3話 invisible-1(挿絵あり)
フィーリクスは自身の相棒が行儀悪くデスクの上にパンツスタイルの足を投げ出しているのを、何とはなしに見つめていた。今はまだ午前中で彼らは書類整理の事務仕事をしていたる最中だ。
彼の隣の席に座るその人物は椅子の背もたれに最大限に寄り掛かり、仰け反り気味になっている。その人物の表情にはやる気や覇気、生気と言ったものが感じられない。弛緩しきって今にも涎が垂れそうな口から、代わりに低いうめき声と怨嗟の声が漏れ出た。
「もうダメ、あたしをここから解放して。それかいっそ楽にして」
「はは、フェリシティ。今にも溶けそうだ。それにしても、君がスカートを履かないわけが分かったよ」
フィーリクスはフェリシティと呼んだ少女のボリュームのある足を眺めていたが、彼女は彼の言葉に反応したのかデスクから足を下ろしてしまう。彼はそれを名残惜しそうに目で追った。
「分かる? このためなのよ、ってそんなわけないでしょ。単に動きやすいからっていう理由。そんなことより」
MBIエージェントとしての最初の事件から数日が経っていた。その時見事モンスターを撃破したフィーリクスとその相棒フェリシティの二人は、懲戒処分としてMBI内でのデスクワーク限定での出社を無期限で命じられている。彼らがモンスター退治のために取った行動が不適切だった、ということが理由だ。
「思い出したらむかむかしてきた。ヒューゴったら、なーにが『よくもまあ市長のお気に入りを破壊してくれたもんだ』、よ! こっちは必死だったんだから! そうでしょフィーリクス!?」
彼女は勢いよく起き上がり、フィーリクスにぶつからんばかりに顔を近づけそう言うと唸る。肩の高さで握りこぶしを作り腕を振るわせてのジェスチャー付きだ。処分を喰らってから数日は大人しくしていた彼女だが、ここへきて急に爆発したらしい。彼女は威嚇するように歯を剥き、至近距離で彼をジロジロと見る。もはや彼女のこの性格にある程度慣れてきていたフィーリクスは、眉じりを下げながら彼女をなだめに入った。彼女の肩に手をそっと置きゆっくりと話す。
「落ち着いて、フェリシティ。ヒューゴは隣にいるんだ。防音が効いてるけど、あんまり大声だと聞こえるよ」
不適切という理由のその内訳としては、市所有の公園遊具及びオブジェ破壊。服務規律違反としてモンスターと戦闘に入る前の一般人の避難誘導の不徹底、などが挙げられた。特にオブジェは市長が懇意にしている著名な芸術家から市に寄贈されたものだったらしく、市長の自慢の一品だった、ということが処分の最大の理由だと捜査部長であるヒューゴの口から聞かされていた。
「国政機関の一つとしても、市政との折り合いをつけるためには何かしらの処分を下して、えーと、何だっけ。ちゃんとやってるように見せなきゃいけないとかなんとか。ああそうだ、示しをつけるとかだったような」
「要するに、市からの突き上げを喰らっておめおめと引き下がったってこと。違う?」
「うーん、難しいな。違うようなそうでないような。まあとにかく、デスクワークからまだ抜けられないのは確かにつらいよね」
フェリシティが急に落ち着きを取り戻しにこやかな様子へと変化する。彼女の肩に添えているフィーリクスの手にそっと触れ、優しく握った。彼はその手のぬくもりに心地よさを感じながら、上目遣いで見つめるフェリシティの優しい声を聞く。
「大したことがなかったとはいえ、フィーリクスはまだ怪我人なんだから。今回のこれはあんたの療養期間だと思ってよしとする」
「フェリシティ、君は本当にいい」
「なんてあたしが言うとでも思った?」
彼女の手を握る力がにわかに強くなる。フィーリクスは痛みを覚え始めていた。彼は、彼女の上目遣いが知らぬ間に睨みとなり果てているのに気が付く。
「違うの!?」
「安心して。早く回復するのを願ってるのは本当。でも、このままでいいわけがないでしょ!」
更に強く握られ明確に痛覚を刺激されたフィーリクスは思わず顔をしかめる。もはやフィーリクスは彼女の肩に手を置いてはいない。彼女の手は彼のそれをがっちりとホールドし、潰さん勢いで握り締めていた。だがフィーリクスはそれに抗議の声を上げることなくセリフを続ける。
「なら俺と同意見じゃないか。でも、いやだからこそここは大人しく耐えしのごう。明るい未来はきっとくる!」
フェリシティは低くうなり、それでも効果がないと知るとフィーリクスの手を解放した。フィーリクスは手をさすりながら彼女をじっと見据え、反応を待つ。
「やめてよそういうの。あたしがそういう性格じゃないの、もう分かってるでしょ?」
もう大丈夫だ。彼は内心ホッと胸を撫でおろす。彼女はもう落ち着いている。
「そうだね、そうだった」
「でも明るい未来ってとこは嫌いじゃないかも」
「でしょ?」
「あたし、またやっちゃった。感情のコントロールがうまくいかないのよね」
「気長に付き合うよ」
「ありがと」
彼女は一呼吸置くと自分のデスクに向き直り書類に手を着け始める。フィーリクスはそれを微笑みながら見つめた。怒りっぽいところがあるが、基本的には正しいことをなそうとするいい人間だと、彼はフェリシティをそう評価している。
「あたしを監視しなくてもちゃんとやる。ほら、フィーリクスも早く終わらせないと」
気付かれていたようだ。フィーリクスも慌てて己の負担分を片づけに入る。その時、捜査課のドアが勢いよく開けられると、一人の女性が現れ張りのある声を室内に響かせながら入ってきた。
「ヘイみんないる!? ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
彼女はキョロキョロと室内を見回し、人を探している。フィーリクス達二人の知らない女性だった。歳は二十代半ばあたりだろうか。あまり手入れのされていないショートカットで、明るい茶色の髪に同じ色の瞳。作業着の上に白衣を羽織っており、所々黒い油汚れで汚れている。見れば顔のあちこちにも汚れが付着しているようだ。
「ありゃ、誰もいないか。……ん? なんだいるじゃない。いるなら返事してよ」
隅の方にデスクがあるフィーリクス達に、最初気が付かなかったようだ。彼女はさっと身をひるがえして部屋から出ていきそうになったところで二人を発見し、妙に親し気に声をかけてきた。
「あの、あなたは誰?」
「え? あたし? あたしは技術部のゾーイよ。そう言えばあんた達見慣れない顔ね。ひょっとして話題の新人?」
彼女はにこやかに二人に近づくと名乗る。彼らの隣り合わせのデスクをまたぐように片方ずつに手を付いて身を乗り出した。
「フェリシティよ」
「俺はフィーリクス。あんまり聞きたくないけどどう話題なの?」
「捜査課へ配属早々、市所有の財産をぶっ壊したとか」
「やっぱり」
「だね」
二人は顔を見合わせて自嘲気味に頷きあう。違う部署にまで知れ渡っている自分たちの悪評。これの意味する所は、今後自分達が何をするにしてもこの噂が付きまといMBI内での活動がしにくくなる、ということだ。
「期待の星ね!」
しかし残念そうに言う二人には構わず、ゾーイのテンションは変わらない。その落差にフィーリクスとフェリシティの二人は声を揃えて驚きを表す。
「「どういうこと!?」」
「実はね。あの市長、裏事情を知ってる連中の間では相当なMBI嫌いで有名なのよ。もちろんあたし達MBIも市長のことは大が付くほど嫌ってんだけどね。ここだけの話、ヒューゴも」
ゾーイは声を潜めるように手を口の横に沿え、実際には大して下がっていない声量のまま話した。
「そんな事情があるんだ」
「そう! それで、今回のことは市長としても不可抗力だってことは分かってるはずだから、あまり強くは出られない。つまりは奴に手痛い一撃入れたってことよ」
フィーリクスとフェリシティにゾーイがニヤニヤとしながら話す。その様はまるで嬉々としていたずらを楽しむ子供のようだ。
「あんた達を歓迎してる人はそれなりにいるってこと。覚えておいて。……そうね、この際あんた達でもいいや。ちょっと頼まれてくれない?」
「どんな事?」
「新しい装備を開発中なんだけど、限定お一人様でモニターになってほしいのよね」
「「新装備!?」」
再び同時に。二人は新装備というワードに目を輝かせた。今は彼ら以外は部屋に誰もいない。本来ならば新入りが手にすることはできないであろうアイテムに、誰よりも先に触れることができるのだ。
「そう、新装備。名付けて『モンスターディテクティブデバイス』! 略してMDD!」
「何それ?」
ゾーイが握りこぶしを眼前に突き出して叫ぶ。フェリシティはよく分からないという顔だ。
「魔法の痕跡を見つけて、モンスターが発生したら追跡できるの。地図に表示させて位置を確認するのよ」
「それって凄いよ!」
「天才科学者ね」
さらりと言ってのけたゾーイの言葉にはしかし大きな意味が秘められている。それは事件の発生以前に、モンスターが現れた段階でMBIが脅威に対処できるということだ。つまり、今までよりも遥かに被害を抑え、いち早く平穏を取り戻すことができるということだ。
「あー、できれば『美人』天才科学者って呼んでほしいな」
「ん?」
「え?」
彼女にはそこそこ自意識過剰な面も見られるようで、二人の反応が遅れる結果となる。彼女にはそれが少々不服だったらしく口をへの字に曲げた。
「そこはハイでしょ。まあいいや。とにかくこれ誰かに渡しといてくれる? 使ってどうか後で報告するように言い伝えてさ」
彼女の感情の切り替えは早い。一転して笑顔に戻ったゾーイは二人を交互に見ると話を前に進める。
「それって、その、俺達……」
「何? 使いたいの? 別にあんた達が使ってくれてもいいよ。ただ、急がない代わりに確実なデータが欲しいんだよね。そこだけきっちりしてくれれば」
どうやらゾーイはフィーリクス達に待機命令が下っていることまでは知らないようだった。彼は、それをチャンスだと捉えた。
「もちろん!」
「フィーリクス?」
フェリシティがフィーリクスに視線を投げる。眉がひそめられ、そこに僅かに不信感が含まれているのに彼は気が付いていた。だが彼女を手で制し、ゾーイの返事を促すためその手を彼女に向かって差し出す。
「じゃああんた達にお願いするわ。新人へのお祝いだと思って」
「ありがとう!」
「ってことで、ええとフィーリクスだっけ。ちょっと端末を貸してもらえる?」
「ああ」
彼女はフィーリクスから端末を受け取ると自身のそれも取り出し、何やら画面の操作を始める。フィーリクスは彼女が何をするつもりなのかが気になった。
「それって何やってるの?」
「これ? 今言ったMDDのモジュールをフィーリクスの携帯にインストール中よ」
「そんなこともできるのね! すごい!」
フェリシティもはやり興味は深々のようで目を大きく開いてゾーイの操作に夢中だ。ゾーイの端末から黒いキューブが実体化して浮き上がり、それがフィーリクスのものへと移動し吸い込まれていく。フィーリクスの端末の画面上に『インストール完了』のポップアップが出るとゾーイは彼に端末を返した。
「見た感じはジェムを入れるのと同じなのね」
「そうね、似たようなもんと考えてくれていいかも。モジュールには、各種機能に必要なジェムを模倣したプログラムと、それをうまく活用するためのプログラムが組み込まれてる。新たな魔法をジェムなしで使うためのね。それを端末にインストールすれば、後付けで色んな能力を付加できる」
「便利なもんね」
腕を組み説明するゾーイにフェリシティが感心した様子でため息をつく。フィーリクスはゾーイのセリフの途中にとんでもない事実が混じっていることに感づいた。
「今さらっと凄いこと言わなかった? ジェムを模倣って」
「よく分かったわね。モジュールはいわば人造ジェムとも言える。ジェムそのものが人工物かもしれない、っていうのはこの際置いとくとしての話だけど」
「そんなのを作れるなんて、やっぱり天才科学者だよ!」
ゾーイは腕組みをしていた片方の腕を起こし、人差し指を上にピンと張るとフィーリクスを軽く睨んだ。
「『美人』が抜けてる! 開発は簡単じゃないけどね。操作は直感で分かると思うからいらないよね? あとは使ってのお楽しみ! 報告待ってる!」
入ってきた時と同様にゾーイは勢いよく出ていった。残された二人は静かになった室内で顔を見合わせる。
「彼女って」
「嵐のようだったね。『美人』天才科学者、か」
フィーリクスはフェリシティの下まぶたに力が入り、己を見る目が据わっているのを見て冷や汗を流す。その直後ゾーイと入れ替わるように、捜査課の部屋の奥にあるドアが開きヒューゴが顔を覗かせた。
「今誰か来てたか?」
「ハァイ、ヒューゴ。誰も来てないよ」
フェリシティが何でもないかのように取り繕うが、フィーリクスは彼女が手を体の後ろに回し、人差し指と中指を交差させているのを見た。嘘をつく罪悪感はあるらしい。
「そうか、ならいい。二人とも、見張ってるからな」
「オーケー」
「分かってる」
ヒューゴは二本指を目に近づけた後二人に突き出す。『見ているぞ』のジェスチャーと共にそれだけ言い残すと彼はドアの奥へと消えた。フェリシティは再び足を机に投げ出し、フィーリクスの方を向く。
「フィーリクスには言いたいことがあるけど、とにかくこれは内緒にしておいた方がよさそうね」




