェリシティが呟く。彼女が車を停めた場所はイヴリンがいるはずの一軒家の前だ。村の中心部近く、小さくまとまった住宅街の中にそれはあった。彼女は言った内容と違わず眉をひそめ口角を下げ、楽しくなさそうに道路脇に落ちている石を一つ蹴り転がした。
「そうね、陰気臭い」
同意したのはディーナだ。彼女も眉尻を下げ、どこか不安そうにしきりに辺りを見回している。フィーリクスとて不安だった。元来肝の太い方ではなく、知らない土地で異様な雰囲気の中、誰一人いないというのは心細いものがあった。ましてや友人との連絡が付かないという状態で、ディーナはどんなに苦しい思いをしているだろうとフィーリクスは彼女の心の内を推し量る。
「でも、まずは目的を果たさないとね」
ディーナはドアの前に立つと呼び鈴を鳴らす。ビーという電子音が響き、しばし待つが応じる者は誰もいない。どの窓もきっちりと閉められ内側はカーテンがかけられており、中の様子を窺うことはできないが、明かりが漏れていないことから留守のようであると思われた。そこでフィーリクスはふとあることが気になった。
「そう言えば、事前にここに来ることをイヴリンに伝えてるの?」
「事実であってほしくはないけど、一方的に嫌われてるかもって可能性を考えて、メールの一つも送ってなかったんだよね。でも参ったな、普通に留守みたい」
ディーナはそう言いながらドアノブを回そうとしたが、鍵がかかっているようだった。
「ま、そりゃそうか」
「どうするの?」
尋ねたフェリシティの方を振り向いたディーナは俯き加減で肩を落としていた。口を引き結び、寂しそうな様子を見せている。フィーリクスはそんな彼女を見てどっと心拍数が跳ね上がり顔が火照ったのを自覚する。しかし彼女のその態度は一瞬だ。すぐに表情を明るいものに変えると一つ手を叩いた。
「取り敢えず宿の確保。情報集めに回れるとこ回って、それから腹ごしらえでもどう?」
「そうね、あたしもお腹空いちゃった。賛成に一票。フィーリクスは?」
確かに昼食はスナックくらいしか食べていない。日のあるうちにできることを済ませ、早めに夕食をとって明日に備える方がいいだろうと判断する。
「何の料理を食べれるのかな? できれば肉があるといいな」
「そうこなくっちゃね。じゃあ行こうか」
再び車に乗り込み、まずはディーナの案内で村の入り口の方まで戻った。そこには道路脇に小さなモーテルがあり、三人は受付の為に管理人のいる小部屋へと向かう。テレビをぼうっと見ていた管理人は生気のない陰気なやせた男で、フィーリクスが彼に二度話しかけてようやく反応を見せた。彼はこの村に到着して最初に遭遇した人間だ。もちろん先程フィーリクスが見たフードの人物が幻か錯覚でなければの話だが。
「三部屋取りたいんだけど空いてるかな? できれば続きで」
「……ああ」
ぼそりと一言だけ、まるきり無愛想に対応する管理人は壁に掛けてあった部屋の鍵を三つ、乱雑にカウンターに置いた。キーホルダーに記載されている部屋番号は連続している。宿泊代を支払い宿帳に必要事項を記入すると車に荷物を取りに戻った。その途中でディーナが口を開く。
「ねぇ。さっきの受付の人。ちょっと不気味じゃない?」
「まるでゾンビね。この村の人間、みんなあんなじゃないといいんだけど」
「それじゃホラー映画だよ」
相手がどんな人物であれ、人と会えたというだけで三人とも多少は不安が薄れたのは確かだった。部屋割りはディーナを真ん中に挟む形で行い荷物を部屋へと運び込む。それだけ済ませると再び車に乗り込み、手始めにどこへ向かうかの相談だ。
「あたしは役場か警察へ行くのがいいかなって思うんだけど」
「どうして?」
「短期滞在とはいえ、何度か足を運んでいるはずだからね。朝も言ってたと思うけど、標本採取や何かしらの許可を得るための申請とか」
ディーナはフィーリクスとフェリシティの理解度を確かめるように交互に見る。
「電話だけじゃなくて、会って本当のところを確かめたい」
フィーリクスは彼女の意図が読めた。彼女は、信用していないのだ。この村を。何かが確かにおかしいのは朝、ヒューゴを交えて話したときに既に判明していることだった。それを、実際に自分の目で見て判断したいのだろうと彼には思われた。
「そうだね、何が起きているのかはっきりさせなくちゃ」
ディーナに同意したフィーリクスはフェリシティの肩をポンと叩く。
「ということで引き続き運転よろしく」
「あいよ、相棒! ディーナ、また道案内お願い」
「任せて」
一行は、保安官事務所を訪れる。小さな村のため警察署はなく、区域ごとの選挙で選ばれた保安官を筆頭に、雇われた数人の警官がいるだけなのが普通だ。事務所の入り口を開けまずはフィーリクスが入る。中には三人の人物がいた。バッジを付けた中年の男性保安官と、その部下二人だ。一人は男性、もう一人は女性でふたりともまだ若い。三人とも思い思いの方向を向いてじっと椅子に座っている。恐らく、この霧では何もやることがないのだろうとフィーリクスは思った。
「ハロー!」
一声挨拶をし、相手の返事を待つ。三人は胡乱げにフィーリクスを見やると内一人が立ち上がり、挨拶を返し、用件を聞いてくる、……はずだった。フィーリクスの思惑は外れ、誰も反応しない。まるでフィーリクスのことに気が付いていない様子で彼らは座ったまま身動き一つしない。
「あれ? あの、ちょっと。ハロー?」
「どうしたのフィーリクス?」
フェリシティも中に入ってくると様子を窺い、妙な事態になっているのを悟ったようだ。
「ねぇ、ちょっと! ハロー!? 黙ってないで仕事してもらえる!?」
「何々? 話が進んでないようだけど何やってんの?」
続いてディーナも入ってくると、保安官達がやっと動き出した。
「ん? 何だ、どうしたのかね? ……どなたかな?」
保安官始め三人ともが立ち上がると、誰何の声を上げる。さっきの間は何だったのか、フィーリクスは気になったが、よほど暇をしていて三人ともきっと寝ぼけていたのだろうと推測する。
「やあ、ちょっと失礼。聞きたいことがあって来たんだ」
「どうぞ。保安官のランディだ」
「ありがとうランディ。俺達はこの村にいるはずのイヴリンって女性に会いに来たんだ。生物学者で、空き家を借りて滞在してる。知らないかな?」
フィーリクスは注意深く保安官の挙動を見守った。彼は思案した様子もなく、即答する。
「ふぅん? 知らないな」
「ちょっと、そんなことはないはずでしょ!?」
その返事に憤ったのはディーナだ。保安官に詰め寄ると音を立ててデスクに強く手を付き、顔をぐいと前へ突き出した。彼女が怒るのも無理はなかった。ディーナとヒューゴ、別方向から連続して電話があり、彼らの内少なくとも一人はイヴリン宅を訪ねているのだ。知らないでは済まされない。ところが、保安官はそのまま押し黙るとまた反応を返さなくなってしまった。
「ちょっと、聞いてるの!? 答えてよ!?」
なおも怒鳴るディーナにそれでも沈黙していた保安官が、ややの間を置いてまた急に話し始める。
「……ああ、もしかして昨日電話で、イヴリンが在宅しているかどうかの確認を依頼してきた、ウィルチェスターの?」
「なっ……!?」
急に答えを変えた保安官にディーナは言葉を失った。彼女の横に立ったフィーリクスが代わりに対応する。
「そう、俺達彼女の友人なんだ。ウィルチェスター警察のユーゴって人に頼んで連絡を取ってもらったのも確かだよ」
今回MBIの名は出してない。それからユーゴ、とはヒューゴの読み方を変えただけのものだ。彼は偽名として用いているが、安易すぎるとフィーリクスは思っている。
「イヴリンなら確かにこの村にいる。昨日そこの彼、トニーが会ってきたと返事していたはずだが?」
「はい、確かに僕が行きました」
そう答えたのは男性警官、トニーだ。彼は一歩前へフィーリクス達に近寄ると、はつらつと喋り出した。
「先程も名前が出た、ユーゴさんから電話を受けまして、昨日の午後に聞いていた住所、イヴリンさんのいる借家を訪ねました。その時にちゃんと彼女はいましたし、その旨をちゃんとユーゴさんに伝えましたよ?」
「それは俺達も聞いてるんだけど、その時何か変わった様子はなかった? 家に他に誰かいたとか、何か匂いがしたとか」
「いや、彼女一人でしたし、特に変わった様子もありませんでした。匂いも別に何もなかったと」
今度はフィーリクスが黙る番だった。どういうことだろうかこれは。彼の思考は混乱していた。トニーは嘘をついたりとぼけているような雰囲気はない。だがこれは。
「ここは小さな村だ。人口も少なく、何かあればすぐに人づてにことが伝わる。今の所なんの事件も起きておらん。退屈だが平和な村さ」
ランディのセリフを聞きフィーリクスは思うところがあった。
「そう。ランディ、トニー、ありがとう。じゃあ俺達はこれで行くよ。さ、ディーナ」
「フィーリクス?」
「いいから行こう」
半ば強引にフェリシティとディーナを連れて事務所を出たフィーリクスは、三人ともが車に戻り、ドアを閉めるのを待った。フェリシティに車を発進させ、保安官事務所から十分に離れたところで止めさせる。ディーナが文句を言いたげに口を開きかけたが、人差し指を立てて彼女の口に近づけると口を閉じた。
「ディーナ、確かに実際に彼らに会って話して正解だった」
「どういうことなの?」
彼女は訳が分からないという顔だ。確かにフィーリクスにも何が起きているのかは分からなかった。だが、何かが起きているという事実そのものは確かだと、感覚的にではあるが掴めていた。
「彼らの対応は少し妙なところはあったけど、それほど不自然なものじゃなかった。電話回答で得られた答えを聞いた時と同じだ。でも」
「でも?」
ディーナが振り返って聞き返す。
「嘘をついてないけど嘘をついてる」
フェリシティも振り返り、呆れ顔でフィーリクスを見てきた。
「何よそれ?」
確かに今の言い方ではそうなる、とフィーリクスは内心苦笑する。
「何かが起きてるけど、彼らはそれを知らない。結果的に嘘を言っちゃったことになってるんだと思う」
「よく分かんない」
「確かにさっきの警官、トニーは昨日イヴリンに会ったんだと思うよ」
ディーナは腕を組んで首をひねる。
「じゃあ、もうちょっと話を聞けば……」
「いや、大した会話はしてないんじゃないかと思う。しても当たり障りのないレベルのね」
二人がちゃんと聞いているか確認しながらフィーリクスは慎重に話を進める。
「恐らく、イヴリンの方が会話を早く切り上げたかった」
「どうして?」
ディーナは食い入るような目つきで振り返ると座席の隙間から身を乗り出してフィーリクスに近づく。フィーリクスは顔が熱くなるのを感じた。多少赤面もしていたかもしれないが、二人ともそれには気付かなかったようだ。
「彼女は脅迫でもされてたんじゃないかな」
「脅迫って、一体誰に!? まさか大家さんが!?」
フェリシティが驚愕の表情で叫ぶのがミラー越しに見えた。
「いや、大家さんじゃないと思うよ。あと声が大きい」
「ありゃ、ごめん」
「いや、いいんだ。で、誰がってのは、多分俺が見たフードをかぶった人物」
「ウィッチね」




