9話 wayward-9
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フェリシティは一人夜の街にいる。人々の活動は夜遅くまで続くため、辺りは薄明るい。人通りも多い。だが彼女は独りだ。彼女の目にはそれらは全てくすんで映る。終業後まっすぐ家に帰る気になれなくて、ブラブラと目的もなく出歩いていた。どうにも鬱屈した気分が晴れず、気が付いたらそうやっていた。散歩に飽きたら適当に帰るつもりだった。
いくつかの店舗でウィンドウショッピングをする。どの商品を見ても何一つ魅力を見いだせない。彼女の感じているものは、喪失感に近い感情だ。寂しさがうっすらとまとわりつき、隙を見ては彼女の胸を刺す。
その原因は、分かっている。バカをやっていることも分かっている。そういう自覚はあった。そう生まれついたのだ。冷静に賢い立ち回りはできない。まっすぐを見ているつもりでも、実は歪んでいる。成長しようと努力はしているが、簡単には覆せない。
「フィーリクス、……じゃないっての」
思わず呟いてしまった彼の名前。なぜ呟いたのかその理由を具体的に意識化する前に、首を振ってキャンセルする。
フィーリクスがMBIを辞めろなどと言った理由が分からないままだ。前に辞職すると宣言したときに、告白まがいの言葉をかけてでも引き留められた。それが今になって何故。あいつは今頃もう家に帰ってのんびりしていることだろう。またフィーリクスが腹立たしく思えてきて、そこで急に冷静になった。理由が分かったからだ。
自分がいらぬ挑発をしたから、彼もそれに乗った。ただそれだけならましだった。そうではない。言ってはいけないことを言ってしまったのを、今思い出した。辞めろと言われて頭に来て、うやむやに忘れていたことだ。『あたしがママでちゅよ』などと、たとえ冗談でも両親のいない彼を、そのことでからかってはいけなかった。彼女は至って真面目だ。
「また、やらかしちゃった」
そう、責を負うべきは自分なのだ。フェリシティはうなだれる。ニコとの訓練の後に彼女に問われ、答えた言葉を思い出す。何が『分かってる』、だったのか。何も分かっていないではないか。ミア対策で少し誉められたくらいでいい気になって、反省を疎かにして、一体自分は相棒の何を知ったつもりになっていたのだ。身近な人物の心を慮ろうともせず、MBIエージェントなど務まるはずもない。
「はあぁぁぁぁ。そりゃフィーリクスも、ああ言うわけだね」
大きなため息が出た。すっかり気落ちしたフェリシティの足取りは、元々重かったところが余計にひどくなった。ウェイトをくくりつけられたように、ずるずると歩く。周りの通行人がその異様さに、彼女を大きく避けて通るほどだった。
やることもない。帰ってとにかく寝よう。眠ればまた次の日元気に働けるはずだ。そう考えて向かう先をMBIに変えようとしたときだ。そんな状態の彼女だったからかもしれない。彼女が周りから浮いた人物だったから、それを発見できたのだろう。もしくは野性の勘のようなものか。
「あいつ、何か変」
ふと、一人の人物が目に付いた。一見すればどうということはない、そこらにいるようなスーツ姿の若い男性だ。彼は他と同様に道を前へと歩いている。どこにもおかしな点などないはずだった。では何故目に付いたのか。
「もしかして、もしかするね」
他とは違うところが一つ。彼に対して誰もが、あまりにも注意を払っていなさすぎる。対向する通行人は彼にぶつかりそうになっても、ろくに避けようとしない。驚きもしない。それでも何事もなく、人の流れが滞ったりしない。それは、フィーリクスが遭遇したホテル荒らしの特徴と一致していた。
「どうしよう。でもやるしかない、よね」
フェリシティは全く乗り気でなかったものの、その男性の追跡を開始する。幸いなことに彼に尾行を悟られていないようだった。
「手柄をあげれば、フィーリクスも認めてくれるよね」
やり始めてみると、次第にやる気が湧いてくる。付かず離れず一定の距離を開け、後をつける。角をいくつか曲がり、やがて人気のない場所に差し掛かる。ザ・オーバルと呼ばれる卵形の広場に辿り着いた。MBIから西に一キロメートルちょっと。市庁舎の建っている広い敷地の南側、大きな面積を持つ公園の中にそれはある。昼間は多くの人が訪れるここも、今は誰もいない。
「街のど真ん中だよ? こんな場所に何をしに来たの?」
ほんの一瞬目を離しただけだった。
「あ、あれ? いない……」
男を見失っていた。どうもしくじったらしい。見つかっていないと思っていたが、実際には男に気付かれており、撒かれたのだろう。それにしても隠れる所などないはずなのに、そう思って辺りを見渡す。周囲に街灯があるため、薄暗い程度の明るさはある。その広い芝生の真ん中で、ただ一人だけ。
「やぁ、フェリシティ」
そう思っていたところに、後ろから声をかけられた。声には聞き覚えがある。少年のもの。ただの少年ではない。思い切って振り返る。見知った顔がそこにある。
「あんたは、アーウィン!? 何でここに!?」
ウィッチの一人、アーウィンだった。フェリシティが会うのは、ミアと同じくこれで二度目だ。
「あれ、なんだ。知ってて会いに来てくれたんだって思ったのに。でも、偶然の出会いだとしても、嬉しいよ。ここにはどうして来たのさ?」
「知ってる訳ないし、多分偶然でもない! 理由は、……あんた、前に会ったときと性格違わない?」
「俺は変わらないよ」
フェリシティは言葉の気勢こそ荒っぽくあるが、思ったよりも冷静に物事を考えることができた。先程まで追っていた男は、この様子からするにアーウィンの変装ではない。恐らくフィーリクスが会った人物と同一だろう。フェリシティの尾行に気付き、アーウィンに押し付けたのではないか。だが、これは願ってもないチャンスだった。
「まあ何でもいい。ついに見つけたよ、このクソ野郎! あんたをボコって捕まえてやる!」
ボディアーマーとレティを装着して臨戦態勢に移行する。少年の姿に惑わされてはいけない。アーウィンは強敵だ。どのような攻撃手段を用いてくるかも予想できない。現に戦闘前だというのに、腰の引けた姿勢で、手を前に突きだし振っている。
「ちょ、ちょっと待って! 戦う気はないよ」
挙げ句、相手を油断させようというのか、白旗を揚げたふりまでしているではないか。フェリシティは一層気を引き締めてことに当たる。
「あんたこの前あたし達を襲ったの忘れたの!? あたしの相棒にひどいけがを負わせたくせに!」
相手はまだ戦う素振りを見せない。突っ立ってるだけだ。あくまでこちらを欺こうという腹なのだ。フェリシティは相手の行動の意図を、そう見積もった。
「ごめんよ、こう見えても反省してるんだ」
「そ、そう。へぇええ、反省してるんだぁ。……信じないけど! 問答無用よ、かかってきなさい!」
反省という言葉に、自分のことが重なって気後れを感じる。首を振ってすぐに切り替える。アーウィンは、動かない。その姿はどこか寂しそうに見えた。更に首を振ってその感想を振り落とす。
「ダグラスみたいに仕事で、ってわけじゃないんだけど、一つ話を聞いてほしいことがあるんだ」
ここに至って、フェリシティはようやく相手に本当に戦意がないのではないか、と思い始めた。警戒は解かないが、少しだけ構えを緩める。
「話聞いてる? 話なんてない!」
「君もウィッチにならない?」
こいつは何を言っている。目的は何なのか。自分のペースを崩さず、相手のペースは乱す。基本戦術のうちだが、フェリシティはアーウィンの調子に乗せられつつあった。
「全然聞いてないじゃない! ウィッチになんてならない!」
それでも、否定すべきものは断固否定する。鼻息荒く、アーウィンに人差し指を突きつける。毅然とした態度で望むことで、相手の思惑通りにはならないと示したつもりだった。
「なんだ、話を聞いてくれてるじゃないか。フェリシティ、そんな暗い顔してどうしたのさ。MBIで何か嫌なことでもあった? ウィッチになればそんな苦労しなくてすむよ?」
フェリシティは、一瞬彼に心を見透かされているような気がした。ただし、ここでまともに相手をしていては埒があかない気がしたため、それを気取られたくない。
「仕事じゃないってんなら、あんた本当に何なの? 何で急にあたしを勧誘しだしたのよ」
「君が欲しい」
「ふーん、あたしが欲しい、ねぇ。……うん、うん? はぁ? はぁああああ!?」
再度彼が何を言っているのか分からなくなった。つい大口を開けて叫んでしまう。彼はその反応をいい方に捉えたようだ。彼の表情がパッと明るく輝いたものになる。
「そんなに嬉しかったの!?」
「ちがーう! どこを見ていってんの!? この顔を見なさいよ!」
「とても素敵だよ」
「ノ――――!!」
ぜえぜえと肩で息をする。怒りと色んな感情がない交ぜになって、結構な形相をしているはずだった。やっぱり展開がグダグダになりつつあった。フェリシティは己の未熟さに、下唇を噛んで耐え忍ぶ。否、未熟さではなく、目の前の人物に対する嫌悪に耐えている。
「そんな頭から否定されると悲しいな。俺は本気なんだ」
「あんたにそんなこと言う資格があると思ってる?」
そんなはずがない。そう思いながらの指摘だ。だからこそ、次の彼の行動に驚くことになった。彼は、深々と頭を垂れていた。それは服従の意味を持つ。
「何してんの?」
「君に誠意を見せてる。君と出会ってから、君の事をずっと考えてた。君を、好ましいと考えてる」
「嘘でしょ!? 何言ってんの!?」
思っても見なかったウィッチからの告白に、フェリシティの精神は変調をきたしかけていた。下まぶたが痙攣する。開いた口が塞がらない。文字通りポカンと口を開けたままになっている。どうしたらいいのか分からなくなっていた。
「本当なんだ。前に君達と戦ったあの時。ポータルで撤退しようとして、君が俺の顔面を蹴っただろ? その時に思ったんだ。君が俺の運命の人だって」
よし、殺そう。浮かんだのはそんな感想だった。
「お願いだ。僕と一緒に行こう」




