2話 fragileー7(挿絵あり)
「MBIでの勤務を開始し、フェリシティとフィーリクスは次々と難事件を解決。二人は一躍有名となり何度も表彰されテレビにも出演。ああ素晴らしきかな人生。二人の伝説は永遠に語り継がれるであろう!」
「何言ってんの?」
寝ぼけていたらしいフェリシティが突然立ち上がるとそう宣言した。何を世迷言を、とフィーリクスは彼女のことをおかしなものでも見るような目つきで眺めた。
「うわぁあ! 聞いてたの!? っていうかあたし今何喋ってた!? っていうかいたの?」
「まあ、そりゃあ、ね」
二人がいるのは、彼らに割り当てられた魔法捜査課のデスクだ。フィーリクスが左でフェリシティが右。そこそこの広さを持つ捜査課の部屋の片隅に用意されており、机上にはノートパソコンと電話機が置かれている。部屋には他にも数人エージェントがいるが、フィーリクス達は二人とも椅子に腰かけ暇そうにだらけていた。フェリシティなどはあまりにやることがないために、周りに誰がいるのかすら失念していたようだ。髪の毛をいじりながら辺りを見渡している。
「しっかりしてくれよ、相棒」
そんな彼女を見るフィーリクスの目には、他にも含まれるものがあった。羨望心だ。相手にはあって自分にはないもの。それを求める時、人は醜くも残酷にもなることがある。彼は自身でそれをよく分かっており、浅ましい感情を彼女に抱く自分に対して嫌悪感も同時に持ち合わせていた。
「にひひ、ごめん。ちょっと寝ぼけて変な夢見ちゃったみたい」
「それにしては妙に具体的にはっきりと喋ってたよ」
何が問題なのか。それは単純明快で、彼我の実力差だ。最初の魔法の使用体験から数日経ち、彼らは日々の訓練や雑用をこなしていた。だが訓練期間中の身としては実戦には出られない。出番は非常事態下でもない限りはなく、はっきり言って他にやることがなかった。
そんな中、たとえ訓練だけといえどもフィーリクスとフェリシティの間には小さく、しかし確かな力の差が表れていたのだ。つい先ほども模擬戦闘で通算十五回目の敗北を喫したところだった。ちなみに彼女に対する勝利は通算七回である。
「ねぇフィーリクス? どうしたの? 何か元気ないみたい」
はじめは小さな火種だったがそれは日増しに大きくなっていた。彼女が寝ぼけて変なことを言うにしても、それを笑い飛ばすだけの余裕が彼には失われていた。フィーリクスは彼女から目を背けてしまう。
「そんなことない」
「んんんん? ねぇちゃんとあたしの目を見て話してよ」
「これでいいかい?」
彼女に請願されフィーリクスは仕方なく彼女の方を向く。そこには強張ったぎこちない笑みがあり、彼女が小さく噴き出した。
「何それ! 微笑んでるつもり?」
「ハァイ、お二人さん。ちょっといいかしら」
彼らに割り込むように話しかけてきたのは同じ魔法捜査課に属するニコレッタだ。髪をまとめ、高めの位置でポニーを作っている二十歳前後ぐらいの女性だ。
「俺もいるぜ」
その隣には彼女の相棒のエイジも立っている。黒髪で、フィーリクス同様痩せ気味の男性で歳はフィーリクスと同じくらいに見える。二人は一年程前からMBIに勤務している同僚だ。ヴィンセントとラジーブを除いて配属されて最初に話しかけてきたのがこの二人だったため、彼らはある程度お互いの情報を共有しており多少話をするくらいの仲になっていた。
「二人ともどうしたのさ?」
「あら、お邪魔だったかしら」
ニコはフィーリクスの薄い反応に何かを感じ取ったものらしい。
「さっきフェリシティが何か叫んでたみたいだったから、困ったことがあるんじゃないかって思ったんだけど」
「言ってくれればいつでも力になる。頼ってくれよ?」
「ありがとうニコ、エイジ。ねぇ、もしかしてさっきのあたしの寝言みんなに聞かれてた?」
フェリシティが恥ずかしそうな様子で声を潜めて二人に確認を取る。それに答えるエイジは眉をはね上げ口から短く驚きの声を発する。
「ウォウ、あれ寝言だったの? みんな何事かと思って君の方を向いてたよ。てっきりフィーリクスが浮かない顔してるから、喧嘩でもしたんじゃないかと思って声をかけたんだけどな」
「んー、喧嘩なんかしてないよ。ねぇフィーリクス。フィーリクス? ちょっとあんた聞いてるの?」
「聞いてるさ、うるさいな」
フィーリクス達のやり取りを見てニコ達が耳打ちしあう。
「やっぱり喧嘩してるわね」
「なにかフィーリクスの方が一方的に不機嫌な感じだ」
もちろんその内容はフィーリクス達に聞こえている。元より何かしらの反応を彼らから引き出すためにわざと声を漏らしている可能性が高い、とフィーリクスは分析した。だがその手に乗るつもりは彼にはない。
「そうなのよ、フィーリクスったらさっきから変なの。どうしたのか聞いても何でもないって言うし」
「そう、何でもない」
「何でもないことはないでしょ、何か変よ」
「変だって? 俺は別に何も変じゃない」
「そう、じゃあ普通の反応してくれていいんだけど」
「いたって普通だね。もういい、コーヒー淹れてくる」
そう言ってフィーリクスは席を立って捜査課の部屋を出る。その背後にフェリシティの声を聞きながら。
「あれのどこが普通なのよ」
フィーリクスは給湯室へと場所を移す。部屋を出る口実に過ぎなかったのだが、言葉に出してみて本当にコーヒーが飲みたくなったためだ。家から持ってきたマグカップを備え付けのガラス棚から取り出し、豆をセットする。これも家から持ってきたものだ。ペーパーフィルタータイプで値段は安いが、意外に味も香りも彼の好みにマッチしており、以前から愛飲している銘柄のものだ。会社の備品として用意されているコーヒーディスペンサーもあったが、彼の気に入るものではなかったため使っていない。湯が沸くのを待っていると、誰かほかに給湯室を訪れる者があった。エイジだ。
「エイジ、どうしたんだ? 君もコーヒー淹れに来たのか?」
「ありがとう。でも俺は紅茶派なんだ」
「そっか。湯はもうすぐ沸くよ。二人分くらいならある」
「お茶を飲みに来たんじゃないんだ」
お湯の様子を見ながら喋っていたフィーリクスは彼のその言葉に振り返る。
「じゃあ、俺宛て?」
エイジはラジーブに似てややお調子者なところがある人物だ。だが、今彼には軽い調子はなく、真剣な表情をしてフィーリクスを見据えていた。それを見てフィーリクスも彼を見つめ返す。
「そうだ。フェリシティのことでね」
「言ってみてよ。答えられない質問はお断りだけどね」
「分かった。……なぁ、本当に喧嘩したわけじゃないんだよな?」
「ああ喧嘩はしてない。確かだよ」
「じゃあ何で彼女に対してあんな態度なんだ? ずっと仲良さそうだったのに」
彼の問いにフィーリクスはどう返すべきか迷う。本当のことを言うべきか。
「それは、答えたくない」
「答えられない、じゃないんなら教えてくれよ」
どうにも食い下がる。フィーリクスはため息を一つ、気持ちを切り替えて対応する判断を下す。
「オーケー。言わないといつまでも付きまとってきそうだな」
「分かる?」
「本気なの?」
二人は小さく笑いあう。火にかけていた薬缶のお湯が沸き、カタカタと蓋が音を立てる。フィーリクスは火と止めてコーヒー豆を蒸らしにかかった。
「何ていうか、他人が聞いたらどうでもいい、つまらない理由だって言いそうなことなんだけど」
「何だって言ってくれていいさ」
「ありがとう。誰にも公言しないでくれよ? 俺は彼女が、その、うらやましいんだ」
その言葉にエイジは答えない。フィーリクスは彼が呆れているのではないかと思い、やはり話すべきではなかったかと彼の真意を測る。彼の反応は、呆れではなかった。加えて言うならば怒りでも憐れみでもない。驚きだ。
「あれ、思ってた答えじゃなかった」
エイジがポツリと漏らす。
「え?」
「え? あ、いやいや違うんだ、気にしないでくれ。ええと、うらやましい、んだよな」
「そうだよ。彼女の強さがうらやましいんだ。模擬戦で彼女に勝てない。ただそれだけの理由なんだ。女々しいやつだって笑ってくれて構わないよ」
フィーリクスは覚悟する。罵倒が返ってきてもおかしくないと彼は理解していた。
「笑わないぜ、俺だって模擬戦闘でほとんどニコに勝ったためしがないんだ」
「マジで?」
「マジで。もちろん何回かは勝ったこともあるぞ。その、まぐれで」
「そうなのか」
「おうよ。でも気にしてない」
フィーリクスには彼の考えは意外だった。その理由が知りたくなり、次のセリフは自然と口をついて出る。
「どうして?」
「彼女が信頼できるパートナーだからだよ。勝ち負けなんてどうでもいい。どっちが強いかなんて重要じゃない。フィーリクスは違うのかい?」
エイジにそう言われ、フィーリクスは己が胸に聞く。
「信頼はしてるよ。まだ短い付き合いだけど、彼女のこと少しは分かってきたつもりだ」
「それは間違いだぜ、フィーリクス」
「何で?」
「さっき君が部屋から出ていったとき、彼女心配そうな顔してた。彼女のことが分かってるんならそんな顔をさせちゃダメだろ?」
まだ一週間に満たないが、フィーリクスは彼女と同じ時間を過ごしてきた。小さな気配りや、配慮ができるような、そういう人物ではないと断じていたが誤りだった。実際には彼女のことを何一つ分かっていなかったことに気付かされる。
「エイジの言うとおりだ。彼女に謝らなくちゃ。アドバイスありがとう」
「いいさ。彼女の悲しむ顔は見たくない」
「ん? それってどういう」
「同僚の不幸は自分の不幸ってことだよ。みんな仲間だろ?」
彼のセリフは臭い。だが、フィーリクスにはその言葉が染み渡るように己の心へと入ってくるのが分かった。
「いいこと言うな。実際いいやつだよ、エイジ。じゃあちょっと戻ってくる」
「ああ」
エイジの顔には一筋の汗が流れていたが、フィーリクスは気にしない。淹れかけのコーヒーはそのままに彼は捜査課へと駆けだす。
「それ片付けといて!」
それを聞いてエイジが唸った。




