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殿下、これが小さな夜会なのですか?

 私が育ったテーディ子爵邸は自慢ではないが、かなり立派な屋敷だった。

 だが王宮の建物は、それとは桁違いに豪華だった。

 全ての規模が大きく、最早息苦しさすら感じるほどに絢爛で、人目につかないような廊下の隅にある窓の装飾に至るまで、手抜きのない細かな意匠が凝らされていた。

 私たちに準備された部屋も大層素晴らしく、装飾の豪華さにその部屋にいるだけで肩が凝りそうなのに、更にジョアンナが私の横にいつでもいて、私が何かを言いつけるのを待っている様子だった。


 ーー特に用事はない。


 というか、いなくても良いくらいだ。本人には言えないけれど。

 最初は頑張ってリカルドについてを主題に、色々と話を振ってみたのだが、全く盛り上がらなかった。

 多分兄とは仲が良くないのだろう、と勝手に納得した。


 そうこうするうち、誰だか分からないが若い女性がやって来て、今夜の夜会とやらの時刻を告げてくれた。

 王宮の夜会とやらに出る為の支度をしよう、と早速自分の荷物を漁り始める。

 荷物の中から、二番目に良いドレスを選ぶと、ジョアンナが無言で私の着替えを手伝い始めた。

 ジョアンナは表情がかなり乏しい女性なので、彼女がこのドレスをどう思ったのかは分からない。だが一応新調したドレスの一つなので、そこそこ良い物だと自負していた。


 私が化粧を始めると、ジョアンナも手伝ってくれた。

 王宮に仕えるジョアンナの腕前だ。最新の流行を熟知した、素晴らしい仕上がりを期待してしまう。

 だが彼女はどんどん化粧品を私の顔に塗り重ねていくので、私はその度に不安になっていった。


 ーーなんだか、ダフネみたい。


 濃くなっていく化粧に、義姉を思い出してしまう。

 私の顔にベッタリとアイシャドウを塗っていくジョアンナに、流石に黙っていられなくなり、ついに声を上げた。


「あの、こんなに濃くして大丈夫でしょうか?」


 ジョアンナは表情を変えずに即答した。


「大丈夫です。王宮の女性たちは皆、仮面かと見紛うほとに化粧を乗せますので。寧ろ薄化粧だと、笑われます」

「そうですか……」


 どうやら濃いのが王宮スタイルらしい。

 大人しく従った方が良さそうだ。

 私は支度にかなりの時間を割いたのに、ノランの支度はあっと言う間に終わった。

 彼は黒地に銀糸の刺繍が施された、見栄えする衣装を着込んでいた。


 ーーそんな立派な服も、持っていたんだ……。


 思わず感心して見入ってしまう。

 対する私は薄紅色のドレスで、ノランはキリッと見え、私は柔らかなイメージのドレスだったので、結果的に私たちは夫婦で印象が全く正反対の物を着ていた。

 私がオロオロとそう言うと、ジョアンナはしれっと答えた。


「良いと思います。それはそれで」


 なんだかジョアンナは何事にも動じなさそうだ。その精神的な強さを、少し分けて欲しい。

 その点だけはリカルドと似ているような気がする。流石は兄妹だ。


 夜会の会場だという場所に向かう道すがら、ノランはとても堂々として見えた。

 ダール島での簡素な衣服に身を包んだ彼と、王宮を慣れた足取りで歩く彼が、全くの別人に見えた。それに豪華な服が本当に良く似合う。日が落ちた薄暗い廊下の中でも輝くプラチナブロンドの髪が、とても良く映えている。

 ダール島にいたのは、本当にこの人なんだろうか?

 牛の乳搾りをしていたのは、同じ人?


 夜会の会場は、室内ではなく、大きなテラスだった。

 心地良い風が吹き込むそのテラスに、たくさんのテーブルやソファが出され、音楽隊まで控えていた。


 ーーこれのどこが、小さなパーティなの!?


 テラスには百人近い人々が集まり、談笑していた。

 小さなパーティというのは、居間に十人程度が集まる規模を言うのではないのか。


 会場につくなり直ぐに私たちは王子たちのもとへ挨拶回りをしに行った。まずノランは入り口近くにいた第三王子に話しかけた。既に勢力を失っているという王子だ。

 第三王子は、実に影の薄い人物だった。

 ノランとは三歳違いと聞いていたが、年齢の割に寂しい髪の毛すらも、彼を更に寂しげに見せていた。彼はどこかやさぐれた雰囲気で、始まったばかりの夜会なのに、既に頰を赤らめ、引っ切り無しに酒を仰いでいた。


「君が、ノランに称号を捨てさせた世紀の美女かぁ。意外だなぁ……」


 どうやら正直なお人柄らしい。

 第三王子は、ふぅん、と何度も呟きながら私を見ていた。


 第二王子は、ノランに良く似ていた。だがノランよりも華やかな雰囲気があり、例えるならば、日と月のようだった。私は彼がノランに似ているので、思わず微笑みかけていた。すると第二王子は私の手を取り、甲に口付けた。


「弟の新しい家族は、私の家族でもある。短い滞在かもしれないが、楽しんで行ってくれ」


 滲むような笑顔は、見惚れるほど美しかった。

 ノランもこんな風に笑えば、きっと今と印象がガラッと変わるに違いない。

 第二王子はノランに良く似てはいたが、彼は自分の容貌が他者に与える影響を、熟知していると思えた。その確信に満ちた言動が、彼の魅力を更に大きく見せていた。

 第二王子は私の手を離すと、少し離れた所にいた女性に声をかけた。


「ロージー! こちらへ来なさい」


 ロージーと呼ばれた女性は、けぶるような黄金色の髪をした、実に美しい女性だった。髪には豪華な赤い貴石と真珠の髪飾りをつけていたが、その豪華な髪飾りにも全く負けていない、ハッとするほど整った顔立ちをしていた。

 引き込まれるような、力のある青い瞳はどこか凛としていた。第二王子は彼女が近くまで来ると、彼女の華奢な腰に手を回し、自分の方へ引きつけた。


「私の妃のロージーだ」


 どうやらこの美女は、第二王子の妃らしかった。

 どこからどう見ても、美男美女の無敵な夫婦だ。第二王子は唇をロージーの耳元に寄せ、視線は私とノランに向けたまま、言った。


「ロージー、こちらはノランの奥方のリーズだよ。義理の姉妹らしく、仲良くしておくれ」


 ロージーの大きな青い瞳が、微かに揺れた。彼女は少し驚いた表情で私をじっと見た。私はぎこちなく膝を折り、当たり障りない挨拶を述べた。

 ややあってからロージーは私に言った。


「貴方が……。そう。よろしくね」


 ロージーの視線は私からスッと離れ、ノランに向かった。二人が目を合わせた直後、横から野太い声がした。


「よぉ! ノラン! 全く、何ヶ月ぶりだ!」


 突然恰幅の良い男性が私たちの間に割り込み、ノランを抱き締めた。

 なんだ、何事か、と慌てたが、抱きつかれたノランは満更でもないみたいに、嬉しそうな声で笑って答えた。


「第一兄上! お元気でしたか?」


 抱きついていた男性は、身体を離すとノランの顔をまじまじと見た。


「思ったより元気そうじゃないか! 顔色も良い!」


 どうやら、この筋骨隆々とした男性が第一王子らしかった。彼はガッチリとした体型に短い金色の髪と薄い水色の目の持ち主で、まるで獅子のようだった。

 しかもやたらと声がデカイ。

 彼はノランから手を離すと、今度は私を視界に捉えた。


「君がリーズだな!」


 いきなり声を上げるので、驚いてびくりと震えてしまった。すると第一王子はガハハ、と威勢良く笑った。

 困惑する私に、ノランが説明をしてくれる。


「リーズ、第一兄上は王都騎兵隊長をされている。王都で不動の人気を誇る隊長なんだ」


 第一王子は再び大きな声で笑った。

 王都の治安を守る騎兵隊は両家の子息の武人としての登竜門であり、その制服の格好良さも手伝い、人気を博している。

 確かに目の前に立つ分厚い胸板の第一王子からは、いかにも武人らしい雰囲気があふれていた。

 第一王子は私に屈託のない笑みを向けた。


「ノランは言葉足らずな上に、突っ走るところがあるだろ? 色々君を困らせたりするかもしれないが、根は良い奴なんだ! 」

「……はい」


 ノランが抗議するように、兄上、と第一王子を睨んだ。


 続けて私を連れてノランが向かったのは、一番若い王子のところだった。

 歳の頃はまだ十代半ばと思われた。

 まだ少年、と言っても良いだろう。

 彼はノランにキラキラとした若々しい瞳を向け、兄上、と口を開いた。ーーノランの下にはもう、一人しか弟がいないはずだった。第五王子は既にこの世にいないからだ。

 となれば彼が、第六王子に違いない。

 第六王子は他の王子たちと違い、まだ幼い顔立ちをしていた。優しげな瞳は、大人しそうな印象を与えた。


「兄上、ご結婚おめでとうございます」


 まだ少し幼さの残る高い声。

 初々しくも第六王子は頰を赤らめて、ノランと私と挨拶を交わした。


 夜会の最中、ノランは第一王子や第六王子としばしば談笑をしたが、それ以外の王子たちとはあまり話さなかった。

 同じ血を分けた兄弟とはいえ、王子どうしも色々と複雑な事情があるのか、皆が円満な関係なわけでもないようだ。

 よく見ていると、とりわけ第一王子と第二王子どうしはお互い目すら合わせないようだった。

 おそらく次の国王の座を争っている最中の二人は、馴れ合わないようにしているのだろう。




 粗方の紹介が済み、皆の酔いが回った頃、私たちのもとには徐々にノランの友人たちが集まった。

 若い男女に囲まれ、ノランもとても落ち着いた表情をしていた。皆貴族然とした格好をしてきらきらしく、エセ子爵令嬢でしかない私にとっては、少し気後れしてしまう人々だったが、ノランには気の知れた友人たちなのだろう。

 私が島で見たノランは、交友関係を全く見せなかったが、王宮では人望があった事が分かり、嬉しかった。

 彼らとノランはとりとめのない話で楽しそうに盛り上がると、その内ノランの楽器の腕前の話題になった。

 気さくそうな男性の一人が、笑顔で私に話を振る。


「殿下……、じゃなくて、ノラン様はバイオリンがプロ並みにお上手だとご存知でしたか?」

「いいえ。初めて聞きました……!」


 バイオリンはおろか、ノランが楽器を演奏するところ自体を見たことがない。

 すると、辺りにいた人たちはドッと盛り上がった。


「なんて勿体無い!」

「久しぶりに聴かせて!」


 ノランが困ったように、今バイオリンを持っていない、と言うと、どこからともなく一台のバイオリンが彼の前に差し出された。


「こんな機会もあろうかと、ちゃんと持って参りましたよ!」


 差し出した男性は、いかにも得意満面な顔つきでそう言った。

 ノランは参ったな、と呟いて苦笑しつつも、そのバイオリンを受け取ると、左肩の上に構えた。

 私はそんなノランの様子を、少し意外な気持ちで見つめていた。

 私が知らないノランが、まだまだいるのだ。

 王宮の人々にとっては、ノランのバイオリンの腕前は有名なのか、わざわざ椅子を引っ張ってきて、近くに腰掛けて、曲を堪能しようとしている女性たちまでいた。

 ノランは開放弦で軽く弾き鳴らし、調弦を済ませると、わざわざ松脂をバイオリンの弓に塗り直した。

 意外とノラン自身も随分乗り気なようだ。

 彼は使い終わった松脂を友人に向かって放り、その友人が軽やかに片手で受け取る。

 ノランは周りに集まったわくわく顔の友人たちに視線を走らせると、彼らに楽しげに尋ねた。


「さて、紳士淑女の皆さま。どの曲をご所望かな?」


 皆の表情が華やぎ、バイオリンをノランに差し出した男性が、即答する。


「殿下がお得意のブイエの曲をお願いしたい!」


 すると周囲の友人たちが、次々に注文をつける。


「それならブイエの変奏曲第二番が良いのではないか?」

「そうだ! 二番の副題は新婚のお二人にまさに相応しい!」


 そこでドッと歓声が上がり、なぜか皆が私を見て盛り上がった。

 ブイエは有名な作曲家なので知っているが、変奏曲第二番がよく分からない。どうして私をここで面白そうに見るのだろう。

 私は皆からの視線を浴び、急に恥ずかしくなった。

 ノランは弓を右手で持ち直すと、弦に当てた。

 滑らかに曲が始まった。

 弾き始めのたった一つの音符から、私は彼の音楽に引き込まれた。

 右手で持つ弓は何度も上下に動き、弦を押さえる左指も激しく、けれど軽やかに動いた。

 紡ぎ出される音は、どこまでも滑らかだった。

 バイオリンにありがちな、弦を擦るガサツな音や、弓の折り返しによるほんの少しの、けれど耳障りな雑音も一切無かった。

 随所に散りばめられたビブラートは、うっとりと瞳を閉じてしまいたくなるほど美しい。

 ノランか弾くバイオリンは、もはや単なる楽器ではなく、彼自身の身体の一部かと思わせるほど、自在に音楽を奏でていた。

 曲が終わると、名残惜しそうな溜め息があちこちから漏れた。


「本当に、目の保養になるわねぇ……」

「耳の保養、でしょ」


 喜ぶ彼の友人たちと共に、私も笑顔でノランに拍手をした。だが心境は複雑だった。

 ノランにこんな素敵な特技があって、嬉しいような、誇らしいような。

 けれど、こんなに楽しそうに楽器を演奏するノランを、私は今まで知らなかったのだ。ダール島での日々は、彼に音楽を楽しむゆとりを与えていなかったのだろうか。

 それを私は妻として切なく感じた。







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