10話 equilibrium-17
「どう!? 少しは離した!?」
あたしはフィーリクスに後方確認を頼む。すぐに窓から首を出して状況把握に努めてくれた。ちょっと前から色々吹っ切れた感じがあるね。あたしは彼のことを、頼りにできる相棒として見なしつつある。
「ダメだ! あいつ等ぴったりくっついてきてる!」
あいつ等、つまりヴィンセント、ラジーブとクライヴの三人組は、元の世界では共にモンスターや悪い連中と戦ってきた頼もしい仲間だ。
でも今は違う。こっちの世界の彼等はSRBという組織に所属し、あたしを付け狙っている。今もあたし達の車のすぐ後ろまで迫ってきてる。あたしはインターチェンジで進路を西から北に変えた。直前での進路変更だったにも関わらず、後ろも同様に分岐路を曲がってくる。二台の車は道路を爆走し続ける。
「止まれ! 止まらなければ撃つぞ!」
拡声器による声が響く。そう言うのはベテラン勢のヴィンセント。ラジーブと二人、車から身を乗り出しており、さっきから銃を手にあたし達の乗る車目掛けてビームを撃ってきている。とはいえビームは地面に飛んで散るばかりだ。そんなエイムじゃあたしの運転する車には当たらないよーだ。っていや待て。あいつ等、警告する前から撃ってるよね。
「てんめぇこの! 待ちやがれクソアマ!」
「クソアマ!? 流石にあったま来た!」
口汚く罵りながらクライヴが車を運転している。フィーリクスがあたしの肩を掴んで止めなかったら、あいつ等の車に飛び移って彼の首を絞めてるところだった。
「落ち着いてフェリシティ!」
フィーリクスにそう諭される。そうだ、ともかく冷静にならなくちゃ。あたしは元の世界に帰還するため、SRBに乗り込まなくてはならない。だから一先ず彼らから逃げおおせる必要がある、のだけど。あたしは首を窓から出して、怒りに任せて後ろに叫んだ。
「いきなり撃ってくるバカに、誰が待つってのよ!」
「うるせぇ! いいから大人しく蜂の巣になれ!」
そんなことを言われて大人しくなる奴がいたら、それは自殺志願者でしかないだろう。それに、あたし達はとうに走り出している。止まることはできない。未来を掴むために行かなくてはならないのだ。
車は街を縦断する川の支流の一つに架かる、数百メートルほどの長さの橋に差し掛かり、カーチェイスはなおも続く。この橋の左右の欄干は落下防止のためのコンクリート製の強固なもので、壁高欄と呼ばれるものだ。高さは人の腰のあたりまでしかないものの、車がぶつかってもそれを乗り越えて川に転落することはない。
「マジで言ってる!?」
「大マジだ!」
言い合ってもしょうがない。運転に集中しよう、……ちょっと、嘘でしょ。バックミラーを見て、何かの見間違いかと思った。また振り返って直に見直して、目を疑った。ヴィンセントが肩に担いでるのって、ロケットランチャーとかいうやつに見えるんですけど。
「嘘だと言って」
フィーリクスも確認したらしい。震える声でそう祈るように嘆く。ヴィンセントは容赦なかった。ロックオンと同時に、間髪入れず発射する。丁度橋の真ん中あたりでのことだった。はぁ、しょうがない。周りの車を巻き込むわけにはいかないよね。
「飛ぶよ! しっかり掴まってて!」
あたしはロケットの発射と同時に、ハンドルを右に切った。車体の進行方向、地面付近に向かって銃弾を放つ。車がその地面に到達したところで上方へ吹っ飛んだ。散弾状にばらまいた衝撃弾が時間差で炸裂し、車を壁高欄を飛び越えさせ、空中に向かって飛び出させたのだ。
で、その瞬間にロケット弾があたし達の車に着弾し、車は爆発炎上して大破するに至る。もちろんここであたしの冒険は終わり、なんてことにはならない。
「うわぁああ!」
「ひゃっほーう!」
寸前のところで、怯えて固まっているフィーリクスを抱えて車を飛び出し、川に飛び込んでいる。車の残骸がそこかしこに着水し、水没していく。すぐには水面に頭を出さない。もしそうすれば、相手に自分達の無事を知らせることになる。ひいては、橋の上から狙撃される恐れがある。彼もそのあたりのことは分かっているみたい。あたしにしがみついてじっと息を止めて耐えている。橋の真下、彼らからは見えない位置にまで潜水で進み、「ぷはっ!」ようやく顔を出す。流れの緩やかな川で助かった。
「ふぅ、今ので俺達がやられたって思ってくれたらいいけど、どうだろう?」
「さぁ、そうだといいけどね。取り敢えずこのまま泳いで、橋の下を終わりまで行くよ」
「分かった」
強化魔法を使ってフィーリクスを運びながら泳ぎ、体力の温存を図る。映画に出てくるヒーロー達みたいに、無限の体力で活動できるわけじゃないからね。
幸い橋の土台として、橋に沿ってコンクリートと土で川の一部が埋め立てられており、細長く突出する形で岸が延長されている。おかげで水泳は意外と短い距離で済んだ。
「一先ず何とかなったね。SRBが追ってくる気配はない」
岸について、辺りを見渡す。上の橋から聞こえる車の走行音以外は、静かなものだ。ヴィンセント達は、あたし達の死体の確認をするまでもないと踏んだのだろうか、探しに来る様子もなかった。
「車は無惨にも原形とどめず、川の底に沈んじゃったけどね」
「それは、本当にごめんなさい」
「君を責めてるんじゃないよ。SRBが異常なんだ」
それからすぐに立ち上がって次の行動を起こす。車はなくなった。ならば、移動手段は一先ず徒歩でいくしかない。橋の下の陸地部分をそのまま北に向かって進む。ここも橋の周辺も、木々が多く生え、目立たず行動できる。
昼を回り、約束の時間まで二時間を切った。SRBまで距離はまだあるが、途中タクシーを拾うか何かすれば十分間に合う。さ、まずは道路に出ないと。
「待って。ちょっと、疲れた」
いくらか歩いて、フィーリクスに止められる。そうだった、彼は完全に生身だ。戦闘訓練だってしたことないだろうし。肉体以上に、精神が疲弊しているだろう。彼には無茶をさせてる。彼にひどいことをしてる自覚はある。彼の厚意とはいえ、これ以上あたしに付き合わせるのは酷というものだよね。これは、時が来たってことなんだろう。あたしは振り返って彼と視線を合わせた。
「フィーリクス、ここまで本当にありがとう。あんたはあたしの立派な相棒として、あたしを助けてくれた」
「え、何だよ。何だかその言い方って、ここでお別れを切り出すみたいに聞こえるな」
フィーリクスが顔をしかめる。腕を組んでじっとこちらを見る。あたしの出方を窺っているようだ。まずいね、すでに結構不満が溜まってたみたい。慎重に対応しなきゃ。
「そう、正解だよ」
「どうしてさ」
彼は動かない。取り敢えずはちゃんと聞いてくれているように見える。
「あたしがあんたにしてあげられることがあればいいのに。あんたはあたしに対して、話し相手になったり、何日も家に泊めたり。ヒューゴと会わせてくれて、更にこんなところにまで付いてきた。細かく言えばもっと一杯!」
「そうだね。それで?」
彼は腕組みを解くと、腰に手を当てた。対応間違ってるかな、余計に怒らせちゃってる。
「でもSRBには目を付けられるし、カーチェイスはやらされるし、その車は壊されちゃったし、大変な目に遭わせてばかりだよね」
「楽しい思い出ばかり、と言えないのは確かかな」
「そうだよね」
彼の圧が強くなったように感じられる。ただ、ここで気圧されるようなあたしじゃない。
「でも安心して、後はあたしが解決するよ。SRBを説得するか、ぶっ壊すかしてやる。フィーリクスにはこれ以上、被害が及ばないようにするつもりだからさ。急なお別れになっちゃうけど、安心して家に帰ってほしいんだ」
よし、決まった。これなら文句ないでしょ。と思っていたら。
「君は俺って人間がまるで分かってないな」
「え? どういう意味?」
彼の返事はあたしの予想外の言葉から始まった。彼の性格は知ってるつもりだった。彼の日常から考えても、今の提案は悪くないはずなのに。
「君は俺が弱いと思ってるんだろ? 足手まといだから置いていこうとか考えてる」
「なっ、違うよ! あんたにこれ以上大変な目に遭わせたくなくて」
「そういうのがそうだって言ってるんだ」
フィーリクスが大きくため息をつく。失望した、って感じじゃないかな。大いに呆れてるってところ。
「見くびらないでよ。俺だってやるときはやるんだ。ここまで君につきあってるのは、他ならない俺自身の意志なんだからね」
確かに彼は自発的に行動してくれていた。その、カーチェイス以外は。ただ、ここから先は険しい道のりになる。そんな予感がする。そんな状況に彼を巻き込みたくないんだよ。それはあたしの本心。今だって下手したら死んでたし、恩人に怪我とかさせたくないのは人として当然でしょ。それに、彼の将来のことを考えると、これ以上はダメだよ。彼には、反社会的人物としてまともな職に就けないとか、下手したら牢屋行きだっていうリスクを、既に背負わせてしまっている。
「でも……」
「でもはなしだ。もう一人の俺は、これくらいのことで諦めるような、貧弱な奴なの?」
彼なら。そう彼なら諦めない。今目の前にいるフィーリクスも、そうだと言う。でも何故今彼のことを引き合いに出すのか。
「君は俺のことを相棒として認めてくれたんだろ?」
「ええ」
「なら、俺のことを見てよ。もう一人の俺と重ねて見るんじゃなくて、『俺』のことを見てほしいんだ」
あたしは思わず息を呑む。見抜かれてた。彼にはバレてたんだ。
「それは、ごめんなさい。正直に言うよ、フィーリクス。あんたの言うとおり、どうしても無意識のうちにそういうことがあった」
今だってそうだ。二人のフィーリクスをダブらせてる。それは、彼にとってとても失礼なこと。あたしにとってもきっといいことじゃない。だからもうやめなきゃ。
「あんたのことをちゃんと見るよ」
「ありがとう。フェリシティ。じゃあ俺も正直になるよ」
ん、彼は何か隠していただろうか。首を捻るが具体的に何も思いつかない。そんなあたしを、彼が真っ直ぐに見つめた。
「俺は、君のことが好きだ。君に、元の世界に帰ってほしくない」




