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9話 wayward-3

* * *


「聞いたかい?」

「ああ、泥棒だって」


 フィーリクスとハワードは顔を見合わせた。複数の怒号によれば、泥棒とは聞き捨てならない。MBIとバスターズの身ではあるが、考えることは同じようだ。 互いに頷くと、ホテル荒らしとやらを捕まえるためロビーに飛び出す。


「そっちに行ったぞ!」


 ロビーの奥、声の方を見れば、何者かが入口方面、フィーリクス達の方へ走り込んでくる。スーツ姿の若い男で、一見すれば怪しいところはない。が、それは人を油断させるための格好なのかもしれない。フィーリクスは男を捕まえるために軽く腕を広げ、彼を待ち構える。ハワードも隣で同様にしている。


「焦ってるのか、馬鹿なのか、それとも……」


 フィーリクスは呟く。男は、二人に向かってそのまま真っすぐに突っ込んできた。何か策があるようには見えない。彼は、二人を突破する自信でもあるのだろうか。いや、そんなことはできるはずがない。そう思いながら、肉薄する男にフィーリクスからも迎えに前に出る。男を掴もうと、フィーリクスが腕を伸ばす。手が、指が、スーツに触れたかに思えた瞬間、相手の姿が掻き消えた。


「なっ!?」

「上だ!」


 後ろにいたハワードの声に従い、仰け反るように振り向きながら仰ぎ見る。宙に彼の姿を認めた。天井の高さは十メートル程。その半ばくらいの高さまで飛び上がった彼が向かう先はホテルのエントランス、出口だ。丁度宿泊客が新たに入ってくるところだったらしい。ドアマンによりガラスドアが開かれている。そこの少し手前に転がるように着地し、綺麗に立ち上がる。


「では諸君、さよならだ。……ああ、そこの君。惜しかったね」


 振り返った彼が、ニヤリと笑ってそう発する。突然のことに驚く客とドアマンを避け、足早にドアをくぐってホテルを出ていった。


「な、なんて奴だ……、いやそれより」

「参ったな。尋常ならざる者、か。……フィーリクス。どうやらこれは君の案件のようだ、任せるよ。追いかけるなら今の内だぞ?」

「任される! 行ってくるよ!」


 スーツの男はホテルを出て右方面へ行った。ハワードの言うように今ならまだ追いつけるだろう。振り返らず、手だけでハワードに別れの合図を送り、フィーリクスも駆け出す。客とドアマンを再度驚かせながらドアをくぐった。


「ウィッチめ、捕まえてやる」


 フィーリクスは動きながら考える。スーツの男は、普通の人間ではあり得ない動きをした。であれば、ウィッチである可能性が高い。以前出会ったウィッチ達の中に、彼の顔はなかった。ただ、ウィッチの一人アーウィンが老人に化けていた例もあり、一概に知らない人物だと断定はできない。と、そこで思考は一旦止める。考察は後回しにして、まずは彼を捕らえなくては話は始まらない。見れば、既に見える背中は小さくなっているが、まだ見失っていない。


「速い!」


 昼間の街中であり、人通りは多い。スーツの男は雑踏の合間を驚くほど滑らかに進んでいく。それはまるで、流れる水のような体捌きだ。フィーリクスも負けていない。徐々にだが距離を詰めていく。後二十メートルほど、という辺りで男が止まり、ちらりと後ろを、フィーリクスの方を振り向いた。一瞥し、口の端を吊り上げる。ウィンクまでしてみせたのがフィーリクスに確認できた。それはほんの一瞬のことだ。男はまた前を向くと、更なる加速を開始する。


「くそっ、ふざけてるのか」


 男におちょくられている。そう感じたフィーリクスはややムキになって彼に追随する。男は最初早足程度の歩みだったが、既に駆け足以上の速度にまで達している。それでもなお彼は他の通行人にぶつかることなく道を進んでいった。途中女性客で賑わうオープンカフェの前を通り、通りを右に曲がるとまた直進する。市庁舎が存在するエリアの一角に入った。


 男は次々と通行人を躱し前へ前へと出る。不思議なことに、彼に注意を向ける者がいない。ぶつかる直前になっても誰も慌てない。置かれている障害物を、ひょいと避けるような、何でもないかのように皆歩き続けるだけだ。路傍の石に気を止める者などいない、とでもいうかのように。フィーリクスにその仕掛けは分からなかったが、男はそういう現象を起こしながら進んでいる。


 対してフィーリクスはそうはいかなかった。人混みをかき分けるようにして進む彼に驚き歩みを止め、慌てて避けようとする通行人がいる。それを更に他者が避けようとして、連鎖的に通行人の流れが止まる。結果、局所的に人だまりができてしまう。押し退けて通るのもはばかられて、迂回しながら追跡を続けたが、自ずと彼我の距離は開く。せっかく縮めていた距離がどんどんと広げられるだけだ。


 スーツの男が次に通りを左に曲がった時。慌てて追いかけはしたがが、「いない……」もうその姿をどこにも見つけることはできなかった。魔法を用いて、例えば建物の壁や出っ張りなどを利用して、立体的に動けば追いつけたかもしれない。それとも車に気を付けながら加速魔法を用いて車道を走ればよかったか。だがそうすれば市民に対して目立つ上に、相手もまたホテルで見せたような超人的な動きで逃げるだろう。秘密裏に活動せねばならないMBIの弱みがこれだった。それでも、多少強引な方法でも追跡すればよかったと、フィーリクスの胸にもやもやとした後悔だけが残った。


「フィーリクス、戻りました」


 MBIに戻り、ヒューゴにウィッチらしき人物の出現報告をする最中も、もやもやは晴れない。


「どうした、気分でも悪いのか」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 それが思いっきり顔に出ていたらしい。ヒューゴが睨みつけてくる。


「ならどうしてそんな顔で報告するんだ。しゃきっとしてろ」

「分かったよ」


 気分を鎮めようと軽く深呼吸しニコッと微笑んでみるが、それに対してヒューゴは不機嫌そうな表情のままだ。その状態で見つめられながらの報告はやりづらかった。ただ、気分が悪いのはヒューゴの方ではないのか、などと文句を言えば倍になって帰ってくるはずだ。


「報告ご苦労だった。その人物がウィッチかどうかの断定はできん。しかし、これは予感だが、近いうちにまた現れる気がするな。その時のためにエージェントの中から人員を選び、特別チームを編成して捜査に当たらせる。それは決まり次第追って知らせる。フィーリクス、君にもやってもらうことになるだろう。その時はよろしく頼む」

「ああ、分かった。やる気満々だよ」


 フィーリクスは大人しく報告を終えると、執務室を出て捜査課の部屋に戻る。特別編成チームに選ばれるかもしれない、リベンジできるかもしれない、との期待から心のもやは知らずに晴れていた。


「戻ったよ」

「フェリシティ、ニコ、お帰り」


 丁度その時捜査課入り口のドアが開き、フェリシティとニコが入ってくる。だがどうにも様子がおかしい。二人ともいつもなら明るくお喋りでもしながら部屋に入ってくるはずだった。それが、二人とも押し黙ったままフィーリクスの方へ近付いてくるのだ。


「ちょっと、二人ともどうしたんだよ……」


 フェリシティに訳を聞こうと話しかけるが、「ちょっと通して」と一言のみだ。彼女に手で押し退けられる。どうやらヒューゴに用があるらしいが、何か考え事をしているようで、フィーリクスのことは視界に入っていないかのようだ。


「後でね、フィーリクス」


 ニコが小声で断るがフェリシティは一顧だにしない。そのままヒューゴの執務室のドアの向こうへ行ってしまう。


「フェリシティはどうしたのさ?」

「あたし達ウィッチに会ったのよ、ミアっていう前にあなた達が戦った女の子。詳しい話はまた後で」


 驚いたフィーリクスが次の言葉を思いつくより先に、ニコも執務室へと入っていった。

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