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殿下の失言

 第二王子が国王代理となったことは、すぐに国中に知らされた。

 王宮内に与えられていた部屋に戻るなり、ノランは簡潔に言葉を発した。


「帰ろう」

「えっ? ノラン様、いまなんて?」


 私は部屋の真ん中で立ったまま聞き返す。

 ノランは着ていた暗い色の上着を脱ぎ、ソファの上に放り投げた。そんな上等そうな上着を乱雑に扱わないでほしい。心臓に悪い。

 私のケチくさい胸の痛みをよそに、ノランはサラリと答えた。


「もうここでやることはない。ダール島に帰ろう」

「でも……良いんですか?」

「私たちはやるべきことをやろう」


 ノランはそう言ってから投げやりに笑った。


「それに第二兄上が我が物顔で真紅のマントを着けている姿を、これ以上見たくない」


 第二王子は玉座の間ですぐに高官たちを集め、国王代理として求められるまま、細々とした指示を出していた。

 つい先日までは国王が座っていたはずの席に、今や第二王子が座り、役人から上がる説明を聞き、そして質問をするのだ。

 迷いない手つきで国王の印章を取り、書類に押していくのだろう。そのすぐ近くには、この世の春、といった表情のドートレック侯爵が付き従う。

 ノランはそんなところを、見たくはないはずだ。


 第四王子であるノランにここでやることがもうないなら、元子爵家の居候娘である私には、もっとない。

 私たちはいそいそと帰る支度をし、別れの挨拶をしに再び国王の元を訪れた。

 国王の高熱は下がり始め、快復の兆しが見え始めていた。

 その寝台脇には白く優美な椅子が置かれ、そこに王妃が座っている。その姿はなんとなく、飾られた作り物の人形のような佇まいだった。

 国王は上体を半分起こした状態で、まだかなり怠そうな目つきをしてはいたが、確かな口調でノランに声を掛けてくれた。


「お前にも心配をかけたな」

「快方に向かわれて安堵いたしました」

「まさかもうダール島に帰るのか?」

「はい。家畜の世話もしなければなりませんし」


 まずいよノラン様、と私は瞬時に表情を引き締めた。国王の機嫌が急下降するのを敏感に悟る。

 案の定、国王は気色ばんで言った。


「私の息子ともあろう者が、家畜の世話とはなんだ!……まったく一時はセベスタの王女との縁談も出ていたというのに」


 遠回しに私との結婚を非難された気がした。

 ノランとセベスタ王女の縁談がまとまらなかったのは、私が割り込んだせいだからだ。

 今この場で、物凄く立場がない。空気になりたい。

 すると私のいたたまれない心境を察したのか、王妃が国王を諌めるように言った。


「陛下。人の心とは、そう都合良く操れるものではありませんわ。地位も立場も超えて、それでもこの人しかいない、と恋焦がれてしまうのが愛で……その方向も熱さも、どうしようもないものですわ」


 珍しく熱弁する王妃の言葉は、妙に説得力がある真剣なものだった。

 思わず財政大臣と第五王子の話を思い出してしまう。

 この人形のような王妃も、かつてはその燃えるような愛に身を焦がし、一線を超えてしまったのだろうか。

 ノランの様子をそっとうかがうと、彼は穿つよう熱心な眼差しで王妃を見ていた。

 一方の国王は、ただ呆れたようにフン、と鼻を鳴らした。


「お前はこの話になるとやたらにノランの肩を持つな」

「父上。まだ本調子ではないのですから、どうかあまり感情的にならないで下さい」


 国王は眉をグッとひそめたが、短く溜め息をつくと、再びノランの名を呼んだ。


「ダール島は小さいし、ここから遠い。お前がそのように、王子の品位を保てる暮らしをできぬのなら、他の領地をお前に与えることを検討しよう」


 ノランは国王の正面に立ち、寝台に腰掛ける国王を見据えた。

 

「父上のお気持ちは嬉しいですが、その必要はありません。……私は弟を守れなかったのです」

「まだそんなことを……!」


 国王は眉根を寄せて、首を左右に振りながらノランを宥めた。もしその場に他の王子が例え居合わせたとしても、皆同じことしかできなかったに違いない、と。

 王妃の様子をちらりと窺うと、彼女は俯き、目を伏せていた。その白い顔が、更に浮き立つほど白んでいる。最早蝋のような白さだ。

 ノランは私の手を取ると、何食わぬ顔で国王に言った。


「そろそろお暇いたします」

「分かった、分かった。……また、近いうちに顔を見せてくれ」

「はい。必ず、近いうちに」


 そう言ったノランの返答には力が込められていた。


 国王の寝室を出ると、後から私たちを追いかけてきた王妃が、廊下で声を掛けてきた。


「いつも早いのね。ノラン」


 王妃はまだ疲労が刻まれたやつれた瞳で、ノランを見上げた。疲れていてもなお、彼女の美は損なわれていなかった。

 ノランと王妃は廊下で向かい合った。


「先ほどは私とリーズの味方になって下さり、助かりました」

「ええ。良いのよ。私の息子だもの。……お前は、愛する人と幸せになってね」


 ーーお前は?


 思わずそのセリフにどきりとしてしまう。

 王妃はしばし遠い目をして宙を見つめ、その後で口を開いた。


「でもノラン、陛下の仰る通りよ。ダール島は管理人にまかせて、貴方たちは王宮に住むという手もあるではないの」

「王宮にはいられません」


 そこまで言うと、ノランは不意に言葉を切った。

 彼は一度口を閉じると下を向き、両目を閉じてから長い息を吐いた。

 そして再びゆっくりと水色の瞳を開くと、真っ直ぐに王妃をその力強い双眸で捉えた。

 彼は両手の拳を握り締めながら、再び口を開いた。


「ここは、アーロンの思い出があり過ぎるのです。それに今でも、夜空と私を映す見上げたアーロンの瞳が、私を見ているのです」


 その光景を思い出したのか、ノランは苦痛に表情を歪めた。彼の肩が微かに震えているような気がして、私は彼の腕にそっと触れた。

 彼は苦しんでいた。

 弟を必要以上に急がせ、死なせてしまった事に。

 目の前で死に行く弟を、見つめるしか取りうる手段がなかった、あの時の無力さに。


「あの夜のアーロンの目が、忘れられません。父の目の色にそっくりな、あの目が」

「ノラン……」


 辛そうな表情を浮かべていた王妃は、ややあってから急にハッと目を見開いた。


「アーロンの目は茶色だったわ」

「……ええ。そうでした」


 陛下の瞳はノランと同じ、水色だ。不思議に思って二人の会話を聞いていると、ノランが確認するように呟く。


「間違えました。父上とは、同じ色ではなかった」


 わざとだ、と直感した。

 本当は第五王子の目の色を間違えるはずなどないのに、ノランは王妃を引っ掛けるためにこんな話をしている。

 ノランは一見ただ事実をさらりと述べただけだったが、王妃は顔を強張らせていた。

 磁器製の人形を彷彿とさせる白い顔が、更に色をなくしている。けれど王妃はそれ以上何も言わない。

 この世で王妃とノラン、それに私だけが敏感に反応するであろう言い間違いだ。

 ぎこちない二人の様子に、私はどうして良いか分からなかった。


「母上、なぜ……」


 そこまでが、ノランが母親を問うために自分自身に言うことを許した精一杯だった。ーー母上、貴方はなぜ父上を裏切ったのか。本当はそう言いたかったに違いない。

 ノランはその空気を破るように膝をおり、優雅に屈むと王妃に穏やかな声で言った。


「母上。私はどこにいようとも、今も昔も変わらず貴方を息子として愛しています」


 ノランを見つめ返す王妃の頰に、ノランは立ち上がると優しくキスをした。

 そして少し後ろに立っていた私の手を取ると、廊下の先の階段に向かって歩き出した。

 王妃は私たちをじっと見つめていた。

 彼女は美しい人形のように、そこにただ佇んでいた。ーー彼女がまるで人形みたいに見えるのは、もしかしたら心の機微を感じさせないからかもしれない。

 ふとそんな風に思った。

 王妃は、一人過去の中に置き去りにされているような気がした。

 軽く会釈をすると、私は彼女に背を向け、その場を後にした。


 国王代理である第二王子にも、挨拶をする必要があった。

 私たちが執務室に参じると、シェファン王子は数人の官僚に囲まれて忙しそうに書類をめくっていた。

 彼は顔を上げると、苦笑した。


「父上が少し寝込んだだけで、この書類の多さだ。見てくれ、この決裁の束を」


 第二王子の前には未決らしき書類の山が積まれていた。軽く押せば崩れそうなほどの量だ。

 既決となった書類を腕に抱えた官僚が、私たちの横を軽く会釈しながら、いそいそと通り過ぎていく。

 ノランは第二王子の前に膝をついた。少し驚いてから、私もそれに倣う。ノランは淡々とした声で言った。


「ダール島に帰ります。挨拶に参りました」

「そうか。お前も行ったり来たり大変だったな。父上も熱が下がりだしたところだ。じきに仕事に戻れるようになるだろう。あとは私に任せて、安心してくれ」


 ノランは黙って頭を下げた。



 王宮の建物出口で馬車を待っていると、秋の風が冷たかった。時折吹く冷たい風が、体温を急激に奪う。

 我が家の馬車が回されるのを待ちながら、私は二の腕を擦った。

 ダール島に帰る私たちをイーサン王子が見送りに来てくれていた。

 ノランとイーサン王子は口数少なく、馬車を待っていたが、やがてノランが言った。


「私は兄上に国王代理となって欲しかった」


 イーサン王子はため息まじりに、それはもう言ってくれるな、と言った。


「ですが兄上は戦争に反対だと父上に対して仰っていたではありませんか」

「そうだな。信念を貫いたつもりだったがきっとそれも、アダになった」

「私にはそんな勇気がありませんでした。……第二兄上は、戦争を継続すると公言しています」


 イーサン王子は唇を噛んだ。飄々としたイーサン王子が、この時ばかりはとても悔しげに見えた。ノランは続けた。


「兄上には民に渦巻く不満が見えていますか?」

「……私がなぜ王都騎兵隊をやっていると思う。民の声を聞ける王族でありたいからだ」

「ではお分かりでしょう。民の不満にも限界と言うものがあります。放置したり、蓋を無理にすれば、じきに爆発します。後戻りできない状況に陥る前に、舵を切るのです」


 真意を問うように、目を見張ってノランを見つめるイーサン王子の前で、ノランは言った。


「やるのは兄上、貴方です」








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