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殿下の来訪

 縁談話が持ち上がった少し後で、義兄は念のため、私の肖像画を画家に描かせ、それを第四王子に渡した。

 それは第四王子自身に、本当に私が「一目見て心奪われた女性」なのか、確かめてもらう為でもあった。

 だが第四王子は私の肖像画を渡してもなお、一目惚れした女性は子爵家のリーズ・テーディだと言い張った。

 こうなると、もうテーディ家に反論する術はなかった。

 こうして私は「お伽話のような世紀の幸運」を掴んだヒロインとして、屋敷中の人々から生温い目で見られ、冷やかしの的となったのである。



 私を屋敷から追い出せる絶好のチャンスを掴んだ義兄たちは、以後積極的にこの珍妙な縁談を進めた。

 義兄はこれを逃せば、私にはもう縁談など来ないだろう、と脅した。

 怖くなった私は、街中で必死に集めたチラシの束を腕に抱えて、義兄に縋った。


  「お義兄様、私この家を出ていきますから、どうかお許し下さい」

「何の話だ? リーズ」


 太い眉を思いっきり寄せて、義兄は私を睨みつけた。

 私は集めた求人広告の束を広げるようにして、義兄の前に差し出した。


「働きに出ようと思います。居候娘の私が、いつまでもここに居るわけにはいきませんから、自立します」


 義兄は私の手の中から、チラシの束を強奪した。軽くパラパラとめくり、鼻を鳴らす。そして彼はそれをまとめると両手てグシャリと潰してしまった。


「お、お義兄様!?」

「住み込みの宿屋だの、食堂だの。こんなところでこのテーディ家の令嬢が働ける筈がないだろう。お前はどこまで馬鹿なんだ」


 義父が亡くなってからは、令嬢としての扱いは受けていないし、ほかの使用人と同じくらい屋敷の雑用を手伝ってきた。

 働けないとは思わない。


「ここから出て行くのは許さないぞ。そもそも父上がなくなる前に、お前を頼むと何度も言われているんだ」


 そんなのは初耳だ。

 私は縁談からどうにか逃げたい一心で、義兄に珍しく食い下がる。


「それでしたら、私の幸せのためにどうか、外で働かせて下さい」


 義兄はチラシを床に放り投げ、腕を組んだ。そして凄みのある声で言った。


「お前は縁談を断りたいだけだろう? 」


 ーーああ、どうしよう。バレている。


「そんなことが、テーディ家にできると思っているのか?」


 血の気が引いて行く。

 見出したほんの一つの小さな出口を、義兄に塞がれようとしている。


「お前と結婚出来なくなったノラン殿下が、宣言通りに自害されでもしたら、どうする? テーディ家の終わりだ」

「……でも、これは何かの間違いです」

「身の程知らずなことを言うな!」


 義兄は話は終わりだとばかりに、怒ってその場を離れていった。

 私には、もうどうすることもできなかった。





 そうこうするうち、遂に第四王子が結婚について話を詰める為、テーディ邸を訪れる日がやって来た。

 その日私は妹のレティシアと二人で、テーディ邸のアプローチで間も無く訪れるはずの第四王子を待っていた。

 一台の馬車が屋敷の敷地に入って来た時、私は無意識に背筋を伸ばした。

 第四王子が乗って来た馬車は、想像よりも質素なものだった。白塗りの車体に金色の装飾がされたような、豪華な馬車を勝手に想像していた私は、いくらか拍子抜けした。

 馬車の音を聞きつけ、義兄も慌てて屋敷から飛び出して来る。

 馬車が私たちの前でとまり、私たちは膝を折った。やがてキィ、と軋む音を立てて扉が開く。

 心臓がばくばくと動き、緊張から私は両手の拳を握りしめた。

 私が第四王子の顔を見るのは、この瞬間が初めてだった。

 どんな顔だろうか、とかどんな話をしてくれるだろうか、とかどんな表情で降りて来るだろうか、といった疑問は、もう一切浮かばなかった。

 ただ、私の頭の中は緊張で真っ白に弾けてしまっていた。

 馬車の中から一人の人物が降り立ち、姿をあらわした。

 私の前に立っていたのはプラチナブロンド眩しい、長身の男性だった。

 美しい顔立ちに、均整の取れた体躯。彼はそこに立っているだけで、圧倒的な存在感を放った。

 こんなに見栄えする人が、誰かに一目惚れなんてするのか。


「お会いしたかった、リーズ」


 第四王子は迷う事なく、颯爽とその長い腕を伸ばした。ーー私の妹のレティシアに。


「……リーズは、私ですが……」


 恐縮ながら第四王子の誤ちを指摘をしてみると、彼はハッと目を見開いた。

 王子はレティシアから視線を外して私を視界に捉えた。そのまま僅かの間、驚いた表情で私を凝視する。

 そして一度ゆっくりと瞬きをすると私をしっかりと見つめ、何事もなかったかのような抑揚のなさで私に向かって話を続けた。


「リーズ、貴方に会いたくてたまらなかった」


 この瞬間、一目惚れという設定が破綻したような気がするのだが、第四王子には全く迷いがなかった。

 彼はレティシアに差し出していた手をサッと動かすと、私の手を取り、まるで予め練ってきた台詞のような滑らかさで言った。


「リーズ。貴方を見かけて以来、私は貴方の虜なのだ。どうかこの不躾な縁談を許して欲しい」


 私は勇気をもって尋ねてみた。聞きたくて仕方がなかった事を。少し声が震える。


「あの、殿下はどちらで私をご覧になったのでしょうか……?」


 聞いてみた事を瞬時に後悔した。

 第四王子は眼光鋭く私を睨み付け、そのあまりの冷たさにこちらが硬直した。

 その水色の瞳は、二度とその質問をするな、と無言のまま私を脅していた。

 第四王子は私の問いをサラリと無視し、義兄に顔を向けた。


「テーディ子爵。お招きありがとうございます」

「殿下にお越し頂けるとは、恐悦至極にございます」

 

 義兄はこれ以上はないというほど、嬉しそうに第四王子を屋敷の応接室に案内した。


 テーディ邸の応接室に入ると、私と第四王子、義兄の三人はソファに座った。


「殿下。早速ですが、結婚式の教会は……」

「実は私はもう殿下ではありません。この縁談を進めるにあたり、既に殿下の称号を放棄しました」


 ーーえ、今なんて……?


 私は激しく瞬きをした。


「同時に父から与えられていた幾つかの爵位とそれに伴う領地、王宮での役職も手放しました。ーー全てはリーズとの結婚の為に」


 あまりの展開に、身体の末端から血の気が引いていく。こんな馬鹿なことがどうして起きているのか。

 いや、この王子はなんでこんな馬鹿な事をしているのか。

 さすがの義兄も少し不安顔で口を開いた。


「あの、では殿下は今……」

「私は残された最後の領地である伯爵領の屋敷に居を移しました。私は、そこでリーズを迎える予定です」


 王子は私にその芸術品のような美しい顔を向け、彼の所有する伯爵領は長閑で素敵な所だ、と付け加えた。だがそんな補足情報は全く耳に入らない。

 唖然とする私の目の前で、義兄と王子は結婚式の場所について相談を始めていた。

 私は残された勇気を総動員させ、もう一度先ほどの質問をする事にした。今聞かなければ、大変な惨事が待ち受けているかもしれない、という予感がしたからだ。


「あのっ……! 殿下は、」

「リーズ。私は今、伯爵としか呼ばれていない」

「伯爵様、あなた様は一体、どこで私を見かけたのですか?」


 伯爵の申し訳程度の微笑が、即座に消えた。

 彼は私の瞳をしっかりと捉えると、ゾッとするほどの低音で言った。


「どこでも宜しい」


 よ、良くない……。

 だってこの求婚の大前提じゃないか。


「いえ。その……私は殿下が、」

「伯爵」

「う、ぁ、伯爵様がどなたか別の女性と私を勘違いなさっているのではないかと、心配しておりまして……」

「リーズ! 殿下に……じゃなかった、伯爵に失礼な事を言うんじゃない! 伯爵に間違いなどある訳がないだろう」


 ーーえっ、だってさっき出会い頭に私とレティシアを間違えていたし……。


 義兄は伯爵に対し、躾の行き届かない妹で申し訳ありません、と頭を掻きながら詫びていた。

 対する伯爵は、剣呑な眼差しを私に向けると言った。


「リーズ。貴方は私に死ねと言うのか」


 死ね?!

 勝手に自害すると言っているらしいのはそっちじゃないか。


「いいえっ! そ、そんなつもりは……」

「では、良かった」


 何が良いのか。


「実は私たちの結婚式のことですが、既に私たちの仲については、ちょっとした騒ぎになっています」


 それは否定し難い事実だった。騒ぎを起こすのが得意な王子だ。


「ついては、父上からはこれ以上騒ぎにならぬよう、お披露目やパーティは控えるよう命じられています。取り敢えず簡易な式だけを教会で挙げようと思っている次第です」


 いっそ騒ぎが収まるまで結婚自体を延期してはどうか。あと五十年くらい。

 勿論こんな事は私の立場ではとても言えない。


「それに私にとっては喪中期間が終わったばかりです」


 突然その話題が登場し、私と義兄は激しく瞬きした。

 喪中ーーとは、弟の第五王子のアーロン殿下が殺された事を言っているに違いない。

 これ以上この話題に触れないよう、義兄は間髪容れずに相槌を打った。


「ええ、ええ。わかります! 華やかな大々的な式など、今は控えるべきでしょうとも!」

「式には私の付添人が一人参加いたしますが、それ以外の家族とは、後程機会を設けてきちんと王宮で紹介したいと思っています」


 家族って、王様とか、王妃様の事だろうか。一体どんな顔をして会えばよいのか、分からない。

 義兄はその膨よかな頰をにんまりと膨らませ、両手をこすり合わせながら、答えた。


「勿論それで結構ですとも。かえって当家にも好都合です」






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