9話 wayward-16
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フェリシティがミアと戦闘を開始した頃、フィーリクスもまた動き出している。オリバーが博物館に向かって移動し始めたからだ。彼はあくまで己の仕事に専念するつもりのようだ。ウィッチ達は、数は少ないが統制がきっちりと取れている。役割を違えず本分から外れない。目的を完遂するために必要なことだ。
「でも、させないよ」
フィーリクスもまたポータルを生成すると飛び込んだ。出口は博物館一階の中程に指定されている。一階の東西に二つある入口のうち、東側は既に封鎖が完了していた。そちら側を背にオリバーを待ち受ける。丁度ガラス製のドアを通ってきたオリバーを、正面を向いた状態で迎えることになる。
「君と会うのはこれで三回目だね」
「ああ。でも、四回目はない」
「つれない話ではあるが、私もロッドから多額の報酬を条件に、仕事を果たすことを約束していてね。つまり、ビジネスとしてこれをやっている。だから、君と同意見だとも」
彼は金銭を必要としている。動機としてはシンプルで分かりやすいが、更にその金を何に用いるのかによって行動原理は大きく変わる。単に裕福になりたい、遊ぶ金が欲しい程度ならば、大きなリスクは取らないはずだ。だが、例えば家族の命を救うために大金がいる、などという話ならどうか。恐らく彼は強硬手段に出ることだろう。現時点での判断材料は乏しいが、警戒しておくに越したことはない。ただフィーリクスはオリバーについて、彼から感じられる雰囲気や言動を基に分析するに、どうも前者な気がしてならなかった。
「もっとも、私の場合は君達にご退場願いたい、といったことになるが。……了承してもらえるかね?」
フィーリクスは相手は闘争が好きな類ではないと判断している。場合によっては実力で排除する、と彼は宣言しているのだろうが、脅しにしても随分優しい物言いだと思われた。
「悪いけど、こっちは急いでるんだ。とっとと捕まえさせてもらう!」
「ミアと戦っている娘が心配かね」
「そうだよ」
彼がちらりと後ろを振り返った。フィーリクスも中庭で戦う二人を確認する。
「君は、一人で戦うつもりかね? 私を相手に。命が惜しくないのかね」
これ以上の話は聞くつもりはない。投降しないのであれば、武力行使するしかない。フィーリクスの側から攻めに行く。猶予は与えない。そうすればまた彼の存在があやふやになって、捕捉することが出来なくなるだろう。
一息に彼の懐に飛び込み当て身を狙う。鋭く放った左が彼の頬にヒットしたと思った瞬間に、その姿が溶けるように消えた。得られた手応えは、効いたのかどうかよく分からないものだ。
「逃がすか!」
そこにいるはず。そう思い足払いをかける。勢いよくいったそれは途中何かに引っかかり、フィーリクスはバランスを崩すがすぐに立て直し数歩距離を取る。同時にどさりとものが落ちる音が聞こえ、ひっくり返ったオリバーが現れた。
「あれ、これすごくちょろいんじゃあ……?」
慌てて立ち上がるオリバーを見つめ、ついそんな言葉が口をついて出る。
「い、今のは、君の出方を探っていただけだ」
鼻血を垂らしながら立ち上がる彼の言葉には、説得力というものがない。
「じゃあそっちからかかってきなよ」
少しでも頭に血が上ってくれていれば、安い挑発でも乗ってくるかもしれない。フィーリクスは淡い期待を抱くが、そう簡単ではないようだ。
「それは私の仕事ではないね」
それだけ言い残すとまた彼への認識が薄れ、見失いそうになる。思ったより冷静なオリバーだが、フィーリクスも無策で彼の前に立ったのではなかった。銃を取り出すと、屋内であるにも関わらず銃口から魔法の光を迸らせる。ただし破壊が目的でないのは、もちろんのことだ。
「ぐぁっ!」
ぎゅっと目を瞑ったフィーリクスが放った魔法弾の効果は、閃光。最大光量のそれはオリバーの目を焼き、動きを著しく制限するものとなった。魔法を使うこともおぼつかなくなったか、朧気ながらその姿を認識できる。彼はゆっくりと、よろめきながらでも移動しているらしい。らしい、とはそのように感じ取れるだけで、実際にどうなのかしっかりと把握出来ないがためだ。それでも今が捕縛するチャンスだと踏んだフィーリクスは、彼に接近を試みる。回復の暇は与えない。
「このっ!」
捕まえようと腕を伸ばし、刹那フィーリクスの 天地がひっくり返る。何をされたか分からなかったが、腕を捕まれ背負い投げか何かを決められたのだ、と一瞬遅れて理解する。
「あまり人をなめてかからない方がいい。だからこういう目に遭う」
目を焼かれたはずのオリバーと視線が合った。やられたふりをして油断を誘った。そういうことだった。床に転がるフィーリクスの眼前に彼の拳が迫り、フィーリクスの視界が暗転した。
「……ス! ……クス! おい、フィーリクス!」
名を呼ぶ声に反応する。意識が回復して、まず上体を起こし辺りを見回す。オリバーは先程そうだと言ったが、フィーリクスは一人で戦うつもりなどはなかった。名を呼んでいたのはエイジだ。物陰に隠れ、フィーリクスが失敗した場合に備えていたのだ。
「どれくらい!?」
「ちょっとだけ! でも」
フィーリクスが気を失ったのはほんの僅か時間だったようだ。ただそれでも。
「ごめんよ、見失っちゃった。粘着弾を使ったんだけど、避けられたみたいだ。やっぱり視界はやられてなかった」
「ああ、見事に引っかかった。体術も思ったより侮れない」
「見てたよ。君が迂闊に手を突き出したところを、簡単に投げられてた」
「恥ずかしいな。って言ってる場合じゃないか。ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんか……」
彼に退く気は一切見られなかった。オリバーは恐らく宝石コーナーに向かったはずだと推測する。場所は三階だがエレベーター、エスカレーターの類は電源を停止している。階段は非常扉を閉じているため、上に登る手段は限られていた。停止したエスカレーターを使用してのみ、上階へとアクセスできる。
「うわっ」
「これでも食らいなさい」
「がっ!」
二人は失敗した。だがこの建物内にいる人物はフィーリクスとエイジだけではない。オリバーがエスカレーターから転がり落ちてきたのが見えた。上階にいるのは、スワット副隊長のサラだ。片足をピンと宙に張っているところを見るに、どうも彼が登ってきたところを彼女が蹴り飛ばしたらしい。
エイジはまた隠れ、フィーリクスはエスカレーターのそばに駆け寄る。大の字に倒れたオリバーを見張った。それなりに高低差のあるエスカレーターの一番上から落ちたが、大きなダメージを負ったようには見えなかった。
「危ない。あまりに危ない。随分と危険なレディがいたものだね。……嫌いではないが」
「嘘はやめなさい」
腕を組み、見下ろすサラは様になっている。勇ましく、力強さが感じられる。オリバーではないが、確かに好ましいものがあると思うに十分な雰囲気を出している。
「割と本気なんだが、理解されないものだろうか?」
「出来るわけないでしょ!」
フィーリクスは バラバラに人員を配置していた。各個散開し、各人が直前まで彼から認識されないようにして、攻撃を加える。それがオリバーの特殊な力への攻略法だ。最初はうまく行くか自信がなかったが、ちゃんと機能している。それにしても、とフィーリクスは考える。ここに来て彼の魔法の特性が掴めてきていた。彼の魔法は自動展開されるものではない。対象を指定してやる必要があるのだ。可能性の一つとして考えていたものが、うまくはまった形だった。他にも策は考えていたが、今のところはこれで押し通せる。力の正体までは掴みきれないが、追い詰められそうだと期待を抱いた。
「まあそれはいいとして、私は進むよ。君達全員を倒してでもね」
強気の姿勢を崩さないオリバーは、何か秘策があるのだろうか。
「また大きく出たね。俺たちを、全員だって?」
「そうだとも。皆見たまえ!」
オリバーは声を張り、自信たっぷりに微笑み立ち上がる。その態度に思わず引き込まれてしまった。
「しまった!」
それが彼の狙いだった。大口を叩くことで、この場にいる者の注目を集め、一斉に魔法をかけたのだ。恐らく対象がオリバーを目視し、認識していなければならない、というのが彼の魔法の発動条件なのだろう。
また彼の所在が曖昧になっていく。「クソッ!」エイジも「またこっちに来る!?」サラもオリバーを認識できていない。フィーリクスも彼が再びエスカレーターを駆け上りだしたところまでは知ることができたが、半ばほどで彼の存在感が消失した。




