3話 invisible-2(挿絵あり)
大人しく事務作業をしているフィーリクスとフェリシティのところへ、MBI捜査課の面々がパトロールや事件の捜査から戻りつつあった。もうすぐ昼に差し掛かる、そのあたりの時間帯だ。ヴィンセントとラジーブ、ニコとエイジを始めとして複数人が間を置いて部屋へと入り、それぞれのデスクへと着席していく。
その中にはついに二日前まで出張しており、面識のなかった二人組もいた。その二人がフィーリクス達の前へとやってくる。彼らと会うのはこれでまだ二度目だ。
「よう、調子はどうだ?」
「まあまあかな、キーネン」
フィーリクスが返事をしたのはキーネンだ。きめ細かい褐色の肌の持ち主で、穏やかな性質を思わせる優しい目をした人物だ。
「お前ら、公園のオブジェを壊したんだって? とんだクラッシャーだな。今後の活躍が楽しみだ」
「何よディリオン、みんなそういうときだって一回や二回くらいあるでしょ?」
対してフェリシティが答えた相手は丁寧に手入れされ、もみあげから顎まで繋がる髭の持ち主のディリオンだ。彼は二人に皮肉を投げかけるとニヤリと笑う。フェリシティは眉をしかめて彼を睨みつけた。
「小さい失敗ならそりゃあるさ、なぁみんな?」
ディリオンは自嘲めいた顔で肩をすくめた後、周りを見渡す。
「でもこういうことを自分で言う奴って信用できるか?」
「ディリオン、言い過ぎだ。彼らはまだ配属されたばかりだぞ」
キーネンが諫めるが、周囲は困惑しながら遠巻きに見るだけで何も言わなかった。彼は、『そういう』人物らしいとフィーリクスは評する。キーネンと組むのはあれでバランスが取れているのだろうと推察した。
ただそれとは別に、周囲の同僚達にはフィーリクス達への反応自体もどこか余所余所しいものがあった。二人が前回のことで事件の容疑者としての立場を深めていたからだ。破壊を楽しむ節がある、危険な人物としてだ。
「な、な、何よ!」
フィーリクスがフェリシティを見ると、早速顔を赤くして今にも彼に掴みかかりそうになっている。それを見ている者の中には眉をひそめる姿がいくつか見られた。
「おまけに、前の事件の容疑者なんだろ? ウィッチのスパイとしてMBIに侵入したのかもな」
「そんなわけないでしょ! ちょっとフィーリクス止めないで!」
必死になって前に出ようとするフェリシティを抑え、宥めるフィーリクスのそばに彼女を避けてディリオンが近寄り、そっと彼に耳打ちをする。
「なぁフィーリクス。お前さん、……モグリだろ?」
驚いたフィーリクスは腕で押さえていたフェリシティをさっと放し、彼女は蛙のつぶれたような声を出して地面に突っ伏した。
「どうして」
「静かに、誰かに聞かれるぜ」
フィーリクスはディリオンにだけ聞こえるように小さく唸るが、彼は意に介した風もなく話を続ける。フェリシティは突っ伏したままだがそれどころではない。
「話がある。ちょっと来な」
そう言うとディリオンは部屋を出て行く。フィーリクスは内心で焦っていた。汗が吹き出し、心拍数が上がったのを感じる。今は違うとはいえ、裏で違法にモンスター退治の仕事を請けていたの確かだ。ただ、それを知っているのは恐らくヴィンセントとラジーブ、それとヒューゴくらいなものだろうと思っていた。それを何故彼が、そう考えディリオンの後を付いていこうとしたところを、キーネンが呼び止めた。
「相棒の俺が言うのもなんだが、ディリオンには気をつけたほうがいい」
「どういうこと?」
「ちょっと変わってるんだ」
彼の言葉の意味は分からなかったが、フィーリクスはその助言に感謝する。
「ちょっとフィーリクス! ひどいじゃない!」
ようやく起きあがったフェリシティの文句を聞きながらディリオンに次いで部屋を出た。ドアの近くに立っていたディリオンは彼に顎で付いてこい、と合図をすると歩き出す。向かった先は、現在利用者のいない小さめの会議室だ。
「どうして分かったんだ」
入室し、適当な椅子に向かい合うように座った二人は真正面から見つめ合う。
「素直に認めたな。ああ、何ていうか、前に何人か会ったことがある」
ディリオンは肩がこったとでもいうように首を捻る。一度フィーリクスから視線を外し、再び彼に向けた。
「においで分かるんだよ」
「俺そんなに臭いかな」
フィーリクスは自身の体臭を嗅いだ。彼は思い出す。朝はちゃんとシャワーを浴びた。それに自分はデスクワークしかしていない。それほど臭うはずがないのに。
「そのにおいじゃない!」
「そんながならなくても。冗談だよ」
ディリオンは背もたれに体を預け上を向く。冗談半分真剣味半分で聞いたものだったが、彼の機嫌を多少なりとも損ねるものだったらしい。彼の態度からすると、それでも構わないと思ったが。
「俺は真面目に話してるんだ。……それでだ。モグリかどうかそれ自体はどうでもいい。今はMBIなわけだしな」
彼はどこか真面目に相対しないところがある。フィーリクスはそれを自分を下に見る行為だと受け取り、不快な気持ちが湧きおこるのを覚えた。
「じゃあ一体何なんだ。俺に何の用があって」
「どいつもこいつも腹に一物抱えてますって顔してるんだ」
ディリオンは起き上がってフィーリクスへと視線を戻す。彼の持って回った言い方に、フィーリクスの抑えていた感情の温度がゆっくりとだが、沸点に近づきつつあった。
「自分は普通ですって顔して、確かに一見そう見える。でもともあれば後ろ暗い雰囲気漂わせて、ふらふらとゾンビみたいにうろつくんだ。何考えてるのか分かったもんじゃない」
彼は続ける。
「MBIはエリートの集まりばっかりってわけじゃない。どこにも行けない連中が拾われてくることもある。俺や、お前さんみたいにな」
「俺は違う!」
フィーリクスは叫んでいた。ディリオンはやや驚いた様子を見せ黙り込む。彼の顔には、何かに対する後悔と諦観の念が含まれているようにフィーリクスには感じられた。そのことが、フィーリクスの怒りを鎮める消火剤として働くことになり、幾分か冷静になることはできた。
「言い切っちまっていいのか?」
「当り前だよ」
それは、嘘だった。彼がMBIで働き始めた一番大きな理由がディリオンの言ったことに該当するからだ。自身の相棒、フェリシティには機会が訪れれば話そうと思っていることでもあった。
「いいか、お前さんみたいな奴らは大体何らかの欠落があるんだ。何か大切なものをなくしたような」
ディリオンはじっとフィーリクスを見据えていた。まるで彼を見透かすようなその視線にフィーリクスの心が揺らいだ。
「お前さんは何を失ったんだ?」
「それは」
声は、震えていた。忘れたくとも思い出せない記憶が蘇りかける。
「いや、答えなくていい。……精々周りを道連れに自滅しないようにな。俺からのアドバイスだ」
会ったばかりの相手に何が分かるというのか。フィーリクスは表にこそ出さなかったものの、心の内でくすぶる言葉には表せない何かを、確かに抱えていた。
「じゃあ、俺は行くぜ」
そう言い残してディリオンが席を立つ。部屋を出ていき、フィーリクス一人となった。彼はぽつりと呟く。
「俺は、ただ……。どうすればよかったんだ……」
「どうしたの?」
声をかけたのはフェリシティだ。彼女が部屋に入ってきたことにさえ気が付かないほど狼狽していたのかと、フィーリクスは驚く。気が付けば汗をかいていた。手がじっとりと湿っている。
「フェリシティ、どうもしないよ。君の方こそどうしたんだ?」
「どうもしないって、そんなわけないでしょ。ディリオンに何か言われたの? ひどく落ち込んだ顔してる」
「落ち込んでる? 俺が? ははは、そんなことないよ。多分」
疑わしそうな目で見るフェリシティは、しかしそれ以上は追及しない。
「ところで、もうお昼休憩の時間よ。ランチ一緒に食べましょ?」
彼女は眉を下げて目を細め、口角を上げる。困ったような笑顔でフィーリクスに向き合い、彼の肩に手を置いた。その感触がフィーリクスにはとても尊いもののように感じられ、彼もまた笑顔を形作る。
「そうだね、食べようか」
部屋を出た二人は捜査課の自席へと戻る。そこにはディリオンの姿はなく、フィーリクスはそれに安心する自分がいることに気が付いた。不甲斐なさは感じたが、深く考えるのは止めフェリシティとのランチを楽しむことにした。




