10話 equilibrium-15
紅茶を飲み干して、おかわりをもらう。砂糖とミルクを多めに入れて、更に一気に半分くらい飲む。ふぅ、やっと落ち着いた。
「話を再開するが、構わんな?」
「もう大丈夫よ。……ヒューゴ達も大丈夫よね? さっきのは誤解だからね?」
「分かってる。からかったりしてすまなかった。それに、こっちも早く本題に戻りたいしな」
さっきの発言の後、ヒューゴとクロエに、あたしがフィーリクスと妙なことは一切してないことを懸命に弁明し、何とか理解を得られた。多分。いや待てよ、からかったってことは、あたしの発言を曲解して、あたし達の反応を見て楽しんでた、ってこと?
「ともかく、話を前に進めようよ」
フィーリクスの発言に横を見ると、若干照れは残ってるかな。それ以外は彼も変な様子はなくなり普通に戻ってる。といっても、さっきはあたしが一番変だったろうな。少しばかり取り乱しちゃったし。皆引くくらいに。まあもう過ぎたことだししょうがない。でも次やったら暴れてやる。
「よし。さて、君は魔力増幅器を使って何をするつもりなんだ?」
「よくぞ聞いてくれました! あたしはそれで、通信信号を目一杯増幅して次元間通信を試すつもり」
あたしのやりたいことを聞いてヒューゴはしばし考え込む。腕を組んで小さく唸り、やがて何か閃いたようでポンと手を打った。
「……なるほどな。来ない助けを待つよりは、こちらから出来ることをする、という訳か」
「そうなの! よく考えたら、平行世界が一つだけとは限らない。下手したら無限にあるかもしれない。もしそうだった場合。あたしの仲間が、向こうからあたしを探し出すのは難しいでしょ? 現にこれだけ日数が経ってるのに、全然連絡がない」
次は間断なく彼から返答が返ってくる。あたしの考えをすっかり読んでいるみたい。
「言いたいことは分かるぞ。君の言うように、世界がたくさんあるとして。君の仲間が、君が次元間移動を行った際の痕跡を辿ることができれば、君がどの世界にいるのか特定することは容易いだろう。だがそれができなかった場合。確かにこの世界を探り当てるのは、なかなか骨が折れる作業になるだろうな」
可能性として考えてたことがある。ここが元の世界と二つだけしかない双子のようなものなのか。それとも、数ある世界の内の一つに過ぎないのか。どっちなのか、はたまた別の姿をしているのかは、誰にも分からない。ヒューゴもすぐにその考えに至ったんだろう。それからその先も。
「やってみんと分からんが、君の装備のログを解析すれば、元の世界へ向けて信号を送れるだろう。ただ……」
ただ、いくつか問題がある。特に大きいのが二つ。一つは、出力不足で届かないという単純な問題。もう一つは、世界が二つしかない場合。こちらの方が深刻かもしれない。
「君も分かっていると思うが、世界が双子型の場合だな。場所は分かっているのに、辿り着けない。そういう可能性がある」
そう、魔法の本拠地であるMBIにも出来ないことはいくつもある。その一つの中に、次元間をまたぐ通信や移動が含まれてるとしたら。あたしがあの時、あの変なポータルでここへ飛ばされたのが、神の御業とでもいうべき奇跡的なことで、再現はおろか通信すらできないのなら。あたしは、元の世界に帰れない。
「大海に垂らす、頼りない一本の細い釣り糸のようなものだ。釣果の保証などない。小魚一匹かからんかもしれん。君の貴重な魔力を、無駄に消費するだけに終わる、ということもある」
ヒューゴの言うとおりね。そこに異論を差し挟む余地はない。意味のないことをやろうとしているのかもしれない。
「それでも、やってみる価値はあるな」
「そうこなくっちゃ!」
だからといってやらない、という選択肢は、あたしにはないんだよねこれが。その場にいる四人全員が、ニヤリと口角を上げる。一見悪そうな笑みを浮かべて、静かな高揚感に包まれた。
「私も全力でサポートする」
「ありがとうクロエ」
「俺も、雑用でも何でも手伝わせてよ」
「フィーリクス、あんたもね。本当に最高」
胸に暖かい気持ちが溢れる。不思議なもので、こんな状況だけどあたしは今、幸せを感じてる。フィーリクスの首に腕を回し彼を引き寄せる。彼の頬にあたしの頬を押し付ける。あたしの気持ちを彼に伝えたい。感謝と友情と興奮とがない交ぜになった高ぶりを、彼と共有したかった。
「ちょ、フェリシティ、く、苦しいよ……」
「ありゃごめん。ついいつもの調子で」
顔の青くなったフィーリクスを慌てて解放し、様子を見る。大丈夫、命に別状はない。
「まず味方からしとめていくスタイルか。恐ろしいな」
「いや違うっての」
「向こうの僕は苦労してるんだね、って言おうと思ったけど、やめとくよ」
「言ってんじゃないの!」
ヒューゴとフィーリクスの皮肉を込めたコメントに少し冷静になった。そうだ、早速作業に入らなくっちゃね。
「それはそうと、協力にあたってなんだが」
「何?」
ヒューゴは改まってなんだろうか。まだ不明な点でも残ってたかな。
「さっきも言ったとおり、君の装備のログを拾って解析したい。だから」
「だから?」
彼と、クロエも立ち上がり、テーブルを回り込みながらにじり寄ってくる。
「君の持つ装備全てを貸してくれ。いいな?」
「じっくりと調べてみたいの」
「そう、隅々までな」
何だろう、二人は何かすごい圧力で迫ってくる。そのにぎにぎしてる手は何。二人とも怖いよ。
「わ、分かったから、こっちに来ないで二人とも」
そういうことになり、あたしは全ての装備を彼等に見せることにした。部屋を移し、ヒューゴの開発室へ。ここは広めのスペースが割かれてる。恐らくこの家で一番大きな部屋だろう。両側面の壁には天井付近まである大きな棚が設置されており、そこには箱に入ってたり、棚に直置きになってる様々なパーツやコードが乱雑に放置されている。部屋の真ん中には大きな作業デスク。これには先の戦闘で使ったらしい一抱えはある機械、魔力増幅器が置かれている。部屋奥の壁際にはPCデスクがある。どことなくMBIの技術部と雰囲気が似てるね。
「ほぅ、これが」
ヒューゴが息を呑む。あたしは作業机の空いてるスペースに、武器やレティやボディアーマー、それからMBIの端末も置いた。武器は、普段ならあたしの手から離れた場合に、すぐにインベントリに戻る設定になってる。それを解除しての話だ。流石にコンタクトレンズ型HUDは、あたしの目に着けてるままだけどね。
「すごいわね」
クロエも感嘆のため息をついてる。にしても、増幅器との接続のためとか言ってたけど、武器とか見る必要あるのかどうか。二人は熱心にあれこれ触って、使い方などをあたしに聞いてきた。単に未知のテクノロジーに触れたい、あわよくば自分のものにしたいって感じの欲望が、二人からありありと見て取れるのは、あたしが穿った見方をし過ぎているのよね、きっと。実際、途中からは真剣な顔つきで色々と、特にあたしの端末をよく調べてたし。
「よし、いいぞ」
そのうちに端末のデータの吸い出しに成功したらしい。ログやら何やらを自分のPCで見て、何やら相談事をしているようだった。プログラムに、見たことがあるような癖があるだの、あたしには分からないことを言ってる。
「フェリシティ、ちょっといい?」
「どうしたの?」
と思ってたら、相談を中断したクロエがあたしに話しかけてきた。
「もしかしてなんだけれど」
彼女はあたしに聞きたいことがあるみたいだね。いや、というよりは態度からすると確信めいたような、確認に近い感じか。
「この端末の開発関係者に、ゾーイって子がいるかしら」
「ええ、そうよ。彼女はMBIの誇る技術部の主任だよ。そういえば言ってなかったっけ」
「聞いてなかったわね。それで、やっぱり彼女なのね」
物知り顔で彼女が言う。ゾーイを知ってるってことは、こっちの彼女はSRBに所属でもしてるのかな。
「まさか彼女が、とはな」
ヒューゴも同じく何か知ってる感じだ。ああもう、もったいぶらないで早く教えてよ。
「というと?」
「彼女は、クロエの姪だ。さて、フェリシティの端末と魔力増幅器の接続作業に入るぞ」
おっと、まさかの身内だったか。初耳もいいところね。帰ったらゾーイをつついてやろうっと。さて、そこまでお喋りして、いよいよヒューゴとクロエが動き出す。クロエが魔力増幅器を、ヒューゴが端末を、それぞれ何か操作してるみたい。他にも必要なものがあるらしく、フィーリクスにやたらと重そうな別の機械を作業机の上に運ばせていた。
「こっちでも技術部主任なのは同じなんだが、魔法否定派の急先鋒という感じなんだ。分からんものだな」
「へぇ、そうなの? こっちの世界でじゃ科学も使うけど、魔法のガチ信者なのに」
少しだけ静かになる。あたしは次に彼が何を言うのかが分かった気がした。作業の手を止めてあたしに振り返る。あたしと彼が口を開いたのは同時。
「「マッドサイエンティスト」」
同じ単語を吐く。次の瞬間笑い出してしまう。それはヒューゴも一緒。いやなんていうか、こっちの彼って本当、気さくなところがある。親しみを持ちやすいというか。なんて感想を思い浮かべて微笑む。それを見咎めたのかどうか。
「あんまり人の姪っ子の悪口を言わないでほしいわね」
クロエからのお叱りを受けることになっちゃった。彼女も一旦手を止め、あたし達を軽く睨んでる。おふざけ半分って感じかな。でも彼女は美人なだけあって、例えふざけてだとしても怒った顔には迫力がある。本当に怒らせるような真似をしないようにしないとね。ヒューゴは、多分その経験者だ。急に大人しくなったんだもん。
「すまんすまん。……ちなみに私はゾーイに嫌われてるみたいでな」
「どうして?」
声を潜めた彼が言ったことの原因については、何となく想像できる。それでも話の流れ上聞かない訳にはいかないよね。
「クロエを誘拐したように思われてるんだ。彼女はあくまで、自分の意志で私に付いてきたというのにな」
「それに関しては、私も申し訳なく思ってる。彼女にも何度も説明したんだけれど、理解を得られなくて」
クロエのいうことも分かる。ゾーイからしてみれば、自分の否定するものを信じる人物に、身内が自身のパーティから引き抜かれちゃった訳だしね。
「魔法否定派なら、それも仕方ないのかもね。こっちのゾーイはヒューゴに対しては普通か、まあまあ好意的ってところだよ? まさかラブっていうのは、流石にないだろうけど」
「ラブだと? 信じられんな。彼女がまだ子供だった頃にはよく懐いていていたんだが、時の流れは残酷だな。ただまあ、そっちの私はどうやら、穏便にやっているようで何よりだ」
まあ、色々あって穏便って感じでもないんだけどね。ウィッチの脅威が差し迫ってるし。
「それが、そうでもない……」
そう、だからこそ早く帰らなくちゃ。ああもう、あたしはダメだね。すぐに頭の中が取っ散らかっちゃう。これで何度目なのよ。どうも集中力に欠ける。こんな状況だってのにさ。専門家に言わせれば逃避行動とかなんとかでだからこそだ、って言うだろうけど。そんなことじゃ、あたしは目的を果たせないじゃない。もう脱線しないからね。
「ところで、準備はできてる?」
「当然だ。私を誰だと思ってる」
自信たっぷりに頷くヒューゴとクロエは、それからすぐに実作業に取り掛かった。
「メーデー、メーデー、メーデー。こちらMBI所属のフェリシティ、フェリシティ、フェリシティ。メーデー、MBIのフェリシティ。現在異常ポータルの影響により、平行世界と思われる場所にて待機中。至急連絡と救助を要請する。オーバー。……こんな感じ?」
「オーケーだ」
具体的な手順は以下の通り。まず、増幅器で集めた魔力を端末に送る、なんてことはしない。その逆で、どうにかして割り出したらしい、元の世界の次元周波数に合わせた通信魔法を、一度増幅器に送る。その過程でフィーリクスが運んだ機械、魔力安定器を経由して、増幅器への魔力の過剰供給が起きないように制御するらしい。それで、増幅されたそれを端末に返して通信を試みるのだ。
「うまくいってよ」
祈るような気持ちで彼等の行動を見守る。通常の使用方法では、端末から送れる信号の強さの上限があるし、あたしがそれをどうにかするってのは、技術的に無理だったこと。それをヒューゴとクロエと、ついでにフィーリクスが叶えてくれた。
「どう?」
「ダメだな」
一度目は何も反応がなく、端末側の出力を強めてまた試す。それで効果がないなら、また出力を上げて再チャレンジ。何度も繰り返して、出力を最大値に上げた時だった。
「まずいぞ、これ以上は安定器も増幅器も持たん。試せるのは恐らくあと二、三回程度だ」
ヒューゴの指摘通り、二つの機械からうっすらと煙が上がってるのが確認できる。フィーリクスが迂闊に手を出して熱がってるのを見ちゃった。
「その時は大人しく諦めるよ。なんて言わないからね!」
確かにダメ元で始めたことだった。でもこのまま何の成果もなく終わるのは嫌だ。
「その意気だ」
さあ、もう一度。
「メーデー、こちらMBIのフェリシティ! あたしは別の世界に飛ばされて困ってる! そりゃもうすっごく! お願い、誰か聞こえてたら応答して!」
言い終えた途端に、増幅器が火を噴く。次いで安定器もボンと音を立てて壊れた。辺りが煙で覆われ室内の視界がゼロに近くなる。
「たっ、助けて!」
「落ち着け」
フィーリクスの悲鳴とヒューゴの実際落ち着いた声。それからすぐに、何かの発射音が聞こえた。煙の中、うっすらと見えるもの。ヒューゴが備え付けの消火器で消火を行っていた。クロエは、壁際の何かしらのパネルを触っている。回転音と風の音が聞こえ、煙が急速に晴れていった。どうやら彼女は換気扇を作動させた模様だ。彼等は随分と冷静で手慣れた感じで一連の動作をこなしている。この手の事故はしょっちゅうやってるんだろうね、うん。ってそんなことより。
「どう!? どうなった!?」
「あと一回の猶予もなかったみたいだな。そして残念ながら君の端末は、沈黙を保ったままだ」
「……そっか」
思ったよりも力が抜けた声になっちゃった。
「気を落とさないでフェリシティ」
「大丈夫……」
クロエがあたしの肩に手を置いて慰めの言葉をくれた。優しいね、彼女。あたしは平気だよ、って言葉を続けようとしたのに、できなかった。手が震えてる。あれやこれや考えてても、精神的なダメージが思ったよりあったみたい。参ったよ。なんだかんだ言っても、ヒューゴを信頼してたんだろうね。期待値が大きかった分、落胆度合いも比例して大きくなる。
「あれ、この端末震えてない?」
フィーリクスも、あたしの気を紛らわせるためかそんなこと言ってる。気持ちは嬉しい。ただ、残念ながら気休めにもならない。さあ、落ち込んでないで早く次の手を考え……、ん?
「本当だ!」
着信音もHUDの表示も切ってたから気付かなかった。作業机の上の端末が、確かに規則的に振動してる。それは、紛れもなく着信の合図。端末を手に取り、慌てたせいで途中落としそうになりながらも着信に応答する。
「もしもし! あたしよ、フェリシティ!」
「……フェ……なた……の」
ほとんどノイズのせいで聞き取れない。でもこの声は、ゾーイのものだ。あたしが知ってる人、あたしを知ってる人の声だ。あたしの声が、向こうまで届いた。
「ゾーイ! ちょっと、聞こえてる!?」
「君を……たす……、……エム……来て!」
ブツリと音を立てて、通信はそこで途切れてしまった。それ以上はもう何も起きない。あたし達は、息をするのも忘れたように押し黙り、身じろぎ一つしなかった。それは数秒程度だったけれど、随分長く感じられる時間だった。静かで、それでいてあたしの心臓は高鳴っている。興奮を抑えきれなくなって、次の瞬間には叫び出していた。
「やった! 繋がった! あたし達やったんだ!」
「そうだよフェリシティ! おめでとう!」
思わずフィーリクスと抱き合って喜ぶ。まだ帰れるって決まったわけでもないのに、それでも嬉しさがこみあげてくる。視界が潤む。涙目になってる。彼と離れると指で涙を拭い、見つめ合った。
彼の顔を見ていて、どうしても元の世界の彼のことを思い浮かべてしまう。彼に会いたい。会って無事を確かめ合いたかった。帰れる可能性が高まると同時に、そういう思いもまた強くなる。
「フェリシティ、どうしたの?」
「ああ、ごめん。何でもない」
慌てて否定すると、あたしは寄り添い合ってるヒューゴとクロエに向き直る。
「二人のおかげで、帰還のための大きな前進ができた」
「我々はほんの少しの手助けをしたにすぎん」
「ヒューゴの言うとおりよ。あなたは自分でチャンスを掴んでる」
二人にそう褒められて、思わず頬が緩む。
「そうかな、へへ」
「だからといって、調子に乗ると痛い目に合うのは、世の常だからな」
いやいや、やっぱりヒューゴはヒューゴだね。向こうとこっちで結構性格は違うけど、締めるべきは締める。
「もう一人のヒューゴにもいつも言われてるよ。肝に銘じてる」
「流石私だな」
「今度はあなたが調子に乗ってるわよ?」
「そんなことはないぞ、私は……ん?」
玄関のブザーが鳴り、ヒューゴが言葉を止める。人が和やかに会話してるところに何だろうね。
「今日君たち以外に約束はなかったんだが、客人のようだ」
「それって、本当にお客かな?」
「フィーリクス、それはどういう……?」
「客じゃないって、じゃあ誰が、……あ!」
何気ないフィーリクスの一言が、あたし達に緊張をもたらすことになった。




