殿下の逆襲
屋敷に回っていた火の消火が終わると、今度は他の侵入者がいないか、島中の捜索が行われた。
昨晩、夜の闇に紛れて南の浜辺につけられていたボートは、見張り番と思しき男と引っ括めて回収済みであった為、逃げた侵入者たちが島から出る方法はほとんど残されていないのだ。
捜索はノランの叔父が貸してくれた手勢とノランたちが主体となっていたが、一部の有志の島民たちも参加してくれた。
レティシアの家出騒ぎで効率的な捜索方法をある程度編み出していた島民たちの仕事は早かった。
山狩りが行われている間、私は騒ぎを聞いてーーというより鐘の音を聞いて驚いて駆けつけたオリビアと一緒に、消火活動で水浸しになった屋敷の片付けをしていた。ノランは万一に備えマルコを屋敷に残しておいてくれていて、怪力の彼は驚異の速さで屋敷を綺麗にしていった。
ゴミを全て外に出し、屋敷内の水溜りを粗方処理し終えふと窓に映る自分を見ると、なんとも無様だった。
まとめてあった髪はボサボサに広がり、服は泥とススだらけ。いつの間についたのか、顔にも黒い線状の汚れが縦横に走っていた。
「私たち、ちょっと酷いね」
あまりに哀れな姿に唖然としながらオリビアを見ると、オリビアも悲しげに頷いた。
二人で窓ガラスに映る自分たちをしばし無言で見てから、私は天を仰いだ。
「ここを補修するお金、この家にあるのかな……」
たぶん、ないんじゃなかろうか。
マルコは自分の手と手を繋いで、なぜか小さくなって俯いている。
その隣でオリビアが珍しく暗い声で呟く。
「一体、誰がこんなことを……」
夜中に現れた襲撃者たちの姿を思い出す。一歩間違えれば、私たちは皆、殺されていた。リカルドはドートレック侯爵の愛人であるシュゼット・リムリーという女性を捜しまわっていた。彼女が財政大臣の死について、何か知っているかも知れないからだ。
だとすればリカルドの行動を嗅ぎつけた者のーードートレック侯爵の仕業に違いない。
まずはロージーの父親をとっ捕まえて、賠償金をふんだくりでもしない限り、私の怒りも収まりそうにない。
「居間の床と壁紙は、全て貼り替えないといけませんね」
オリビアが溜め息まじりに言う。
二階へ火は回らなかったし、一階も所々燃えただけであったが、居間の被害は酷かった。壁紙も炎で変色し、カーテンも下半分が焼失していた。カーテンから天井に火が移っていたら、恐らくこの程度の火事では済まなかっただろう。
ーー悔しい。なんでこんな目に合わなきゃいけないの。なんでこんなことされなきゃいけないの。
ノランは踏んだり蹴ったりじゃないか。彼が何をしたというのだ。屋敷の火は消えたが、かわりに私の中の怒りの炎はめらめらと燃えていた。
「もう日が昇りますね」
何気ないオリビアの言葉に窓の外を見やれば、確かに遠くの空が白み始めていた。
間も無く干潮の時刻だ。
この島には干潮時に島と陸が繋がる道が、もう一つできるはずだった。これは島の門が閉じてボートを失っても、襲撃者たちが島から脱出する今唯一の手段だ。
ノランはおそらく、今浜辺で敵を待ち伏せている。
不安になった私は、念のためマルコを連れて海岸線を見に行くことにした。
海岸沿いは岩場になっており、そこを避けるようにして背丈よりも高く茂る薮を掻き分け、私とマルコは海へと近づいて行った。もう少しで砂浜に降りられる、という矢先にマルコが急に立ち止まり、手の平を見せて私を制止した。
「マルコ?」
「しっ! 聞こえます」
自分の口元に人差し指を当てながら、目を宙にやるマルコ。釣られて私も耳をそばだてるが、風に揺れる藪のサラサラとした葉音しか聞こえない。
マルコは岩陰にその大きな身を潜ませるみたいに、屈んだ。
しばらくの間一緒にそうしていると、遠くから微かに蹄の音が聞こえた。息を呑みながら視線を走らせる。
やがて二人の騎乗した男たちが、岩場を勇ましく駆け下りて来た。
その衝撃で岩場を無数の小さな石が転がり落ちていく。
顔に黒い布を巻き、腰に帯剣した男たちは、ダール島の住民とは到底思えない。私は岩陰に張り付き、二人を凝視した。侵入手段はボートだけではなかったようだ。
男たちは浜辺に降り立つと、馬首を海の方へ向けて、砂浜を練り歩いた。陸へと繋がる道を探しているのだろう。
穏やかに明るくなりつつある空の下、浜辺から薄っすらと一本の土砂が堆積した道が見えていた。その道は途中ところどころまだ海面より下になっていたが、間違いなく本土へと繋がっており、馬であれば既に渡れそうな状況であった。
男たちが手綱を握り直し、馬の脇腹を蹴ったその時、砂浜をゆっくりと歩いてくる人影があることに気がついた。
まるで早朝の海を散歩でもしているような、悠然とした足取りで男たちに近づいていくのは、ノランその人だった。その少し後を、リカルドが歩く。
はっ、とマルコが身体を硬直させたのが分かる。
馬上の二人の男たちはほぼ同時にノランの存在に気付き、馬の向きを変えて警戒態勢を取る。
ノランは男たちと十歩ほどの距離までやって来ると、立ち止まった。その腕に長い縄状の物を掛けている。
「私の領地に無断で浸入したのは誰だ? 挨拶くらいしていけ」
男たちは剣を抜刀した。
間髪を容れずにマルコが飛び出ていく。その動きに気がついた男たちはこちらを振り返り、その隙にノランが手にしていた縄を彼ら目掛けて放った。
先に鉄鋼の重りが付けられた縄は、前の方にいた男の馬の脚に絡まり、驚いた馬が大きく前脚を上げた。そのまま脚をバタつかせ、ゴロリと転倒する。
馬に跨っていた男は、背から滑り落ち、倒れた馬の下敷きになった。
馬は後方にいたもう一頭をも巻き込み、残る男も予期できぬ馬の動きについていけず、落馬した。
馬の下敷きになった男は立てない様子だったが、もう一人の男は俊敏に立ち上がると、身を翻し海に向かって走り出した。
それをノランとマルコが追う。
リカルドは馬の下から動けない男を、乱雑に引きずり出した。私はそこへ合流した。
いまだ浜辺に横たわって呻く男の足を、ノランが放り出した綱で急いで縛り上げる。変な方向に曲がった男の足を縛るのはかなり抵抗があったが、咎める良心を無視し、彼を取り逃さないようにした。
ノランとマルコは逃げる男と共に、浜辺にあらわれた細い道から転落した。三人はずぶ濡れになり、団子になりながらも互いを殴り合っている。
二人から離れようとした男をマルコが掴み、押し倒す。水飛沫を上げて水中に倒れた男に、ノランが飛びかかる。男が水中から顔を出したとき、既にノランの腕ががっちりと男の首回りに回っていた。
こうして私たちは、自然が作り出した逃げ道からも誰一人逃さずに捉えることができた。
ノランは男たちを島の自警団の事務所へと連行していった。
ノランが島の中心地に出掛けてしまうと、私とオリビアは彼の帰宅を、半分使い物にならなくなった屋敷で待った。
日が沈み屋敷の中も寒くなってきたが、私たちはなんとなく暖炉に火をいれるのが怖かった。どうにか厚着をして凌いでいると、ノランとリカルドが帰宅した。
ノランは玄関で出迎えた私の額にキスをすると、目を丸くしてなぜか私の手を取った。
「身体が冷え切っている。ずっと外に?」
「中にいたけど、私たち暖炉の火がなんだか怖くて」
「……肺炎にでもなったら、元も子もない」
肺炎。
かつて第五王子の墓前に一晩立ち尽くして、肺炎になった王子がそう言うと、かなりの説得力があった。
ノランの指示により暖炉に火がくべられ、私たちは台所横のテーブルで夕食をとった。もう皆が疲れていて、少しの距離でも配膳をするのが億劫だったのだ。
ようやく指先に体温が戻り始めたのを実感しながら、私は温かいスープを飲んだ。
向かいに座るノランも珍しくテーブルに肘をついてパンを食べていた。よほど疲れたのだろう。
「山狩りの方はどうでした?」
「不審者二名を捕らえたよ。うちや海で捕らえた男たちと一緒に、島の自警団の事務所に拘束している」
「彼らはどうしてうちを襲ったのか、話したんですか?」
「うちで暴れたのは、単なる雑魚だ。金で動いただけで多くを知らない。だが屋敷外で捕らえた四名については、叩けば色々出てくるだろう。とりあえずここで出来ることは限界がある。彼らは明日、王宮に連れて行く。以後は近衛に捜査を委ねるつもりだ」
王子を襲ったのだ。近衛が動くべき案件なのだろう。
黒幕もあぶり出せるだろうか。
今度こそ、背後にいる巨悪の侯爵まで辿れるといい。
無意識のうちに眉間に皺を寄せていたと気づき、茶を飲みながら自分を落ち着かせる。カップをソーサーに戻して顔を上げると、ノランと目が合った。
彼は少し弱気な表情を浮かべていた。
「ここに一人では置いていけない。明日は一緒に王宮に行ってくれ。……貴方には、苦労をかける」
あやふやに笑いながら私は首を左右に振る。
「私、掃除慣れしてますから。ご心配なく」
だがノランは真っ直ぐに私を見つめたまま、低く硬い声で言った。
「……片付けのことではない。昨夜は、貴方は殺されかけた」
途端に自分の顔も硬くなるのが分かった。
声が震えないようにするのが、精一杯だ。
「私も、強かったでしょう……? 少しは役に立てたでしょう?」
「ーー貴方がいてくれて、本当に良かった」
明かりを消して寝具にくるまると、微かに身体が震えた。
私はぼんやりと壁の一点を見て考えた。寒いわけじゃない。今しも誰かが部屋に乱入してくるような気がして、落ち着かないのだ。
怖かった。昨夜の出来事は、本当に怖かったのだ。
衣擦れの音がして、後ろからノランの手が伸ばされ、彼に引き寄せられた。ノランの体温が背中に伝わる。
肩越しに私の前まで回されたノランの手が、わたしの手を包み込むように触れる。そうしていると外の寒さが嘘のように身体が熱くなり、怯えてカチカチになっていた心が、頼りなく浮遊する。
私たちは言葉もなく、ただそうして身体を寄せ合っていた。
翌朝、私たちは大所帯でダール島を出た。
自警団の手を借りて、王宮へ向かうために私たちは三台の馬車に分かれた。捕らえた者たちは、共謀させないよう、なるべく別々の馬車に乗せて運んでいた。
王都に向かう真っ直ぐな街道を進んでいると、途中でこちらへ走ってくる大軍と遭遇した。
騎馬たちを率いているのは、なんと第一王子だった。
彼は王都騎兵隊長の軍服に身を包み、王都から近衛兵たちと自分の部下の王都騎兵隊員たちの一部を連れてきていた。
ノランの叔父が王都まで走り、伝えてくれたのだろう。私たちはそこまで一緒に来てくれたダール島の自警団とは別れて、以後は近衛兵たちと王宮へ向かった。
私たちが王宮に到着したのは夜であったが、たくさんの人々に出迎えられた。皆、ノランの屋敷が襲われたという話を既に知っていて、一目でもノランの無事を確認したいと集まったようだった。
馬車を下りて建物に入ると、すぐに王妃がノランに駆け寄って来た。
「何があったのです!?」
ノランの目の前に立つ王妃の口元が、微かに震えている。また息子を失うかもしれない、という恐怖が彼女の蒼白な顔から見てとれる。
だがノランは王妃の頰に軽くキスをすると、急に私の手を握った。
「母上を頼む」
咄嗟にはい、と返事をしてしまった。
ダール島から私たちが連行してきた男たちは、近衛兵によって馬車から降ろされ、乱暴に王宮の奥へと引っ張られて行く。ノランはその後を追うように、近衛兵の一人と何やら話し込みながらどこかへ行ってしまった。
その場に残された私は、ノランを心配する王妃の相手をしなければならなかった。




