10話 equilibrium-18
まさに衝撃的だった。彼の口から飛び出た言葉を、すぐに理解はした。ただ、それがあたしに向けられてのものだってことを、スムーズに脳が受け入れない。そういえば、彼の家に厄介になって二日目の時も、ずっと一緒に暮らしてくれって感じのことを言ってた。その時は冗談半分だと思って聞き流していたのに。
「う、嘘でしょ?」
「嘘じゃない。冗談でもない。最初に君に会った時、君が俺の部屋の前に座り込んでた時。君が俺を見上げた時。君を好きになったんだ」
ああ、それ知ってるよ。一目惚れ、ってやつだよね。それで、その感情はあたしに対してのもの、と。
「そ、そうなんだ。そう、そっか」
あたしは平静を装うのが精一杯で、まともに返事を返せない。パニックを起こす寸前だった。こういうとき、どう反応したらいいんだろ。嬉しくはある。数日間とはいえ、苦楽を共にした相手なんだし。
「その、何だろ、何て言ったらいいか」
初めてのことじゃない。告白を受けたのは、人生でこれが二度目。ただ、一度目はなかったことにしてる。それはつい最近、ウィッチのアーウィンからのものだったから。……あー! あんな奴のことは今はどうでもいい!
「ふぅ。……その、ね、フィーリクス」
「うん」
一つはっきりしていることがある。それは分かった。それをきっちりと伝えなくちゃいけないことも。
「ごめんね。その気持ちには応えられない」
「……そっか」
嬉しいのに、胸が苦しい。この気持ちは何だろう。自分の胸の内に聞いても、答えはすぐには出てこない。でも、続けなきゃ。
「そうだよ。あたしは元の世界に家族がいる。仲間がいる。残してきた大事な仕事がある。どうしても帰らなくちゃいけない」
そう、必ず帰還を果たす。中断された、あたしのしなくてはいけないことを完遂するために。だからこの気持ちは押し殺して、彼を説得しよう。
「君はずっとそのために動いてきた。途中ちょっとだらけたけど」
「そ、そうね。でも、もうすぐ叶う」
「だから俺も、最後まで手伝いたいんだ」
そうなんだね、ありがたいことだよって、あれ、でも『帰ってほしくない』って言ってたよね。説得するまでもなく反対のことを言ってる。どういうことなの。
「疑問って感じの顔だね。俺の気持ちはさっき言ったとおりだよ。でもやらなくちゃいけないことは、俺にだって分かってるんだ。だってさ」
フィーリクスはそこで一旦区切る。次に、あたしの知りうる限り、最も優しい笑顔でその言葉をくれた。
「相棒として何をすべきかなんて、考えるまでもないだろ?」
それを聞いて胸の内の苦いものが消え、代わりに暖かく甘い感情で胸が一杯になる。こんなこと言われたら、泣きそうになる。いや、もう目の端からこぼれるものがあった。あれだね、相棒冥利に尽きるってやつ。
「後悔するような選択肢は選ばない。君だってそうだろ?」
彼に問われて、答えを返すのはすぐだ。
「そうだよ。あたしはいつも全力で進んでる」
「だから、君が元の世界に帰るのを見届けるよ」
「フィーリクス、本当にありがとう。あんたは最高の相棒よ」
ハグをする。ちょっとの間だけ。もう少しそうしていたかったけど、それを許さないものがあったせいだ。それは、あたしのお腹の音。
「お腹痛いの?」
「違うでしょ。昼も回ったし、お腹空いたの」
「じゃあ、まずは腹ごしらえかな」
フィーリクスは自身の提案に、自分のお腹の音で答えた。
「それにしたって、不可解なのは彼等の行動だ」
サンドイッチをかじりながらフィーリクスが言う。タコス風のスパイシーなやつ。一口かじらせてもらったが、いい具合に辛みが効いててなかなかいいお味だった。
「君の力を狙ってるにしては、ロケットミサイルを撃ち込んでくるだなんて。君を亡き者にしようとしてるみたいだった」
そう言われてみればそうかもしれない。あたしが注文したのはエビとアボカドが主体の野菜多めのもの。それを食べながら、同意のために首を縦に振ってみせる。ちゃんと味わうのも忘れない。うん、うまい。
「力を奪おうとか解析しようとか、とにかくそういうことなら、あんな手段を取るのはおかしい。それとも、君があの程度じゃ死なないってことを知っててやったか。もしくは方針を切り替えて、本当に始末しようとしてるのか」
あたしはドリンクで口の中のものを流し込んで、ここでようやく口を開く。
「そうなんだよね。これまで慎重だった彼らが、急に強硬姿勢に出るようになった」
「その原因を考えてたんだけど、いい答えが見つからない」
あたし達が今いるのは、ロゴの一部に矢印の意匠を施した、とあるフランチャイズのサンドイッチ店。約束の時間までは残り一時間半弱。時間がないはずなのに、こんなところでのんびりしてていいのかって? それが全く大丈夫なんだよね。なんせこの店舗がある場所が、SRBとは道路一本挟んですぐ北のブロックにある、オフィスビルの一階だから。
「で、それとは別に気になることがもう一つ。どうもSRBは、エージェントを総動員して、君を探し回ってるみたいだ。なのに、テレビとかでは全くニュースになってない」
フィーリクスとの意思確認を終えた後。用心して道路に出てみたところ、やはりヴィンセント達はいなかった。それを確認して、北へ向かうトラックの荷台にフィーリクスを抱えて飛び乗った。それから二、三台ほど車を乗り継いで、この近くまで来たのが十分程前のこと。
「情報統制を敷いてるんでしょ」
フィーリクスの家で厄介になっている間、テレビを見ることもあった。当然ニュース番組だってちゃんと見ていた。それとウェブニュースをチェックしたりもしていた。それらに、あたしについてのニュースは全くなかった。
「こう言っちゃなんだけど、たった君一人のために、そんなことをすると思う?」
「え? うーん、ないかぁ……」
「いや、実際やってるからおかしいんだ」
「あ、そ」
フィーリクスめ、何が言いたいのよ。ま、それはそれとして、それにしても。SRBも、まさかあたし達が生きているにしても、こんなすぐそばにいるだなんて夢にも思わないだろう、ってことでここで食事をしてる途中なのだ。後は、時間が来るまでここで待機していればいい。SRB内部への侵入方法は、一つ策があった。ここに来るまでにフィーリクスと相談して決めたことの内の一つだ。中に入るまでは何とでもなる、と思う。その後は、強行突破しかないかな、今のところ。
で、その方法について。施設見学での表立って入り込むって手は、まずあたしにはこの世界でのIDがないから使えないし、もちろんあっても使えない。フィーリクスの方も、既に面が割れてるし無理。偽造IDを用意するだけの時間も人脈もない。誰かその辺の人を捕まえてIDを強奪……、もとい借用し、変装してってのは流石に気が引ける。じゃあどういう手を思いついたのかって言うと、……ん、ちょっと待って。
「あっ」
「フェリシティ、どうしたの?」
いやいやいや、ぜんぜん関係ない話に変わるんだけど、ここに来るまで気が付かなかったことがある。こっちの世界の『あたし』は無事だろうか。ニュースがないから分かんない。ただどうにも、あたしはSRBからテロだのなんだの妙な容疑をかけられ、目下指名手配中っぽい。あたしが名前を出しただけのフィーリクスの所に、SRBのエージェントがあたしを探しに来た。あたしと名前も顔も同じ彼女を探し出すのは、彼等にしてみれば非常に容易いことのはず。彼女、今頃拉致されて、尋問を受けてる真っ最中、だなんてことになってないよね。
「その、こっちの世界にも『あたし』がいるわけでさ。彼女がひどい目に遭ってないかなって、気になって」
「今更そこに気付くの!?」
「いや、まあ。はは……」
こればかりは責められても仕方がない。遅きに失するにしても程がある。彼女の身に何も起きてないことを祈るばかりだ。数日前、あたしが彼女の家の窓から中を覗き見た時。彼女はあたしがよくそうするように、リビングのソファに座ってくつろぎ、雑誌を見ていた。平和そのものだった。散々やらかした後ではある。それでも、それを乱すようなことになってほしくない。
「君らしいね。……で、その点については、俺は問題ないと思うんだ」
「どうして?」
「彼等が俺の家に、君のことを探しに来た時。多分それよりも早く、もう一人の君の家に、既に訪れていたはずなんだ。そうは思わない?」
そう、さっきのあたしの考察が正しいなら、フィーリクスの言うとおりであってもおかしくない。それで、その時点で彼女は白だと判断したから捜索が続けられ、フィーリクスの家にスペンサーとグレースが訪ねてきた。今のところその二人や、ヴィンセント達からはそれに関するようなことは聞いてないしね。もちろんこれは希望的観測に過ぎないのは分かってる。それでも確かに、彼女が無事だという確率は高いもののように思えた。
「そうね、彼女は何も知らない。だから、そのまま知らないものは知らない、って証言するはず。SRBもバカじゃないなら、尋問なんか必要ない。言ってることが本当だってことが、捜査で分かるはず」
「そう。それに思うんだけど、SRBは君がこの世界にとって異質な存在、イレギュラーだって感づいているんじゃないかな」
「今思えば、その節はあったかも」
「だから、彼女は無事なはずさ」
「そうであることを心から願ってる」
通りに面した壁はガラス張りだ。それを通して店の外を見る。通行人を見るともなく見る。あたしって本当に適当だよね。後悔はしてないのは確かだよ。何とかうまくいって、もうすぐ帰還できそうだからいいもののさ。一つ間違ってたら、帰る目処が今もって立ってなかっただろう。それに周りの人達を、図らずも大変な状況に陥れていたかもしれない。現にフィーリクスは結構ヤバい状況になってきてる。まあそれももう終わり。気掛かりな点は大体解決したか、その目途が立った、はず。おや、何か見覚えのある服装の人間が数人、店の前を通ってる。そのまま通り過ぎると思いきや、彼等は店のドアを開けて中に入ってきた。あ、見覚えがあるどころじゃないや。
「あっ! お前等!!」
「げっ、あんた達!」
一時間ほど前に会ったばかりの、例の三人組が店舗の入口にいた。




