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王子と王女

「貴方って、つまらない男だわ……!」


 ロージーは上品な美しい顔からは想像も出来ないような台詞を吐き捨てた。その大きな瞳には、憎しみと微かな恐怖が浮かんでいた。


「兄上に是非そう伝えるといい。誤解が解けるだろう」


 ノランかそう言い終えるや否や、ロージーは身を翻し、駆け出した。


 ーーこっちに来る!


 驚いた私は慌てて近くに立つ糸杉の木の裏に入り込み、身を隠した。朧げな月光のみを頼りに動いたため距離感が掴めず、身体の前に出していた手のひらが糸杉の枝から密集して伸びる鋭利な葉の束に触れ、その痛みに咄嗟に手を引っ込める。

 木すらも私を拒絶したような気がしてしまう。

 そうして息を殺して耳をそばだてていると、ロージーが芝の上を走り去っていく足音が聞こえた。やがてそれが余韻さえ残さないほどに遠ざかっていくと、私は安堵のため息をついた。

 そっと糸杉の陰から様子をうかがうえば、今度はノランがこちらに歩いてきていた。

 彼は蔦が絡まる仕切りの向こうから姿を現し、糸杉の裏から顔を出す私にはまるで気づいていない様子で、テラスの方角へ歩き出していた。

 私はそんな彼の後を、そっとついていった。

 ノランは私が歩き始めて数歩でピタリと立ち止まった。

 そして敏捷な動作で後ろを、すなわち私を振り返った。

 その目が緩々と驚愕に見開かれていく。


「……リーズ……?」


 まるで幽霊にでも遭遇したみたいな顔をしている。それが自分の妻を見る態度だろうか?

 私はゆっくりと歩いて、ノランの正面に立った。


「何故……? いつから、聞いていた?」

「良く覚えていません…」


 混乱し過ぎて。

 するとノランは両手で私の肩を掴んできた。まるで私を揺さぶるように。


「いつから!?」

「い、いつからだって良いじゃないですか!」


 動揺のあまり、我知らず大きな声を出していた。ノランは少し驚いたのか、目を瞬いた。


「……良くない。大問題だ」

「そう、大問題です。でも問題なのは全部貴方です!何なんですかっ。女の人とこんな時間に二人で、こんな所まで来て」


 改めて周囲を見渡せば、真っ暗じゃないか。

 さっきまで不用意にも、ロージーを抱き寄せていたノランの姿が、脳裏に蘇る。そのとても優しい声までも。

 その光景を見せつけられていた時は困惑とショックばかりが優先し、夫であるはずのノランに裏切られたという怒りは、沸き起こる余地がなかった。だが今は怒りの感情が、ふつふつと腹の底から浮かぶ。


 ーーなんでのこのこ、妙齢の既婚男女がこんな場所まで好き好んで来るのよ!


「リーズ、聞いてくれ…」

「隠し子の次は、初恋の人ですか! どんだけ下ネタの宝庫なんですか!」


 私は腕を振り回して、ノランの両手を払った。


「しかも結婚を誓いあった仲、ですって?」

「ーー全て聞いていたのか」

「そんな人がいたなら、なんで……」


 なんで私なんかに。

 そのまま、怒りに任せた勢いで、彼の胸を押して距離を取った。直ぐに踵を返して、走り去ろうとした。

 この場にいるのが耐えられなかったのだ。

 するとノランは後ろから私の二の腕を掴み、私が進むのを制止した。それはかなりの力で、私はこれ以上全く進めなくなった。

 ロージーを抱いた手つきはあんなに優しかったのに。なのに、これはどうだろう。

 私は腕を掴まれたままノランを振り返り、その顔を睨んだ。


「もしかして兄弟で一人の女性を取り合ったんですか?」

「中途半端に聞いていたのか。聞いてくれ。確かにロージーとは、かつて仲の良い友人だった。ーー十代前半の頃は、将来も語り合う仲だった。だが、彼女の方から徐々に離れていった」

「それじゃ振られたんですか? つまりノラン様の方はまだ彼女に未練があったってこと?」

「違う!」

「じゃあなんで、ロージーに誘われるままついて行ったんです! 直ぐに部屋に戻ってくれなかったんです? 私は、慣れない王宮の中に一人で心細かったのに……」

「私が悪かった」


 そうだ。ノランが悪い。ーーでも今圧倒的に惨めなのは私の方だ。

 私はノランに腕を掴まれた状態で彼を睨み上げていた。彼の気持ちが分からなすぎて、問うべき言葉が形をなさない。

 ノランは私にだけ聞こえるような小ささで言った。


「第二兄上が何を考えているのか、知りたかったのだ」


 第二王子……つまり、ロージーの夫が?


「探りを入れていたのは、ノラン様の方だったということですか?」


 ――本当に? 本当に、それを信じていいの?


 ノランは私を引き寄せてぎゅっと抱き締めた。それは随分力任せで、痛かった。これを抱擁と形容すべきか分からない。


「ロージーには、あんなに優しくしていたのに……」


 嫌味を精一杯込めて言ってみた。


「キスもしようとしていましたね」

「誤解だ! あれは愚かな行為を自覚して貰うために、脅しただけだ」

「嘘……」

「嘘ではない」

「……だって一目惚れも、どうせ嘘なのに……!」


 余計なことまで口走ってしまった。

 しまった、と私が口をつぐむとノランは私の名を呼んだ。


「おかしな気があってロージーの誘いに乗ったのではない。彼女に対して、貴方が疑っているような特別な感情などない」


 ノランの胸に突っ張っていた手の平を押し付けるのを、私はゆっくりとやめた。

 それが呼び水になったかのように、ノランは私の額にそっとキスをした。その優しい感触に、ほんの少しだけ尖っていた気持ちが柔らぐ。そうしてその直後に、単純すぎる自分の気持ちが嫌になる。


「こんなことをするのは、貴方にだけだ」

「私は町娘と言われようと、ーー私にだって……ノラン様しかいないんです」

「リーズ……。貴方が私の妻だ。それに私たちは少しずつ、互いの距離を縮めてきたと思っている」


 私は大きく息を吐きながら、顔をノランの胸に埋めた。

 私たちは暫くの間、そうやって抱き合って立ち尽くしていた。

 こうやって抱き合っているのに、どこか私たちはまだすれ違っている。ノランの方も、それを自覚しているに違いない。

 だからこそ、彼が私を抱きしめる腕は、妙に力が入っていて、どこか強引なのだ。

 それがもどかしい。



 翌日、国王の即位二十年を祝う為に、私たちは王宮の正門の前に広がる広場に集った。

 広場に繋がる道路は全て封鎖され、いつもは行き交う王都の人々で賑わう広場が、この朝は式典に参加する王侯貴族で賑わっている。

 広場には椅子が整然と並べられ、予め決められていた席次に従い、私たちは席に着いた。

 広場は一般の人々には封鎖されていたが、道を塞ぐ為に配置された兵たちとフェンスの向こうにはたくさんの市民たちが押し寄せていて、何重にも列を作ってこちらを見学している。

 良く見れば、広場の周囲の建物の窓からも、無数の視線を感じた。


 国王と王妃は遅れて会場にやって来た。

 国王だけが着用を許されている、真紅のマントは遠目にも大変目立ち、万人の目は自然と彼に吸い寄せられた。

 国王夫妻の登場と共に、音楽隊による演奏が始まり、広場に響き渡る。

 演奏される曲はこの日のこの式典の為に作曲されたものであり、格調の高さを感じさせながらも、参加者を飽きさせぬよう適度に短い曲だった。

 続けて、着飾った可愛らしい子どもたちによる、国王への花束贈呈が行われた。一体どこで選ばれてきたどういう子どもたちなのかは、私には分からないが、皆とても可愛らしい容姿をしているのが印象的だった。


 式典の最大の見所は、国王の即位ニ十周年を祝って建てられた、銅像を披露することだった。

 広場に設置されたその真新しいはずの銅像には、全体を覆うように大きな白い布が掛けられていた。

 国王の合図に合わせて、その大きな白い布が取り去られ、巨大な銅像がその姿を見せる。すると観衆たちは一斉に拍手をした。銅像は非常に大きく立派で、尚且つ優美だった。王都の守護神である女神をモデルにしたもので、背中から大きな羽根がしなやかに伸び、右手には剣を、左手に本を抱えている。これからこの広場で、半永久的に人々を見守る存在になるのだろう。

 国王も大変満足そうな顔をしており、自身も大きく手を叩いていた。


 私の席の近くには、ウジェニーという名の姫君が座っていた。まだ十二歳だというこの姫は、国王夫妻にとっては七人目の子どもにして、初めての王女だ。

 王女は若草色のドレスを着ており、ドレスの全面に気が遠くなるほど手が込んだ刺繍が施され、その上に細かなクリスタルが縫い付けられていた。

 きっと私が持っているドレス全てが束になってかかっても、このドレスの価値を超えることは出来ないだろう。

 王女のまだ細っそりとした腕や首を飾るのは、とんでもなく大きな貴石が乗ったアクセサリーだった。

 王女は灰色の目をくるくると良く動かし、好奇心いっぱいで周囲の人々に話しかけてきていたが、どうにも周囲を小馬鹿にした態度があった。

 気になって目が離せない。

 静かにするよう、女官にやんわりと言われると、王女は不機嫌そうに眉をひそめた。

 そして手にしていた華麗な扇子の先で、その女官の美しい顔を叩いた。

 パシッ、と決して小さくない音が私の耳にも入ってくる。

 思わずギャッ、と心の中で叫び声を上げてしまった。

 見ていたこちらまで、叩かれた気分になったのだ。

  なんて怖い王女だろう。

 女官のシミひとつない磁器のような白い頰に、鮮やかな赤い血が滲んだのが見えた。

 女官は慌てて頭を下げ、王女に非礼を詫びた。


 ーーあんな子がノランの妹だなんて。正直、私の義妹だとしてもあまり関わりたくない……。


 私は無意識に、隣に座るノランの方に身体を寄せた。

 すると王女の澄んだあどけない声がこちらまで聞こえてきた。


「ねえ、あの人が有名なリーズでしょう? ノランお兄様を篭絡させた」


 ーー嘘。……私の話をしてる。


 関わりたくないのに、話題にされているようだ。

 篭絡させた覚えはない、と心の中で王女に反論した。




 この後、国王は王都の幹線を馬車でゆっくりと通り、一般の人々からの祝いに応える予定となっていた。

 だが式典の終盤、兵が堰き止めていたフェンスの内の一箇所で騒ぎが起こった。

 広場の貴族たちが、何事かと不安そうにそちらを振り返る。

 貴婦人たちは扇を口元に当て、眉根を寄せてひそひそと囁き合っている。

 よく見ると一箇所のフェンスで、観衆が何やら叫びながら手を振り上げ、兵たちに文句をつけているようだった。兵たちがバラバラとそこへ向かい、騒ぎ出した観衆によって押されて倒れつつあったフェンスを支える。

 怒声を上げる観衆の一部から、セベスタへの援軍反対、という声が切れ切れに聞こえてきた。

 こうして広場の和やかな雰囲気は一瞬にして不穏なものとなってしまい、この騒ぎの結果式典は早目に切り上げられる運びとなった。

 国王のパレードも安全面を考慮して、当初の予定よりもコースや長さを変更して行われることになったらしい。

 華やかな馬車に乗り込み、王妃と出発する国王を見送ると、私たちは一足先に王宮の建物に戻った。


 私が緊張していた式典が、ようやく終わった。

 ノランが期待した国王の後継者の発表は、残念ながらされなかったので、私はいくらか肩透かしをくらった。或いは騒ぎが起きたから、重大な発表を控えたのかもしれない、とも思った。

 終了してみるとそれはあっという間で、慣れない大舞台に色々と案じていたことが、嘘みたいに思えた。




 山場を乗り越え、あとはダール島へ帰るだけだ、と一安心していた私に、ジョアンナが告げた。

 王妃とのお茶会がこの後あるのた、と。

 どうやらお茶会のお誘いは社交辞令ではなかったらしい。

 固まった私にジョアンナは言った。


「ウジェニー様もいらっしゃいます。夜会にはいらっしゃっていなかったので、お茶会でお顔合わせ下さい。ーー王妃様のお心遣いです」


 もっと気が重くなってしまった。

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