9話 wayward-4
* * *
「ミア!」
「私の名前を覚えてくれてたの!? 嬉しいなぁ」
ミアは両手を胸の前で結んで喜びを表現する。いわゆるおねだりポーズとも言われるような格好だ。たまに自分でもするポーズだが、フェリシティの目にはそこにわざとらしさはなく、自然体として映った。嫌みやぶりっ子ではなく、純粋に嬉しいのだと分かった途端、背筋に怖気が走った。
「仕事だからね! 覚えたくて覚えたわけじゃないっての!」
「えぇ、つれないねーフェリシティ」
怖気の上に、ギョッとさせられる。自己紹介した覚えはない。彼女の前で、フィーリクスと名前を呼び合ったことはある。それを聞いていたのを覚えていたのだろう。顔と名を覚えるということは、その相手に、何かしら興味があるということだ。彼女の場合それはろくでもないことに違いない。
「あんたはあたしの名前は覚えなくていい」
「いいじゃない。あっ、フェリって呼ん」
「絶対ダメ」
そのニックネームは、親しい友人などにしか呼ぶことを許していないものだ。ましてやウィッチになど。フェリシティにとって、ミアはどうにも調子を崩されるような、苦手なタイプだった。そもそもウィッチのような連中の中に、得意な相手がいるかどうかは別として、の話だと心の中で付け加える。
「あ、そう。そっちの子は? 前に会ってたっけ? 君もかわいいね。楽しめそう」
ミアはニコに向かってそう言いながら、空いている椅子の一つに座った。いかにも仲のいい友人が偶然通りかかったかのような気軽さだ。
「げっ、あたしに言ってる? 冗談でしょう」
「あいつの場合本気だよ。女の子と戦って、いたぶって喜ぶ趣味してる。ニコも彼女の好みのタイプみたいだね」
「うぇええ……」
顔をしかめるニコにフェリシティがそっと囁く。それを聞いてますます嫌そうにミアを見る。彼女から椅子を一つ移し、フェリシティの横に座り直す。かなり警戒している様子だ。もちろん、いつ襲いかかってきても不思議ではない相手なのだから、当然の対応だと言えるだろう。ただ、今のところミアはそういう素振りは見せていない。立ち上がったままだったフェリシティもひとまず着席する。ニコは仕方なくという風にミアに対応するようだ。
「ごめん被るわ。早急なご退場を願いたいわね」
「それがね、残念なことにそうなんだよ。今は戦えないんだ」
ミアは眉尻を下げ、ニコとフェリシティを見た後小さく首を振った。戦わないということは、何か話しでもしに来たのだろうか。以前ウィッチ勧誘のために動いていたダグラスのように。フェリシティは頭を働かせる。
「それじゃ何のために出てきたの?」
「だって、見かけて嬉しかったんだよ! あんまり目立つなって言われてるけど、我慢できなかったんだ!」
「いやー、『我慢できなかったんだ!』 とか言われても……」
「こっちは全然嬉しくないわね」
ミアはコロコロと表情がよく変わる。何かいいことを思いついたように、急に顔を綻ばせる。テーブルに手をついて身を乗り出す。揺れるテーブルからドリンクが台無しにならないよう、フェリシティもニコも彼女の動きに俊敏に反応して、それぞれのカップを持ち上げた。
「前の戦いが忘れられないんだ! あぁ、あの時の君の苦悶の表情をまた見たい。ゾクゾクする! 今すぐにでもやり合いたいなぁ……。でも我慢はする。また今度」
ミアはまくし立てると少し落ち着いたのか、真顔になる。それを見てフェリシティとニコはお互い顔を見合わせた。ついでにカップの中身をすする。
「変。すっごく変」
「そう、変なんだよこの子」
変といえばこの状況が正にそうだ。フェリシティは考える。奇妙で仕方がない。アーウィンはとにかく敵対的だった。それはまだ分かる。敵対組織の一員なのだ、そういうものだろう。ダグラスは上から命令を受けていたから、誘ってきた。だが、ミアは何なのだろうか。彼女の真意が見えない。油断させて背後からブスリ、などという感じにも見受けられない。何が目的なのか、一つ聞き出して見ようか。
「まあでも、街中で暴れ出さないだけまし、か。で今度って、いつやる気よ」
「近い内ってだけ。じゃあね!」
「えっ、ちょ、ちょっと待った!」
ミアはあっさりと引き下がろうとする。それでは困るのがフェリシティだ。立ち上がりさっさと行こうとする彼女を引き留めるには。
「このまま逃がすとでも?」
やはり挑発だろう。少しは効果があるようだ。ミアが再び席に着いた。
「今自分で言った言葉を否定するつもり? せっかく私が大人しくこの場を去るっていうのに。関係ない人を巻き込みたいのかなぁ?」
「戦闘バカかと思ったら、そういう頭はあるんだ」
軽口を続けるが、ミアは思ったようには乗ってこない。ニマっと口角を上げた、蠱惑的な笑みを浮かべるのみで、動じていない。
「バカにウィッチは務まらないって。戦闘好きは否定しないけど。君はあたしを怒らせたいだけなんでしょ?」
「バレたか」
「分かってくれた? じゃあ二人とも、テーブルの下に潜ませてる、物騒な物もしまってくれると嬉しいな」
それもバレていたか。フェリシティは内心で呟く。ミアが再び座ったタイミングで密かに銃を構えた。ニコも同様だったようなのだが、簡単に見破られた。それに、全くといっていいほど平然とされていては、何の効果もないだろう。
「フェリシティ、あなたも考えることは同じなのね」
「まあ、こうするよね。でも大して意味なさそう。しまうよ」
「そうね」
フェリシティは武器をインベントリに収納し、肩をすくめてからテーブルの上に両手を乗せる。こうなってはもう率直に聞くのが一番だろう。
「ねぇ、あんたってさ、本当に戦いたいだけなの?」
「そうだよ? それ以外に特にない」
ミアはきっぱりと言ってのけた。そこに嘘偽りの色はない。ただ、何か付け足すことがあるようだ。
「んー、アーウィンは前になんか色々言ってたけどね。うちのボスもよく分からないことやってるみたいだし。他の人も。そうだ、ダグラスと会った?」
「ウィッチに勧誘された」
「そう、それも一つ」
彼女は色々と知っているような態度だった。このまま何か有益な情報を喋ってくれないものか、フェリシティは淡い期待を寄せてその先を促すことにする。
「この際だからさ、ウィッチの目的って何なのか、教えてもらうことって、できるかな?」
ダメもとだった。敵に塩を送れと言って素直に応じるはずもない。そう思ったが、取り敢えず聞くに越したことはない。そんなフェリシティの思案をよそにミアは、ともすればお願いにも聞こえる問いにほぼノータイムで答える。
「いいよ」
「いっ!?」
ミアの余りといえば余りの軽い対応に、フェリシティは絶句する。
「でも、タダでとは、言わないよね?」
ただし対価は必要。これは彼女との取引になるようだ。うまくいけば、ウィッチ関連の捜査の進捗もあるだろう。さて、彼女に対する有効なカードがあったろうか。ニコを見るが、彼女は首を横に振るだけだ。いい材料がないとも、この取引自体をするなと言っているともつかないものだった。結局フェリシティも何も思い付かなかったため、上目遣いになりながらミアに適当に合わせることにする。
「また戦うってだけじゃ、ダメだよね?」
「交渉する気がないなら帰るよ?」
「待って! 何回か戦闘できる回数券とかどう!?」
ミアがまた立ち上がりかけ焦ったフェリシティは、何事か血迷ったことを口走ってしまった。
「んん!?」
舐めてるのか、などの反応は返ってこなかった。腕を組み眉根を寄せ、考え込むミアが目の前にいる。
「悪くない提案ね」
「えっ、そんなのでよかったの!?」
そんなの、とは言ったものの実際には危険な賭けだ。ミアは強い。分は彼女にある。何度も戦えば、命の保証はないだろう。
「そんなんでいいよんだよねぇ」
ニコは先程よりも強く首を振っている。彼女が口を開こうとしたところを、フェリシティは人差し指を彼女の口元に近づけ止めた。危険性は分かっていても、何故かやめるつもりはなかった。
「君の相棒の助けはなしだよ?」
「あんたもね」
「アーウィン? ああ、彼のことは別に頼りになんかしてないよ。相棒って程のもんでもないしね。ビジネスライクな関係に近い」
「ふうん、そんなものなのね」
「そう。君達はどうも信頼しあってるようだけど。ああ、そういえば」
ミアはポンと手を打って目を軽く見開く。
「あたし達ってさ、本来的には別にMBIと敵対したいってわけじゃないんだよ」
「信じない」
あれだけ色々とやっておいて、唐突にそんなことを言われても、信じられるはずがない。そこは彼女も分かっているようだ。小さく肩を竦めるに留まった。
「だよね。でも少なくとも別に過剰に市民に危害を加えようとかってつもりで、モンスターを作ったりしてるわけじゃない。ロッドによるとこれは本当らしいんだけどね。……ウィッチのこと、少しは評価してもらえるかな?」
「する訳ないでしょ。ってちょっと待って、今『過剰に』とか言ったでしょ!? それはつまり、”適正な”モンスターによる被害があるとでも言うつもり?」
「あー、えーと。そういうことでもないと思うんだけど、やぶ蛇になっちゃった。私も聞いただけだから、よくは分からないんだよ。でもこっから続きは、ひとまず一回戦ってから、ね。じゃあ、またね!」
今度こそ。ミアは去っていく。満足したからか、都合が悪くなったからか、振り返ることなく颯爽と歩いていく。人混みに紛れてすぐに見えなくなった。
「何だったのよあいつ……」
「ウィッチの考えることはさっぱりだわ。でも、はっきりと分かってることが一つ」
静かに、ただし眉を吊り上げ怒り気味のニコに詰め寄られる。フェリシティにとっての危機はまだ去っていないように思われた。
「そ、それは何、かな? ……はは」
「フェリシティ、あなた無謀すぎるわよ!」
ウィッチが去って安堵したところにニコに来られ、フェリシティも思わずたじろぐ。
「それに、フィーリクスが聞いたらどう思うか、それが分からないあなたでもないでしょうに」
「まずいかな」
「まずいに決まってるわよ。……でも彼なら、何かいい手を思い付くかもしれない」
「かもね。でも彼に頼るのは、何か違う気もするんだよね。あたし自身で解決しなくちゃいけないって」
ニコに責められつつも、フェリシティは何となくだがそうだと思っていたことを口にする。それを聞いた彼女の眉が上から下に下がっていった。
「もしかしてさっき私が言ったこと気にしてるの? フィーリクスに頼りにされたいってやつ。でもそれには、逆に彼には頼らないって意味は含まれてないのよ? それにミアが言った言葉にも引っかかってるんでしょ。『相棒の助けはなし』って。だから……」
「違う!」
その先は聞きたくないような気がして、声を荒らげてしまう。通行人が幾人か行き交い、フェリシティの声に気を取られ振り向いていた他の客が、自分達の話題に立ち返るまで、気まずい沈黙があった。
「本当に?」
ニコは、眉尻を下げたままだ。心配してくれていることが嬉しくはある。本当にそうなのかとニコに聞かれ、己の胸の奥を探る。確かに、先ほどまでの会話でフィーリクスのことを変に意識している面があるのは否定できない。ただ、彼女の胸の内を大きく占めるのはそのことではない。
しばらく前にMBIを辞めるか辞めないか悩むことがあった。その時、フィーリクスの助言もあり残ることに決めた。決めたからには、やることも決まっていた。
「もちろん決まってる」
これは、矜持なのだ。そう自分に言い聞かせる。フェリシティはミアとの再戦を、己の誇りをかけた闘いだと認識していた。モンスターを倒す者として、市民を守る者として、MBIエージェントとして、この程度をこなせないようでは、この先やっていけないのだと。
「本当よ」
フェリシティはニコに対して、口を大きく横に引き歯を見せ、不敵に笑って見せる。
「それでも、あなたの相棒でしょ? このことを報告して、どうするかちゃんと相談しないと」
「分かってる、そうする。……まあ何とかなるよ。今までだってそうだったしね!」
「だといいけど……」
ニコが時間を確認する。二人が予定していたMBIに戻る時間は過ぎていた。それを告げられたフェリシティが立ち上がる。釈然としない様子のニコとは対照的に、張り切るフェリシティはカップに残っていた中身を一気に飲み干した。




