10話 equilibrium-11(挿絵あり)
「ちょっと、女の人だよ?」
「おかしいな」
「家、間違えたんじゃない?」
「いや、ここで間違いないと思うんだけど、もう一度確認を……」
いきなり想定外のことに、フィーリクスと顔を寄せ合いヒソヒソ話をする。
「その必要はないわ。ここが、あなた達が会いたがってる人物の家で間違いないから。そうね、ごめんなさい。私がいることを、あらかじめ伝えておけばよかったわね」
彼女には会話が丸聞こえだったみたい。年齢は三十代後半くらいだろうか。緩くウェーブのかかった長髪の、なかなかの美貌の持ち主だ。あたしが持ち合わせていない大人の色気というか何というか、そういうのを備えている。あ、ええと、あたしに魅力がないってんじゃないからね。あたしはあたしで、その、……今はいい。
「本当? よかった。まさかあなたみたいな、とても素敵な人が出迎えてくれるとは思わなくて」
フィーリクス、鼻の下のばしてない? 思わず彼の脇を肘でつつくと、彼がくぐもった声で呻く。ちょっと大袈裟な反応しないでよ。彼女に笑われたでしょ。
「お世辞が上手ね。さあ、立ち話もなんだから、中に入って。それに彼がお待ちかねよ」
彼女の誘いのままにあたし達は玄関ドアをくぐる。彼女のその言葉で、あたしの危惧は全くの無意味だったことが分かった。一瞬、実は彼女こそが魔法の信奉者である『男性』かと思ったのだ。ま、そんなわけないよね。
「私はクロエっていうの。ここで彼の研究の手伝いをしてるのよ」
「へぇ、もうここでは長いの?」
あたしの考えを読んだのではないだろうけど、クロエが自己紹介をしてくれた。あたし達は彼女を先頭に廊下を進んで、目的の部屋の前で立ち止まる。家の中は散らかっていたりということは一切なく綺麗に保たれていた。あたしの持つ研究者のイメージとしては、部屋はゴミやら何やらが散乱してて、色んな機材が置きっぱなし、っていうのがある。MBIのゾーイの研究室が実際そんな感じだし。でもここではそんなことはない。彼女がまめに片付けているのか、ここの主が綺麗好きなのか。
「もう十年くらいだと思う。彼がまだSRBに勤めていた頃から、つまり、最初っからになるわね」
へぇ、十年は長い。ずっと仲良くやってこれたのだ。見たところ彼女は薬指に指輪をしてない。とはいえ、ここの主とは何か特別な関係があるのでは、と勘ぐっちゃうね。……いや待って。今のセリフに聞き捨てならない単語があったよ。今から会う男性が、元SRB!? ええと、ということは、あたしの知っている人物かもしれないってこと? 更に言えば、敵対の可能性も……。
「この部屋よ、応接室。どうしたの? 遠慮はいらないから大丈夫」
クロエはためらうあたしの代わりにノックをする。いやいやいや、まだ心の準備ができてないんだって、っていう心の声を表立って言うのも憚られて、「入ってくれ」中からそんな声も聞こえてきて、黙って扉を押し開いた。あーっと、今聞こえた声、聞き覚えがある気がする。誰だっけ、って疑問はすぐに解消された。ソファに腰掛け、右手を小さく上げてあたしを迎える彼を見て。
「ようこそ我が家兼魔法研究所へ」
「へ!? 何であなたがここに!?」
「え? 何どうしたの!? 知り合い!?」
入るなり叫びをあげたあたしを、後ろに続くフィーリクスが素っ頓狂な声で問いただす。あたしには、すぐにそれに答えることはできなかった。知り合いどころじゃない、ただしまさかこんなところで出会うとは全く予想していなかった人物に、出会ってしまったのだから。
「私が主のヒューゴだ。……なんだか騒がしいな」
応接室の内装は、それほど高価な物が置かれている訳じゃない。ただし、明るめの色調で小綺麗に整えられ、ちゃんとお客さんを迎え入れるに値するものだ。その部屋に、あたしの世界でのあたしのボス、ヒューゴその人が目の前にいる。彼は眉を小さくひそめて右手を下げた。
「とにかく、後ろの君も中に入りなさい」
「ありがとう、こんにちは」
あたしに続いてフィーリクスも入室する。ヒューゴの勧めで、テーブルを挟んで彼と対面する形で、二人並んでソファに座った。クロエは、一緒に入ってこなかったところを見ると何か用事があるか、お茶を淹れにでも行ったのだろう。
あたしは改めて彼をまじまじと観察した。彼もまた同様に、何かを思い出そうとでもいうようにあたし達を凝視している。
「君が連絡していた中で名前が挙がっていた、フィーリクスだな」
「ええ、よろしく。話が聞けるのが楽しみだよ」
ヒューゴとフィーリクスが握手をする。その次に彼はあたしに向き直る。いつもの鋭い眼光、という感じではなく柔和な成分を含む親しみの持てる目つきだ。いや、元の世界のヒューゴが悪人面ってことじゃないよ、一応。
「それから、君だ。君は私を見知った風に言ったが、私は君を知らんぞ。もしかして私のファンか?」
「えへへへ、あなたをよーく知ってる、って言いたかったんだけど、ごめんなさい、人違いよ。知り合いに凄く似ている人がいたもんで」
「なんだ、そういうことか」
「あたしはフェリシティ。よろしく」
「ああ、よろしく」
苦笑いでごまかし、あたしも彼と握手をして一旦落ち着いた。今隣に座るフィーリクスと、最初に会話したときに色々ネタばれし過ぎて失敗しているのだ。最初のうちは大人しくしておいた方がいいだろう。
「で、少年と少女の二人。今回は私にどのような授業を受けに来たのかな?」
「次元間通信機とかない!? できれば次元間移動もがぁ!」
「ちょっとフェリシティ!」
更に喋ろうとしたあたしの口を、フィーリクスに手で塞がれた。あー、うん。この感覚、何か懐かしいような気がするな。
「ん、何だ?」
「い、いやぁ、何でもないよ!」
フィーリクスが代わりにヒューゴの疑念を払う。焦って先走ってしまった。彼が止めなかったら、そのままグダグダコースに突っ走っていくところだった。彼にウインクして謝意を示し、気を引き締める。
「ふん、二人ともどうも妙だ。君達は今日ここへ、私から魔法の講義を受けに来たのだと聞いていた。だが説明が必要なのは、どうやらこっちのようだな」
二人で顔を見合わせる。どうやらヒューゴは魔法を研究テーマにするだけあって、不可思議な事象に慣れている可能性がある。事実を話して協力を仰いでも大丈夫なように思えた。フィーリクスと頷き合う。
「ここにヒューゴの教えを受けにきたのは本当だよ。あたしは今、本当に困ってるの。あなたの助けがいるんだ」
「それはまたどういう……」
「聞いて。あたしは秘密が一つあってね」
話を遮られ、一瞬むっとした表情を浮かべたヒューゴは、秘密という単語にぴくりと反応した。身を前に乗り出し、あたしを見据える。
「ほう、それは?」
「あたし、魔法が使えるの」
場が静まりかえる。あたしとフィーリクスは期待を抱いてヒューゴの反応を黙って待つ。彼は、何を思うのか。ややあって笑顔になると口を開いた。
「ふむ、なるほど、そうかそうか。実は多いんだ、そういう手合いが」
「えーと?」
彼は何に納得したのか、腕を組んでしきりに頷いている。多いって、あたしみたいに魔法を使える人間が多い? 実はこの世界には普通に魔法があるのかな。もしくはポータルでこっちに飛ばされたMBIエージェントが、過去にもいたとか。だったらヒューゴは帰還の方法を知っているのかも。これは期待大だね。
「君は、やっぱり私の熱心な読者だと見える。私の気を引きたいが為にそんなことを言うんだろう? だが安心しなさい。ここに来る時点で君は私の熱烈なファンだ」
あ、これダメなパターンだ多分。
「いや、違うってば。っていうか読者って?」
ここで聞くんじゃなかったと思ったが、もう後の祭りだった。
「違う? いやいや、いくつかタイトルを見てくれ。知っているはずだ。一つ目は、そうこれだ、『ヒューゴの楽しい魔法教室』。中々の人気だぞ?」
「何それ」
ヒューゴが取り出したのは一冊の本。バックに六芒星の魔法陣を据えた、彼の楽しげな顔写真入りの表紙のもの。何これ。
「挿絵や図解多めの、初心者向け魔法解説本だ。これから魔法を始める者にうってつけだろう。チュートリアル用に実際に用意してもらうのも、生きた鶏やカエルなど入手しやすいものだ。もちろん続刊として中級、上級向けのも刊行されてる」
「うぇ、それで何するのよ。いらない」
嫌な絵図が頭に浮かぶ。イケニエってやつに使うんじゃない? ナイフとかロウソクとか水晶玉とかの、血みどろの儀式か何かでさ。自分の想像にげんなりする。首を横にブンブンと振ってそのイメージを振り払う。ヒューゴはあたしの反応が芳しくないと見るや、次を取り出した。華やかな表紙で、女性向けっぽい。
「ならこれはどうだ、『魔法使いを殺す十の方法』。恋愛ものでな。ストーカーの女性が主人公なんだが、ターゲットの男性を、研究して身につけた魔法でものにした、と思いきや実は男性は魔法のエキスパートで……、という話だ」
「それ魔法いる? っていうかストーカーの時点で……」
「それはあくまで物語の導入の掴みの部分で……、うーん、女性読者にそれなりに好評をもらってる。一読の価値ありだと思うが」
さっきからこれは、あたしは、彼と何の話をしてるんだろ。ヒューゴの勢いが強くて押されてしまってる。フィーリクスは助けの手を差し伸べてくれないし。見れば困ったように、嫌そうに眉尻を下げているだけ。
「『超実践! 黒魔術の極意 〜完全版~』……いや、これは発禁処分を食らったんだった」
「何か怖いよ」
彼はすぐにしまっちゃったけど、見てはいけないような赤黒いものが見えた。そしてすぐに次をあたしに見せる。今度は装飾とかは少なめの、あっさりした装丁のものだ。
「文句の多い奴だな。……これなら満足すること請け合いだ。本格魔法ミステリ『魔術師達の夜の宴』シリーズ。これは毎回魔法を使えない探偵が、魔法使いの殺人犯を理詰めで罠に嵌めて、追い詰めていくんだ」
「それは、ちょっと面白そうかも」
「だろう。……ということで、どれか買わないか? 今なら筆者の直筆サイン入りだ」
「そうね、サインはともかく、試しに最後に紹介してたのを一冊……って、ノーーーー!!」
いやいやいや、違うって。
「あたし達、本を買いに来たんじゃないよ」
「何? いらない? 私のサイン入りなのに!? ならここに何しに来たんだ?」
「いや、だから助けがいるんだって」
「本当にファンじゃなかったのか」
「そうだよ。っていうか、ヒューゴって元SRBで、魔法研究家のはずだよね?」
「もちろんそうだ。ただ、副業として本を書いている」
ヒューゴは視線をあたしから少し上に逸らし、またすぐにあたしに向けた。
「元SRBの肩書を使うな、と何度もSRBから苦情が入ったこともあったが、すべて無視だ」
「それは、そうでしょうね」
本の帯に元SRBなどと書けば、一般人からは科学技術の塊の組織からお墨付きをもらったように見えるだろう。ただ、彼等は魔法など信じていないようだった。そんな彼等からすれば、ヒューゴの行為は迷惑以外の何物でもないだろう。
「おかげで本はそれなりに売れてる。印税収入も安定しているんだ。助手にだってちゃんと給料を払ってる。もはや今となっては、こっちが本業になりつつあるな」
「そういえば、クロエとはどういう関係なの?」
そうだ、聞きたいことがあったんだよ。彼女は一体何者だろう。SRBからの付き合いだと彼女は言った。もし彼女も元SRBだとしたら。
「ん? ああ、まあ、恋人だ」
「恋人!?」
「そうだ」
ヒューゴの薬指にも指輪がなかったことから結婚していないんだろう、ってのは分かっていた。それが恋人とはまた、何ていうか。元の世界に帰ったらボスに聞いてみようっと。
「で、信頼する友人からの紹介だから会ったが、君等は何者なんだ。特にフェリシティ、君だ」
「え? あたし?」
「そうだ。フィーリクスは彼の弟子だと聞いている。だが君はフィーリクスの友人ということしか、情報がないからな」
なんて答えようか。並行世界から来ました、でいいのかな。
「どうも怪しい。まさか週刊誌の記者か? 私のゴシップでも漁りに来たんじゃないだろうな?」
しょうがない。妙な疑いをかけられたんじゃ、協力を取り付けることなんてできない。ここは正直に話すべきだろう。あたしは勢い良く立ち上がり、ヒューゴに宣言するように高らかに名乗りを上げた。
「聞いて驚かないで。あたしはこの世界によく似た、違う世界から来たの。あたしの正体は、とある秘密組織の、正義の魔法使いエージェントなのよ!」
ヒューゴは驚愕を隠せないようで目を見開き絶句している。フィーリクスも何か言いたそうに口を開け閉めしているが、言葉は発さない。二度目の沈黙がこの部屋に訪れていた。そこへドアが開かれ、クロエが顔を覗かせる。
「お茶が入りましたよ。……何かタイミングが悪かった?」




