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温室の王妃

 ウジェニー王女と会うためのお茶会は、王宮の庭園の中にある、温室で開かれるとのことだった。

 私は迎えに来た侍女の後をついて、ノランと歩いた。


 ーー温室の中でお茶をするのって、どんな感じなんだろう?


 暑いんじゃないだろうか……。

 薄着をした方が賢明だったたろうか? 温室で熱いお茶を、汗をダラダラと垂らして飲むのはなかなか辛そうだ。

 ガラス張りのこじんまりとした温室の真ん中で、王女とお茶をチビチビすする自分の姿を想像した。昨夜の夜会と違って、アットホームなお茶会かもしれない。


 だがまたしても私の想像は裏切られた。

 庭園に建つそのガラス張りの温室は、驚くほど大きく、立派なものだった。

 温室には違いないのだろうが、世の中にこれほど大きな温室があるとは思ってもいなかった。

 中は外より少し暖かい程度の温度が保たれ、一歩入るなり、私たちはたくさんの植物に迎えられた。花壇には愛らしい花々が咲き誇り、鮮やかな色を披露していた。

 背の高さの異なる多種多様な木々が茂る一画は、そこだけ切り取ればまるで密林の中に迷い込んだように鬱蒼としている。

 レンガが敷き詰められた歩道沿いには、葉を動物の形に整えられた木々が並び、私はその一つ一つに目を奪われながら進んだ。

 温室の中には蝶が放たれており、時折視界にヒラヒラとうつり込む。黄色や縞模様といった色とりどりの蝶が舞う様は、温室をとても幻想的な空間に変えていた。

 温室の中はどこもかしこも大変綺麗で、まだ新しい設備なのだろうと思われた。

 感心して目を丸くする私の隣で、ノランは至極不機嫌そうな顔をしていた。盛大に寄せられた眉が眉間に深い皺を作り、水色の目は怒りに満ち、凍てつく湖面のように冷たい視線を周囲に投げている。

 この温室がよほど嫌いなのか、王女と仲が悪いかのどちらかに違いない。


「お兄様たち! こっちよ」


 高く澄んだ声が響く。

 温室の中央部には、白と黒の石が敷かれ、テーブルセットが置かれていた。

 王女はそこに座り、ヒラヒラとまだ少し小さな手を振り、私たちを招いた。

 王女の隣には、既に王妃がいた。

 国王とのパレードはもう終わったらしく、式典のドレスは着替えて、少し動きやすそうな紫色のドレスを纏っていた。光沢あるその布地は王妃の動きに合わせて柔らかく輝き、美しい王妃を更に魅力的に見せていた。

 幻想的な空間に美貌の王妃が佇んでいると、その場を更に浮世離れした場所に変えていた。

 私を迎えて目の前に広がる光景なのに、私が歩くレンガの歩道と王妃がいるその先が繋がっていないかのようにさえ思える。現実を見ているのか、過去か未来の映像でも見ているのか分からなくなるような、不思議な感覚に襲われる。


 どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえ、私は現実に引き戻された。

 王女はノランと私が席に着くなり、満足気に言った。


「お兄様、驚いた? お父様におねだりして、作ってもらったのよ。わたくしの温室なの」

「また父上に浪費をさせたのか」


 呆れたように低い声でノランが答えると、王女は表情を曇らせた。

 わざわざ聞くまでもない。絶対にこの二人は仲が悪い。


「わたくしが欲しい、と言ったのよ!」


 ノランは溜め息をついて視線を逸らした。

 自分に注がれた視線に気づいて顔を上げると、王妃が私を見ていた。

 どきんと私の心臓が鳴る。彼女はそのまま私に話しかけて来た。


「リーズ。ダール島での生活には慣れましたか?」


 王妃は私に話を振っていたが、本当はノランの生活が気になるのだろう。

 私はノランの自尊心を傷つけないように配慮しながら、ダール島の事を話した。


 少し経つと、王女は温室の中で遊ぶ猫たちを追って、私たちから離れた。

 王女と私を引き合わせるためのお茶会であったが、彼女はたいして私に興味がなさそうだった。式典の会場で私を見て既に満足しているに違いない。

 王妃に頼まれて仕方なく来たのだろうな、と改めて思った。


「……リーズ、ダール島の生活には慣れたかしら?」


 茶器に口をつけながら、王妃が話しかけて来た。


「はい、ノラン様に色々教えて貰って、どうにか……、いえ、楽しく過ごしております」


 それは良かったわ、と王妃は煌めく笑顔を披露した。

 茶を飲み、話をしていても、王妃は鳥肌がたつほど美しい。おまけに話し方はどこまでもたおやかで、口元は微笑みを浮かべていても、彼女の灰色の瞳はなぜかまさに人形のように表情がなかった。

 正直なところ、一緒にいてこちらが何となく不安に感じるほど、危うげな美女だった。

 しどろもどろになりつつも、私が一生懸命ダール島の美しさを説明していると、王妃の視線が私を飛び越えて後方へ投げられた。

 彼女は微かに驚いた顔をしていた。なんだろう、と後ろを振り返ると、温室の入り口から国王が入ってくるところだった。


「お父様!」


 王女もそれに気づき、私たちの横をすり抜けて国王の元へ駆け出した。

 王女は国王に抱きつくと、甘えた声で父親に話し出した。


「ねぇお父様、ご一緒にお茶をしていって! わたくしの温室で!」

「お前は本当にここが好きだな。そんなに気に入ったのなら、建てさせた甲斐があるというものだ」


 二人は話しながら私たちの方ヘやって来た。王女は国王の腕を自分の身体に回し、それにまとわり付いた。


「ねぇ、お父様、わたくし、噴水も欲しいの。お庭にわたくし専用の噴水を作って頂戴」

「お前はおねだりが上手いな」

「大きなやつよ! 普通の噴水じゃ嫌」


 猫なで声の国王と、人前でも構わず国王に全力で甘える王女を目の当たりにし、ウジェニー王女がいかに国王から溺愛されているのかが、良く分かった。


「ノランお兄様が、ここを浪費だと仰ったのよ! お父様の事を悪く仰ったわ!」


 ぎくりと私の心臓が跳ねた。……なぜか私が焦っている。

 ちらりと盗み見ると、ノランが微かに頰を引きつらせたのが分かった。

 国王は苦笑しつつ、王妃の隣に立った。王妃とノラン、私の三人は急いで起立し、膝を折って挨拶をする。遅れをとらなかったことに内心ホッとした。

 国王はノランに言った。


「手厳しいな、私の息子は」


 ノランは言い訳もせず、ただ深々と頭を下げた。

 国王はどさりと席に着くと、テーブルの上の焼き菓子に手を伸ばし、それを無造作に口に放り込んだ。嬉しそうな様子の王女が、国王の隣にすわる。

 国王が目尻を優しげに下げて、王女の髪を撫でた。どうやら本当に可愛くてたまらないようである。

 だが続けて王女は可愛くないことを言った。


「ねぇ、お父様。今日式典では わたくしに無礼な女官がいたのよ」

「それは問題だな」

「王族への敬意を、持っていないのよ。首にして。ねぇ、良いでしょう?」

「分かった。後で調べさせよう」


 パッと笑顔を見せると、王女はさも嬉しげに言った。


「お父様、ありがとう! 世界で一番好きよ!」


 王女が国王の頰にキスをすると、国王も頰を緩ませた。唯一の王女というのは、手放しで可愛いらしい。

 王女は国王の膝の上から降りると、温室奥へ駆け出し、再び猫たちと遊び始めた。

 ノランの方を見ると、彼は明からさまに不快そうな顔をして王女を見ていた。


「父上はウジェニーを甘やかし過ぎです。今は民に我慢を強いている時期だというのに」

「相変わらずお前はものを率直に言うな」

「ダール島の周辺では既に暴動が何度か起きています。父上のお膝元に飛び火するのは時間の問題ですよ」


 にわかに国王の表情が険しくなり、王妃が少し咎める口調でノラン、と言う。

 だがノランは気にするそぶりを見せず、国王から目を逸らさない。

 国王は不機嫌そうに眉を寄せた。


「お前がイーサンと同じようなことを言うとは思わなかったぞ。私と同じ信条を持っていると思っていたのだがな。……田舎暮らしで思想が変わったのか?」

「これまで意見がなかったわけでも、変化した訳でもありません。表明しなかっただけです」


 国王はつい、とノランから目を逸らし、席に寄りかかると足を組み直した。膝がテーブルに当たり、その衝撃を受けてカップを満たす茶がゆらゆらと揺れる。その小さなさざ波を少しの間、私も国王も、ノランも見つめていた。

 茶の揺れが収まると国王は別の話をし始めた。


「ノラン、お前は大丈夫なのか? ダール島で経済難に陥っている、と聞き齧ったが」


 そんなことを国王にまで知られているのか、と私が焦った。


「父上。ダール島は小さいですが、貧しくはありません。まずは領主として投資に力を入れているのです。領民が豊かになれば、領地収入はその後増えましょう。ご心配には及びません」

「お前は私の息子である事を、忘れるな。品位は常に保たねばならぬ」

「勿論、理解しております」


 やや厳しい表情でノランに語る国王とは対照的に、ノランは無表情で淡々と答えていた。

 私は思わず日頃のノランを思い浮かべた。


 ーー品位とは、なんだろう?


 ダール島の屋敷はかなりガタがきていた。屋敷内は隙間風が吹いていた。強風が吹いて入れば、窓を閉めていてもカーテンが揺れたし、使っていない部屋の家具は壊れても放置された状態だ。

 でも、ノランに品がないとは思った事がない。

 そう思案に暮れていると、国王と目が合った。


「リーズ、といったか。ノランは良くやっているか?」

「はい! ノラン様はとても素晴らしい領主です。先日も、ダール島の井戸を技術者に混じって、お手ずから修理なさったんです」


 ……どうもあまり良いフォローではなかったようだ。

 国王は眉と眉の間にシワを寄せた。ノランと同じ水色の目に、不満そうな色が浮かぶ。

 私は慌てて言い足した。


「ノラン様はとても、ダール島の人々から尊敬されています」


 国王はやっと頷いてくれた。

 そうして、諭すようにゆっくりとノランに語りかけた。


「ダール島で学ぶ事も多かろう。だが決して忘れるな。お前はこの国の王の子なのだ」


 思わずギクリとした。ダール島でのノランの日常が王子の生活からはかけ離れて見えたからだ。

 しかしながら、勝手にうろたえる私をよそに、ノランは一貫して無表情なままだった。

 国王が探るような目つきでノランを見つめた。ようやくノランは答えた。


「私は、ダール島の生活を気に入っております。どうかご案じなさいますな」


 国王は菓子をもう一つつまむと、席を立った。

 私たちも国王の動きに合わせて、起立する。

 どうやら国王はもう政務に戻るようだ。忙しい合間を縫って、私たちに会いにきてくれたらしい。

 なんだかんだ言っても、そこに私は父親としての息子に対する愛情を感じた。

 もうお戻りですか?と抑揚のない声で尋ねる王妃の額に口付けると、国王はノランと軽く抱き合った。


「お父様!」


 国王が温室から出て行こうとしている事に気がついた王女が、軽やかにかけてきて、国王に飛びついた。

 そのまま王女は国王に腕を絡ませ、歩きながら、何やら新たなおねだりをしていた。

 次々と欲しい物が出てくるらしい。

 二人は並んで温室を出て行った。


「そもそもあいつは何をしに来たんだ」

 

 二人の後ろ姿に視線を投げながら、ノランが不機嫌そうに言った。

 王妃が再び席に座ると、ノランは座らず、私の手を取り、自身に引き寄せた。


「母上。今日中に王都をたつ予定ですので、もう失礼致します」

「……早いのね。式典は終わったばかりよ」

「色々と、忙しいのです。貧乏領主ですので」


 ノランが自虐的に笑った。

 王妃は小首を傾げた。その、白く細い首は年齢を感じさせないほど滑らかで細い。


「でも、もう少しゆっくりしていっても……ここは貴方の育った王宮よ?」

「またきっと、母上をお尋ねします。では、失礼致します」

「皆行ってしまうのね」

「母上?」


 王妃は首を左右に振った。

 ノランはゆっくりと王妃の手を取ると、その甲に口付けた。まだ物言いだけにノランを見つめる王妃を置いて、ノランは私の手を引いてその場を離れた。


 外の世界から切り離されたような、愛らしい温室の空間から王宮の庭園に出て行くと、外は思ったよりも涼しく、瞬間ぶるりと身体が震えた。

 なんとなく後ろを振り返ると、曇り一つない綺麗なガラスの壁越しに、いまだ席に着いたままの王妃の姿が見えた。

 彼女はこちらではなく、宙に目をやり、どこか遠くを見ているようだった。

 輝くガラスのドームによって守られた、王宮から切り取られた様な、温室。咲き誇る花々と、鬱蒼と緑を茂らせる木々。そこをヒラヒラと愛らしく舞う、色とりどりの蝶たち。

 美しい王妃は、ただ一人、その世界にいた。

 この温室はウジェニー王女が建てたものだと聞いていた。だがこの瞬間、私には王妃だけがこの温室に取り残された存在の様に見えてしまった。





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