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10話 equilibrium-9

「平和過ぎんのよ!!」

「うわっ、何!? 突然どうしたの!?」


 あたしが叫んだのはこの世界に来てから四日目、フィーリクスの家に泊まりだしてから三回目の夕刻を迎えた時。夕飯を食べ終わり、ソファに座ってお茶を飲みながら、二人でチルタイムを楽しんでいる時だった。


「ダメ。このままじゃダメ。あたしダメ人間になっちゃう! 何かしないと!」


 訂正が必要ね。楽しんでいるのはフィーリクスだけ。あたしは内心に焦りが生じておりそれをあまり、いや、全く隠す気もない。


「何かって、ボーリングでもしに行く?」

「そういうんじゃなくて」


 何か体を動かしたかった。ボーリングも悪くはないよ。ただそれよりは今はもっと社会的に貢献できるようなものがいい。


「じゃあ、具体的に何をするつもりなの?」

「それはね……」


 具体的と言われると、何も考えていないに近い。漠然とした不安があたしを襲っている。それを何とか振り払いたかった。


「モッダーとかいうやつはどれくらいの頻度で出現するの!? そいつをぶっ飛ばして街の平和を守る、とか」

「いやいやいや、無茶を言わないで。最近は現れる頻度も減ってるんだ。そんなすぐに都合よく出るわけじゃないし、何より目立っちゃまずいんじゃないの?」

「それはその通り。でも今のあたしって、まるっきりヒモじゃない?」


 不安は、将来に対するもの。フィーリクスは養ってくれるだなんて言ってたけど、このままでは体が鈍るし、元の世界に帰れないにしても何か職に就かないと。いや、そもそもあたしって誰かが端から見て、うわー帰れないかもー、なんて軽く考えているような印象を受けるかもしれない。実際はそうじゃない。彼に言ってる言葉は、自分に対するごまかしだ。これでもかなり悩んでる。今すぐにでも元の世界に帰りたい。パパやママが、同僚や友達が恋しい。何よりフィーリクスが。いえ、目の前の彼じゃなくて。彼の目を見つめていて、一瞬鼓動が跳ね上がる。


「そんなことないでしょ。家事とかやってくれてるし、少し雑だけど。いや、そうじゃなくて。とても助かってるんだ。こうして君との時間を作れる訳だしさ」


 こっちのフィーリクスは優しい。たまに本音が漏れるけどね。そうね、どちらの彼もそうではある。こっちは特に、知り合って日が浅いのにとてもよくしてくれる。そうではあっても、どうしても、気持ちが晴れるものではなかった。それは彼を二つの意味で利用している、ということからくる罪悪感のため。一つは、ここに押し掛けて転がり込んだこと。経済的な面でもそうだし、色んなリスクを無条件で彼に背負わせている。リターンなんてないに等しいのに、彼は快くあたしをここに置いていてくれる。それに心苦しさを感じていた。


「その言葉は嬉しい。ただ、何かもっと外に向けて活躍したいのよ。じっとしてるのは、あたしの性に合わない」

「気持ちは分かるよ。でも今は堪えなきゃ……」


 フィーリクスが言いかけたところへ、ドアをノックする音が響いた。当たり前だが、つまりは家の外に、誰かがいる。


「こんな時間にお客さん?」

「誰だろ?」


 彼にも心当たりがない。用心した方がいいだろう。


「あたし、隠れてる」

「その方がいいね。……ちょっと待って! 今行くよ!」


 会話を切り上げる。玄関から見える位置にある私物をさっと隠し、あたしも壁に隠れて気配を殺した。それを見届けたフィーリクスがノックに対応する。


「やぁ、どちらさん?」

「夜分にすみません。我々はSRBの者です。少し伺いことがありまして」

「すぐに終わります」


 嘘でしょ! ってもう少しで叫ぶところだった。耐えたあたし偉い。聞こえた声はスペンサーとグレースのコンビのものだ。彼らはどうしてここが分かったのか。


「それで、要件は?」

「ここ数日で若い女性が訪ねてきませんでしたか?」

「ある事件の重要な参考人なんです。身柄を保護する必要があって探しています」

「些細なことでも構いません。何か知っているなら教えて頂きたいんです」


 あれ、聞こえる内容からすると、まだあたしがここに来たかどうかは分かってないみたいだね、よかったよくない。今グレースは何て言った。参考人? 保護するですって? 冗談。あたしはモンスターを倒しただけなのに、まるであたしのことを何か重大犯罪の被疑者みたいに接してきたくせに。どうせ保護じゃなくて、拘束するのが目的でしょ。ん、待って。拘束して、どうするつもりだろ。まさか生きたまま解剖とか、一生実験室の檻の中とか、そういうんじゃないよね。


「若い女性? ここ最近で訪ねてきたのは、……残念なことに誰もいないよ」

「本当に?」

「本当だったら、嬉しいんだけどね。俺、あんまりもてる方じゃなくてさ。保護が必要なら、俺が保護したいところだ」


 なかなか言うね、こっちのフィーリクスは。彼は口が回る。嘘も上手につけるようだ。……そう、あたしが彼の何を利用してるのかっていうとね。それは、この性格の差が教えてくれるもの。その違いが大きいほど、彼は彼であって、元の世界の彼じゃないってことを知らしめることが、あたしの心を揺り動かす。


 それは意図的なものでは決してない。一種の精神の防御反応なんだと思う。あたしは、家族や仲間に会えない寂しさを紛らわす手段として、彼を元の世界の彼と重ねて見ていた。分かっていても、止められるものじゃない。ただ、二人の違うところを見る度にそれに気付かされて、その度に罪悪感が大きくなっていく。


 息を潜め、物陰に隠れながら三人の様子を窺うあたしは、そんな考えに胸中を支配されていた。


「それは、……分かるよ。男の子の夢だもんな。ある日突然女の子が目の前に現れて、助けを求めてくる、っていうシチュ」

「分かってくれるんだ!」

「やたら接触が多いとか、バスタオルを巻いただけの状態で鉢合わせとか、仲良くなってあわよくば……という感じとか!」

「……妙に具体的だけど、そんな感じ!」

「君とは友達になれそうだね」

「メアド交換する?」

「あなたたちふざけてるの?」


 グレースの突っ込みによって一区切りを迎えた、彼らの会話を聞いて現実に戻ってこれた。いやまあ、ふざけてはいるが、フィーリクスはきっちり対応してくれている。


「真面目さ」

「真面目だよ」

「そう? ならいいけど」

「さて、何でもいいんです。小さなことでも何か情報がありましたら、SRBまで知らせてください」

「もちろん。市民の務めだからね」

「では、我々はこれで失礼します」


 あたしは小さくため息をつき、胸をなで下ろす。会話は終わった。彼は無事切り抜けたのだ。


「ああそうだ」


 スペンサーは何か言い忘れたことがあるらしい。踵を返し、歩き始めたと思ったら、その足音がすぐにやんだ。


「何?」

「後ろで覗いてる女性は誰ですか?」


 あたしはバレたのかと一瞬びっくりした。っていっても、当然覗いてなんかいない。そんなヘマはしない。だからこれはスペンサーの引っかけなんだってすぐに分かった。


「やめてよ。うちには俺以外誰もいないって」

「そのようです。見間違いだったみたいだ」

「……もしかして引っ掛けのつもりなら、残念ながら見当はずれだよ」


 フィーリクスはこれも見事に回避した。にしても心臓に悪いよ、スペンサー。あたしの世界では信頼の置ける仲間だけど、敵に回すと厄介だ。


「いや、気分を悪くされたなら謝ります。取り敢えずやれ、と上から言われてまして」

「仕事だししょうがない、か」

「理解が早くて助かります。ではこれで」

「早くその人が見つかるといいね!」

「ありがとう」


 今度こそ。SRBの二人はこの場を去っていく。ドアの閉じる音を聞いて、あたしは隠れるのをやめた。玄関の見える位置に出る。言葉はない。あたしもフィーリクスも閉じられたドアを、しばらくの間ただじっと見つめていた。

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