2話 fragileー9
二人は車の中にいた。それはMBI専用車両でフェリシティに貸し与えられたものだ。彼らは街のパトロールに出かけている最中だった。出勤後は書類整理の手伝いなどを行い、頃合いを見計らって出発したものである。二人とも出勤時の格好に上から黒い防弾チョッキのようなボディアーマーを着用している。耐刃や耐衝撃性に優れた一品らしく、二人ともそれを着用するように指示を受けていた。
「暇ね。ただのドライブみたい」
「平和に越したことはないよ。本来なら、俺達の出番なんてない方がいいんだ」
「それはそうだけど、それじゃあたしもあんたもクビになる」
「それは、ごめん被るかな」
「でしょ?」
雑用の間に頭の冷えた二人は、通常の会話をするまでに関係が戻っていた。ただ、今までの彼らと比べると、ぎくしゃくとした感じが目立つだろう。途切れがちに会話を続ける二人を乗せた車両は市街地を抜けて近くを流れる川を越え西へと進む。そこは住宅街がいくつも点在する地域だ。道路は左右が緑に囲まれ、のどかな風景が続く。
「その、フェリシティ」
「何?」
「朝は言い過ぎた。どうかしてたよ。人のことを考えてないのは俺の方だ」
「いいのよ。あたしも、言っちゃいけないこと言っちゃた」
「それも俺だよ」
「あたしよ」
「俺」
二人は笑いあう。徐々に、ぎこちなさが消えつつあった。フィーリクスは彼女をじっと見つめる。彼女は運転中のためもちろん前を向いたままだが、彼の視線に気が付いたようだ。
「あのね、フィーリクス。その、もしよければなんだけど、朝の言葉取り消せないかな」
「コンビ解消? ああ、本当どうかしてた。あれはなしだ」
「よかった!」
その時、彼らの携帯端末へ着信が入った。二人はそれぞれの端末に視線及び音声操作で応答する。相手は捜査部長のヒューゴだ。二人の端末は三者通話で聞こえる内容は同じである。
「今通報があった。丁度今君らが向かっている方向、その数キロ先に緑地公園がある。そこでモンスターの目撃情報があったようだ。やや大きめで不気味な姿をしているとのことだ。モンスターは大概不気味だがな。現在君らが一番現場に近い。行けるか?」
「任せてよ、ボス!」
「あたし達最高のコンビが最善の結果を持ち帰る!」
「よし、今地図を送る。状況を判断して無理そうなら援護を呼ぶんだぞ」
二人が装着しているコンタクトレンズタイプのHUDに地図が表示される。通信を切ると、二人は大きくため息をつく。そしてもう一度笑いあった。それはとても楽しそうな、晴れやかな笑顔を二人ともが浮かべていた。
「やりますか」
「やっちゃいましょう!」
地図を頼りに、車を急がせ二人は現場へと急行する。速度をかなり上げているが、ハンドル操作にブレはなく的確に行われている。
「スピードを落とせだなんて言わないでしょ!?」
「当り前だよ、相棒! ところでどこで習ったのこんなの?」
「あんたも免許取ったらすぐに覚えるよ!」
「そういうもん?」
「そういうもんよ!」
ウィルチェスター第三グリーンパーク。この街を作った人々はネーミングセンスというものがないらしい。現場に到着したフィーリクスはそんなことを考えながら公園の入り口で中の様子を伺う。そこをフェリシティがずかずかと遠慮なしに通っていき、彼は度肝を抜かれ口をあんぐりと開けた。
「じゃあ早速倒して帰るわよ」
「ストップストップ! フェリシティ待って! どこへ行こうって言うんだ?」
フィーリクスは彼女の手首を握り引っ張りその歩みを止める。彼女は掴まれた手を見て、次に彼の顔を見る。何を分かりきったことを、とでも言いたげな様子だ。
「決まってるでしょ、手順通りモンスターを倒すのよ」
訓練期間中の座学の時間に習った内容の一つに、モンスターと戦う前段階での手順があった。そのうちの一つをフィーリクスが改めてフェリシティに確認する。
「手順通り? だったら手順通りにまずは付近に人がいないか確かめて、いれば避難誘導をしなくちゃいけないだろ?」
「見たところ、誰もいないわよ?」
彼女はさっと周りを確認して再び中へ進もうとする。フィーリクスも見るが確かに見える範囲には誰もいない。だが彼はまだ握りっぱなしだった彼女の手首を強く引っ張ることでもう一度引き止める。彼女の頭が急停止にガクリと揺れ、首から変な音がするのがフィーリクスの耳に聞こえた。
「何すんのよ!」
彼女は具合が悪くなったのか、首をさすりながら文句を言う。
「いや、ごめん。それでもちゃんとやらなくちゃいけないってヴィンセント達に教わったはずだよね」
「今それって本当に必要なの? 見てみなさいよ、人っ子一人いないってすぐに分かるでしょ」
「フェリシティ。規則が守れないんなら、君はMBI失格だ」
彼は語気荒く言いながら、同時に少し落ち込んでいた。強く言い過ぎたかもしれない。彼女は初任務に期待を寄せて少しばかり舞い上がっているだけだ。それなのにこんな言い方をすれば。
「そうね、確かにそう。あんたの言うことはもっともね。つまり、あんたがやればいいのよ! あたしはモンスターを倒す。役割分担で効率いいでしょ!? もともとコンビ解散する予定だったし別行動よ!」
彼女が素直に言うことを聞くはずもない。彼女はとうとうフィーリクスの手を振り払い、公園の内部へと進んで行く。
「それを今蒸し返す!? フェリシティ! ああもう仕方ない」
彼女には自分よりも強い大きな力がある。それを過信して愚かな選択をしているのだ。彼はそう思い込んでいた。いや、思い込もうとしていた。己の言葉の選択ミスは棚に上げての、愚劣な行いだと恥じながら。だが、そうしなければ今彼がろくに動くことが叶わなかったのも事実だった。気持ちの切り替えが不十分なまま、彼は彼女の後を追う。
「モンスターなんてどこにいるの?」
フェリシティが呟く。公園の内部は緑が多く、子供達が遊ぶ遊具があちらこちらに置かれている。休日などは親子連れで賑わうことだろう。道は整備、舗装されており歩くのに支障はないが、緑が多数植えられており全体としての見通しはあまりよくはない。
「いい感じの公園だね。子供ができたらこういうところで一緒に遊んでみたいな」
「なーんだ、結局あたしの後ついてくるんじゃない」
「君を一人にはできないよ」
「ふうん」
ただ、いかんせん捜索すべき面積が広大だ。加えて二人ともここを訪れたことがなく、土地勘も皆無なため二人でモンスターを見つけられるかは疑問が残るところだった。二人は途中公園の案内図を見つけその内容を見る。敷地の中央あたりに大きな芝生広場があり、そこならばモンスターに襲われてもすぐに発見して対処できるはず、と相談しそこを目指す。
「ほら、やっぱり誰もいない」
フェリシティの言う通り、確かに広場にも人の姿は見受けられない。それでもフィーリクスは辺りに誰かがいないかのチェックは怠らない。
「無駄な努力だと思うけど、ま好きにして」
フェリシティはフィーリクスが見回っている間することがなく、ぶらぶらと歩き回っている。広場には中央に妙な形の銀色のオブジェが鎮座しており、彼女はそこを目指すようだ。球体を中心に幾本もの金属製の棒が四方八方に不揃いに突き出したアートだ。棒一本の長さは平均二メートル程だろうか。彼女が作品の手前に設置されているネームプレートを覗き込んでいるのがフィーリクスの目に映った。
「ウニの出来損ないみたいなやつね。これのどこを見て希望を見出せっての? 芸術家の考えることってよく分かんない」
「何か言ったー!?」
「何でもなーい!」
フィーリクスは彼女に大声をかけ彼女もまた大声で返す。フィーリクスは彼女の声を受け取ると確認作業を続けた。彼女が妙なことを言っていたようだが気にしない。ジャングルジムにブランコやシーソーなどありきたりだが幼子達が喜んで遊ぶであろう遊具が、広場のへりの方に固めて設置されている。その続きに、はしごやネットでよじ登る木製の巨大な立体遊具、土管を半ば地中に埋めたようなトンネル型遊具が併設されている。それらはフィーリクスの中に眠る子供心を刺激した。彼は自分は思ったよりも精神年齢が幼いらしいと一人苦笑する。
「誰もいない。ヨシ!」
フィーリクスは土管を覗き込み人がいないのを確認して、そう指差し呼称した。必要な作業を終えた彼はフェリシティの元へと歩み寄り、オブジェの前に立つ彼女が得意げに出迎えた。
「ね、言ったでしょ?」
「そうだね、フェリシティが正しかったみたいだ」
彼は彼女の言葉を困ったような笑顔で肯定する。確かに彼の見たところ誰もいなかった。戦う準備は整った、いや整っていた、ということだ。
「モンスターも出てこないし、そもそも間違った通報だったのかもしれない」
「どうかしらね。でも、それならもうそれでいい気がしてきちゃった。ところでこのオブジェってこんな形だっけ?」
ちらりと振り返り、オブジェを再確認したフェリシティがまたフィーリクスを見てそんなことを言う。
「さあ。俺はよく見てなかったし、分からな……。フェリシティ、今すぐそこを離れて」
「どしたの?」
彼は見た、オブジェの足部分が接している地面を。幾か所か地面が不自然に抉れている。それはまるでその部分を重い何かが引きずった跡のように思われた。全てではない。幾つもある接地部分の半分程度がそうなっている。しかも方向はそれぞれバラバラだ。
つまり全体がそのままの形で引きずられたのではない。金属の棒一本一本が自由に動いたかのような。しかもよく見れば周辺の地面にも同じような跡や小さな穴があちこちに開いている。
「早く!」
フィーリクスが叫ぶのとオブジェが蠢きだしたのは同時だった。




