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王宮を後に

 王宮の建物目指して、広い庭園を歩きながら、私はノランに話しかけた。


「やはり、陛下も王妃様もノラン様がご心配だったんですね! お忙しいでしょうに、わざわざお茶会に来て下さって……」

「そう見えたか?」

「えっ?…ええ。」


 隣を歩くノランを見上げると、彼は首を左右に振った。


「ならば、良いのだが」


 それは気になる言い方だった。


「あの、ノラン様?」

「後で、話そう。少し予定より遅れた。直ぐに王都を出る準備に取り掛かろう」


 そう言いながら、彼は周囲に素早く視線を走らせていた。

 早く帰りたいから、話を切り上げたのではない。

 ここで、話したくないのだろう。ノランはきっと、どこで誰が聞いているか分からない、と思っている様だった。

 王宮の人の多さと広さに、私も辟易してきた。

 

「早くダール島に帰りたいですね」


 ノランは少し表情を緩めて、私を見下ろした。


「ああ、そうだな。本当にそう思う」


 同意して貰えた事が嬉しくて、胸がくすぐったい。





 私たちは昼前に王宮を出発した。

 短い滞在だったが、正直王宮を何事もなく出られた事に、とてもホッとしていた。


 王都を離れると、長閑な景色が広がった。

 それに呼応するように、私の気持ちも緊張から解き放たれていく。

 景色を眺めるのにも飽きた頃、私はノランの様子をうかがった、

 ノランは馬車にたくさんの本を積んでいた。座席の隅に積まれた本の山と背もたれに挟まれて、一台のバイオリンケースの先っぽが見える。


「ノラン様、あのバイオリンって……」


 ノランは私が声をかけるとちらりと視線を上げ、バイオリンケースに移した。


「ああ、あれは友人が夜会の後にくれたものだ」


 そう言えば、二次会に参加したらバイオリンを上げる、とノランの友人が酔って叫んでいた気がする。


「ーーちゃっかり貰ってきたんですね」

「当たり前だ。くれると言ったのだから、貰ったまでだ」


 至極当然だ、という口調でそう言い終えると、ノランはバイオリンを満足気に見つめた。


「なかなかの逸品だ。ーーダールの屋敷にある私のバイオリンには劣るが」


 屋敷にちゃんと自分の楽器を持っていたらしい。私が来てから一度も弾いていない様子なのが、少し寂しい。あんなに素晴らしい腕前なのだから、弾かないなんて宝の持ち腐れだ。

 夜会で皆に急き立てられてノランが弾いた、美しい曲を思い出す。


「夜会でのノラン様の演奏、とても素敵でした」


 私が褒めるとノランは穏やかな笑みを浮かべた。私と見つめ合った後、彼は少し目線を私から外して呟いた。


「ありがとう。貴方にそう言って貰えるのが誰より嬉しい。……あれは貴方のために弾いたのだから」


 ーー私のため?


 束の間の驚きの後、胸の奥からじわじわと喜びが溢れてきて、それは全身を満たす。

 隠しきれない笑顔で私はノランに言った。


「私もそう言って貰えて凄く、嬉しいです」


 ノランの水色の瞳がハッと上がり、私を見た。彼は何度か瞬きをすると、再び目を逸らして苦笑した。


「……嬉しそうだな」

「はい。嬉しいです」


 美しい音色を思い出しながら、なおも頰を緩めて向かいに座るノランを見つめていると、彼はぎこちなく膝を組み直し、やや居心地悪そうに私を見た。


「そんなにも喜ばれるとは思っていなかった……」


 あの天から降ってきたみたいな素晴らしい演奏を、自分のためだと言って貰って喜ばない人はいないだろう。


「ブイエの、ええと……なんていう曲でしたっけ。第二番ですか?……そう言えば皆さん、私たちに相応しいと仰ってましたけど、副題はなんというのですか?」


 夜会の記憶を手繰り寄せながらそう尋ねると、ノランは固まった。


「ノラン様?」

「ーー本気で聞いているのか……?」

「ええ。初めて聞いた曲でした。……ブイエの曲でしたよね?」


 ノランが視線を下の方に流しながら、ボソリと曲名らしきものを呟いたが、馬車の車輪の音でかき消された。


「えっ? 聞こえません。もっと大きい声で言って下さい」


 顔を傾けて良く聞き耳を立てると、ノランはやや呆れた顔をした。


「……変奏曲第二番、『愛しい妻に捧げる曲』、だ」

「えっ……」


 ーー愛しい妻……?

 

 そんな副題の曲だったとは知らなかった……!

 真っ直ぐに見つめられたままその副題を教えて貰うと、妙に恥ずかしい。一転して強張る笑顔で、私は一度軽く頷き、目をそらす。

 するとどこか私を咎めるような声が正面から飛んできた。


「ーー聞いてきたくせに、なぜ赤くなる」


 答えられず、私は馬車の座席に深く座り直した。

 ……だからあの時、夜会にいた人たちは私を見てはやし立てたのか。

 私だけがあの場でノランが弾いた曲の意味を理解せず、ただその腕前に感激していたのかと思うと、滑稽な気がした。

 今さら動揺する私をよそに、やがてノランは本を束から引っ張りだすと、読書に集中し始めた。



 気がつくと私は車内で寝ていた。

 目を覚ますと、ノランはまだ本を読んでいた。

 彼が膝の上に乗せているのは、領地経営についての本のようだった。

 その本の間に、手書きの表を挟んで、何やら真剣に考えごとをしている。

 隣から覗き込むと、表はダール島の人口変動を表したものらしかった。私は思わず口を挟んだ。


「ダール島の領民は、減る一方なんですね」

「……そうなんだ。それが、一番の問題だ」

「やっぱり島より大都市に憧れるのが、人の性ですもんね。結婚して離れていく若者が多いんでしょうか」


 ノランは眉を跳ね上げ、意外そうに私を見た。


「ご明察。まさかテーディ子爵領でも同じ問題が?」


 つい笑ってしまった。

 テーディ子爵家では、領地経営について語る者など、だれもいなかった。子爵家は領地で特産品となっている貴石を用いて、商売をしていた。たくさんの職人を育て、宝石商としても名を知られていたのだ。

 だが経営は完全に下に任せ、私の実家はそれが生み出す富の上に、胡座をかいているだけだった。

 なので私は子爵である義兄が、こんな類の書物を読んでいるのを見たことはなかった。テーディ子爵家は、言葉は悪いが旧態依然としたやり方を続けていれば、何も困ることはなかったのだ。


「私は本で読んだ事があるだけです。お役に立てず、すみません」


 本で知識を集める事と、実際に領民の生活を立て直していく事は、天と地ほども違うだろう。

 ノランは自分を貧乏だなどと言っているが、伯爵としての役割に真摯に向き合い、懸命に果たそうとしていた。それはとても立派なことだと思う。




 王都からダール島までは距離があるため、馬車は一度、途中にある街でとまった。

 その頃には猛烈に空腹になっていたため、私とノランは街に入るなり目についた大衆食堂に飛び込んだ。

 食堂に堂々と入っていくノランは、なかなかさまになっていた。

 私もノランも、王宮を出発する直前に質素な身なりに変えていた為、浮く事はなかったが、それでもノランがあまりに颯爽と慣れた足取りだったので、彼に尋ねた。


「王子様も、こんな食堂に食べに来るんですね」

「王子全員ではない。第一兄上は砕けた食堂がお好きで、良くいらしているらしい。だがウジェニーなど、死んでも来ないだろう」


 ノランの身内には失礼ながら、噴き出してしまった。

 店内では軽装の人々がガヤガヤお喋りし、騒がしい。木のテーブルもどこかペタペタしている。椅子はおびただしいキズがあり、動かす度ガタガタと鳴る。

 あの王女なら、この空間で呼吸するのも嫌がるだろう。

 店の奥は、酒樽を横に倒して並べたものが、オブジェのように並べられていた。天井近くまで重ねられた酒樽は、なかなか見ごたえがあり、見入ってしまう。

 まだ陽の高い時刻だったが、既に酒を飲んでいるのか、赤ら顔で討論に興じる男たちの団体も離れた席にいた。


「問題はこの手の食堂は振り幅の大きい当たり外れがあるという点だ」

「なんとなく、仰る意味が分かります。美味しいと良いですね」


 私たちは注文をした料理が次々と届くと、食べ始めた。

 一口食べたその時に、私は店選びに失敗した事を悟った。

 私がまず手を出したのは、スープだった。香辛料が斬新なまでに効いた味だった。雑多なスパイスが脳天を穿つ。

 先に口を開いたのはノランだった。

 王宮育ちの王子様としては、黙っていられない味だったのだろう。


「そのスープも凄いが……この豆料理も食べてみてくれ」

「……や、柔らかいですね」

「赤ん坊から年寄りまで、食べられそうな柔らかさだ」

「……ええ。むしろ、そう説明されないと納得できないくらい柔らかいですね」

 

 料理は矢継ぎ早に配膳された。

 いつ作っているのか。

 いやむしろ、いつ盛り付けたのか。

 一秒も無駄にはしたくない、といった風情の素早い動作で、給仕が肉料理を私とノランの間に置いた。

 皿に指が入っているどころか、勢い余って料理が少しテーブルに溢れた。もう目が点だ。

 ノランは豆料理を放り出し、肉料理に照準を当てた。


「……これも凄い。素材の味を活かしたいのだろう。味付けが殆どない」

「ええ。素材の味もほぼしないですけど」


 私たちは、一瞬黙り込んだ後、あまりの味の悪さについに笑ってしまった。

 するとノランは感心したように言った。


「貴方はなんでも笑うんだな。これさえも、楽しんでしまう」


 そう言われて、はたと気づいた。

 私は食堂へ来たのが楽しくて笑ったのではない。私は、ノランと楽しく話せたのが嬉しくて、笑ったのだ。

 でもそれは言わないでおいた。


「貴方は良く笑う」

「そうですか? 気づきませんでした」

「良く笑うし、良く怒る」

「良く怒ってなんていません!」


 一転して私はむっとして顔をしかめた。

 だがノランは笑って言った。


「根が暗い私には、実に新鮮だ」

「ノラン様は暗くなんてないですよ」


 決して明るくもないが。

 私が良く笑うとしたら、良く分からないが、もしかすると、これは癖みたいなものかも知れない。

 多分これは、複雑な家庭環境で育った私が、自然に身につけた処世術なのだろう。

 肉料理にかけられた、方向性が分からない味のソースに首を捻っていると、ノランが私をじっと見つめている事に気がついた。


「ノラン様?」

「貴方を見ていると、干し草を思い出す」

「えっ? 干し草?!」


 干し草を連想されたのなんて初めてだ。

 私が干し草みたいだと言いたいのだろうか。あまり女性への比喩表現としては、ふさわしくないのではないか。女性どころか、人間全般でも使わない気がする。

 真意が全く分からず、眉根を寄せてしまう。


「ええとそれは、私が枯れている、という意味でしょうか」

 

 おずおずと注釈を求めると、ノランは驚いたように顔を上げ、説明を付け足した。


「勿論、違う。……私にとって干し草は、日差しの暖かさと香りそのものなのだ」


 そうだったのか。

 それなら、きっと喜ぶべきなのだろう。

 私には干し草って、単なる枯れた草だったけれど。


「そうでしたか……私はええと、なら、ノラン様の干し草になれるよう、頑張ります」


 するとノランが突然爆笑した。

 彼がこれほど大きな声を上げて笑うのを、初めて見た気がする。





 やがて、酒を煽りながら討論していた男性たちの声が、こちらにまで聞こえて来るようになった。


「いつまでもリョルカとセベスタの戦争に首を突っ込みやがって!」

「今の国王になってから、ロクなことねぇ」


 どうやら国王の批判をしているらしい。

 その剣幕を心配したのか、近くのテーブルについていたマルコとリカルドがこちらを注視し、マルコは腰を上げる。

 私はノランの様子をうかがったが、彼は平然と豆料理を食べていた。やがて私の視線に気づき、小さな声で言った。


「あれが、民意というものだ。中に篭っていれば、絶対に気づかないものだ」


 中ーーとは、王宮のことだろうか。


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