10話 equilibrium-8
結局昨晩は遅くまで遊んでしまった。丁度フィーリクスが次の日、つまり今日がお休みだったのもあって、白熱したゲームバトルを繰り広げたのだ。我ながら別世界に飛ばされたのに呑気が過ぎるが、ってこれは昨晩も考えたか。どうせあたしに出来ることはMBIからの連絡を待つことだけ。落ち込んだり塞いだりしても精神衛生上よろしくない。いざという時に動けなくては困る。なので気楽に行こうと決めたんだよね。
「おはようフィーリクス。ベッド、ありがとう。よく眠れたよ」
「よかった。シャワー先に使っていいよ」
あたしもフィーリクスも、リビングルームのソファ、昨日と同じ位置に座った。昨夜は彼はこのソファで寝て、あたしがベッドを使わせてもらった。っていうか、こっちの彼は普通に寝室に入れてくれた。元世界の彼は頑なに拒否してたのに。何かあるのは間違いないとしても、理由が分からなかったことだ。今回別世界の彼の家とはいえ、寝室に入れたことで何かしら情報を得られると思ったら、全く普通の部屋で拍子抜け。元世界の方は部屋に何があるのか、謎が深まる結果となったわけだ。
「ありがとう。じゃあ、……あ」
ゲームに目が行ってしまって、忘れていたことがある。日用品を買わなきゃいけなかったんだ。歯ブラシはフィーリクスの予備の新品のものがあったのでそれを使った。問題は着替え、特に下着ね。
「ん? あ、もしかして着替えがない、よね?」
着の身着のままでの次元間旅行だ。現金をいくらか持ってただけでもついてた方よ。
「そうなんだよね。後で買いに行かなきゃ。近くのお店を教えて」
「もちろん。でも今はどうする? 男物でよければ、服も、下着の新しいやつもあるけど、流石に嫌だよね」
「嫌じゃないよ。でもサイズが合わないかも」
「……確かに」
「ちょっと! ジロジロ見ない、しみじみ言わない」
あたしの腰回りをじっくりと見ながらポツリと言うのだこの男は。別に気にしていないことだけど、ちょっとサイズ大きめかもという自覚はあった。ここにきて、その弊害部分にぶち当たるとは思ってもみなかったね。
「とにかく、言葉に甘えて先にシャワー使わせてもらうね。さっぱりしたい。下着は、まあ買いに行くまで、なくても何とかなるでしょ」
「君がそう言うんなら。あとで一緒に買い物に行こう。食材の買い出しもしたいし」
「オッケー。……覗かないでね?」
寝室入ってすぐ右手にドアがあり、その中に洗面台とシャワー室がある。そこへ向かう途中振り返って、念のためにフィーリクスに釘を刺しておく。
「覗かないよ!」
「匂いも嗅がないでね?」
「匂い? ……そっ、それもしないって!」
顔赤くしてる。やっぱりからかいがいがあるなぁ、こっちの彼。
というわけで無事買い出しと着替えも終わり、あたし達はドリンクを飲みながらまたソファに座っていた。あたしのは一緒に買ってきた紅茶だ。適当なTシャツとデニムを身にまとい、着ていたブラウスやパンツ、及び下着類は洗濯中。基本的にやることがなくて、部屋の掃除や料理を手伝った。一通り日常のことをこなし、それから。非日常の世界に足を踏み入れていく。そのつもりだったのだが。
「何も思いつかない」
今のは、あたしの言葉じゃあない。フィーリクスのもの。
「結論出すの早くない?」
「実のところ、昨晩君に話を聞いてから、ずっと考えてはいたんだ。でもいい案は浮かばない」
彼でも特に何か思いつかないっていうんなら、これは本格的にお手上げかな。
「君の装備だと、次元を超えての通信はできない」
「そう」
「手持ち武器にも特殊なものはないし、魔力切れを起こさないために、節約しなきゃならない。まあ使うシーンなんて限られてるだろうけどね」
「そうだね」
「もしSRBに見つかったら、逃げなきゃいけないくらいかな」
「多分」
「で、いつ助けが来るかも分からない」
「うん」
何もできないのが歯がゆい。こっちでの生活を楽しもうったって、限度はある。長い間世話になる、ぐらいならまだまし。最悪帰れない、なんてこともありうる。そうなったら、どうしよう。こっちの世界の住人として、何とか生きていかなきゃならないんだろう。でも、どうやって。ここで使えるIDもないから社会保障なんて受けられない。働き口だってろくなのがない。まさか一生フィーリクスに養ってもらうことなんてできないし。ああ、現実的な話を考えると気が滅入る。
「考えてることは大体わかるけど、落ち込まないでよ。いざとなったら俺が何とかする」
思いっきり顔に出てたみたいで、彼が心配そうに覗き込んでくる。
「何とかって、どうするのよ?」
「そうだね。俺が有名な建築家にでもなれば、君にずっといてもらっても大丈夫なくらい稼ぎを得られる。といっても、まだしばらく先のことになるけどね」
フィーリクスは小さく笑う。彼の申し出はとてもありがたいことだ。でも受けられない。
「あんたにはあんたの人生があるのよ? そんなことできるわけないでしょ。その時は、あたしはここを出ていくよ」
「え、ちょっと待ってよ!」
「そうね、どれくらいだろ。一ヶ月ってのは長すぎるかな。一週間、は短い気もする。二週間。そう、二週間しても何もMBIから連絡がなければ、あんたとあたしはお別れよ。どこかに潜伏して、何とか帰還する方法を探る。もしくは、ここで生きていく方法を考える」
「だから待ってってば!」
そんなに甘えていられないのだ。今の待遇だけでも十分すぎるほどなのに、これ以上彼に何かを要求するのは間違いだ。彼に更なる迷惑をかけられないし、あたしのプライドが許さないところもある。と思って気持ちよく演説していたのに、止められちゃった。彼に力強く肩を掴まれて、思わず口を閉じてしまう。
「俺の人生なんだろ? ならどう生きるかの選択は俺自身の自由意志だろ?」
「え、ええ。そうよ」
「なら、受け入れてほしい。俺がそう願ってるんだ」
彼の言った内容がどういうことか考える。あたしの胸に、ちょっとした衝撃が走った。顔が熱くなる。どういうことかといえば、そういうことだ。
「冗談はやめて。何であたしなんかと。そんな、バカじゃないの?」
「バカでいいよ。俺は君のことを気に入った。もちろん、君がどうしても嫌だって言うんなら、話は別だけど」
「本当にバカね。でも、ありがとう。そういう可能性も、少しは考えてみるよ」
何というか、凄く積極的じゃないかな、こっちのフィーリクス。過去の経験の差がこういう違いを生むのね。いや、結論を出すのは尚早か。元世界の彼だって、似たような状況なら同じようなことをするのかも。いや、変な考えは捨てるべきだ。どうせ、今言ったこともその場の勢いとか、冗談半分とか、そんなだろうし。この話は忘れよう。
「MBIからの連絡を気長に待とうよ」
「そうね、相棒」
「相棒?」
気が緩んでいたのだろう。つい言い間違えた。それを聞いて彼が不思議そうな顔をする。
「元世界のあんたを呼ぶときよく使うもんだから、つい」
「向こうの俺は、君と信頼し合ってるんだね」
フィーリクスが眉尻を下げて微笑む。そこにどこか寂しそうな感じを受けるのは、気のせいなのか。
「ええ、昨日話したとおり。……時間が許すなら、あたし達の活躍を聞く?」
「それは是非聞きたいな! 待って、ポップコーン用意する!」
「いるの? ポップコーン」
「もちろん!」
その日はあたしの話をし、テレビを見たり、ゲームで遊んだり、ゆっくりと過ごした。次の日も、またその次の日も、フィーリクスが仕事から帰ってくるまでは家事をこなし、筋トレをし、時にだらだらして過ごす。彼が帰ってきてからはまたお互いの体験談を話し合い、そうやってあっという間に三日が過ぎた。




