9話 wayward-5
* * *
「ちょっ、ちょっと待って!」
フィーリクスは閉じられかけたドアに慌てて指を差し入れる。それに気付かず閉めようとしたニコに指を挟まれた。
「アゥ!!」
「えっ、フィーリクス! ごめんなさい! あたし気が付かなかった。見せて、痛むでしょ?」
ニコに指を見てもらい、骨は折れていないようだと確認が取れてひとまず安堵する。痛みはあるが我慢できないものでもない。腫れが出れば後で医務室にでも行こうか。そうフィーリクスが考えていると「大丈夫?」フェリシティも眉をひそめながらだが、心配するように声をかける。
「ああ、平気だよ。それよりフェリシティ、ミアに会ったんだって? 実は俺も、新顔のウィッチらしき人物と出会ったんだ」
「そうなの!? ……あ、じゃあさっきあんたがカフェの前を通った時、誰かを追いかけてたような気がしたのは」
「そう! って何で知ってるの?」
どこかですれ違ったのだろうか。フィーリクスには覚えがない。それほど追跡に夢中になっていたということか。そんな疑問にニコが答える。
「あのカフェにあたし達がいたのよ」
「そうだったの? そっか、それで」
彼女の補足で理解する。焦りながらウィッチらしき人物を追いかけているところを、二人に見られていたらしい。
「フィーリクスが走ってるの見て二人とも驚いたよ。慌てて何やってんの? ってね」
フェリシティに鼻で笑われる。彼女は手を腰に当て、低めの姿勢から挑発的に、上目遣いにフィーリクスを見つめる。片眉を上げ、口の端を歪めた笑みを浮かべる。フィーリクスはその彼女の様子に魅力を感じながらも、同時に少しばかりむっときた。相反する感情を心の中だけで処理して気を落ち着ける。怒ったり、パニクったり、弱いところをあまり彼女に見せたくない。
「まあね。で、正にそいつを追跡中だったんだ。こう、毅然と! ……結局は逃げられたけどね。で、二人はミアとそのカフェで遭遇したの?」
フェリシティがその問いに答えるよりも、ヒューゴが口を挟む方が早かった。
「盛り上がっているところすまないが、続きは私に報告が済んでからでもいいか?」
「「もちろん!」」
各員襟を正す。ヒューゴに逆らってはいけない。逆らって、その後でろくな目にあったためしがない。皆それをよく分かっている。
「いい返事だ。さて、ニコとフェリシティ。報告をしてくれ」
二人がミアとの遭遇のあらましを語り、ヒューゴとフィーリクスが唸る。ニコがフェリシティに何か言いたげな感じが見られたが、フィーリクスは特に気にとめなかった。二人の説明の後、フィーリクスも自身の体験を改めて二人に語った。
「近くまた会うようなことを言って立ち去る、か。ミアの話からすれば、彼女はフィーリクスが追跡した男の観察か、監視かをしていた可能性があるな。それも継続的なものだ」
「俺もそう思う」
「そう考えるのが自然ね」
ヒューゴ、フィーリクス、ニコと続き、三人の視線が最後の一人に集まる。フェリシティは意見を求められると思っていなかったのか、気を抜いていたようだ。その視線の先が自分へ向けられたものだと気が付いて、三人をキョロキョロと見回す。
「あ、あたしも同じく」
「つまり男の方は、ウィッチにとって何か新しい試みを行っている、ということなんだろう。我々にとって嬉しくないものだろうがな」
ヒューゴの総評に、フィーリクス達は顔を見合わせ互いに頷く。どうもここしばらく、ウィッチ達にきな臭い動きがあるようだ。
「となれば、作戦に変更を加える必要がある。チームの人数を増員し、二手に分ける。男を追跡するチームと、ミアの対策をするチームだ」
「ヒューゴ、あたしはもちろんミア対策チームになるよね?」
フェリシティが一歩前に出る。
「そうなのか? てっきりフィーリクスと組むと言うと思っていたんだが」
「適材適所ってやつよ。ミアはあたしに任せて」
「何故だ?」
訝しげに眉根を寄せるヒューゴに、フェリシティは平静を保っている。
「彼女と再戦の約束をしてる」
「なっ、何!?」
「フェリシティ!?」
先程のヒューゴへの報告では聞いていなかった事柄だ。フィーリクスは、ニコが何か気にしていたのはこのことだったのか、と思い当たる。
「フェリシティ、君はそんなことが許されるとでも思っているのか。何故勝手に……」
「まあ聞いてよ、ヒューゴ。これはチャンスだよ。まんまと敵をおびき寄せた。もしあたしがやられそうになっても、誰かがバックアップしてくれれば、ミアを捕まえられるかもしれないじゃない。要するに前の時と一緒。それにあたしだって勝算がないわけじゃないし」
「うーむ、そう言われると否定できんものはある。しかし、やけに自信満々だな」
あくまで懐疑的なヒューゴに対して、フェリシティは胸を張ってみせる。
「そう見える? そんなつもりはないんだけど」
「油断は死を招くぞ」
死、の単語に僅かだがフェリシティが言葉に詰まったが、すぐに持ち直すことに成功したようだ。
「……だっ、大丈夫よ! ニコもいてくれるし、戦果を期待してていいよ」
「分かった。その方向で調整する」
ヒューゴもそれ以上異論はないようで、話を終えてしまった。
「フェリシティ待ってよ」
「以上! 話は終わり! フェリシティ退出します!」
ただ、フィーリクスの方は二人の会話を黙って聞いていて、我慢の限界が訪れかけていた。さっさと部屋を出ていく彼女を追いかける。ドアが閉まるのを確認してから話しかけた。
「バックアップが必要だって? なら俺がその役目を引き受けるよ。いいでしょ?」
何の我慢かと言えば、フェリシティへの心配だ。前に彼女がミアと戦ったときは、押され気味だった。それにまた横やりが入らないとも限らない。
「ダメ!!」
「何だって!?」
フェリシティの思いも寄らぬ拒否にフィーリクスが驚きの声をあげる。何がダメなのか、何かの聞き間違いか。
「フェリシティ、冗談だよね。俺達コンビだろ?」
「聞けば、フィーリクスは男の方を追うって話じゃない。そいつに逃げられたんだし、あんただって悔しいんでしょ? ならそっちに行きなさいよ」
フィーリクスにそういう気持ちは当然あった。ただそれはちっぽけなプライドに過ぎない。先ほどのリベンジへの思いはそう考えて留めていたのだが。
「そ、そりゃあ少しは……。いや、でも俺は君とやるよ。そんなことより、君が心配なんだ」
「そ、そう。いえ、あたしが心配? やめて、冗談でしょ。あんたはあたしのママかっての。あたしは問題ない。そうじゃないのはそっち。本当は自分が犯人を捕まえる自信がないから、あたしに付いてこようとしてるだけなんでしょ」
「フェリシティ?」
さすがに、聞き捨てならなかった。フィーリクスとて彼女に対する気持ちを無下にされては、反発の一つでもしたくなる。
「あんたは、あたしがいないとだめね。ほらほらおいで、あたしがママでちゅよー」
彼女に畳みかけられ、別の限界を超えることとなった。
「でも、どうしてもっていうん……」
「君がいないとダメ? 君が俺のママだって!? 俺は君がいないと何もできないとでも言いたいの?」
フェリシティが続けて何か言いかけたが、強めの語気で上書きする。とたんに彼女の顔色が真っ青になった。
「フィ、フィーリクス! 待って、違う、そうじゃない! あたし……」
「フェリシティ。前々から思っていたけど、君はあまりにも無鉄砲過ぎるよ。どうせミアにもバカみたいにノープランで突っ込もうと考えてるんだろ? そんなの危険すぎる。この際だから、君のためにはっきり言っておく。君は、MBIに向いてない。辞めるべきだ」
フィーリクスにこういう形で仕掛ける気はなかった。彼女の父親、ハワードからの依頼。それを実行するタイミングとしては最悪だ。口をついて出た言葉も最悪だった。確かにハワードに承諾はした。したが、本気で、本格的に実行するつもりはなかった。それとなく遠回りに彼女に聞くだけに留めて、お茶を濁すつもりだった。こうストレートに突きつける予定はなかったのだが、やってしまった。
「なっ、フィーリクス、あんた……」
彼女は絶句状態だ。肩や垂らした両手を小刻みに震わせ、口元も同様にしている。恐らくそれが収まれば次に、迫力のある形相で詰め寄られ、文句を言われるだろう。そんな覚悟をして待ちかまえていたのだが、それは来ない。
「本気で言ってるの、それ」
「ほ、本気だとも」
「そう。あんた本当はそういう風に考えてたんだ。前にあたしに言った言葉は嘘だったんだ」
彼女の口調に力がない。フィーリクスは胸に重いものにのしかかられたような感覚を得る。前に、とは以前フィーリクスの家で彼女と会話したときのことだろうと思われた。彼女がMBIを辞めると宣言し、思い留まらせるために今とは正反対の主張を彼女に行ったのだ。彼女がダメージを受けることは分かっていたはずなのに、言ってしまった。ただし、訂正はしない。決してどちらの言葉も嘘ではなかったからだ。
「誤解しないでほしいんだ。あのときの言葉は嘘じゃない。今のは……」
「あんたがそう言うんなら、証明してやるわ!」
今度はフィーリクスが言葉を遮られる。
「証明?」
「そうよ! ミアをぶっ飛ばして、あたしの方が正しいってあんたに教えてあげる。それにあたしがMBIに向いてようとなかろうと、やることをやればヒューゴはあたしを認めてくれるでしょうね」
「何を言い出すんだよ」
「逆に! あんたがこそ泥ウィッチを捕まえられなかったら、思いっきり笑ってやるからね!」
まともに反論する暇もなかったが、これだけ焚き付けられてはフィーリクスも黙っていられない。
「俺がホテル荒らしを捕まえて、君がミアに勝てなかったら、フェリシティ。君はおとなしくMBIを去る?」
「やってやろうじゃない。まぁ、万が一そんなことにはならないけどね」
顔を突きつけ合う。
「「勝負だ!」」
「そういうの、あまりよくないと思うけどな」
執務室から顔を覗かせたニコがぽつりと言った。




