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裏切りの光景……?

 宴もたけなわ、といったところになると、夜会の参加者たちは小集団にわかれてそれぞれお喋りに花を咲かせていた。

 朝からの慣れない日程に疲れ切っていた私は、ソファに座ってちょこちょこと食べ物をつまんでお腹を満たしていた。

 テーブルの上には大量の皿が重ねられており、どれも白く薄い、いかにも高級そうな磁器製の皿で、表側ばかりか裏面にも華やかで繊細な模様が描かれていた。


 ーーあのお皿、良いなぁ。島の屋敷にあったらなぁ。


 五枚くらいコッソリ頂戴してもバレやしないのではないだろうか。いや、ここは謙虚に四枚でも良い。


「どうかな? 初めての王宮は」


 その時、唐突に声を掛けられた。

 誰だろう。物欲しそうな目で皿を睨んでいた私などに話しかける人は。

 急いで顔を皿から離し、取り繕いながら見上げると、正面に立つのは第一王子だった。


「イーサン殿下。……高貴な方々に囲まれて、夢心地です」


 そう言うと第一王子は笑った。

 私はサッと視線を彷徨わせ、急いでノランを探した。正直なところ、第一王子と何を話せば良いのかわからなかった。でも、ノランは近くに見当たらない。

 第一王子はどっこらしょ、とややジジくさいセリフを吐きながら私の隣に腰かけた。

 そして神妙な顔つきになり、少し声を落として言った。


「今だから言えるが、ノランから結婚したいと聞いた時は、驚いたよ。実は、反対したんだ」

「はい。分かります」


 素直にそう言うと、第一王子は面食らったように目を大きくして、高速で瞬きした。

 そして破顔一笑した。


「君は面白いひとだね」


 第一王子は笑いをおさめると、ふぅ、と豪快な見た目とは対照的な可愛らしい溜め息をついた。


「幸せそうなノランの姿を見られてホッとしたよ。……あの事件以来のノランは、本当に沈んでいたから。あいつは間違っていなかったな」


 あの事件ーー。

 それは去年の第五王子殺害事件のことだろう。


「ノラン様と、……第五王子様はご兄弟の中で一番仲が良かったそうですね」

「ああ。あの後暫くのノランは、本当に酷かった……。凄く沈んで……、まあ、元より明るい奴じゃないけどな!」


 そう言ってから、沈んでしまった空気を追い払うようにガハハと笑う第一王子に釣られ、私も笑った。

 ひとしきり話すと、彼は自分の膝の上で手を組み、真剣な顔つきで尋ねてきた。


「ノランは、ダール島でどうしてる? 屋敷は随分古いと聞いているが……」


 思わず苦笑してしまう。

 だが第一王子の目付きはとても真面目で、本気でノランを心配しているようだった。私はまだ手に持っていたフォークを皿の上に置くと、私たちのダール島での生活について、語り始めた。




 決して小さくはない夜会がお開きになると、私は明日の支度のために部屋に戻ることにした。

 明日の式典では、今日の夜会以上の人々が集まるのだ。せめて十分な睡眠時間をとり、化粧ノリを良くしたい。

 ノランは友人たちに、一緒に庭園で飲み直そう、と熱烈に絡まれて……いや、誘われていた。

 侍女たちがテラスのテーブルや料理を片付け始めると、友人たちはまだ中身が入っている酒瓶や、つまみの皿を掠め取り、テラスの先に広がる庭園に勝手に置き始めた。

 そこへ、車座になって友人たちが集い出す。

 若い女性たちまで、高価そうなドレスが芝で汚れるのを物ともせず、地面に座り込んで楽しそうにつまみを食べ始めていた。みな赤ら顔で陽気な表情になっていて、かなり酔っているようだ。

 上品にお高くとまって見える人々も、酔って仕舞えばかなり砕けるものらしい。


「まだ夜会は終わりませんよー!」

「付き合ってくれたら、このバイオリンを殿下ぁ、じゃなかった、伯爵殿に差し上げよう〜!」


 呂律が回らない様子で、楽器を小脇に抱えた男性が叫び、ノランの肩に腕を回した。


「式典が終われば、またダーン島に帰ってしまわれるじゃないか! 今夜は飲もう! 飲みましょう!」

「そうそー、私も妻なんか、知りません! 伯爵様も、奥方ほっといて、ご一緒に!」

「酔い過ぎだぞ。あと、ダール島だ」


 友人たちの誘いを受け、ノランは結局飲み直す事にしたようだった。最初は私に遠慮していたが、何せ彼にとっては今や滅多に会えなくなってしまった友人たちだ。

 私は快く彼を庭園の特設二次会へと送り出した。


 部屋に戻ると、ジョアンナは明日の式典までの流れを教えてくれた。いちいち明日ノランに聞くのもどうかと思われたので、私は一生懸命式典の流れを頭に叩き込み、覚えようと努力してみた。

 ジョアンナはそれだけではなく、明日着る服や靴の準備を一緒にしてくれた。彼女は私の髪型もあれこれと提案をしてくれて、実際に鏡の前で数種類の結いあげ方を実演してくれた。

 懸命に聞いていると、ジョアンナはくすりと笑った。


「今日はお疲れですね。とても眠そうにされてます。そろそろ、失礼しますね」


 確かに、鏡に映る私は、とんでもなく目が虚になっていた。化粧ノリどころじゃない。これではクマができてしまう。

 ジョアンナにお礼を言うと、私は豪華な寝台に身体を沈めた。背もたれ部分にまで立派な装飾がある寝台で、間違えて頭をぶつけでもしたら、大怪我をしそうだ。

 寝ぼけ眼で時計を見ると、まだ寝るには早かった。だが、もう瞼が重たい……。


 不意に目が覚めた。

 ハッと横を確認すると、大きな寝台には私一人しかいない。

 まだノランは帰って来ていないのだろうか。頭を起こして確認すると、だだっ広く絢爛な暗い部屋の中にいるのは、私一人だけだ。

 枕元に置かれていた時計を引き寄せ時刻を見てみれば、既にいつもならノランも就寝しているはずの時間だった。


 ーーまさかどこかで、酔いつぶれているのかな。


 一緒に飲み直していた友人たちは、あの時点で既にかなり酔っているみたいだったから余計に心配だ。

 みんなで庭園で寝てしまっていたりして……。

 寝台の上でやきもきしながら、ノランが戻るのを今か今かと暫く待ってみたものの、一向に帰ってくる気配がない。

 心配になった私は、起き出して寝台を降りた。

 そうして上着を羽織り、部屋を出る。そのままそろそろと歩いて、夜会の会場へ向かった。


 テラスは既に綺麗に片付けられ、誰もいなかった。


 ーーノラン、どこ……?


 心細く感じながら、私はテラスを下りて庭園に出た。片付け損ねたらしき酒瓶が二本だけ、芝の上に転がっていた。

 辺りは無人だった。だが、庭園はまだ奥まで続いており、暗くてよく見えない。

 まさか皆で庭園の奥に移動したのだろうか。

 考えにくい気もしたが、実際ノランは戻っていない。念のため私は庭園の先も確認してみる事にした。

 

 サクサクと、良く整備された芝を私が踏み締める音だけが聞こえる。密集して生え、短く刈られた芝は、質の良い絨毯のようだ。ダール島の我が家の庭の芝と、なんという差があるか。

 歩きながら私は思ったーーーーそもそも、私は不慣れな王宮にいるのだから、出来ればノランに近くにいて欲しい。それなのに彼はこんなに長時間私を放ったらかして、一体どこへ行ったのだろう?


 ーー気が利かないなぁ。


 微かにノランに対して苛立ちながら、呑気に歩みを進める。

 明かりはパーティの為に灯されていただけなのか、奥の方へと進むと次第に暗くなっていった。

 ブーン、と虫の羽音が耳の間近で聞こえ、驚いた。耳のそばで手を振り回したが、薄暗いので何の虫がいたのか、よく分からない。

 気持ち悪い。

 もう引き返そうか、どうしようか。

 だが立ち止まっていると、奥の方から人の囁き声が漏れ聞えてきた。


 ーー誰かいる?


 無意識に足跡を消しながら、声の方までゆっくりと近づく。

 明かりが殆どないため、よく見えない。だがその先には蔦が絡まる仕切りがあり、その更に向こうまで庭園は続いているようだった。

 耳をそばだてていると、男女かヒソヒソと会話をしているようだった。

 ノランと友人たちだろうか。

 でも、いくら耳をそばだてても二人分の声しか聞こえてこない。……それに、なんだか様子がおかしい気がする。

 こんな所で、まるで人目を避けるように男女が何をしているのだろう。気になる。

 いわゆる逢引きというやつだろうか。

 一体どんな人がイチャついているのか、好奇心のみで私は先へと進んだ。

 蔦が絡まる仕切りまで進み、その時点で耳を疑った。

 男性の声に聞き覚えがあった。


 ーーこの声……まさか、ノラン!?


 嘘でしょ。

 震える指先で蔦から出ている大きな葉に触れ、かき分けると、仕切りの向こう側が見えた。私の想像は当たり、低木に囲まれた暗い中で誰か女性と身体を寄せて話し合っているのは、誰あろう、ノランだった。

 何をしているのだろう?!

 息が止まるほど驚いて、彼等を仕切り越しに唖然としながら見つめた。

 そこへ高く澄んだ声が耳に飛び込む。


「ノラン! 貴方がとても心配なの。貴方は私にとって初恋のひとだから……」


 危うい台詞を吐きながら、私の夫にしがみついたのは、ロージーだった。第二王子の妃が、どうしてノランとこんなところにいるのだ。あの人たち、何してるの。

 もう、頭の中は大混乱だった。

 ノランが低く、抑えた声で言った。


「ロージー。……私を案じてくれるのは嬉しいが、その必要などない」


 ロージーに答えるノランの声は、私が聞いたこともないほど、とても優しかった。こんなに優しい声が出せるんだ……、と呆然とするほどに。

 彼の優しい声は、私の心の中を抉るように響いた。


「ロージー。それに夜遅くに庭園の奥深くに夫以外の男と来るものじゃない」

「話があって誘ったのよ。……最近の貴方が、あまりに自暴自棄になっているのではないかと思って」


 美女は悲しげに顔を歪めていても見応えがあった。そんなロージーの細い背中を、ノランがそっと撫でる。

 その手つきが、とても優しく見え、私は身を寄せ合う二人の姿を前にして、頭の奥が痺れたようなショックを受ける。


 ーーノラン。ロージーと、何をしているの? ロージーに、そんなに優しくしないで……!


 二人は至近距離でじっと見つめ合っていた。

 身を寄せ合い、見つめ合う美男美女は、とても耽美で絵になり、見応えがあった。

 私は何だろう。ここで彼らを見つめている私は。


 ーー見たくない。でも、見たい。いや、見なければならない。


 私は心の中で悲鳴をあげ続けている。でも、足だけは馬鹿みたいに力を失い、その場から動かなかった。

 ロージーの甘えるような、気だるい声がした。


「ノラン。本当は、あの子ーーリーズなんて貴方は好きではないのでしょう?」

「ロージー…」

「わたくし、あの子を見て直感したわ。一目惚れなんて嘘だと。だって貴方は面食いだったはずだもの」


 傷口にベッタリと塩を塗られた思いがした。


「それにあの子が貴方を見る目ーー。まるで他人を見ているみたいだったわ」


 私が、ノランを見る目? それはもしやノランがバイオリンを弾いている時の目だろうか。私はただ、ノランを少し遠く感じたのだ。周りからはそんな風に見えたなんて、思いもしなかった。

 手で避けていた葉に、力が入り過ぎたのか、葉が千切れ、ヒラヒラと私の手の中から零れ落ちる。


「貴方たちは形だけの夫婦なのでしょう? あんな子のために王宮を後にしたなんて言わないで」

「……そんな下世話な質問を、妃殿下がするものじゃない」

「誤魔化さないで」

「貴方の誤解だ」

「教えて、貴方の本心を……」

「ロージー……」

「貴方がとても大切なの。だってわたくしたち、かつては結婚を夢見た仲だったわ」

「子どもの頃の話だろう」


 私の頭の中は、分厚い霞がおりてきたように朦朧としてきた。不思議とまぶたが異様に重く思え、力が入らない。それなのに、目の前にいるノランとロージーの二人だけは、明瞭に視界に入る。


「ねえ、本当はあの町娘なんて好きではないのでしょう?」


 町娘。いつから私は居候娘から町娘に変わったのだろう。


「なぜそんなことを聞く……?」


 ノランは黙ってロージーの顔を優しく見下ろしている。


「貴方は、アーロン殿下のあの夜の現場で、もしかして何か見たの? だってあの時から貴方、本当におかしいわ。わたくしは貴方が心配なのよ。わたくしにとって、貴方は特別な義弟なの」


 ノランが、唐突に笑った。

 とても低く、乾いた笑い方だった。


「ノラン?」

「ロージー、変わらず美しい。容姿ばかりはあの頃と変わらないのに……」


 ノランがやや乱雑にロージーの背に手を回し、彼女の身体を抱き締めた。

 ロージーはされるがままになっていた。


「兄上の妃ともあろう身で、私に抱き締められても抵抗もしないのか?」

「の、ノラン……?」


 ロージーの腰に回したノランの腕に更に力が入ったのか、二人の距離が更に縮まり、ロージーの細い背がのけ反る。


「男を誘うような真似をして、何かあったらどうする? 」

「貴方が心配なだけよ。ノラン……」


 ノランの腕の中で、ロージーは甘えたような声でノランの名を呼び、顔を上げた。少し距離を詰めれば顔と顔が触れ合いそうなほどの近さで、二人は見つめ合っている。

 それは決して長い時間ではなかったが、私には途方もなく長く感じられた。

 ショックのあまり、頭の中が爆発しそうだった。


 ーー信じてた。

 ノランを信じようと頑張ったのに。


 なのに、どうしてノランは兄王子の妃なんかを抱きしめているんだろう。妻であるはずの私以外の女性に、こんなにも優しく甘い顔を見せるのだろう。

 この二人は一体どんな関係なのか。

 そもそも……私はノランにとって、どういう存在なのだろうか。

 心を脆くも打ち砕かれ、私は膝から崩れ落ちそうだった。

 だがその寸前でノランが口を開いた。


「兄上に愛を囁きながら、私にも大切だと縋るのか。女とは、実に恐ろしいものだな」


 その声は異常に低く、冷徹な響きをはらんでいた。

 ノランの腕がロージーを解放し、二人はどちらからともなく身体を離した。

 ノランを見上げるロージーの瞳からは、一転して恐怖が見て取れた。

 それに対し、ノランは凄味のある冷たい眼差しを彼女に向けていた。


「わたくしは、ただ、……別に…」

「シェファン兄上から、私に探りを入れるよう、命じられたのだろう? 兄上は色々と私を疑っているようだ。私が敢えて田舎に引っ込み、何か企んでいるようにでも見えたのか?」

「誤解よ、そんなこと……」

「それとも別の誰かか?」

「ち、違うわ!!」


 ノランは大きく一歩ロージーに近づき、彼女の白い左手を取った。そして彼女と第二王子との指輪がはまる薬指に、侮蔑を込めた視線を落とした。


「確かにかつて貴方とは将来を誓い合った仲だったな。だが、貴方は私が王位に興味がないと分かるや、あっさりと離れていった。ーー貴方は未来の国王妃の座が、欲しいだけだ」

「ノラン。ーー貴方は、王子に生まれたのに、その最大級の権力を手にしたいとは思わないの? 野心がないの?」

「私は、父のようになるつもりはない」


 ノランはロージーの手を放した。そうして、突き放すように言った。


「貴方は野心と結婚したのだな」

「ノラン、では貴方は小さな島にくすぶって、満足だというの?」

「小さな島、か。それでも私の妻は、大きな屋敷だと言っていた。貴方には何もない島でも、リーズの目にはたくさんの価値あるものが映っている」


 ノランが、私の話をしている……。

 ロージーが、震える声で尋ねた。


「あの子を……リーズを愛していると、……言うの?」

「彼女と小さな家さえあれば、私は満足だ」


 信じられない思いで、私は両目を見開いた。

 そんなことを言って貰えるなんて、思ってもいなかった。


 ーー今のは、本当? ノランの本心?


 ノランに、私は認めてもらえているのだろうか。

 ノランが、私を必要としてくれている?

 手を蔦から離し、動揺する自分の心臓を抑えるように胸に手を当てた。

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