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殿下のご両親

 私たちは逃げるようにその街を離れた。

 次の街に着くと、ようやく私たちは悲惨な状態の車内から降りることができた。

 一度馬車の中をカラにして、ここで馬車の修理を頼まなければならなかったのだ。

 だが同じく襲撃を受けて破損した馬車が修理屋に殺到しており、我が家の馬車は修理に思った以上に時間がかかるようだった。

 我々は今日の夕方には王都に着く予定だったのだが、馬車が仕上がるのが今夜、ということになってしまった。

 夜に移動するわけにはいかない。

 従って、不本意ながら私たちは今夜一泊をこの街で過ごし、明日の朝に再度馬車で王都に向かわなければならなくなった。


 私たちは仕方なく宿を探した。

 この街はあまり規模の大きな街ではなく、宿自体があまりなかった。

 そのため、やっと空きを見つけられたのは決して高級とは言い難い宿だった。

 簡素なロビーを抜けた先にある客室は、これまたかなり小ざっぱりとしていた。扉を開けるとかなり差し迫った目の前に寝台があり、中途半端に遠いその先に、もう一台の寝台があった。

 しかも微妙に寝台そのものが短いし、細い。まさかとは思うが、子供用なんだろうか。

 とにかく、この宿の寝台でマルコが寝れるのか心配だ。


 部屋の奥には小さな窓がある。

 ノランをチラリと振り返ると、彼は眉間にシワを寄せて室内に視線を巡らせていた。とてもだけど上機嫌には見えない。


「狭いな。これほどとは」

「でも必要なものは全部揃っていますよ」


 つとめて明るい声で言ってみた。そして、勝手に自分の寝台を奥の方と決めると、そこに腰かけた。

 靴を脱いで寝台に上がり、ドレスの裾を膝まで恐る恐る捲り上げる。ーーーー両膝に、赤黒いアザが出現していた。薄い紫色と濃い紫色からなるそのアザは、かなり大きく、痛々しくも私の両膝に広がっていた。見るも無残だ。恐々とアザの表面に指先で触れてみると、膝の裏まで達しそうなほどの激しい痛みがあった。

 無言で悶絶していると、ノランが隣に座った。


「守ってやれなくて、すまない」


 私は驚いて顔を上げた。


「そんなこと全然ないです。しっかり守ってくれたじゃないですか」

「……加えてこんなにうらぶれた宿に貴方を泊めなければならない。貴方に惨めな思いばかりさせて、本当に情けなく思っている」


 ノランの澄んだ色の瞳が、いつに無くかげっている。ノランは世の中の伯爵に比べて経済的に随分劣る自分の状況を、相当気にしているらしい。元々王子様だったから、仕方がないのだろうか。

 次に彼が口を開いた時、その口調はかなり弱気だった。


「私に嫁いできたことを、後悔しているか?」


 私は思いもよらぬ質問をされ、虚を衝かれた。驚いて数秒瞬きを繰り返したのち、はにかみながら笑った。


「私、ダール島が好きですよ。それにダールのお屋敷はとても居心地が良いです」


 肝心の夫には謎が多過ぎるが。


  「本当か? テーディ子爵家に帰りたいと思っているのでは?」


 ノランはそんなことを考えていたのだろうか。


「私、テーディ邸では義理の兄や兄嫁に、散々意地悪をされていたんです。リーズ、って呼んでもらえる事もなかったし……」

「子爵は貴方をなんと呼んでいたのだ?」

「居候娘って呼んでいましたねえ。あ、たまにお荷物とも。まあ、基本的に呼ばれる事もほぼ無かったですが」


 四歳であの家に入ってから、私は常に一歩引いた立場から子爵家を見ていたような気がする。彼らはいつまで経っても、私には他人でしか無かった。 彼らにとってもそうだっただろう。

 母が生んだ血の繋がった妹ですら、他人に思える時が多々あった。レティシアは私とあの家を繋ぐ唯一の存在であり、私を庇う唯一の存在だった。たまに私は、高貴な妹の情けで自分がそこにいるのを許されている、という気さえした。

 レティシアは可愛い妹ではあったが、掘り下げていけば私には妹に対する複雑な感情もあった。

 静かな部屋の中、私は思い切って彼に寄りかかってみた。するとノランは腕を回して、私の肩を抱いてくれた。


 ーーなんだか、本当の夫婦みたいだ。こうしていると、凄く夫婦っぽい……。


 奇妙な充足感があった。

 私たちは目の前にある小さな窓を見ていた。三階の窓から見下ろせるその景色は、お世辞にもステキなものではなく、向かいのやや小汚い建物と、その玄関が見えた。

 その玄関から、白いエプロンをした中年の女性が出て来て、手に持った袋を外に置かれたバケツに捨てていた。

 突然視界に灰色の鳩が乱入してきた。窓の外の張り出し部分に、一羽の鳩がとまったのだ。鳩は首を動かしながら数歩歩き、物凄く驚いた様子でビクリと頭をこちらに向けて私たちに気づいた。

 その真ん丸の目が、面白かった。


「今、滅茶苦茶びっくりした顔しましたね。あの鳩」


 私が笑うと、ノランも釣られたように笑った。





 翌朝、私たちは窓ガラスの修理を終え、綺麗になった我が家の馬車に乗り込んだ。

 改めてここから一路、王都を目指すのだ。

 ノランは馬車の中にいつも剣を積んでいたようだが、今日はそれを座席に持ってきて、いつでも直ぐに手に取れる位置に置いていた。もう二度と暴動に遭遇するのは御免だが、用心するに越したことはない。

 馬車に乗ると昨日の出来事が頭の中に蘇り、落ち着かなかった。車窓を流れ行く景色を、そわそわと眺めていたが、あまりに長いのでやがてその内寝てしまった。


 馬車は一旦昼食の為にとまった。

 馬車を降りて、開けた場所に敷物を敷いて、街で出発前に購入していたパンや果物を食べた。オリビアは私のためにクッキーを焼いて持たせてくれていたので、それも有り難く頂いた。甘いお菓子は、疲れた身体を内側から癒してくれた。

 私はうーん、と唸りながら腕や背中を伸ばした。ずっと座りっぱなしで背骨や腰が怠くなっていたので、外に出て暫く過ごすのは馬車の旅には不可欠なのだ。




 日が沈みかけ、景色の輪郭が曖昧になり始めた頃、私たちは王都に到着した。

 ついに王都に戻ってきたのだ。

 高く大きな建物と、たくさんの人々。それらが作り出す独特の圧迫感。


 ーー懐かしい……。


 ふた月ほど王都を離れていただけだが、妙な懐かしさを感じる。

 私にとっては王都は生まれ育った場所だったが、久しぶりに来るとその大きさに気が引き締まった。なぜなら、今回はただ王都に戻ったたけではない。これから私たちはこのティーガロ王国の王宮に行くのだ。

 リカルドが御者をする我が家の馬車は、迷う事なく、真っ直ぐに王宮の入り口を目指した。

 王都の中ほどにある王宮は白く優美な、横に広がる建物で、その上部には灰色で統一されたたくさんの小さな塔がついていた。

 王宮の正門を通ると、幾何学模様を描く植物が私たちを出迎えた。よく手入れなされたその庭の奥に、馬に跨る騎士の像があり、その周りには放射状に水を噴出させる大きな噴水があった。


「殿下……! ノラン様!」


 私たちが馬車から降りるなり、あちこちから声が上がった。いつの間にか私たちはたくさんの人々に囲まれており、ノランは笑顔で彼らに挨拶をした。

 私なんかと結婚をして、しばらく王宮から離れていたノランであったが、こうして親しげに出迎えてくれるノランの友人を見ると嬉しい。


「ダール伯爵夫人」


 私は場違いな出自であったので、なるべく目立たないように小さくなっていた。だがふと気づけば彼らは一様に興奮したような目で、私を見ているではないか。

 なぜだろう、と首を傾げた後で、すぐに思い出す。

 静かなダール島の生活でひと時忘れていたが、私は王宮では「王子に称号を捨てさせた、時の人」だったのだ。


「ノラン様、こちらが奥方ですか?」


 自分の身体を貫通しそうなほどの視線を感じる。

 周囲の人々からじろじろ見られながらも、きっとみんな実物の居候娘を見て、ガッカリした気持ちを必死に隠しているのに違いない、と思ってしまう。絶世の美女でも想像していただろうから。

 びくびくしていると、私は二十代半ばと思われる女性に話しかけられた。とても綺麗なドレスを着ていて、髪の毛をキッチリと一つにまとめ、凛とした表情が印象的だ。

 

「ジョアンナと申します。王宮でのお世話をさせて頂きます」


 すると近くにいたノランが笑顔を向けた。


「ジョアンナ。君がリーズについてくれるとは、心強い」


 ジョアンナは照れることも謙遜することもなく、黙ってお辞儀をした。ノランは私にそっと耳打ちをした。


「ジョアンナはリカルドの妹なんだ」


 そうなのか! と驚いで私は目の前の女性を凝視してしまった。

 あまり表情のない美人で、リカルドとはだいぶ性格が違いそうだった。


 私たちはすぐに国王夫妻に謁見することになった。

 控え室では侍従らしき男性が、私にしつこく謁見のマナーを説明してくれた。

 入室したら、何歩進むか。

 膝の角度はどのくらいが正しいか。


「陛下からのお言葉に対して、お答えするのです。どんな時も、決して先んじて口を開かれてはなりません」


 くどくどと説かれる私を、ノランはちょっと面白そうに眺めていた。


 謁見の間はとても広かった。

 薄いクリーム色の壁に、黄金の装飾が幾重にもはられ、天井からぶら下がるシャンデリアとともに輝き、実に煌びやかだった。

 意外にも奥にある玉座に国王たちは座らず、謁見の間の中央に立って私たちを迎えてくれた。

 その肩からは国王であることを示す、真紅のマントが掛けられていた。

 国王はノランより厳つい骨格をしていたが、目や鼻の形はノランに良く似ていた。特に澄んだ水色の瞳の色は、ノランと全く同じものだった。

 隣に立つ王妃は驚くほど痩身で、けれど大変に美しい女性だった。年齢相応のシワが顔に刻まれてはいたが、若かりし頃はどれほど人目を引いただろうか、と想像してしまうほど、美人だった。この母親がいたから、ノランのような美形が誕生したのだろう、とある意味納得に近い感心をした。


「ノラン、良く来てくれた。息災であったか?」

「お陰様で、長閑な領地でのんびりとやっております」


 ノランは国王からの問いかけに淀みなく答えた。

 国王はその水色の瞳を今度は私に向けた。国王は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。ここまでの経緯を考えれば、無理もない。

 ドキンと緊張で身体が引き締まる。


「そなたがノランを夢中にさせた、伯爵夫人だな? 名はなんと?」

「リーズ・テーディと申します」


 私は頭が舞い上がってしまっていて、自分の回答の過ちに全く気づいていなかった。その代わり、場におかしな空気が漂い始めた事には敏感に気づいた。何故か国王が目を丸くし、その隣に立つ王妃は当惑して私を見下ろしている。

 ……私、何か変な事を言ったかな?

 まごつく私の代わりに、ノランが平板な声で答えた。


「父上。リーズはテーディ子爵家から私に嫁いだのです。申し訳ありません」


 私はようやく自分の過ちに気づき、赤面した。国王は大きな声を上げて笑った。

 王妃はそんな国王をちらりと見てから、私に言った。


「リーズ。貴方に会うのをとても楽しみにしていました。明日は私とお茶をして貰えるかしら?」


 王妃様とお茶?!

 ハードルが高すぎるお誘いに、私の頭は一瞬真っ白になった。


 ーー断りたい……。


 私は頑張って捻り出した笑顔を見せて、王妃に答えた。


「身に余る光栄に存じます」


 すると国王が口を開いた。


「久々に私の息子達が揃ったな。明日の式典の前に、今夜は小さな夜会がある。ノラン、お前の可愛らしい新妻を、存分に皆に披露するが良い。皆、結婚式に行けなかったから、興味津々なのだ」


 えっ?

 夜会?

 頭を下げてもう退出の挨拶を述べているノランと、夜会という情報の両方に驚いたまま、私は慌ててノランについて謁見の間を後にした。

 扉が閉まると、私はいそいそとノランに質問をした。


「夜会ってなんですか? あの、謁見ってあんなに短いんですね。久しぶりにご両親にお会い出来たのに……」

「内輪の小さなパーティだろう。気負わず参加してくれ」


 小さいということは、参加者は十人くらいだろうか……?

 それならなんとか頑張れるかも知れない。


「……ノラン様は国王陛下と王妃様どちらにも似ているんですね!」


 ノランはそれには答えてはくれなかった。



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