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10話 equilibrium-7

「あの、何で?」


 何が何でなのかというと、あたしは現在腕を後ろ手に縛られており、その理由が分からなかったから。拘束に使ってるのは感触からするに、縄じゃなくてタオルとかだろう。


「怪しいからだよ」


 質問に対するフィーリクスの答えと態度は素っ気ないもので、あたしは耳を疑った。横になったまま、目を見開いて彼を見つめる。彼はテーブル向かいの一人掛けソファに移動しており、こちらを監視するように睨みつけている。ちなみに迫力はあんまりない。


「怪しいって、あたしは正直に話したよ? こんなことをするなんて信じられない。まさか適当なことを言って、あたしに何かしたんじゃないでしょうね!?」


 凄んでみせる。横向きのままだし、あたしもあんまり迫力出ないよね、と思いきやフィーリクスの頬に汗が伝ったのをしっかりと見逃さなかった。


「な、何もしてないよ! ……手を縛った以外は。それより信じられないだって? それはこっちのセリフだね」

「どういう意味?」


 慌てた様子から、縛った罪悪感はあるみたい。それ以外に、彼があたしに何を思っているのかはよく分からない。どうしてこうなるのか、って考えるのはこれで何回目だったか。彼までがあたしの味方にはなり得ないのだろうか。いや、諦めるのはまだ早い。彼の言い分を聞いてちゃんと理解して、改めて説得すればいい。人は話し合える生き物だもんね。


「君は、敵なの? MODDERなんだろ?」

「ちょっと何言ってるのか分からない」


 うん、聞いても分からなかった。モッダーってゲームのあれだよね。何かする人。あれだ、モッドを作る。それが敵ってどういうことよ。


「とぼけてもダメだ。正体を現さないんなら、そのままSRBに突き出してやる」

「ちょ、それはやめて」


 何がなにやら分からない。ただ、どうもえらく誤解をされてる、ってのは何となく分かった。折角SRBから逃れたのに、っていうかSRBってのも結局何なの。あたしのことは説明した。でもあたしはまだこの世界のことを何も知らない。元の世界とほとんどそっくり、ってこと以外はね。今度は彼にそれを話してもらわなきゃ。


「君や君の仲間は、その、もう一人の俺も含めて、魔法を使ってモンスターを倒すのが仕事だって言ったね」

「そうだよ。もう一人のあんたはあたしとコンビを組んで、今までに色んな強敵を倒してきたの」

「全部嘘に決まってる。魔法なんてこの世に存在しない。次元間移動なんて不可能だ」


 このフィーリクスも、元世界の彼が初めて魔法に触れたときと似た反応をしてる。そこにある種の懐かしさを感じつつも、このままでは埒があかないと判断する。仕方がない、あたしが魔法の力の、その一端を見せてやろうじゃないの。ゆっくりと起き上がり、座った体勢になる。身体強化を用いて、タオルを一気に引きちぎった。生身じゃできないことでも、魔法を使った状態ならこれくらいは容易い。


「これが魔法よ」

「うわあっ! しっかりと縛ったはずなのに!」

「ちぎったのよ。緩んだんじゃない」

「うぇ、本当だ。やっぱり君はモッダーだ!」

「魔法だって言ってんでしょ!!」


 効果は抜群だけど、怖がらせすぎたねこりゃ。手のひらを彼に向けて、攻撃意志がないことを示す。


「そのモッダーってのが何なのか知らないけど、あたしは違う。それに攻撃する気があるんなら、とっくにやってるっての」


 彼のあたしを見る目は、モンスターに怯える一般市民のそれと同様のもの。疑り深く、あたしが次にどういう行動に出るか探っている。それを見て、あたしはため息をついて立ち上がると彼に近寄った。震えている彼の肩に手を置いてゆっくりと、優しくハグをする。


「ほら、大丈夫だって。お願い、落ち着いてよ。じゃないと話も出来ないでしょ?」


 彼の震えが、次第に収まっていく。安定したのを見計らって、肩から手は離さずに近距離でじっと彼の目を見つめた。


「もう一度言うね。あたしを、助けてほしい」

「分かった。怖がったりしてごめん。弱ってるのは君の方のはずなのに、情けないや。……弱ってるよね?」

「弱ってる、弱ってない」

「はは、どっちなんだよ」

「難しい質問ね。経済的に弱ってるけど精神的には弱ってない。嘘、ちょっぴり弱ってる」

「要は強がってる、いやなんでもない。俺でよければ力になるよ」


 本音が漏れ出てるところを見るともう平気そうだ。彼から離れ元の場所に座る。あたしのアプローチの仕方が悪かった。この世界の事情を鑑みずに、最短距離でことを進めようとしたのが間違いだったのだ。スキンシップも足りていなかった。これで仕切り直しだね。


「ありがとう。ねぇ、この世界のことを教えて。SRBとかモッダーとか、分からないことが多いみたい。それと、あんた自身についても知りたい」

「了解、説明する。その前に、もう一杯コーヒーいる?」

「うーん、そうね、お願い」


 また隣り合って座る。二杯目のコーヒーを飲みながらの、彼による授業が始まった。まずSRBからの解説が最初。まず前提条件として、この世界にモンスターはいない。かなり昔にどうやってか根絶したのだという。平和な世の中だったが、ある日敵が現れた。強大な力を持つ相手に対抗するために、官民一体となって科学技術の粋を集め、組織されたのがSRB(Scientific Research Bureau)だ。戦闘部隊の構成メンバーは、警察や民間警備組織からの出身者が多いそうだ。


「それでクライヴ達がいたわけか」

「誰それ」

「こっちの世界の、あたしの仲間よ」


 二番目に、その突然現れたっていう敵の話。誰が名付けたか知らないが、MODDER(Mechanical organisms designed for destruction, erasure and regeneration)と呼ばれる敵性機械生命体が、いつの頃からかこの世界に出現しだした。そいつ等は普段何かしらの物体や生き物、時には人間に擬態して身を潜めている。時折正体を現しては周辺の全てを破壊し機械化して、自分達の住みよい環境に変えていく。


「機械なんだ。生き物じゃなくて」

「いや、機械であり、生き物なんだ」

「モンスターじゃん。あたしそういうの前に戦ったことあるよ」

「モンスターとは違うよ」

「よく分かんない。取り敢えず名付けた奴は中二病ね」

「そこは同意する」


 三番目にこの世界の現状を説明してくれた。SRBは最初は甚大な被害を出して敵を撃退するのが精一杯だった。やがてモッダーの技術も一部取り入れ、戦闘力を大幅に底上げすることに成功する。そこからは多少の被害は出しつつも、安定して戦闘に勝利することが出来るようになった。数年前に大規模な戦闘があり、どこか別の街に造られていた巨大なネスト、敵の中枢を叩いてボスらしき個体を倒すことに成功。その後は各地で残党との小競り合いみたいな状況が続いているとか。


「映画みたいな話ね。こっちの世界も色々とあるのね」

「まあね。でも平和までもう一歩ってところに来てる。俺は何もしてないけどね、ははは」

「そうできるなら、それが一番いいよ」


 最後に彼の近況について聞いた。彼は今この家で一人暮らしをしている。建築デザイナーを目指しており、さる高名な建築家の事務所に所属して、その人に師事しているらしい。いつかは師を越えるデザイナーになりたいのだと熱く語っていたのが印象的だった。


「へぇ、凄いじゃない! 夢に向かって努力してる」

「叶えてみせるよ」


 そこまで聞いて、この世界の大体のことは分かった。気になる点はいくつかあるがその一つ。こっちの彼は、どうなのだろうか。


「ね、一つだけ聞いていい?」

「聞くって、何を?」

「家族について。さっき聞いたけど、一人暮らしだよね。ってことはつまりは……」

「ああ、そのことか。家族はいないよ。今は」

「ごめん、やっぱりそうよね。ん、今は?」


 フィーリクスに暗いとか悲しそうとかいった感じは見られない。これは、もしかして。


「そう、今はね。両親と姉は仕事の都合で違う街にいるんだ。ここは元々俺のじいちゃんが借りてた家でさ。じいちゃんが死んで、父さんが引き払おうとしたところを止めて、俺が借りたんだ」


 彼は建築事務所で働くために、この街に留まった。祖父との思い出のある場所だから、ここに住んでいるのだという。


「よかった」


 この世界の彼の家族は、無事だった。モッダーにやられたのではないかと危惧していたが、そういうことはなかった。それは元の世界に影響を及ぼすものではないが、何かしら安心している自分がいる。少なくとも、こっちのフィーリクスは、幸せに生きているといって良いだろう。


「何がよかったの?」

「何でもない」


 にこっと微笑んでごまかす。知らなくてもいいことはある。


「それにしても君のことだけど、君の世界も大変そうだね」

「まあそうかもね。どこでも、誰しもが、何か問題を抱えてる」

「そうだね。俺達にも目下差し迫った問題がある。まずは……」


 そうね、彼の言うとおり問題がある。しばらくここにやっかいになろうと考えてるんだから。まず最低でも下着とか歯ブラシとか買ってこなきゃ。


「まずは何?」

「君をどうするかだよ。協力するとは言ったけど、具体的にどうしよう?」


 あれ、そこからだったか。そうか、まだあたしが宿無しで立ち行かなくなってて、非常に困ってるって伝えてなかった。


「お願い、この家にしばらく泊めて」

「えっ……、えっ?」


 フィーリクスったら固まってる。予想くらい付いてると思ってたのに。見てて面白いが、これでは話が進まない。


「あたしが元の世界に帰れるまで、ここに住まわせて。とても厚かましいお願いだってのは分かってる。こっちで出来ることはする」

「それは、その、俺は構わないけど、君はいいの?」

「ダメならお願いしないよ」


 話は進まないが、しどろもどろの彼がだんだんかわいく思えてきた。からかうのも一興だね。こんなことしてる場合かって逡巡は少しはあるけど、じたばたしても今はどうにもならない。なら、楽しく過ごした方がいいに決まってる。


「そうかもだけど、でもほら色々と問題があるだろ?」

「あたしは別にない。前にもモーテルで、同じベッドで一緒に寝たことあるし」


 嘘ではない。あれは寄生モンスターを倒したときだった。フィーリクスの取っていた部屋が、操られていた人達によって荒らされて、寝れる状態じゃなくなってた。そのためあたしの部屋で一晩過ごしたのだ。あたし達二人は、お互い困ったときは助け合える存在。


「もう一人の俺って、その、君とそういう関係だったんだ」

「そういう関係だったの」


 この世界の彼にとって、あたしを助けることに何のメリットもないのは承知の上での交渉だった。それでも挑発的に彼に接するのは、それが効果的だと踏んだから。


「なんか複雑だな。でもいいよ、好きなだけ泊まっていって」

「ありがとう!」


 またハグをする。交渉成功もあるが、彼の心意気に対する嬉しさや感謝から堪えきれなくて。


「うぐっ! ず、随分力強いハグだね」


 うーん、彼への想いを抑えられなくなってる。さっきからずっとそうだ。胸の奥からこみ上げる欲求がある。我慢が、できない。これはどっちのフィーリクスに対する想いなのか、あたしは自分でも分からなくなっていた。


「ねぇフィーリクス。しよ?」

「しようって、な、何を?」


 ハグの後また彼の両肩を掴む。ソファに腰掛ける彼に、またがるようにして迫る。顔を近づけ、耳にそっと囁く。


「決まってるでしょ? 楽しいことよ」

「そ、そうなんだ。それは、いいね」


 フィーリクスの声は恐らく緊張から、あたしの声は期待から震えている。吐息が彼の耳にかかり、彼がぴくりと動く。


「さっきね、見つけちゃったの。だからもう我慢できなくて」

「それって一体、何を?」


 あたしは思い切りよく一点を指差す。


「それはね、あれよ!」


 テレビ台の下に、ゲーム機が設置されているのをあたしは見逃さなかった。元の世界のフィーリクスもそうだが、こっちの彼もそうだった。微妙にラインナップは違うが、いくつかのゲームカートリッジが目に付いた。その中にはあたしの好きなタイトルもある。目を輝かせてそれらとフィーリクスを交互に見やる。


「ゲ、ゲーム? はは、そうだよね、そう。確かに楽しいよね……」

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