4話 capture-1(挿絵あり)
「ハァイ!」
ある日の朝、フィーリクスとフェリシティはMBI支局から車で離れること数分の場所の、とあるカフェにいた。ここはMBIから見て北西側に位置する商業区域で、小奇麗な店が点在する落ち着いた雰囲気のある場所の一角だ。パトロールを開始する時によく通る道であり、以前に一度見かけて気になり勇気を出して入った店だった。
「やあフェリシティ」
「おはよう、シンプソンさん」
「今日もいい天気だね、フィーリクス」
フィーリクス自身は最初は自分には不釣り合いなお洒落で年齢にも見合っていないところだ、と気が引けていた。ところがフェリシティが思った以上に気に入ったらしく、渋るフィーリクスを連れて数回通ったころにはすっかり馴染みとなっていた。店の名前はフォースムーン。名付けの意味は、ここのオーナーの好きな音楽グループからそのまま付けたものらしい。
「いつものお願いね」
「ありがとう」
今しがたフィーリクス達にドリンクの注文を受けたシンプソンなる人物は、以前本人に聞いたところによるとそのカフェの朝から夕方までの時間帯を取り仕切る役割をオーナーに任されているらしい。テイクアウトもやっており、二人はパトロールの途中にここでドリンクを頼むのが日課となっている。ちなみに夕方以降はカフェだけでなくバー兼用となり、酒類も提供する場所だということだ。ただし二人が利用したことはまだない。
「はい、どうぞ」
「ありがとうシンプソンさん。……うん、いい香り。こっち来るときは絶対シンプソンさんの淹れたお茶買うからね!」
蓋の隙間から漏れ伝わるお茶の香りをかいで、フェリシティがにっこりとシンプソンに微笑みかける。
「はは、ありがとう。はい、フィーリクスも」
「ありがとう。またね!」
フィーリクスはカフェラテ、フェリシティはミルクティーがいつものメニューとなっている。二人とも砂糖は多めで味覚は、推して知るべしだ。商品を受け取ると店を出て道路脇に止めてあった車に乗り込み、ドリンクを味わう。
「おいしい」
フェリシティがミルクティーを一口飲んだ後、まったりと呟いた。
「落ち着くね。こっち方面に出る時はこの一杯を飲まなきゃ気が済まない」
「最近大した事件も起きないし、平和そのものね。こう退屈だと何か起きないか期待しちゃう」
車のエンジンをかけ出発しようとしたフェリシティがそう言った。運転はフィーリクスがまだ免許を取得していないために常に彼女が担当している。彼女の運転は荒いが、フィーリクスは最早完全にそれに慣れていた。
「そういうフラグ立てはしない方がいいって」
彼女の言葉通り、ここしばらく大きな事件や強力なモンスターの出現報告はなかった。何体か弱いモンスターとは戦ったものの、あとはパトロールと訓練に明け暮れていたのは確かだ。それでもフィーリクスはフェリシティに警戒の言葉を発する。すると彼が言い終わった直後に、二人の端末から着信音が鳴り響いた。
「ほら!」
「まさか!」
そのまさかがあるかも、と二人とも驚いた様子で顔を見合わせる。フィーリクスはもちろん冗談の度合いを多めで言ったのだが、それが当たったことに内心では顔に出ている以上に驚いていた。彼女は事件を引き寄せる何かを持っているのでは、彼の脳裏にふとそんな考えが浮かんだ。
「ま、まあとにかく通信に出ましょ。まだ事件と決まったわけでなし。はいこちらフェリシティとフィーリクス」
「朝のパトロールご苦労だな」
「「いえ、ボス!」」
相手はヒューゴだ。二人の上司でMBIの魔法捜査部部長である。彼から連絡があるときは何か問題が起きた時だと、ここしばらくで彼らは学んでいた。
「シンプソンさんのコーヒーはうまいか?」
「コーヒーじゃなくて紅茶!」
「……すぐにHQに戻って、私の部屋まで来てくれ」
フィーリクスはフェリシティの反応を止められずしまったと思いつつもヒューゴに話しかける。彼は何でもお見通しのようだ。
「分かった。今回はどんな事件?」
「西部に広がる森林地帯を分け入ったところにある、小さな町へ行ってもらうことになる。加えて同行してもらいたい人物がいるが、まあ戻ってからの話だ。頼む」
「了解、ボス!」
フェリシティは通信を切ると、フィーリクスの方を向いた。何か小難しいことを考えてるような様子で彼に問いかける。
「森、ねぇ。どう思う?」
「どう思うって言われても、今の段階じゃ何とも言えないような」
「それもそうか。まあまずは急いで戻りましょ」
「一緒に行く人がいるってのも気になるね」
車を走らせ取り急ぎ支局に戻った二人は捜査課まで戻る。部屋の奥にあるヒューゴのオフィスのドアの前に立つとノックをした。フィーリクスはこの部屋に入るのはまだ数えるほど。ヒューゴの人柄がある程度掴めた今でも多少の緊張を強いられる。数をこなしてもどうにも慣れないもの、というものが人には存在するがフィーリクスとってこれはその一つのようだった。彼は内心苦笑しながらドア越しにヒューゴに声をかける。
「フィーリクス、戻りました」
「入れ」
「はいはーい、あたしもいるよ! で、どんな事件か詳しく教えて……よ?」
フェリシティのセリフが途切れそうになったのは先客がいたからだ。
「すごい美人」
「ああ本当に。すごく、素敵な人だ」
赤髪の長髪で少々のそばかすが顔に乗った、街で見かければかなりの割合の人間が振り向くであろう美貌の持ち主がヒューゴのデスクの前に立っていた。年のころは二十代半ばあたりだろうかと思われる。フィーリクスとフェリシティは一先ず部屋へ入るとドアを閉め、彼らの数歩前まで歩み寄る。ただしその動きはぎこちない。
「ちょっと! 見とれすぎじゃない? あたしへのフォローも欲しいところなんだけど」
フェリシティがフィーリクスの脇腹を肘でつつき小声でそう文句を言う。フィーリクスはそれに文句では返さず彼女にだけ見えるように片側の口の端を吊り上げ、これもまた小声で言った。
「そういうフェリシティも見とれてたじゃないか。それに俺から歯の浮くようなセリフを聞きたいの?」
「うげっ、遠慮しとく」
彼女への効果は抜群のようで、嫌そうな顔をフィーリクスに見せると押し黙った。
「相変わらず隠す気のない内緒話だな」
「うっ、聞こえてた?」
「あたしも聞いたよ。初めまして、あなた達が話題のお二人さんね。あたしはジェラルディン。ディーナって呼んでくれる?」
「は、初めましてディーナ。俺はフィーリクス」
「あたしフェリシティ」
ディーナは二人に一歩踏み出し近づくと、手を差し出した。もちろんこれは握手のためだ。それはフィーリクスに向けられているものだが彼は反応しない。いや、できなかった。緊張が高まり、体が固まっていたからだ。
「ん? どうしたの?」
妙に思ったのかディーナがフィーリクスに更に接近し、かなりの近距離で顔を覗き込んできた。フィーリクスは赤面し、動悸が起こるがそれでは終わらない。彼女が額をフィーリクスのそれにぴたりとくっつけたのだ。その瞬間自分の心臓がひときわ大きく脈打つのが聞こえた気がした。
「ありゃ、これは熱でもあるのかな」
ディーナはフィーリクスの手を取ると脈拍を測る。次に彼のまぶたを指で開いて固定し、胸ポケットに納めていたペンライトで目の奥を照らした。眩しさに小さくくぐもった声で呻いた彼を無視して口を開けさせると喉の状態の確認を取る。そこまでやって納得したらしく一歩後ろへ下がってペンライトをしまい込んだ。
「ああ、ごめん。あたしは学者でね。どうにもこういうの気になっちゃって」
「いや全然! 体調を心配してくれたんだよね?」
「……まあそんなとこ。で体調の方は問題ないみたいだから安心して、一時的な緊張によるものだから。理由は分かんないけど」
「そ、そっか。へへ、ありがと」
何か間があった気がしたがフィーリクスは気にしないことにした。フェリシティが横から睨みつけてきている気もしたが、それも気にしないことにした。
「彼女は生物学者でな。と言ってもただのそれじゃない」
ヒューゴの言だ。この流れを変えたいようで彼女の紹介を続けるつもりのようだった。
「魔法生物、つまりモンスターを研究してるんだよね」
ディーナが軌道修正を続け、折れた話の腰が治ったようだと捉えたフィーリクスは彼女の職業について考える。モンスターについて研究する者。ただ、それはすぐには答えの出そうにない問題だと気が付くとヒューゴの話に乗るため頭を切り替える。
「それで、魔法生物学者が一体どんな用件で捜査課に尋ねてきたの?」
「ある人物の安否を彼女とともに確認してきてほしい」
「ある人物って?」
「ディーナは元々ある大学で生物学を学び、そのまま研究職に付いていた。そこを、優秀だったためにMBIが引き抜いた」
「らしいよ、あたしはあんまり周りと変わんないと思ってんだけどね」
ディーナはウィンクなどして見せながら、謙遜ではなく素直にそう思っているかのような様子でそう言った。
「ディーナの大学時代の友人で、同じ生物学者であり共同研究を行うこともあった仲だった女性がいる。その彼女が行方不明になったんだ」
「それって、MBIの仕事なの?」
「それが、難しいんだ」
「んん?」
フェリシティが片眉を上げて反応する。
「どちらかと言えばそうかもしれん」
今ひとつ歯切れの悪い物言いのヒューゴのその態度は、フィーリクスとフェリシティにとってかなり珍しいものだった。彼は普段であれば何であっても、ずばずばと断定口調で言いのけるからだ。
「とにかくこれから、現時点で分かっていることを話そう」




