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王宮への招待状

 

 その夜眉間に皺を寄せたノランが手紙を手に、居間で何度も溜め息をついていた。

 よほどそこに困ったお知らせが書いてあるのだろうか。まさか借金の取り立てではあるまい。

 ノランは何度目かのため息の後で、やっと決心がついたのか、私に話しかけてきた。


「リーズ。来月、父の在位二十周年を記念する祝典が王宮で行われるんだ」


 ノランが父、と呼ぶのは、この国の王様に他ならない。

 

「祝典、ですか?」


 隣から覗き込んでみれば、それは式典への招待状のようだった。ノランは殿下の称号をすてていたが、息子として呼ばれたのだろう。


「行くんですか? 王宮に」


 ノランは少し逡巡している様子だったが、しっかりとした口調で答えた。


「行こうと思っている」


 ノランは私がこの島に来てからは、王家との関わりを避けていたので、それは少し意外だった。さすがに父親の大事なお祝いとなれば、断る訳にもいかないらしい。


「それに、父上の年齢を考えると、そろそろ次期国王の指名をするだろう。式典の折にされるかも知れない。私もそれは見届けたい」


 次期国王ーー。

 後継として今有力なのは第二王子で、それに少し遅れて第一王子だと聞いている。

 この島に一人残されるのは心細いが、ノランにとって大事な機会だ。


「分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「……貴方と招待されている」


 咄嗟になんと返事すべきか迷った。


「私なんかが行ってもいいのですか?」

「勿論だ。こういった行事は妻帯者は夫婦で出席するものだ。気負う必要はない。弟のことがあったばかりだから、それほど大規模なものにはならない。それに丁度良い機会だから、貴方を私の家族に紹介したい」


 家族に……。にわかに身が引き締まる思いだ。

 それに私が、王宮の行事に参加する……?

 経験がないので、何も分からない。ただノランについて行けば良いのだろうか。

 それにこうなると地味に困るのは荷物だった。

 こんな島で着ているような素朴で質素な服などで、王宮に行っても良いのだろうか。

 テーディ邸にいた頃に義父に買って貰った上等なアクセサリーは、皆ダフネに掠め取られてしまっていた。今更ながら、ダフネが憎い。

 私が恥を忍んで衣服や装身具について相談すると、ノランは買い揃えるつもりだ、といってきた。かく言うノランが纏う服装も、私は結婚以来質素なものしか見たことがない。

 元殿下な王子様に大変失礼ながら、失礼を承知で尋ねてみる。


「ノラン様は王宮の式典に相応しい、ちゃんとした服を持ってるんですか?」


 率直に尋ねると彼は苦笑した。


「いくつかは持っている」


 それなら一安心だ。流石は王子様だ。

 ほっと安堵するが、問題はやはり私自身の服だ。

 するとノランは私がみなまで言わずとも、察したのか言った。


「そうだな、貴方のは新調しよう」

「……でも、うちにはそんな物を買うゆとりはないでしょう?」

「そのくらいはなんとかする」


 最近牛舎の屋根が壊れ、かなりの大枚をはたいて直したばかりなのだ。

 どうやってお金を捻出するんだろう。


「……まさか牛を売ったりしないですよね?」

「そんなつもりはない。牛乳が手にはいらなくなる」

「馬もだめですよ」

「ああ。もっとだめだな」


 私たちはなんとなく二人で笑ってしまった。

 笑いをおさめると、ノランは投げやりな視線を私に寄越してから、再度溜め息をついた。


「心配しなくても大丈夫だ。余計な気苦労をかけて、すまない」




 私は王宮に行ったことがなかった。

 その為、王宮へ出発する日はとてもドキドキしていた。

 朝早くに屋敷を出たので、島を出てから暫く経つと、私は眠ってしまった。何度か寝たり起きたりを繰り返し、終いにはぐっすりねむっていた。

 心地良い昼寝をしている最中、突然馬車が止まった。その振動で目を覚ますと、私たちはどこかの街中にいるようだった。

 窓の外には、石造りの茶色い建物の壁が見える。

 ノランも怪訝な顔で窓の外を覗いていた。すると直ぐに扉が開き、リカルドが私たちに声をかけてきた。


「この街の市庁舎が今、暴漢に襲われているみたいです。この先に行けないので、迂回します」


 馬車が向きを変えると、窓の向こうの景色が動き、確かに道の先が詰まり、渋滞しているのが分かった。建物の死角ではっきりとは見えないが、たくさんの人々が集まっている。


「暴漢って……。この街は随分治安が悪いんですね」

「イティアで暴動があったばかりだからな。影響を受けたのかもしれない」


 迂回しようとしていた馬車だったが、やがてそれも無理になった。道の後方からも人々がどんどん押し寄せ、市庁舎へ向かっていたのだ。道幅を埋め尽くす勢いでその人数は増え、リカルドはこれ以上馬車を進めるのは危ない、と判断した。

 馬車の窓のすぐ外を、たくさんの人々が走り抜けて行く。男性や女性ばかりか、子どもまでいた。


「野次馬がこんなに……」

「野次馬ではない。市庁舎襲撃に加勢するのだろう」

「えっ!?……まさか」


 思わず腰を浮かせ、窓にかじりつく。確かに、道を走る彼らの形相は険しかった。どちらかといえば、貧しそうな身なりの人々が多かった。浮浪者のような者たちもいた。

 ダール島は小さいので、富めるものもいなかったが、貧困にあえぐ住民もいなかった。

 それは地理的な理由や住民による差だけではなく、領主の力量によるものでもあるはずだった。それに、領民から搾取した利益で贅沢な暮らしをする領主もいる。そう考えると、ノランは領民にとっては良き領主なのだろう。

 加えてこのような大きな街では、様々な状況の人々がいる。彼らの生活苦が、導火線を短くさせているのだろうか。


「リーズ。窓から離れて!」


 ノランが緊張を含んだ声を上げた。何事かと振り向くと、ノランが私に腕を伸ばし、窓から遠ざけられた。反対側の窓の外に視線を投げると、少し離れた所にとまっていた馬車が、数人の男たちに襲われていた。

 ノランが私の腕をぎゅっと掴んだ。

 その馬車の中には、老夫婦らしき二人が乗っていた。女性は恐怖に顔を引きつらせ、男性は何やら男たちに向かって叫んでいた。

 ツルハシを持った男が馬車の窓を割り、馬車を無理やり開けていた。

 男たちはその馬車にあっという間に乗り込み、老夫婦から鞄や帽子を奪った。それだけでは飽き足らず、老夫婦は馬車から引きずり出された。

 助けなければ、と思う暇はなかった。

 パリン、という音と共に我が家の馬車も襲われたからである。

 ガラスの破片が大粒の雨のように車内に舞い込み、両目を固くつぶった。ノランが私の名を呼ぶ声が聞こえたのと、何者かが私のドレスを掴んだのは殆ど同時だった。

 目を開けると四本の腕が私のドレスに伸ばされ、生地を掴むと外へと強く引かれた。

 引きずりだされる!!

 恐怖で声も出なかった。

 掴まろうと伸ばした手は、私を引っ張ろうとしたノランの腕とぶつかってすれ違い、そのまま空を切る。あえなく外に落とされた私は両膝を地面に強打した。膝が割れるほどの衝撃と、そのあまりの痛みにしばし、動くことができなかった。

 そんな私の手首を掴んだのは若い男だった。彼は血走った短気そうな目で私のネックレスをみとめるや、手を私の首元まで伸ばすと、ネックレスを乱暴に引いた。

 私は首輪を引っ張られた飼い犬のように強く首を引かれ、倒れそうになって両手を地面についた。手のひらが擦れ、痛みを感じたが、それ以上に首が痛かった。

 あまりの出来事に、これは夢でも見ているのではないか、と頭の片隅で思った。

 だが膝と首から伝わる痛みは、間違いなく本物だ。


「オラっ! 寄越せよっ!! 」


 男はなおも乱暴に私のネックレスを引っ張るが、二重に連なる真珠のネックレスは予想外に丈夫だった。なかなか切れてはくれず、首の後ろが切れそうなほど痛んだ。


「やめて! あげるから、離して! 取るから!」


 男は苛立って私の胸元を蹴飛ばした。信じられなかった。

 一瞬目の前が真っ白になるほどの怒りを感じた。


「お貴族様が、もったいぶりやがって!」


 貴族。

 胸を蹴られた痛みと、その罵りの両方に私は傷ついた。

 王宮へ向かう為に、いつもより豪華に着飾ったことが、裏目に出たのか。我が家の馬車は、貴族が乗る馬車としては、かなり質素なデザインのものなのに。

 貧しい者たちにとっては、我々は敵なのか。

 急に男は私から離れて後ずさった。彼の目線は私の後ろに向かっていた。釣られて振り返ると、後ろにノランが立ち、その手に剣を握りしめていた。


「妻から離れろ」

「そんなもんにビビるか!」


 男はノランに食ってかかり、更に横からも別の男が加勢した。だがノランは躊躇なく剣を振り下ろして、一人の腕を斬り、もう片方の胸元をつよく蹴飛ばした。

 蹴られた男は尚も飛びかかったが、ノランは男の膝を斬った。同時に別の男がノランの後ろから飛びかかってきて、私は彼の名を呼んで叫んだが、それより僅かに早く、ノランは自分の後ろを振り返りもせずに、片足を上げて後方から襲いくる男を蹴り倒した。

 目の前を男が吹っ飛んだと思うと、マルコが両腕を振り回して周囲の暴漢たちをなぎ倒している。

 リカルドを探すと、彼は近くにいた老夫婦を助けて、剣を振り回して物盗りたちを追い払おうと腐心していた。彼の動きも実に機敏で、迷いも無かった。

 私はリカルドを頼りないと思うことがあったが、ちっともそんなことはなかったようだ。

 リカルドも、ノランも、私が知らなかっただけで、かなりの剣の使い手だった。

 二人が往来で剣を、一人が筋肉を振り回しているお陰で、道路の人口密度は急激に降下していた。

 泣き出したいほど恐ろしかったが、私だけが地面に座り込んでいるわけにもいかず、私は立ち上がると馬の方へ向かった。膝が、軋むように痛かった。

 我が家の二頭の馬は怯えきっていて、首を振って足踏みを繰り返していた。


「落ち着いて。ブルー。ダイヤ。大丈夫だから!」


 馬たちの名を呼び、首筋を撫で、落ち着かせようとした。二頭のいつもは優しげな茶色い瞳は、怯えきっていたが、何度も名を呼び、撫でるうちに、どうにか足踏みをやめてくれた。

 私は彼らを引いて、馬車を少し前進させた。馬車は窓ガラスが大破してはいたが、それ以外は無事そうだ。

 老夫婦を助けることに成功したリカルドが、すくに御者の席についた。


「ノラン様と、ご乗車下さい! 出します!」


 リカルドがそう叫んだ直後、マルコがリカルドの隣につき、ノランが私の腕を掴むと馬車の扉まで引いた。車内にはガラス片があちこちに落ちていたが、それを気にするゆとりは全くなかった。

 私は馬鹿みたいに震える足で、ノランの手を借りてどうにか馬車に乗り込んだ。

 ガラス屑を蹴散らして車内に入ると奥に座り、リカルドに向かってノランが、馬車を出せ、と大声を出した。


 ーー怖い……。


 私の身体はぶるぶると細かく震えてどうしようもなかった。


「リーズ。もう大丈夫だ」


 ノランが私を優しく抱きしめ、回した手で肩を数回叩いた。私を落ち着かせるための動作と思われたが、見上げるとノラン自身もすこぶる顔色が悪い。

 私自身もたった今自分に降りかかった事が恐ろしく、生きた心地がしなかった。しかし車内で酷く蒼白な面持ちのノランを見て、恐怖が萎んでいった。

 ノランは私が聞こえるか聞こえないかの小ささで呟いた。


「また、失うのかと……」

  「ノラン様?」

「……弟のことを、思い出してしまった」


 ーー弟?


 ノランは何かを振り払うみたいに微かに首を左右に小さく振り、口を開いた。


「怪我はないか……?」


 実際には膝が痛くてたまらなかったが、言える雰囲気ではない。

 私は小さな声で、大丈夫です、と答えた。

 ノランは一度だけ軽く頷いた。

 変な方向に抱き寄せられているために、腰が痛くなってきた。だが、ノランの腕は鋼のように私の背中に回されており、動けない。


「ノラン様も、……大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ」


 あまり大丈夫そうには見えなかった。

 ノランの顔はそれくらいとても青白かった。








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