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あの日、殿下に起きたすべて

長いので二分割します。本日投稿分 二分の一 です。

 この布はなんだろう。

 説明を求めてノランの顔を見ると、彼は穏やかな表情で私を見つめ返した。しばらくの沈黙の後、彼はゆっくりと一言一言を噛みしめるように言った。


「これから話すことは、どうか貴方の胸の中だけに留めておいて欲しい。今後、一生だ」


 私は彼の目をしっかりと見つめたまま、首を縦に振る。

 するとノランは木箱の中に手を入れ、敷かれていた布を指先でめくった。布の間から、彼は一通の白い封筒を引っ張り出した。束の間彼は口を閉ざし、一切が張り詰めた無音の中にあった。


「私の弟のアーロンが殺された日……、あの朝早くにアーロンは私を訪ねて来ていたのだ」


 ここでまた第五王子の話が出てくるとは思っていなかった。

 あの日。ノランが抱える苦悩は、全てあの日に端を発しているのだ。

 静かに彼の続きを待つ。


「アーロンはいつになく暗く思い詰めた様子で、私に話したいことがある、と言ってきた。結婚を控えて神経質にでもなっているのかと気にもとめずに私はアーロンを迎えた」


 わざわざ早朝に兄王子を訪ねる、真剣な面持ちの第五王子と、いつも通り彼に接するノラン。

 その二人の姿を私も想像する。

 そして無言で続きを促した。


「アーロンは私の部屋に入ってきて人払いをするなり、どこか暗い表情のまま、私にこの手紙を見せてくれた」


 ノランはその封筒の中から、一枚の手紙を取り出して私に手渡した。

 それは簡素な文面の一枚紙だった。

 白い紙に書かれた黒い字は優美で、女性によるものと思われた。

 何者かに襲撃される当日の朝に、第五王子がノランに見せたという手紙を、私は緊張のあまり息を殺して読んだ。


『幼い頃から、貴方だけを想い続けていました。

 お腹の子の父親は貴方だと確信しています。

 後悔はありません。

 あの日のことは、わたくしにとっては墓場まで持って行かねばならない秘密であり、……けれど人生で最も幸福なひとときでした。

 神が例えわたくしをお許しにならなくとも、わたくしの心は貴方だけのものです』


 読み終えると私は目を白黒させた。


 ーーこれは、なんだろう?


「ええと……これって、つまり?」


 説明を求めてノランを見上げる。

 手紙には宛名も差出人も記載されていない。だが単純に考えれば、持っていた第五王子のものだったのだろう。ということは、この手紙を書いた女は、第五王子の子どもを妊娠していたかも知れない、ということ……?


「第五王子様に、……か、隠し子が……?」


 軽い目眩と既視感を覚える。

 そもそも当時第五王子は隣国の王女との結婚を控えていたはずだ。それなのに、その分際で他の女性を妊娠させてしまったのだろうか。大変な醜聞だ。

 ノランは私の手の中にいまだあった手紙をそっと引き取ると、連ねられた文字に暗い目を落とす。

 重苦しい溜め息をついた後で、続けた。


「そうではない。アーロンはある男からこの手紙を手渡されたのだと言った」


 ますますどういうことか分からず、私の眉間にシワが寄っていく。

 ノランは低い淡々とした話し方で、手紙の説明を続けた。


「その手紙を私に見せながら、アーロンは青い顔で実に馬鹿馬鹿しいことを言った。自分は父上の子どもではないかもしれない、と」

「陛下の……子どもじゃない?」


 ノランは手にしていた手紙の表側をもう一度私に向けた。


「アーロンによれば、ある男がこの手紙を見せに持ってきたのだそうた。そしてこれはもともと母上が、その男に宛てて書いた手紙だったらしい。ーーつまりその男は母上の秘密の恋人だった」


 母親の、秘密の恋人ーー?

 それはつまり、王妃様にとっては、夫である国王以外に他に愛する男性がいた、ということ?

 そんな言葉を息子の立場で、こんなにも淡々と言うのは、とんな心境がそうさせているのか。

 取り乱した様子のないノランと、与えられた情報の双方に混乱させられ、私は両手で頭をおさえた。

 だって、この文面を素直に読むと……!


「つ、つまり、王妃様が浮気をなさって、それで誰かよそのーー王様の子どもじゃない子どもをご懐妊されて……」


 混乱する私に、さらなる爆弾情報をノランは投下した。


「その二人の不義の子が、……アーロンだった」


 私の頭の中は混乱をきたし、無意味に激しい呼吸を繰り返した。

 王宮で見た王妃の姿を必死に思い出そうとする。

 王宮で出会ったあの王妃が、国王を裏切っていたなんて、信じられない。あの人形のようなたおやかで美しい人が。


「私はこんな手紙を誰から手渡されたのかアーロンをせめ立てたが、彼は頑として教えてくれなかった。ーーアーロンは手紙を持ってきた男が、自分の父親だと確信しているようだった。私はこんな手紙は嘘だろうし、なぜそんな男を庇うのかと腹が立った」


 暗い地下室で息を殺してしゃがみ込んだまま、私はノランの話を聞いた。

 第五王子の突然の訪問から、そして彼が亡くなるまでに起きた出来事を。


 第五王子は実の父を名乗る男と彼が証拠として持参した手紙の示す真実に、困惑し打ちのめされていた。

 その挙句に、偽の王子である自分はセベスタ王女と結婚をする資格などない、と縁談を渋る発言をした。

 一方のノランは、第五王子がある男から聞かされたという話を、全く信じなかった。

 ノランは手紙の捏造を疑い、第五王子は騙されているのだと思った。おそらくは第五王子が次期国王になるのを良しとしない何者かに。

 だから怒ったノランは手紙を悩める第五王子から取り上げ、言い放った。ーーこんなものを信じるより、王妃に直接話を聞くべきだ、と。

 対する第五王子は難色を示した。

 だがノランは彼を言い含め、第五王子が一人で王妃のもとに行く勇気がないなら、自分も同行するからと主張をし、渋々第五王子を納得させた。

 二人は夕方に王妃が王宮に戻り次第、彼女に会いに行くつもりだつた。

 ところがオペラは押し、友人に話しかけられた第五王子はノランとの約束の時間に大幅に遅れてしまっていた。

 ーーだから、第五王子は馬に乗って急いだのだ。そして近道のために治安の悪い地区を通った。

 そうして、そして第五王子は……。


 そこで言葉を切ると、ノランは拳をきつく握り締めた。爪の先が手の平に食い込みそうなほど強く。


「私はアーロンに言ったのだ。お前が怖気付いて来なければ、私は一人でも母上に事実を確かめに行くぞ、と。感情的になっていた私がそんな脅しなどをしたせいで、アーロンは急がざるを得なかった。これが、……この私の言葉こそが、弟を急がせた原因だった」

「ノラン様ーー。でも、それは……。そんなのは結果論に過ぎません」

「アーロンの従者に助けを請われ、私たちは現場に駆けつけた。時すでに遅く、アーロンは虫の息で路上に倒れていた。私は一部の近衛にすぐに辺りを捜索させ、アーロンを介抱した。ーー出来ることは、血が溢れる傷口をおさえることくらいだったが……」


 ノランは息を吸い込み、長々とそれを吐いた。


「アーロンは虫の息の状態で、私の手を強く握ってきた。そしてそのまま、ただ私の目を見て激しく首を左右に振っていた。あれは、母上に言うな、と言いたかったのだろう」


 周りには近衛兵もいたから、第五王子は話せなかったのだろうか。


「その後は大変な騒ぎになり、私はとにかく手紙の存在を隠した」


 リカルドは少し離れた場所でノランの話を黙って聞いていたが、いつの間に私の隣にやって来て、話し始めた。


「ノラン様と私は密かに、アーロン殿下にこの手紙を渡した不届き者のことを調べ始めました。王妃様が幼い頃から懇意にされていた男性と、殿下を最近訪ねた者を突き合わせたのです」


 それはノランにとって、どれほど辛い作業だっただろう。


「最終的に候補として残されたのはただ一人、元財政大臣で殿下たちの教育係をしていた、ジャン・ドートレックでした」

「従者によれば、ジャンはアーロンとセベスタ王女の縁談話が本格化したその頃、アーロンを個人的に尋ねていた」


 ノランは記憶を辿るようにして目を細めながら、話し始めた。

 第五王子の従者によれば、振り返れば第五王子が何かを思い詰めるようになったのはその時期からだったという。

 ノランは手紙を自分の手のひらに乗せ、じっと見つめた。


「だが既にジャン・ドートレック本人に、確かめる術はなくなっていた」

「どうして……?」

「ジャンはアーロンが殺された少し後に、他界していたからだ。ーー胸の病で」


 そんな偶然ってあるだろうか。私は首をかしげた。


「ーー母上の……不義の相手は、ジャン・ドートレックだった」


 それはやや性急過ぎる結論に思えた。

 私はボタンの掛け違えをしていないか、そもそもの疑問をノランにぶつけた。


「待ってください。その前に……この手紙を信じて良いのですか? 本当に王妃様が浮気を? だって、字を似せることくらい、きっと出来ます」

「私も、否定したかった。だが、考えれば考えるほど、思い当たる節があるのだ。母上はアーロンばかりを昔から可愛がっていた。それにアーロンだけは茶色の瞳をしていた」


 私は王宮で出会った王子たちを思い出した。

 確かに茶色い目の王子はいなかった。

 でも、たかだか目の色だ。


「ジャンと母上は、幼馴染だったのだが……二人は昔から妙にぎこちないところがあった。昔は仲が悪いのだろうと思っていたが……」


 すぐに否定してあげるべきだろうか?

 でも、実際どうだったのかなんて、私には到底分からない。けれど、もし真実だったとすれば、なんて残酷なんだろう。


「ジャンは恐らくアーロンとセベスタ王女の結婚を、やめさせたかった。秘密の手紙をアーロンに見せて、父親の名乗りをしてでも。ジャンはアーロンが王位争いに巻き込まれて、危険な目に合うことを危惧したのかもしれない。暗殺計画が進行していたことを、知っていたのだろう」


 財政大臣は息子かもしれない王子の命を救うために、手紙を見せたのか。でもその決断は結局、裏目に出たわけだけれど。


「或いは、自分の不義の子が国王となってしまうことに恐れをなし、避けたかったのかも知れない」

「でも、それなら財政大臣は……訴える相手を間違えています。そんなことは、第五王子様じゃなくて王妃様に言うべきだったのでは……?」

「あの母上に相談しても、ジャンが狙う効果など到底得られなかっただろう。寧ろ母上は目を掛けていたアーロンを国王にさせたかったかも知れない」


 ぞわぞわと鳥肌が立っていく。

 私とノランは、床に膝をついたまま、微動だにせず互いの目を見ていた。

 私をひたと見つめたまま、ノランは口を開いた。


「アーロンはあの夜、どんな思いで死んでいったのか、私には想像もできない。弟はただ、唇を震わせて私を見上げていた」


 胸が締め付けられるように痛い。

 そして、それを見下ろしていたノランは、どれほど辛かっただろう。

 ーーでも、でも。

 あの王妃様が……?

 そんな大それたことをするなんて、私には想像もできない。

 けれどそんな馬鹿な、と言い捨ててしまうことも、できない。ノランは今それほど真剣に話している。


「信じられないだろう? 私も同じだった。………母上を正直憎んだよ。この手紙を見せつけ、問い詰めてやりたいと思った。胸ぐらを掴み、罵ってやりたい衝動に駆られたこともある」


 ノラン様、とたしなめるような声でリカルドが声を掛ける。するとノランは自嘲気味に力なく笑った。


「案ずるな。そんなことを本当にしたりはしない。……アーロンは、私一人でそんなことをやって欲しくないから、あの日の帰りに急いだのだ。ーーそれに今となってはもう、真実を突き止めることには何の意味もなくなってしまった。秘密を曝露したところで、誰かを傷つけるだけだ」


 ノランは第五王子と、そして多分母の名誉を守ったのだ。何より非業の最期を遂げたかわいそうな弟を、皆の純粋な悲しみだけを胸に、王子として送りたかったのに違いない。


「ジャンは、殺されたのだろう。……彼はおそらくアーロンの命を奪った者に心当たりがあった。或いはその人物を問い詰めたかもしれない。だから彼は消された」

「それでは、財政大臣はアーロン殿下を殺した人物を知っていた、ということですか? 」


 第五王子がいなくなって一番喜ぶのは、王位を争いあっている第一か第二王子に思えた。ノランの身内を疑う不謹慎さを重々承知の上で私は聞いた。


「あの……アーロン殿下を狙っていたのは、イーサン殿下かシェファン殿下ですか……?」


 だがノランは一瞬の間すら置かず、首を左右に振った。


「お二人の兄上がご自分の計画をジャンに漏らしたり、聞かれたりするとは思えない。……ジャンはおそらくもっと近しい者からその情報を聞きつけた。それにジャンの死が他殺だったとすれば、それが出来たのは身近な人間だった筈だ」


 ノランがそこまで言うと、リカルドが私の隣に膝をついた。私たち三人はランプが作る心もとない明かりにやっと確保された、おぼろげな視界の中にいた。その小さな輪の中で、声の大きさも段々小さくなる。


「ジャン・ドートレックはおそらく自分の兄が、第五王子暗殺の黒幕だと気づいたのだ。ジャンは彼の兄に口封じの為に殺された」

「お兄さんが? どうして大臣のお兄さんがそんなことを?」


 私が驚きに満ちた大きな声を上げると、リカルドが言いそえるように静かな口ぶりで説明した。

 財政大臣の兄は、ドートレック侯爵であると。


「ドートレック侯爵は、第二王子の妃であるロージーの父親だ」


 ーーロージー?


 私の頭の中に、王宮で見た可憐なロージーの姿が甦る。

 彼女の父親が、第五王子を殺そうとした?

 思わず言葉を失う。


 ーーロージーの父親は、義理の息子を王位につかせたかったんだ……!


「あくまでも想像の域を出ない。今の段階では、まだドートレック侯爵を糾弾できる段階ではない」




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