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殿下、汚名返上をはかる

 煌びやかな王宮を再び後にして、王都の街並みを馬車で走る。

 通りを買い物中らしき女性たちが歩き、商品が陳列された店頭で男性が客引きの声を上げている。その目の前を犬が走り去り、その少し後を少年が駆けていく。

 王都はいつもと変わらぬ活気の中にあった。

 何一つ表面上の光景は変わらないのに、目に映る景色は今までと違って新鮮に感じる。私は新たな一歩を踏み出した気持ちでいっぱいだった。

 馬車が動き出すとノランは窓の外を流れ行く王都の街並みに目をやりながら、簡潔な一言をそっと漏らした。

 終わった、と。

 ノランは第五王子が殺されてから、たった一人で抱えて来た十字架を、ついに下ろすことが出来たのだろう。




 王都から田舎のダール島までは馬車で向かえばほぼ丸一日かかる。

 王宮を昼過ぎに発った私たちは、必然的に途中の街で夜を過ごすことになった。

 ノランは前回王都へ向かう途中で宿泊した際の、汚名返上だとでも考えたのか、迷わず高級な宿を選んだ。

 大理石の敷かれたロビーを通り、部屋に入るとそこは王宮の一室かと見紛うほどに、豪華な内装をしていた。部屋の真ん中が愛らしいアーチを描く天井と柱で区切られ、奥には綺麗なバルコニーもついていた。

 以前泊まった宿との余りの落差に唖然とする。

 部屋の真ん中に立ちつくして、私はノランを振り返った。彼は部屋の奥にある植物模様の分厚いカーテンを閉め、早々ソファに腰を落ろして寛ぎ始めている。


「ノラン様、こんな立派な……高そうなお部屋を取って大丈夫ですか?」


 ノランは座ったまま外套を脱ぎ、近くで荷物を降ろしていたリカルドに放った。リカルドが素晴らしい運動能力でそれをキャッチする。


「心配ない。それほど高くはない」


 いや、高いでしょ、と心の中で切り返す。

 我が家の財政破綻を心配しながらも、円柱に花が絡む模様が彫られた美しい手すりに惹かれ、バルコニーに出た。

 バルコニーは街の広場に面しており、眼下の広場にはいくつかの屋台が出ていて、白い布の屋根が並んでいる。手すりに寄りかかると、店先に並べられた色とりどりの野菜や果物が見えた。

 広場の片隅にある噴水のそばでは、楽器を手にした数人の男性が曲を奏でていて、その周りで子どもたちが踊っている。楽しげな雰囲気に満ち、賑やかだ。


「なかなか良い眺めだ」


 後ろから声がしたので振り返ると、ノランがバルコニーに出てくるところだった。ノランは私の隣に立ち、手すりに片手をかけながら水色の瞳を広場の人々に向けた。

 屋台のおこぼれ目当てか、噴水の近くに鳩がたくさんたむろしていた。その群れのど真ん中に切り込むように、一人の男の子が猛烈な笑顔で走り込み、群れを散らす。羽ばたいた鳩の集まりは一旦解けた後、すぐに又群れになり、そこ目掛けて再び男の子が突進する。

 その様子を二人で眺めていると、ノランが何気なく思い出を語った。


「私も幼い頃、あれを良くやったな」


 それはとても意外な事実だった。思わず隣に立つノランの顔を見つめる。鳩を追う小さなノランを想像すると、口元が綻ぶ。きっと天使のような容姿の子どもだったに違いない。

 広場で鳩たちに果敢に挑み続けている少年に視線を戻す。噴水のそばの鳩たちは、何度男の子に群れを乱されようとも、数秒後には性懲りも無く、また集まってトコトコと歩いていた。ーーふと自分の子ども時代を思い出した。


「……私は小さい頃に庭で、たまに鳩が歩く真似をしていました。鳩の歩き方が可笑しくて」

「歩く真似を?」

「はい。鳩って首と足が同時に出るんですよ。これが結構真似すると難しいんです」

「……ちょっとそこでやってみてくれ」

「嫌ですよ! 恥ずかしい……」

「なぜだ。ぜひ披露してくれ」

「絶対に笑うから、嫌ですって!」

「そんなに出し惜しみされると、尚更見たくなるだろう」


 少し(おど)けてそう言い募るノランに対して、私は断固拒否だ、とバルコニーの手すりに縋り付く。

 子どもじゃあるまいし、見せられたものじゃない、と首を左右に振ると、ノランは喉をくつくつと鳴らして笑ってから言った。


「貴方はからかうと可愛いな」


 怒るべきか喜ぶべきなのか分からない。……いや、やっぱり嬉しい……。

 ノランは時折私をからかうが、可愛いと思ってくれるなら、からかわれるのも良いかもしれない……。

 私が少し複雑な顔でノランを見上げていると、彼はまた真面目な表情に戻った。そうして意外なことを言った。


「実は私も昔、鳩が歩く真似をしたことがある」

「本当ですか!?」


 ノランがそんな次元の低い遊びをしていたなんて、想像できない。つい率直な感想を漏らしてしまう。


「王子様がそんなことをしていたなんて、驚きです」


 するとノランは呆れたように言った。


「貴方は王子に夢を見過ぎだと思うぞ」

「そうでしょうか……」


 ノランを見ていると、彼は両腕を広げた。そうして、そのまま私を後ろから抱きしめた。私の前に回った彼の手は、手すりの上の私の手の上に重なる。

 ノランの顔が私の顔のすぐ後ろにあり、こめかみに彼の吐息すら感じられそうだ。


「リーズ。……今日これからは、貴方に苦労をかけないと誓う」


ノランの手が私の手を包むように握り、私の親指と人差し指の間に彼の親指が入りこむ。私はノランの親指をそっと握り返した。

 手と手が触れ合い、心臓がひと際鼓動を激しくし、顔が熱くなる。私は消え入りそうな勇気を総動員して、後ろにいるノランに答えた。


「私はノラン様の妻ですから、苦労をかけられても大丈夫です」

「……本当に?」

「ええと……ちょっとだけ、なら」


 ちょっとだけなのか、とノランが笑う。振り返ると至近距離にあったノランの瞳が夕暮れの中、やけに色っぽく感じられて、焦って視線を逸らしそうになってしまう自分がいる。それでもノランと見つめ合っていたくて、自分を頑張って踏みとどまらせる。

 やがてノランは表情を緩めると、そっと私の頰にキスをして、顔を離した。

 私はノランの腕の中で、悪戯っぽく尋ねてみた。


「……私もノラン様の鳩の真似が見たいです。是非ご披露を」


 一瞬の間の後、ノランは珍しく豪快に笑った。


「堂々と反撃をするようになったな」


 ノランは手すりから手を退けて離れると、私の手を取った。


「夕食に行こうか。ーー奥様は食堂とレストランのどちらをご希望かな?」


 食堂です、と即答するとノランは幾分苦笑した。



 王都の食堂を制覇した実績の持ち主を自認するマルコが、直感と閃きで選んだ食堂は、規模が大きいながらも清潔で、既に数多の客で賑わっていた。

 私たちは珍しく四人で一つのテーブルを囲み、食事を注文した。幾つかの料理と皆の飲み物が運ばれてくる頃、たまたま遠くの席から声が上がった。


「イーサン次期国王陛下に、乾杯!」


 私たち四人は一様に動きを止めて驚いた。

 朗らかなその声のする方向を振り返れば、一人の男性が起立し、片手に持つグラスを高く掲げている。その男性の嬉々とした瞳を向けられた人々は、次々に席から立ち上がり、「乾杯!」と賛同の意を示す。

 食堂の中は乾杯の嵐に溢れ、笑顔が広がっていく。

 その様子を眺めながらノランが呟いた。


「皆情報が早いな」


 第一王子は王都騎兵隊長として、民衆から親しまれている王子だった。彼が次の国王として選ばれたことを、皆純粋に喜んでいるのが分かり、私としても嬉しい。

 ノランがカトラリーに手を伸ばし、野菜が山と盛り付けられた青々としたサラダを食べ始めた。それを合図に、私やリカルドも食事をしだす。

 マルコは嬉しそうにピーナッツの殻を割っている。硬そうな殻はマルコの一握りでこっぱ微塵になった。

 私は美味しい料理に舌鼓を打ちながら、気がかりだったことを聞いた。


「ノラン様。シェファン殿下はどうなるのでしょうか」


 本音を言えば、彼を少し気の毒に思った。彼は義父の謀略に巻き込まれただけなのだから。だがその質問に答えるノランの瞳は、意外にも冷たい光を帯びていた。


「私のように、王宮を出ていくかもしれないな」

「ーーそうなのですか……」

「第二兄上も勿論ドートレック侯爵の野望や、その娘の野心高い性格を熟知していたはずだ。その無作為の罪を私はお可哀想だとは思わない」


 リカルドもそれに相槌を打つ。


「己の妻も操縦できぬ男が、国を治められるはずなどありませんからね」


 だがノランはふと表情を曇らせた。


「寧ろ操縦できる男がいるなら紹介してくれ。是非方法を教示賜りたい」


 リカルドとマルコが体を揺らして笑うのを、複雑な気持ちで私は見つめるしかなかった。

 私はちょっと頬を膨らませて、フォークを下ろしグラスの中の琥珀色に輝く酒に視線を落とした。微細な泡が音もなく下から次々に浮上していく。

 もしかしたら一番狡猾だったのは、第二王子なのかもしれない。

 不意に現れては消えていくその泡のように、一つの疑問が私の中に生まれた。


「ノラン様は、王位を望まれたことはないのですか?」


 顔を上げると、ノランは意外にも破顔一笑した。


「貴方は本当に、私が予想もしないことを言う。いや、言うだけじゃない。する」

「そうでしょうか……?」

「さては私を翻弄しようとしているんだな」

「そ、そんなつもりはありません……!」


 私とノランを見ていたリカルドが、くすりと笑った。


「奥様を屋敷にお迎えするまで、ノラン様は奥様が新調した図書室に引きこもられてしまったらどうしよう、とご心配されていたのですよ」

「リカルド。余計な話をするな……」


 リカルドはノランの文句を物ともせず、続けた。


「寧ろほとんど図書室にいらっしゃらなかったのでは?」

「……言われてみれば、その通りかもしれません!」


 折角作ってもらった図書室だと言うのに、振り返ればダール島に来て以来、あまり本を読んでいない。

 申し訳ない気になってノランの様子をチラリと窺うと、彼は少しだけ困ったような表情で私を見た。


「貴方は予想もしないことばかりする。夫としては、気になって仕方がない」


 ノランがそう言うと、なぜかマルコが顔を赤くさせ、彼にとっては小さな椅子の上で大きな身体をもじもじさせた。




 馬車は王都からの長い旅路をようやく終え、きらきらと輝く銀色の海に挟まれた、細い橋を渡っていく。

 私たちを乗せた馬車が、ようやくダール島へと戻ってきた。

 黄色や橙色に揺れる木々と、穏やかな湖が私たちを出迎える。

 やっと戻ってきた安心感に押されて車窓を開けると、頰をピリピリとさせる冷たい風が枝を揺らし、通り沿いに並ぶ木々から黄色い葉が降るように舞い落ちる。陽の光が差して、地面に積もる落ち葉たちが、金色に輝いている。


「ダール島に帰ってくると、ほっとするなぁ……」


 思わずそう呟いて振り返ると、ノランも頷いてくれた。


 屋敷に到着すると、私たちを心配してくれていたオリビアが駆け付けてくれた。珍しくオリビアの質問攻撃を浴びながら、私たちは屋敷の中に足を踏み入れた。

 その火事ですすけた廊下の壁紙を見るなり、マルコがぼやく。


「ああ、そうだった……。自分、火事のことすっかり忘れてたっす」


 思わず皆で笑ってしまった。これを忘れられていたマルコがちょっと羨ましい。

 私に笑われたことに気づいたマルコは、少し恥ずかしそうに言った。


「自分、脳みそも筋肉でできてるんすよ」


 いまやある意味それを否定できない自分がいた。




 オリビアの助けを借りて外套を脱ぎ、客間の椅子に腰を落ち着けると、長旅の疲れから私は座り込んでしまった。気力が抜けて、立てそうにない。空気が抜けた風船にでもなった気分だ。

 机上に乗せたままの状態にしてあった、母の形見の貝細工の箱が柔らかく輝き、私の顔を映している。

 その貴重品が入った箱に寄りかかるようにして溜め息をつくと、オリビアが言った。


「その箱、とても重たくてそこから移せなくて……。何が入っているんです?」

「お母様の形見だよ」


 オリビアは、神妙な顔つきで頷きながら、口元を押さえた。箱も高価そうですねえ、とオリビアが呟いたので、思わず自分の重たい身体を箱から浮かせる。箱を壊したら勿体無い。


「でも半分はレティシアにあげようと思ってる。元々はお母様のものだから」


 きっとレティシアも欲しがるだろう。あの子は多分、母親の顔すら覚えていない。

 するとノランが私の顔をジッと見つめてきた。もしや妹にもあげるの、などといちいち宣言するあたりが、ケチくさいと思われただろうか……!?

 ビクビクしていると、彼は感慨深げに言った。


「意地悪そうな義兄の嫌がらせも、貴方の心を歪ませられなかったんだな」


 それは意外なことを言われた。私は悪戯っぽく笑った。


「私、そんなに立派な人間じゃないですよ。義兄のことは子供の頃から、『歩くボール』って呼んでいましたから」


 側に立って私を見下ろしていたノランは、噴き出した。部屋の入口にいたマルコとリカルドも目を合わせてから笑っていた。私は勝ち誇ったように言った。


「笑ったということは、皆さん同罪ですよ!」

「……ちなみに、テーディ子爵夫人のことは何と?」

「『歩く香水』」

「ワンパターンだな」

「良いの! 夫婦だから、セットで」


 ふと箱の中の宝飾品たちについて考えた。きっと売ればかなりの額になるだろう。

 私は笑いを収めると真面目な顔で言った。


「私の分の宝石は売りますね。……生活費の足しにできるかも知れません」

「その心配はもう必要ないだろう」


 えっ、と私が視線を上げてノランを見ると、彼も軽く驚いたように片眉をひょいと上げた。


「王宮で父上の話を聞いていなかったのか? 私は公爵領に封じられることになった」


 公爵領?

 ノランが公爵になる?

 そんな話、全然聞いていなかった。色々あり過ぎて。今聞いても、まったく実感がわかない。確かに国王はノランの貧乏暮らしに散々苦言を呈していたけれど。


「シュヴァン公爵領だ。元々貴方と結婚する前まで、所有していた所だが」

「……元に戻してもらえたんですね」


 ノランがダール伯爵兼シュヴァン公爵に……? 私の夫が、公爵?


「旦那様は公爵様におなりになるのですね。なんとおめでたいことでしょう」


 オリビアが膨よかな胸に両手を当て、感極まった口調で言った。

 ノランが公爵様になってくれるのは嬉しい。

 けれどそれはつまり、ここダール島を出て行かなくてはいけない、ということだろうか。

 私は不安に思ってノランに尋ねた。


「それでは、ここを引っ越すの?」

「公爵領とここを行き来しよう。私もここが好きだ。……だが、そうだな。ここは焼けてこの有様だ。修築のためにしばらくは公爵領に引っ越しても良いかもしれない……オリビアも来てくれるか? 給料は倍にしても良い」

「お給金にかかわらず、どこへなりとついて参りますわ!」

「本当か。倍は早まったな……」


 客間は笑いに包まれた。

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