10話 equilibrium-25(挿絵あり)
照明がいくらか明るくなる。ゾーイが調整したのだろう。彼女はすぐに動く気配はない。話をするというのは本当のようね。んー、彼女のことをゾーイと呼ぶべきなのか、それともクイーンと呼ぶべきなのか、今一つ判断が付かないところか。とにかくあたし達は、『彼女』と会話するために、数メートルの距離まで近付いた。
「ここに来るまでに始末できればよかったが、彼等や私の子では、お前を抑えることはできなかったか」
「それって、あたしのことを褒めてる、ってことでいいよね?」
なぜ彼女がクイーンだと分かったのか。それは状況から明白だった。なんせ見た目が不自然だったから。一見しただけでは妙なところはない。それが逆に不自然だった。彼女はインカムを付けていないし、部屋の内部の様子は今までとは違う。近未来的というか、機械的というか、生物的というか、よく分からないデザインの不気味な部屋。まあつまりは、こんないかにもな舞台で、操られているわけでもない普通の人間が、一人で堂々といるはずなんてない。
「そう受け取りたければ好きにするといい。だが、忌まわしき魔法を操る者よ。お前を放っておくことは許容されない」
「その言葉、そのまま返してやる。あんたを倒して、この街に平和を取り戻す!」
あたしの胸騒ぎは必然レベルの物だったのかもね。クイーンが宿主に選ぶ人物として、技術部の主任であるゾーイはうってつけだったに違いない。エージェント達を操るために使っているインカムの開発や製造に管理は、技術部の仕事だからね。ヴィンセント達だって、本当はこうなってるってことに感づいていたのかもしれない。あれ、それってあたしにゾーイの対処を丸投げしたってこと? ……仲間を疑うのは止めよう。にしたってゾーイ、元の世界の彼女とこっちの彼女は、片や救いの女神、片や地獄の使者って感じだね。こっちのは、言ってることがいかにもラスボスみたいじゃん。
「平和だと? お前がその言葉を発するのか」
「はぁ? 何か問題でもあるの?」
「大いにある。魔法の使い手めが。今ここで必ず討ち滅ぼしてやる」
何かこっちが魔王って感じの言い方されてる気がするんだけど。いや、魔法の使い手とやらは、この世界ではあたしとヒューゴくらいだし、ある意味そんな感じか。フィーリクスはというと、慎重にあたしとクイーンの会話を聞いている。今のところ間に割って入るつもりはないようだ。クイーンの口からある程度情報を引き出したうえで、有効な戦略を考えようという腹かもしれない。
「訳分かんない。それにヒューゴは? 彼だって魔法を使うけど、あんたは今まで何もしてこなかったんでしょ?」
「あの男か。彼も色々とやっていたようだが、取るに足らない些事でしかない。放置しても問題ないと判断したまでだ」
「冷たい言い方ね。仮にもあんたの叔母の、大切な人なんでしょ?」
彼女にゾーイとしての反応が少しでもあるかと思ったけど、眉一つ動かさなかった。当然返答もなし。黙ってしまった。答える価値なしと思われてるのかな。フィーリクスに目配せしてみるが、彼は小さく首を横に振るだけ。
あたしは以前、寄生型モンスターに取り付かれた人物を助けたことがある。その時はモンスターの特性もあって何とかなった。今回も、全然違うケースではあるものの、助けるつもりは満々だ。あたしは、それから多分フィーリクスも、彼女がまだゾーイとして生きているのかどうかという、とても大事なところをまず確かめたい。彼が首を振ったのは、今のこの短い会話だけではそれを判断できないということだろう。で、それは別にして、クイーンの言った内容も問題だよ。ヒューゴはどうでもよくて、あたしはダメって何それ。あたしが狙われた理由って何だろう。
「話を続けようか。お前は別格なのだ。扱う力が強力すぎる」
おや、どうも彼女はこっちが聞かずとも、勝手に語ってくれそうな雰囲気だ。ここは大人しく話を聞いてやろうじゃない。
「お前の出現は全くの想定外だ。あまりにも唐突な出現だった」
そりゃまあ、突然よね。あたしもまさか平行世界に飛ばされるだなんて、全くの予想外だったよ。おかげで色んな経験ができたといえば、そうかもしれないけどね。
「数日前、次元のゆがみを検出したのだ。エージェントの一人を向かわせ、その原因、お前を捕縛するよう命令した」
「その時はあたしも何も知らなかったからね。のこのことディリオンについていった。でもその後、あたしがここの屋上から逃げた時、追わなかったのは何でなの?」
最初はできないのだと思っていたことで、さっきヴィンセントと戦ってはっきりと分かったことがある。エージェントの着てるバトルスーツに、あたしと鍔迫り合いができる程の力があるのなら、あたし同様ビルからビルに飛び移ることくらい、容易かったはずだった。なのになぜ追わなかったのか。
「単純な話だ。この場所で目立つ真似は避けたかったのでな。今回の件に関して、報道規制を敷いているのは知っていただろう? 私達もその存在を公にすることはできなかったからな。ただし、それももう終わりだ。十分準備はできた。我々はなすべきことをする。この街を手始めに、この国の全域を支配する」
ヴィンセントの推論は、当たっていた。実際にはより悪い方向に事態は動いている。モッダー達は、人間社会を表からも裏からも乗っ取るつもりなのだ。
「話が逸れたな。これから消えゆくお前には関係のないことだ」
縁起でもないこと言わないでほしいね。
「それで、お前を追う代わりに、網を張ったのだ。エージェントの聞き込みとは別に、お前が立ち寄りそうな場所数カ所に、魔力検出機能を持った我が子を向かわせた。ヒューゴの家のそばにもな」
「それって、もしかして……」
思い当たる節がある。あれはそういうことだったのだ。
「そうだ。あるショッピングセンターで、車に擬態した私の子と戦っただろう。それがそのうちの一体だ」
あの車型は、あたしがクロエに見せた銃撃による魔力を検知したんだってことが、今になって分かった。妙にタイミング良かったもんね。それで、車型はあたしを誘うためにわざと暴れた。あたしが倒されればそれでよし。向こうがやられても、エージェントが来る。あの場所から逃れても、ヒューゴの家に隠れていることは既に分かっていたことだったのだ。それにしたって、随分高性能な探知機ね。有効半径は狭いんだろうけど、しっかりと魔法を検出するとは。いや、だからこそ数体分しか用意できなかったのかもしれない。
「ここからが本題だ。これは、規模の問題なのだ」
「規模?」
話の核心部分に差し掛かってるんだろう。でも、彼女の言わんとするところが今ひとつ読めない。
「時空の歪み、私の子やエージェントを通じて得た情報、お前の今までの言動から察するに、お前は違う世界から来たのだろう?」
さ、流石だね。機械の頭脳は明晰、冴え渡ってる。僅かな情報から正解を導き出してる。……本当はまたあたしがボロを出してるんだろうね。反省点が増える一方だ。
「さあね。答えるとでも思ってるの?」
「いいや、お前もそこまでバカではあるまい。何せここまでたどり着いたのだからな」
へぇ、あたしのことをそれなりには買ってくれてるじゃない。でも褒めてもらっても全然嬉しくない。ただ、彼女があたしの出自に言及したのはなぜ? まさか、またしても嫌な予感が当たったか。
「あんたまさか、あたしの世界に侵入して、世界征服でも企んでるってんじゃないの?」
「フェリシティ、答え言っちゃってるよ!」
「あっ」
やっちゃった。言ってるそばからだよ。
「征服? お前の世界を? つまらない冗談だ。征服などしない。ただしその代わりに、滅ぼす。お前のような者が今後増えることになれば、こちらの世界に災厄をもたらすことになる。そうなる前に、お前達を叩く必要がある」
さっきから言ってることが意味不明だね。規模? 災厄をもたらす? この世界に? 世界って、また大げさな表現をする。待って、もしかして、それってもはやこの世界は既に我々のものだ、とかって暗に言ってるってことはない? きっとそうだ。へん、調子に乗ってるじゃない。まだそう言い切るには早すぎるよ。
「いや、そうだな。お前を殺すのはまだ時期尚早だ。お前を操り、お前の世界に通ずる歪みを発生させよう。そしてお前が来た世界に我が子達を送り込んで、すべてを破壊し尽くすのだ」
何か勘違いしてる部分があるけど、わざわざ訂正する必要はない。ただ、こんなとんでもない内容を聞いて、あたしの焦りは大きくなる。何としても、約束の時間までにこの事態を納めなくてはならない。
「さて、そろそろ始めようか」
「そうね」
彼女の背後から、何か金属光沢のあるものが湧き出てきて彼女を包み込む。それは幾片ものパーツからなる鎧だ。金属のようであり、また有機的でもある名状しがたい素材からなっている。それが、足や腕の末端から順に、首までの全身を覆っていく。それだけでは終わらない。床に這っていた、これもまた何からできてるのかわからない、ケーブルのようなものが、彼女の足元に寄り集まって鎧と融合し、彼女を宙に持ち上げた。
「そのアーマー、頭もしなくていいの?」
「気になるのか? ……なるほど。向こうではこの体の持ち主とお前は知り合い、というわけか?」
「何でもお見通しね」
触手状のケーブルが、次々と彼女の体中にまとわりついていく。それは、彼女の新たな骨格、筋肉となり元の二周り以上の大きさとなった。
「お前がヒントをくれるものでな。で、この顔だとやりづらいか?」
「できれば、したくないね」
「だがやるのだろう?」
「その覚悟は、してきたつもりよっ!」
こちらが言い終わる前に、クイーンの攻撃は始まっている。あたしの腕の長さなら一抱えはありそうな太さのクイーンの右腕が振り出される。大きな拳があたしに一直線に向かって突き出される。でもそれは彼女の間合いの外。突きの有効射程圏外だ。もしや、戦闘に慣れていない?
「え? うわぁっ!!」
届かないと思われたそれが、元の長さを越えてあたしがいた場所を通り過ぎ、床にぶつかって止まった。寸前で避け得たおかげで無事だったけど、伸びるとか反則でしょ。
「お前は、お前の力は、この世に災厄をもたらす危険なものだ。排除せねばならない」
「あんた達こそ、人間に仇なす存在じゃない!」
大きな質量が勢いよく床に激突したにしては、音も反動も小さい。そう思い、クイーンの拳を再確認する。よく見れば拳と腕が潰れ、団子状の塊になってる。少々ばらけた部分もある。それは元の触手状のケーブルのもの。それらはそれぞれが独立してうねうねと動いていた。まるで何かを探しているようだ。さっき、彼女はあたしを操るとか言ってたよね。ってことはあの形状変化は、あたしを捕まえるためか。
「分かっていない。我々や人間など問題ではない。……これ以上意見を交わそうとも、平行線のようだが、まだ話し合いは必要か?」
「もう十分かな。でも、ねぇ最後に一つだけ聞かせて」
捕まるとヤバそうな雰囲気だね。とっととけりを付けなきゃ。ただし、これだけは聞いておかねばならない。クイーンは触手の塊をぞろりと腕の状態に戻していく。伸びていたそれが縮まっていき、最初の位置に収まった。それを油断なく見つめながら、彼女に問う。
「ゾーイは、どうなったの?」
銃を取り出し構える。もし、だめなら。その時はやらねばならない。クイーンを、いえ、ゾーイを。あたしの手で、殺さなきゃいけない。
「彼女の精神は、死んではいない」
銃のグリップを握るのに込めていた力を少し緩める。嘘か本当か分からない彼女の言葉に、少し安心している自分がいる。そして、次の言葉を聞いて、また力強くギュッと握りしめた。
「つまり、助けようと思えば、助けられるだろう。……できるものなら!」




