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そして、扉は開かれた

 レティシアに使ってもらう寝室の準備が整うと、私は彼女を客間に迎えに行った。

 客間に入るとレティシアとリカルドがテーブルを挟んで座り、チェスをしていた。

 レティシアは私がやって来たことに気がつくと、パッとこちらを振り向いて、嬉しそうに笑った。


「ねぇお姉様、リカルド様はとてもチェスがお上手よ! わたくし何度やっても負けてしまうの」


 この客間にいつも置いてあるチェスは、たまにオリビアが駒の一つ一つを丁寧に拭いていた。濃い色の木と白い石を交互に貼ったチェス盤と、同じ材質の駒だった。ノランとリカルドがやっているのを、一度だけ見たことがあった。二人とも大層真剣な顔でやっており、とても声を掛けたり、後で私も入れてくれなどと言える雰囲気ではなかったのだが、今はリカルドも朗らかに駒を進めていた。

 リカルドは目尻を優しげに下げた。


「ノラン様はもっとお強いですよ」

「まあ、本当? それでは絶対に勝てないわ!」

「奥様も今度ノラン様と対戦されてはいかがでしょう?」


 何食わぬ笑顔をサラリと浮かべるリカルドを前に、私は苦笑した。先ほど台所で聞いてしまったノランとの会話を思い出してしまう。

 彼は多分あの時、わざとノランを挑発していたのだと思う。


「ねぇレティシア、寝室の支度ができたから、案内させて」

「ええ、お姉様。ありがとう!」


 レティシアはチェスをやめ、リカルドにお休みの挨拶をすると、私の方へ駆けてきた。


 かつてピーター少年が使っていた部屋にレティシアを連れて行き、少しお喋りをしてから寝かせると私は客間に引き返した。そこにはチェス盤に向かって座っているリカルドとノランがいた。今度は二人で対戦をしているらしい。

 私は近くのソファに座り、二人がゲームを進めていく様を観察させて貰うことにした。

 ノランが駒を動かすとリカルドが眉根を寄せ、息を深く吐きながらじっと駒たちを見つめて思案する。やがてリカルドが駒を動かすと、ノランが同じことをする。

 その繰り返しだった。

 静かに向き合っているけれど、お互いが考えていることを探り合って駒の進め先を熟考しているのだ。いわば腹の探り合いだ。

 相手の駒が動くたびに、ノランたちが見せる反応が見ていて面白かった。そうきたか、と渋面をしたり、時にはいかにも予想通り、と言いたげに口元を綻ばせたり。ノランが笑うと、近くで見ている私まで嬉しくなった。

 カタン、コトン、という駒を進める音だけが客間に響く。その音はとても心地よかった。


 ーーノランが勝っている。そもそも取られた駒もリカルドの方が多いもの。


 当然のようにノランを応援している自分に気づき、そんな自分をふと客観視して苦笑してしまう。まるで奥様気取りではないか。奥様なんだけれど。


 ノランのポーンの一つは今まさにチェス盤の端に到達しようとしていた。プロモーションだ。

 ノランの勝利間違いなしだ。不思議と満足感を覚えながら、安心したのか急に押し寄せて来た睡魔に負け、私は対戦そっちのけでソファでうたた寝をしていた。


「リーズ……。リーズ」


 身体をそっと揺すられ、目を覚ます。ボヤけた視界にノランの顔が飛び込む。


「寝室に行こう。風邪を引く」


 半分覚醒しきらない頭で上半身を起こすと、肩から毛布が落ちた。座っていたはずなのに、私はソファに横たわって寝てしまっていたらしい。

 目を彷徨わせると、客間にリカルドは既にいなく、チェスの駒も綺麗に並べなおされていた。


「ノラン様、勝ちましたか?」

「えっ?」

「チェス……リカルドに勝ちましたか?」


 一瞬目を瞬いていたノランは、首を縦に振った。


「ああ、勝ったよ。……途中で寝ていたくせに」


 笑いを含んだ話し方で私を見ながら、ノランは私がソファから立ち上がるのを手伝ってくれた。


 寝室に入ると寝台に一直線に向かった。倒れこむように寝具の中に入る。いつものように寝台の端の方へ転がると、壁に顔を向けて定位置につく。二、三回深く呼吸をすると、もう意識が微睡んでいく。

 ああ、今日は本当に疲れた。

 私が寝ているのと反対側の寝具がめくられる音がして、ノランももう寝るのだと分かった。


「リーズ、今日は……」


 不意に私の耳元でノランの声がして、驚いた。横を向いて寝る私の背中の後ろのマットレスが、ギジリと軋む音がする。

 ノランがすぐ近くにいるのだ。

 咄嗟に台所でノランとリカルドがしていた会話を思い出し、心臓が早鐘を打つ。

 確かノランはあの時リカルドに、ーー毎晩寝室で理性と闘っているーーなんて言っていた……。


 ーー本当に? 本当にそうなの?


 同じ寝台で寝るのにも少しは慣れてきていたのに、今更のようにドキドキとしてしまう。

 丸めた背中のすぐ後ろに感じられるノランの気配に緊張し、目を固くつぶったまま、自分の手をシーツの上で強く握り締める。

 ノランの唇が私の耳の上に触れたのを感じた。

 いつもはドキドキするキスが、今は少し怖い。


「……もう寝たのか」


 そう呟いて私の肩まで寝具を引っ張りあげてくれると、ノランは深いため息をつきながら、私の隣に横たわった。





 翌朝、空は抜けるような晴天だった。

 どこまでも澄み切った青空のもと、同じくらい澄み切った瞳をキラキラさせて、レティシアは私とノランに礼を言った。

 レティシアは既に自分の馬にまたがった義兄を振り返ると、少し咎めるような声色で言った。


「お兄様! 伯爵様にばかりではなくて、リーズお姉様にもちゃんとお礼を仰って!」


 義兄は顔をしかめ、さも不本意そうな表情で呟いた。


「あー、リーズ。……その、今回は大変世話になったな」


 まるで親に無理やり謝らされている子どものような口調だった。

 ちっとも嬉しくない。


「お姉様、今度うちにも遊びに来て! 伯爵様と一緒に!」

「レティシア、もう行くぞ! 王都まで遠いのだから」


 急かす義兄を無視して、レティシアは私に抱きついて来た。

 その重さに、私の身体がよろめく。


「お姉様、お幸せそうでよかった。伯爵様は、本当に素晴らしい旦那様ね!」

「ありがとう」


 妹の目には、私たちは素敵な夫婦に見えたのだろう。

 私は複雑な心境で礼を言った。

 私にしがみついたまま、レティシアはその愛らしい緑の瞳を、リカルドに向けた。

 その愛らしい目が微かに上目遣いになり、更に愛らしくなる。瞳の中ほどにキラキラと光が見えた気がする。


「ねぇ、お姉様。リカルド様って優しくて……とても紳士な男性ね。わたくし、結婚するならああいう方が良いわ……」


 私はぎこちなく咳払いをした。

 そしてレティシアにそれ以上言わせまい、と遮るように口を開いた。


「ええと、ああ見えてリカルドは既婚者よ、レティシア」


 レティシアの緑色の瞳がこれ以上はない、というほど、大きく見開かれた。そして、少し傷ついたようにまなじりが下がる。


「そうだったの。わたくし、気づかなかった」


 仕方がない。気づきようがないもの。


「……レティシア、また会いに来て。あ、リカルドにじゃなくて、私にね!」

「ええ。もちろん。お姉様も、本当に遊びにいらしてね」


 レティシアは義兄とピエールの待つ門先へと駆けて行くと、馬にまたがった。

 そうして、可愛らしくヒラヒラと手を振って私に別れの挨拶をしてくれた。

 遠ざかる彼等の後ろ姿をしばし眺めてから、私は改めて三白眼を作り、振り返ってリカルドを見た。

 彼はなんでしょう、と言わんばかりに両眉を上げた。


「リカルドさん。お願いですから、結婚指輪をつけて下さい」





 レティシアと義兄がいなくなると、私は家事にとりかかった。オリビアがいてくれる毎日が、いかにありがたかったが身にしみる。

 昨夜は普段はいない三人が泊まったので、その分のシーツ類を洗うだけでも、かなりの重労働だ。

 昨夜義兄がノランから借りた服を干しながら、つい笑いが溢れた。義兄が履くと、腰回りはキツすぎて閉まらないのに、足の長さがダブダブに余っていた。

 義兄は「乗馬で腹回りがちょっと浮腫んだ」、と苦しい言い訳を何回もしていた。

 いつも浮腫んでるじゃないの、とちょっと言い返してやりたかった。


 ノランは厩舎の掃除をしていた。

 いつもは二頭しかいない厩舎に、五頭もいれていたので、掃除が大変そうだった。

 ノランはスコップを持って中に入り、せっせと馬糞で汚れたオガクズを集めて外に出していた。

 減った分のオガクズを補充する為、私は新しいオガクズを中に放り、ノランがそれを厩舎に均等に敷いた。彼は隙間が出来ないよう、オガクズをケチらずに敷いていた。フカフカの馬の寝床の出来上がりだ。

 ダール島の屋敷に来るまでは、こんな作業はやったことがなかった。きっとノランも一緒だろう。

 でも作業用の長靴を履いて、舞うチリに薄っすらと汚れたノランもまた、綺麗だった。朝靄の中でチラチラと舞うチリが、煙幕のように幻想的に見えて、手を止めて見入ってしまう。

 馬たちはまだ私を警戒しているので、馬が中にいる間は、私は厩舎の囲いの中に入らないようにしていた。少しでも早く懐いて貰うためには、なるべくちょくちょく顔を出して、私を覚えてもらわないといけない。



 今日は一日でクタクタになって夜を迎えた。


 ーー明日になれば、オリビアが帰って来る……!


 オリビアがいない間が、なんと長く感じられたことか。

 オリビアが屋敷に戻って来てくれる事に安心しながら、私は寝具の中に潜り込んだ。

 疲労と安心感の二つが、私を直ぐに眠りの世界へ誘った。


 パタン、と扉が閉まる音で目が覚めた。

 寝返りをうって隣を確認すると、そこにいるはずのノランがいない。

 しばらく横になっていたが、ふと気になって寝台をおり、扉を開けた。廊下を確認するが、誰もいない。というより、真っ暗でほとんど見えない。

 嫌な予感がして、急いで窓際に向かう。

 窓から外を見下ろすと、目を凝らす。額を窓に貼り付けて観察していると、月明かりの下、影が動いているのが分かった。屋敷の方から離れて行くその影は、二人分あった。

 その背の高いそのシルエットに、すぐに誰か分かった。


 ーーノランとリカルド?


 二人がこんな夜中にどこへ行くのか、なんとなく察しがついた。なぜなら、自分も以前同じ事をしたから。


 ーー納屋だ。


 二人は納屋に向かっている。そうに違いない。

 私は急いで寝室を飛び出した。

 軋む廊下を走り、階段を転がり落ちる勢いで下り、そっと玄関を出る。

 外に出ると忍び足で納屋に走った。

 慎重にノブを回し、納屋の扉を開ける。

 中は暗かったが、誰も見当たらない。だが私は確信していた。二人は納屋の地下におりたのだろう、と。

 ゆっくりと体重を移動させ、積み上げられた藁の方へ向かう。

 藁が避けられた場所があり、剥き出しのドアが見える。

 急いで身を屈め、震える手でドアのノブを確認すると、かけられていたはずの錠がなかった。


 ーーやっぱり!!


 ノランとリカルドは、鍵を開けて地下におりたのだ。

 どくどくと心臓が早鐘をうち、呼吸が荒くなる。私の息が大きすぎて、階下にいる彼らに気づかれるのでは、と心配になる。

 耳を近づけると、二人の声が微かに聞こえた。


「よろしいのですか?」

「こんな物をこれ以上ここに置いておくのは危険だ。リーズに見つかったらどう思われるか」


 彼らの会話にぎくりとする。


「それに私の真正面から手を取ろうとしてくれているリーズに、こんな物を見せるわけにはいかない」

「奥様は何か勘付いてらっしゃるようですからね……」

「……とにかく、これ以上置いておけない」

「これを奥様が見られたら、勘違いなさるでしょうからね。ピーター少年の時の騒動が、きっとまた起きますよ」


 それは聞き捨てならなかった。なんのことだろう。ピーターがどうしてここで出てくるのか。

 二人がガタガタと地下で物音を立てていた。木箱か何かを移動させるような音だ。

 話し振りから推測するに、二人は地下に隠した何かを、出そうとしているのだろう。それが何かは分からないけど。

 私は暗がりの中、床に這いつくばって地下へと繋がる扉のノブを手探りで見つけ、そこに手を掛け素早く回した。薄く開いて覗こうとした瞬間。

 唐突に勢い良く扉が開かれ、私の顎を強打した。

 時を置かずにそこから人影が現れたかと思うと、声を上げる間も無く首筋に冷たい物が当てられる。

 何やら首筋に当てられた硬いものが気になり、反射的に手で何気なく振り払うと、鋭い痛みが手のひらを襲った。

 私が振り払ったのは、向けられていた剣先だった。

 あまりの痛みに手のひらを押さえたのと、剣を向けていたリカルドが叫んだのはほぼ同時だった。


「奥様!? も、申し訳ございません……!」

「貴方たち、ここで何を?」


 瞠目したまますぐに話そうとしないリカルドに業を煮やし、私は狭く薄暗い階段に立ちはだかるように立つリカルドを、避ける格好で階段を下っていった。


「お待ちを……」


 階段にはランプが置いてあったため、それを素早く掴む。

 下りきると、その先は狭い倉庫の様な部屋になっていた。天井は男性なら立つのがやっとの高さだ。明かりは今私が持つランプだけなので、視界がとても悪い。狭い地下が余計に窮屈に感じる。

 地下のその空間には左右に木箱が幾つか置かれ、その間にノランが立っていた。暗がりで判然としないが、彼は呆れたような、少し不快そうな顔をしていた。


「リーズ。寝ていなかったのか」

「地下は、崩落の危険があるのではなかったんですか?」


 ノランは答えなかった。


「ここに何を隠しているんですか?」


 そこへリカルドが私を諭すように口を挟んだ。


「奥様、夫婦といえど、お互いに多少は秘密があるものですよ」


 もっともらしく、おかしな事を言っている。

 私はキッとノランを睨んだ。


「絶対にバレたくない秘密なら、もっと上手く隠して下さい!」


 私は手近にあった木箱に飛びついた。そして、蓋を開ける。

 中には、ネジや座金、バネといった物がごちゃ混ぜに入っていた。ガラクタみたいなものだ。この木箱ではないようだ。

 更に進み、隣の木箱を開けるとハサミやナイフといった、手道具が入っていた。これもどうでも良い。

 次の木箱には、何やら畳まれた不織布の袋が束になって収められていた。

 ガチャガチャと私が木箱の収容物を探る音だけが、狭い地下に響く。

 やがてノランが手を伸ばし、私の右手首を掴み、それを制止させた。


「怪我をしている」


 彼は無言で私の右手にハンカチを巻き始めた。その端を縛りおえると、ノランは木箱の一つに向かった。

 カタン、と蓋が開く。

 ノランは開いた木箱の横に膝をついた。

 誰も何も言わなかったが、私はその木箱の中身こそが、ノランの秘密だと理解した。

 数歩歩みを進め、ノランの隣に膝をつき、中を覗いた。

 そこに入っていたのは、丁寧に折り畳まれた一枚のビロードの布だった。



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