殿下の総整理
翌朝、王宮へ出勤してきたドートレック侯爵は、一夜にして自分を取り巻く情勢が変わったことを認識した。馬車を降りるや否や、近衛兵に囲まれたらしい。
私はノランとともに謁見の間に呼ばれた。
その場には第一王子夫妻と第二王子夫妻、それに近衛兵が何人かいた。さらには、なぜこの面子の中に自分がいるのか解せない、といった戸惑い顔の軍務大臣もいた。
私たちを呼び集めた国王は、謁見の間の奥にある木製の玉座に座っていた。
まだ顔色が少し悪く、頰が痩せたように見えるが、目には強い光があり、力強い意思を感じさせた。
国王の隣には王妃もいた。
国王が両手を打ち鳴らすと、近衛兵の一人が頭を下げ、機敏な動作で入り口に向かい、扉を開ける。
全開にされた扉の先には、近衛兵たちに脇を固められた一人の男がいた。ロージーの父親である、ドートレック侯爵だ。
「ドートレック侯爵。こちらへ来なさい」
国王がそう命じる。ドートレック侯爵は近衛兵に促されながら、謁見の間の中ほどまで一人で進んだ。青ざめた顔でその場に膝をつく。その肩は後ろから見ると小刻みに震えていた。
国王は良く響く声で口を開いた。
「ドートレック侯に軍務大臣。お前たちはなぜここへ呼ばれたか分かっておるか?」
話し掛けられた二人は顔を見合わせ、口をパクパクと無意味に開閉した。予想外の展開に、返事が思いつかないらしい。国王は返事を待たなかった。
「ドートレック侯。一昨日の夜、第四王子の屋敷に何者かが浸入した。その件に関して、申し開くことはないか?」
「殿下……、ダール伯爵にはお気の毒です。ですが陛下、何故に私が……」
「ダール島にお前の家の者が複数入り込んでいた。これはなぜだ?うち一人は、お前に命じられたと告白した」
ドートレック侯爵の顔色が目に見えて変わる。
彼は一瞬頰を引きつらせ、すぐにあやふやな笑みを浮かべ、急に真面目な顔になったかと思うと、掠れた声で言った。
何かの間違いです、と。
国王は動じず、今度は軍務大臣を見た。
「軍務大臣。そなたはいつもリョルカ王国への派兵に積極的だった。シェファンを次期国王に、と推したのは戦争を続けるためであったか?」
軍務大臣は眉をワザとらしく高く上げた。
「何を仰いますか」
「そなたの親族は国内で一、二を争う武器商でもあったな。戦争は続けるほどにそなたらの利になったか」
それは違う、自分は国のために戦争をしているのだ、と主張する軍務大臣の前に、ノランが進みでる。彼は軍務大臣に向かって口を開いた。
「それともドートレック侯爵から、出世でも約束されたのか?」
ノランが疑問をぶつけると、軍務大臣はその藪のような太い眉を寄せ、不愉快そうにノランを睨んだ。
「お立場をお忘れですか? 口が過ぎますよ! 勝手に近衛兵を動かしたそうではありませんか。一体何の権限があっての暴挙ですか?」
軍務大臣は王子であるノランに対してかなり失礼な態度をとったか、ノランは顔色ひとつ変えなかった。代わりに第一王子が口を開く。
「近衛と王都騎兵隊を動かしたのは私だ」
真面目な顔でそう言った後で、第一王子はガハハと笑った。
「もっとも、近衛に関しては私にも権限などないがな!」
軍務大臣は目を血走らせていた。
ノランは緊迫した会話にそぐわないほど優雅な足取りで、軍務大臣の目の前まで歩いてきた。そうして自分を睨み上げている軍務大臣に、柔らかな笑みを見せた。
「大臣、貴方が手を組んだ男は、じきに第五王子を殺した罪で裁かれますよ」
「なんだと?!」
軍務大臣は不可解そうに表情を曇らせた。動揺が入り混じった睨むような目つきで、隣に立つドートレック侯爵を見る。
どうやら軍務大臣は第五王子の件に関しては何も知らないのかもしれない。
ただ第二王子を支持する約束をしただけなのだろう。
ノランは今度はドートレック侯爵の前に立った。侯爵はギラつく大きな目でノランを睨み返していたが、その細い顎が小刻みに震えているのを私は見逃さなかった。
侯爵は動揺していた。
「ドートレック侯爵、貴方の失敗は私を殺し損ねたことだ。……貴方はアーロンを襲撃したことをジャンに勘付かれ、彼を殺した。ジャンの飲んでいた胸の薬を毒薬とすり替えたと貴方の愛人、シュゼット・リムリーが全て話しましたよ」
シュゼット・リムリー……ジャン・ドートレック財政大臣の屋敷にいたという、侍女の名前だ。
ドートレック侯爵は目を皿のように丸くした後で、幾度か瞬きをした。その後で顔を真っ赤にしてノランを睨み上げ、叫んだ。
「何を言う! そんなはずはない! 」
「シュゼットは貴方の愛人でしょう? ーーいや、愛人だった。貴方は彼女に多額の報酬を払って、手を切った。彼女はそう言っていた」
「でたらめを言うな!」
「なぜでたらめだと?……もしやシュゼットは始末済みでしたか?」
ぐっ、とドートレック侯爵は喉を詰まらせると、国王が重々しい調子で言った。
「ジャンの死と、第五王子の事件も含めて、お前のことは良く調べよう」
ノランは私の隣まで歩いて戻ると、ドートレック侯爵に毅然と言い放つ。
「ダール島の私の屋敷を襲わせたのも、貴方だ」
ドートレック侯爵は答えなかった。
感情が昂ぶった赤い顔を向けるだけのドートレック侯爵の正面に立つと、ノランは蔑みのこもった声で侯爵を非難した。
「私の動向を娘であるロージーを使って探ったのも貴方だ」
驚いて私が第二王子の隣に立つロージーを見ると、彼女はすぐに目をそらした。
国王は既にノランがダール島で掻き集めた事実を、粗方知っているようだった。
陛下、と哀れな声を上げるドートレック侯爵の訴えを無視し、国王は近衛兵を呼んだ。
間髪を容れずに四人の近衛兵が謁見の間の中ほどまでやって来る。彼らは敏捷な仕草で謁見の間の中央まで歩いて来ると、一切の躊躇なくドートレック侯爵と軍務大臣の両脇の下に手を入れ、立たせた。
それをわなわなと震えて見ていた軍務大臣は叫んだ。
「陛下! 私は、ノラン殿下やアーロン殿下に何かしようなど、思ったこともございません! ただ、ドートレック侯とシェファン殿下を支持する約束をして、腕に覚えのある手勢を少し貸しただけに過ぎません!」
ドートレック侯爵が、まるで犬のような唸り声を上げている。
それまで静かに見守っていたロージーが、喚きながら父親のドートレック侯爵に縋った。
「だめよ! 離しなさい無礼者!」
近衛兵の腕を叩きながら、ロージーは父親を連れて行かせまい、と追いかけた。当然ながら近衛兵たちはそれに動じることはなく、ドートレック侯爵を謁見の間から外へと連れ出して行った。
無情にも扉が閉まると、ロージーはネジが抜けたように崩れ落ち、床に両手をつく。
その側で静かに第二王子が赤いマントを外し、それを畳むと国王が座る玉座の前に膝をつき、首を垂れた。この時、彼は自分の未来を悟ったのだろう。
国王は第一王子を呼び、イーサン王子が国王の前に進み出て、膝をつく。
自分の前にやって来た第一王子の顔をじっと見つめてから、国王は口を開く。
「イーサン。お前を私の後継として指名する」
その場にいた誰もが、ハッとその瞬間息を飲んだ。
私は隣にいたノランの腕を無意識に握っていた。
「今後は私の仕事を少しずつ手伝い、要領を掴んでいくのだ」
国王が第一王子にそう伝えると、彼は頭を深々と下げ、国王に対する忠誠を表明した。
私はノランの隣に立ち尽くして動けなかった。なんだかロージーと第二王子の顔が怖くて、もう二人の方を見ることが出来ない。
とりわけドートレック侯爵が問われているのは、大逆罪だ。有罪となれば、まず助からない。
ーーシェファン王子は、自分の義理の父親の企みを知っていたのかな……?
ふとそんな疑問が頭をよぎる。
まさか彼自身は、兄弟たちを亡き者にしてまで、王位を狙っていたとは考えたくない。
次に国王が呼んだのは、私の夫の名だった。
ノランは私の腕をそっと払ってから前に進む。玉座の正面まで歩みを進めて、彼は膝をついた。
「ノラン。王宮へ戻りなさい。火事にあったダール島の伯爵邸はもう用済みだろう。ここでお前はイーサンの手伝いをするのた」
「陛下。私も妻もあの島が気に入っております。途中で放り出す気はありません」
ノラン、と呆れたように国王はこめかみを押さえた。
急に言い訳に使われた私は、国王の視線が居心地悪く感じられて、目を泳がせながら小さくなった。
そしてもじもじと自分の靴の先を見つめた。
紫色のガラスのビーズが細かく貼り付けられた、そのキラキラと光る華奢な靴の先に視線を落としながら、はたと気がついた。
ーー私も、もう用済みかも知れない。
ノランは弟の仇を取ったのだ。
この国の次期国王は、第一王子に決まった。
つまりわざわざノランが全てを捨てて、ダール島に引きこもる理由は消滅したのだ。私を妻にしておく必要などもう、ないじゃないか。
ダール邸だけでなく、どうか私も手放さないで欲しい。
でも彼の不名誉な妻にはなりたくない。
ノランの側にいたいけれど、私は彼とは釣り合っていない。国王とノランが続ける会話は全く頭に入って来なくなり、私は頭の中で、ぐるぐると堂々巡りの考えを繰り返していた。
「それでは、我々はもう失礼致します」
ノランに腕を取られて、私は我に返った。
顔を上げると国王が私と、私の腕を取り隣に立つノランを見下ろしていた。国王は諦めにも似た溜め息をついた。
「父上、母上。どうかお身体を大切になさって下さい。どこにいようと、いつもお二人のご健康をお祈り申し上げております」
ノランが頭を下げたので、私もぎこちなくそれに従う。
再び顔を上げると、ノランは私の背に手を回し、謁見の間の出口へ向かって行った。
不安に思ってノランを見上げると、彼はどこか吹っ切れたような、爽やかな表情をしていた。水色の瞳が澄んで輝き、見つめている私の目と合った。
ノランは滲むような美しい微笑みを見せてくれた。
廊下へ出ると尋ねないではいられなかった。
「……ノラン様。ダール島に帰ってしまって本当に良いの?」
「なぜいけない?」
「だって、貴方は王子様なのに……」
「私は貴方だけの王子様でいられれば、良い」
ノランはそう言うなり、私を抱き寄せた。
身体と身体が密着すると、ノランへの愛しさが溢れてきて、たまらず両腕で彼にしがみついた。
「ノラン様は今までも、これからもずっと私の素敵な王子様です」
ゴホン、と咳払いが聞こえると、すぐに近くにリカルドがいた。
「ノラン様」
「リカルド。私も寒いセリフが吐けるようになっただろう?」
「ええ。本当に」
二人の会話が恥ずかしく、ノランの腕の中から出ようともがくと、更にきつく抱き締められた。
「リーズ。心からこう思う。貴方が私の妻で、本当に良かった」
私とノランは王宮の建物の側面を通る回廊で、馬車が回されるのを待っていた。
我が家の馬車の仕度が整い、乗り込もうとした矢先、第一王子がやって来た。
私たちは走ってくる第一王子を、馬車の扉の前で横に並んで待った。
「本当にもう行くのか? もっと王宮にいてくれる方が色々と助かるんだが」
「兄上。お願いがあります」
第一王子は瞳をパチパチと瞬いた。
「なんだ? お前の願いなら、聞かない訳には行かなそうだな」
「このティーガロの王として即位した暁には、現状の王位継承制度を廃止し、長子相続を導入願います」
ノランの物言いは特に感情のこもらないものであったが、第一王子は目を丸く見開いき、驚きを隠せないようだった。
予想もしていなかったのだろう。
言葉を返さないでいる第一王子に対し、ノランは畳み掛けた。
「私は、両親を心の底からは信頼出来ませんでした。兄弟なのに腹を探り合い、本音を明かさず、表層だけの付き合いしかしていない。裏表なく付き合えるのは、アーロンだけでした。そんなのは、もう終わりにしたいのてす」
第一王子は少し眉根を寄せ、眦を下げてノランの話に耳を傾けていた。いつもは覇気ある豪快な雰囲気は今はなく、寧ろどこか物悲しそうに見えた。
ノランが言葉を区切ると第一王子は、掠れた声で弟の名を呼んだ。
ノランは続けた。
「白状すれば、私は兄の中で最も親しみを抱いている貴方ですら、心の底からは信用していないのです。そしてそれが、悲しい」
第一王子はゆっくりと息を吸い込むと、同じだけの時間をかけて口から吐き出した。
「ああ。これほど悲しいことはないな。分かった。ーー次期国王の名にかけて、約束しよう。継承制度を私の代で変更しよう」
「ありがとうございます」
ノランと第一王子は互いの腕を回して、固く抱き合った。
そのままそれぞれの肩を力強く叩くと、やがて体を離した。
次に彼らが互いの目を見つめ合った時、今まで以上の信頼をもって相手を見ている気がした。
「元気でな」
「兄上も」
第一王子は私の方に身体を向け、人懐こい笑みを浮かべると、私の手を取り、その筋骨隆々とした肢体を折って小さくして、甲に口付けた。
「リーズ。貴方には感謝してもしきれない。また是非遊びに来てくれ」




