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9話 wayward-19

* * *


 突然のことだった。ガラスが盛大に割れる音が上方から響き、フェリシティは思わず仰ぎ見る。フィーリクスとオリバーが、高さ数十メートルの位置、博物館のガラス壁を突き破り、もみ合いながら落下するところをその目で捉えた。


「フィーリクス!!」


 心臓が止まったかと思うような衝撃がフェリシティを襲う。自分で出した声に驚く。こんなにも悲痛な叫びが己の喉から絞り出されるものなのか。この瞬間フェリシティは今行っている戦闘のこと、ミアのことなど頭から抜け落ちていた。ただひたすらに彼のことだけが心配だった。全力を出せば間に合うはずだ。フィーリクスが地面に叩きつけられる前に彼をキャッチできる。だからそれ以外は考えずに走った。


「あっ! どこ行くの!?」


 ミアの声は無視する。加速と強化部位を足に集中し、速度を上げる。フィーリクスの姿だけが視界に映る。


「間に合え!」


 落下中のフィーリクスがオリバーを突き放すと、何か光を発した。それはフェリシティのすぐ後ろに飛び、何か硬いものを弾く音と、「ワォ!」と誰かの感嘆を聞く。それで彼が何をしたのかが分かった。口角をくっと吊り上げる。最後の一蹴りを終えて宙へ飛び出し、腕を伸ばす。腕の中に確かに彼を収めて強く抱きしめる。二人して地面を転がった。


「俺達、しょっちゅうこんな感じじゃない?」

「本当呆れるくらいにね。助けてくれて、ありがとう」

「俺も、ありがとう」


 フィーリクスは落下中に、後ろからフェリシティを狙うミアの攻撃を防いだのだ。二人はすぐに起きあがって背中合わせになる。まだ戦闘は継続している。オリバーがどうなったかは分からないが、引き続きフィーリクス達が担当する。フェリシティは彼に後ろを任せるのに何の不安もない。問題なのは。


「もう! いいところだったのに、何で助けに行っちゃうの!」

「それがあたしが一番やるべきこと、やりたいことだからよ!」

「そう。なら、憂いを絶ってあげる。後ろの子を始末しちゃえば、戦いに集中できるよね」


 その言葉を聞いてフェリシティの背筋にゾワッとしたものが走る。彼女は、本気でそう言っている。戦いを楽しみたいがためだけにフィーリクスに危害を加えるに違いない。それも何の躊躇もなしに。彼女をどうにかしなければならない。


「させる訳ないでしょ」

「ふぅん、ま、やる気になってくれるんなら何でもいいよ」


 出し惜しみをする余力はない。次の一撃で決める。そう決心すると、空手の型に近い構えをとる。


「じゃあ再開」


 ミアの激しい拳による連打が開始された。フェリシティはそれを避け、受け流して捌き、弾き、受けて耐え凌ぐ。高威力の蹴りが飛び、両腕ガードで全力で食い止める。鋭い手刀にガードで上げたすねを軋ませる。歯を食いしばりながら、反撃のチャンスを窺った。


「いいよその表情! もっと見せて」


 フェリシティにとってすこぶる気持ちの悪いセリフを発したミアが、両拳を一つに握って両腕を振りかぶる。向こうも全力だ。凄まじい勢いで振り下ろしが頭上に落ちてくる。腕を交差し、それに対して縦方向へ抵抗する筋肉と骨格に、強化魔法の全出力を割り振った。


「ぐっ……ぅりゃっ!!」


 体感で何トンもの衝撃を食らったような気がした。潰されそうになるが、気力で右に流す。フェリシティの瞳には、がら空きのミアの顔面が映っている。


「これでも食らえ!」


 フェリシティが必殺の意志と威力を込めた上段突きを放つ。その瞬間ミアが愉悦の表情にぐにゃりと顔を歪ませた。


「読んでるよ!」


 そう叫んで顔を右方向へ傾け逸らし、フェリシティの攻撃を避けようとした。が、それが来ることはなかった。


「あれ?」


 フェリシティの渾身の掌底がミアの鳩尾をしっかりと捉え、そのまま打ち抜く。彼女を後方へ数メートル吹っ飛ばした。打撃による内臓へのダメージに加え、衝撃魔法も乗せている。地面に背中をぶつけながら倒れ込み、数秒間何もない時が過ぎる。このまま倒れてくれるかと期待した直後、彼女が跳ね起きる。


「うー、うん」

「まだ足りない!?」


 ミアは平然とした態度で、何か思案するような素振りを見せている。


「まさか、あたしの技を真似されるとは思ってもみなかった。凄いよ」


 威力が足りなかったと身構えるが、いきなり彼女が吐血する。一歩二歩、よろける。しっかりとダメージが通っていた。


「フェリ……」


 ミアが口から血を流しながら、にたりと笑う。苦しげに、それでもなお嬉しそうに微笑みかける。彼女の凄惨な様には、フェリシティの恐怖を呼び起こすのに十分な負の魅力がある。


「最高。楽しかったぁ……」


 ミアが前に倒れ込む。食い入るように凝視し警戒したが、次は起き上がってこなかった。


「死んでない、よね?」


 彼女の背中は上下している。気を失っているだけのようだった。彼女の身柄の拘束を近くに来た仲間に任せ、自身はその場にへたり込んでしまった。ニコが歩み寄り、労いの言葉をかけてくる。


「よくやったわ、フェリシティ。本当に。……あれ何?」


 微笑もうとして、彼女の言葉の最後の部分と見ている方向に吊られる。その方向を向いたとき、「うぇ……」見たくないものと顔を見ることになった。

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