1話 burstー1
初投稿となります。よろしくお願いします。
「さあ、かかってきなさい!」
それはもう巨大なバルーン製のクマが、とある二人組の前に立ちはだかっている。それはただのバルーンではなく、意思を持った巨大な悪意の塊だ。二人の内の一人が上げた声が合図だったかのように、クマの腹部に入っている一本のスリットに異変が起きる。様々な種類の小型のバルーンが数十個、そのスリットから一斉に湧き出てきたのだ。それは魚の産卵を彷彿とさせるような異様なものだった。そして、それらもただの物ではない。それぞれが自由に動き回り、二人の人物を取り囲むように散開していく。
「うげぇっ、やっぱり来ないで!」
先程の声も今の声も、気持ち悪いものでも見たように、心底嫌そうな顔でその様を見つめる少女が放ったものだ。げんなりしたのはもう一人の人物、少年も同じで、手に持っていたパイプを落としてしまった。慌てて拾い直すと咳払いを一つ。パイプで『巨大グマ』を指し、高らかに宣言する。
「突撃ぃ!」
「やってやるぜぃ!」
少女は首を振り、気を取り直すと叫びをあげて走り出す。少年も彼女のすぐ後に続いた。右から左から上から、さまざまなキャラクターのバルーンが群がってくる。
ドワーフが少年の頭をかち割ろうと斧を振りかぶる。グレイ型宇宙人が未来感あふれる銃で少女を狙う。ウサギ等の小動物から犬、猫、ロバやラクダまでが野生の本能を剥き出しにして威嚇する。コボルド、インプ、グレムリンとホビットが小人連合を組んで周りを取り囲み、空からはワイバーンやプロペラ飛行機、UFOが二人を監視している。
「賑やかね!」
「なんせお祭りだからね!」
その会話を皮切りに、激しい戦いが始まった。
* * *
「ひねりのない相手だな」
あくびをかみ殺しつつ、そうぼそりと呟いたのは、パーカーに付いているフードを目深にかぶった一人の少年だ。彼がいるのはとある住宅街の外れ、人気のない一角である。時間はこれまた人気のない時間帯、深夜だ。
彼は何者かと対峙していた。彼らを照らす街灯は寿命が近いのか光量が足りず、時に明滅し、揺らめいている。その消えかかった街灯の揺らめきのせいか、まるで誰かが両者を闇から象っているかのようだった。とても不安定で、灯りを灯し続けないと形を保てない。次に街灯が消え再び灯った時、果たして二者はまだそこに存在しているのか。
また、灯りは彼らがそれぞれに持っている物を闇から浮かび上がらせる。少年が右手に握っているのは短めの棒切れだ。少年はそれをぐっと握りしめた。次の瞬間、突如として相手が距離を詰め襲い掛かってくる。少年は三十センチほどの長さのその短棒を器用に操り、相手の攻撃を防ぐ。
相手の得物は長い爪だ。作り物には見えず、自前のもののようだった。片方四本ずつ、左右で計八本の先鋭な凶器が、少年に休む暇を与えず次々と繰り出される。彼はそれをかわし、短棒でいなし、当たりはしない。棒切れと言ってもかなり硬い樹種のようで、せいぜい表面が薄く削れるだけだ。棒が切り飛ばされたり、折れるような気配はなかった。
少年が戦う相手はただれた緑色の皮膚を持ち、頭髪はまばらにしか生えていない。ひどく落ち窪んだ目で少年を睨め付け、舌を垂らし涎を滴らせている。二本足で立ってはいるが、体つきはどこか歪で関節の動きが人間のものとはやや異なっていた。
人間以上の可動域を持つ異様に長い両腕を振り回し、少年を切り刻もうと躍起になっている。見る者がいれば十人中十人とも「モンスターだ!」と叫ぶだろう。思春期の者であれば誰もが小説の挿絵、漫画やアニメで見たことがあるだろうそのシルエットは、ゴブリンと呼ばれるモンスターに酷似していた。
『ゴブリン』は戦いへの興奮か荒い息をし、少年への攻撃のため筋肉が躍動する。作り物、被り物などではく生命活動を行っている、そういう生物だった。ただし、流れる血液は通常の生き物のそれではない。
敵の攻撃をかいくぐり懐に入り込んだ少年が、相手の顎に斜め下からしたたかに棒を突き入れる。人間相手ならば脳が揺さぶられ昏倒するような一撃だが、大したダメージを受けていないようだ。一歩後退するだけで体幹の揺れは感じられない。
手応えからそれを悟っていた少年はすぐに後ろに距離を取り身構え、相手の出方を窺う。『ゴブリン』は口から一筋流れ出た涎ではない液体を手で拭った。それはモンスターの血液で、色は青だ。幾滴かは地面に落ち、即蒸発する。
「でもやっぱ、きもいよね」
蒸発したのはそれが通常の物質ではないからだ。モンスターに流れる血液は、魔力そのものだ。通常の生き物とは別の理で生きており、自然なものではない。
ダメージが大したことがなかったのを見て少年は攻め方を変える。真っすぐに『ゴブリン』へと突進した。相手も負けじと彼に飛びかかる。あまり上等な発声器官が備わっていないのか、短く耳障りな奇声を発する。少年はそれを聞いて、フードの下に辛うじて見える口元を歪めた。
勝負は長くはかからない。少年は足を使い揺らめくように、それでいて素早く『ゴブリン』の後ろに回り込む。爪による攻撃が空を切った。相手からは彼が宙に掻き消えたように見えただろう。彼はがら空きの敵の首に短棒を回すと両手で持ち捻る。相手の肩を支点に、てこの原理を使えば力はそんなに入れずとも、鈍く嫌な音が響く。喉と頸椎を同時に破壊されたモンスターは首をだらりと垂らすと地面にくずおれる。
ボシュッ、っというような、ややコミカルな音を立てながらモンスターが消滅する。地面には何かが残されていた。少年が見るとそれは古びた子供のおもちゃ、ゴブリンの人形だった。もちろんそれはぴくりとも動かない。ただの人形だ。それを確認した少年は被っていたフードを脱いだ。
何らかの理由で、ものに魔力が宿りモンスターと化す。倒されたモンスターは魔力が霧散し、ただのものへと還る。これはこの世界で文明が発達する遥か前からこうだったらしい。対象は物質であるならば何でもモンスターとなりえるが、あまりに巨大なものはモンスター化した記録が残っていないそうだ。少年は前に学校で習った授業の内容を思い出す。なぜモンスターが発生するのか、その原理は今でもよく分かっていないそうだが、少年にはそんなことはどうでもいいことの一つに過ぎない。
「終わったよ」
少年はポケットから携帯電話を取り出すと誰かに電話をかけた。
「そうか、ありがとう、フィーリクス。謝礼はいつもの口座に」
「毎度あり! それと、あくまでこのことは内密に」
「重々分かってるさ。また困ったらお願いするよ」
「またいつでも言ってよ。……さてと、とっとと帰ろう。さすがにこの時間は眠いや」
フィーリクスと呼ばれた少年は通話を終え、携帯をしまい込むとあくびをしながら歩き出す。通話内容は簡潔だったが、双方ともそれで十分だった。
彼がこの場所に向かったのは通常の仕事、アルバイトである飲食店での勤務を終え、一度自宅に帰った後だった。その目的は、先ほどの電話相手からの依頼である裏の仕事、モンスター退治をこなすこと。
彼は次の誕生日まであと三ヶ月を残すところの、一見どこにでもいそうな少年だ。ここウィルチェスターシティに住んでいる。一人暮らしで、友達はいるが彼女はいない。変哲は、多少ある。先ほど終えた彼の秘密のアルバイトがそれを端的に示していた。