殿下、どうかご説明を
伯爵は長い足を組み、その膝上に手の平ほどの大きさの額縁を乗せ、私を見つめていた。
その美貌に、しばし私は時を忘れた。
つい、去年巷を駆け巡った噂について考えてしまう。
とても弟である第五王子の墓の前に雨の中立ち尽くし、倒れる人には見えない。軟弱にも見えない。
寧ろ、整いすぎた容貌がとっつきにくく、少し怖い。顔のつくりが綺麗過ぎて、人間に見えない。呼吸をしているんだろうか、とすら疑ってしまう。
伯爵をじろじろと見つめてしまった。
だが直ぐに伯爵が私と膝に乗せた額縁を見比べているのだと気が付き、我に帰る。
「……念の為もう一度聞くが、貴方はリーズ・テーディ子爵令嬢で間違いないな?」
「は、はい。その通りです」
なんだろうな、その質問は。
伯爵は眉をひそめて、額縁を見入った。
その直後、膝上のそれを私に差し出してきた。
豪華な金色の額縁に飾られているのは、一人の女性の肖像画だった。ーーこれはもしや、義兄が伯爵に渡すために以前描かせた絵だろうか。
「テーディ邸で会った時も思ったのだが……テーディ子爵家から送られてきた貴方の絵とは、全く印象が異なるな。腕の悪い画家を雇ったものだ」
受け取った絵を見て、私も驚いた。
そこには、私より遥かに美しい女性が描かれていた。
画家が色を途中までいれたところしか、私は見ていなかったので、仕上がりがこんな風になっていたなんて知らなかった。こういった肖像画は、多少は美化して描かれるのがセオリーであったが、いくらなんでもコレはやり過ぎだった。
私は茶色の目と髪の色をしていたが、その色味さえ実物とかなりの隔たりがあった。絵の私は、もっと明るい髪色と、思慮深そうな綺麗な瞳の色をして、こちらを見つめていた。
私は猛烈に恥じ入り、身体を小さくしながら絵を返した。
「……すみません。」
「間違いなくリーズ・テーディならば、何の問題もない」
そうだろうか。むしろなぜリーズ・テーディである私に求婚したのか、を知りたいくらいなのだが。
この絵を義兄から渡され、一目惚れの相手は間違いなく私だと断言出来た事が不思議なくらいだ。
王子は右手を私に差し出した。
「今後はノランと呼んでくれ。これから末長くよろしく頼む」
私はぎこちなく右手を差し出し、ノランと握手をした。
ノランは素早くその綺麗な薄い青色の瞳を走らせ、私のドレスと靴を軽く一瞥した。
「さて。貴方の身なりだが、少々難がある」
「……はい?」
「その異様にゴテゴテと装飾が煩い服は、私の屋敷に到着次第、着替えてくれ」
「は、はい」
ノランは腕を組んでから私の靴を見て、言い放った。
「その凶器の様な靴は、貴方の標準装備か?」
凶器……?
かなり高くて細い、このヒールのことだろうか……?
「馬車を降り次第、履き替えてくれ。そのかかとでは、私の領地を歩けない」
目が点になった。
歩けない、ってどういう意味だろうか。
私の目は口ほどにものを言ったらしい。ノランは説明を付け加えた。
「貴方の育った王都の様な環境は今後期待しないでくれ。舗装された道や、タイル張りの広場など、有りはしない。貴方が今日から暮らすのは、私の領地のダール島なのだから」
ダール島……?
私は激しく瞬きをした。
「あの、ノラン様のお屋敷は、し、島にあるのですか?」
「ノランで結構だ。先ほどの質問だが、私の住まいはダール島という島にある」
「ダール島という、島、なのですか?」
しつこく確認した私に、ノランは表情を曇らせた。
「まさか知らなかったのか?」
「……この結婚のことは、私には殆ど話が入ってこない状態で進んだものですから」
沈黙が車内を支配した。
向かい合って座り、無言で私たちは互いの顔を探る目つきで眺めていた。
しばらくすると、漸くノランが口を開いた。
「……貴方は私が何者か知っているか?」
「第四王子様で、ダール伯爵領をおさめる伯爵様です。御年齢は二十一だと聞いております」
弟の死を悲しみ過ぎて少し前に時の人になっていた王子様です、とは口が裂けても言えない。
そもそも未婚の娘は、通常社交の場に行くことは出来ない。
未婚の令嬢ばかりを集めるパーティも巷にはあったようだが、いかんせん、私は子爵家のお荷物娘として扱われていた。
エセ貴族令嬢の私が、貴族の集まりに呼ばれることはなかった。
そして、義理の父が亡くなってからは、我が家に多くの貴人を招くパーティや晩餐が行なわれるときも、私だけは同席を許されなかった。
私は貴族の来客がある時は、自室から出ない様、義理の兄からキツく言い渡されていたのだ。
そんな私が集められる情報には、限度があった。
「あの……。ノラン様は私の出自をご存知でしょうか?」
私は子爵家に引き取られてはいたが、本当の父母は貧乏貴族で、父はなんとか現状を打開しようと、隣国との戦争に従軍し、あえなく戦死した。
更に困窮した母は、父の死後に私を連れてテーディ子爵の家に入ったに過ぎない。妹のレティシアは別として、今や私は外聞の為に屋敷に置いて貰っていたようなものだ。
ノランにそう説明をすると、彼は特に驚いた様子もなく、顔色ひとつ変えず聞いていた。
そしてこれ以上はない、というほど簡潔に返答した。
「知っている」
「……なら尚更、私などで良かったのでしょうか?」
「勿論だ。貴方が、良かった」
「あ、あの……」
ノランの感情のこもらない瞳とぶつかり、言葉が続かない。
聞きたいことは山ほどあるが、相手が相手なだけに、失礼があってはいけない。
「言いたい事があるなら、言ってくれ」
サラリとノランは言った。
私に向けられたその水色の瞳からは、一目惚れした情熱など、露ほども感じられない。ちゃんと確認しないとダメだ。
ーーウジウジ迷っていないで、今聞かないと!
私はゴクリと生唾を飲み込み、大きく息を吸うと、勇気が萎えないうちにまくしたてた。
「伯爵様が私を見染められたというのは、……本当は、本当じゃなくて……ええとつまり。ーーう、嘘なんですよね!?」
「そんなことはない。貴方に一目で心奪われた」
直球で返され、一瞬思考が止まる。
いやいや、その割に偉く冷静かつ無感情な目で私を見ているけれど……。
「伯爵様、それは、本当に……?」
「繰り返すが、私は貴方に夢中だ」
そんな歯が浮くようなセリフを、能面で言われても……。
「ええと……。なんていうか、失礼ながら……貴方様からの愛情とか熱意を……み、微塵も感じられないのですが」
「それは困ったな。貴方は少々鈍いのか」
――ええっ!? これって私のせいなの?
こんな無表情でもこの元殿下な伯爵様は、実は私のトリコで夜も眠れない……なワケない!!
私は動揺のあまり喘ぎながらも、冷静になろうと窓ガラスに映った自分の顔を確認した。
ごくごく平凡な、張り切った化粧でちょっと綺麗に見えるだけの女が私を見つめ返している。
ーーこの私のために、こんな美形王子様が全財産を棄てる筈がない。これには絶対に何かウラがある。
私はずばり核心部分に触れた。
「大変な失礼を承知で伺います!私を……街中で見かけたことなんて、ないのでは?」
「そんなことはない。私は貴方を街中の古本屋で見かけたのだ」
……間違いない。誰かから、私の出没場所を聞き出したのだろう。誰だ、ノランに入れ知恵したやつは。
「当初この結婚は父上の反対にあったのだ」
当たり前だ。陛下は正常な思考回路の持ち主なのだろう。
「だから私は宮廷から離れ、地理的にも政治的にも何の重要性もない、ダール伯爵領に引退することにした。そしてこれに付随して、今まで所有していた他の爵位や領地、官位、役職の一切を手放した。すべては、貴方のために」
そういうとノランはその美しい瞳で私を射抜いた。
疲労と焦りから目眩がした。
――どうしよう。あくまでも一目惚れ設定をゴリ押しするつもりなんだ……。
ノランは自分の領地について熱心に説明を始めた。私への思いを語るより、よほど気持ちがこもっていた。
ダール伯爵領はもともと広大だったらしいが、数代に渡り領地が切り売りされ、今やその名の通り、ダール島しか領地としては残されていないのだという。
要するに第四王子のノランは、かなりのものを放棄したらしい。彼曰く、この結婚のために。
再び顔を上げるとノランはつい、と私から目を離した。そうして流れ行く窓の外に視線を投じた。その整った横顔は、どこまでも涼やかだった。
彼はそのまま独り言のように言った。
「身体の関係はしばらく保留にしたい。貴方にはまだ妊娠されたら困るからだ」
超展開に返事が思いつかなかった。
正直なところ、安心する自分もいた。だが、それ以上に不思議とショックでもあった。
私は新しい家族からも、拒絶をされた気分になったからだ。
ーー妊娠されたら困る。
それはなぜだろう。
無意識に、そっと自分のお腹を触った。
なんだか、自分の子供までを否定された思いがした。
「我が家は目下のところ、経済的なゆとりがないのだ」
うつむいていた私は、えっ、と顔を上げた。
ノランの瞳は、いまだ車窓を流れる景色を写していた。
「私は別に子供嫌いなわけではない。ーー別に得意でもないが。だから、いずれは貴方には生んで貰うつもりでいる。その心積もりはしていて欲しい」
硬直していた心が、少し解きほぐされた気持ちがした。と、同時に少し恥ずかしくなる。
ノランは窓から目を離すと、私を見つめた。
「正直に言うが、ダール伯爵家は財政難だ。余裕が無い。端的に表現すれば、カネがない」
またしても目が点になった。王子様なのに、伯爵様なのに、金がない……?
私は改めて今乗る馬車を眺めた。
ーー確かに、かなり質素な馬車だ。テーディ子爵家の馬車の方が、大きいし立派だ。
自分が座る座席をそっと撫でた。座席は布張りだった。
革でもなく、お針子による豪奢な刺繍が所狭しと施された布張りでもなく、単なる地味な布張り。
座面は座り直してみれば、かなり凹んだ年季の入ったものだった。
私の無言から思考回路を的確に読み取ったらしく、ノランは説明を加えた。
「この馬車は中古だ。私の乳母から破格で買い取った」
乳母からーーーー!?
「どうも私たちはお互いについて、あまりに断片的な情報しか持ち合わせていないようだ。だが、これだけは認識しておいてくれ。貴方が、玉の輿に乗ったと思っていたとしたなら、それは大間違いだ」
玉の輿に乗ったとは思っていなかった。ただ、裏があるとは確信していた。
ノランはその秀麗な顔を私に向けて、簡潔に宣言した。
「繰り返すが、うちはカネがない」