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待ちに待った、ボート大会

 ボート大会を目前に控え、私はトロフィーを渡す練習にはげんだ。

 何せ大勢の島民の注目を集める、大舞台だ。

 夫であるノランが私のせいで恥をかかないように、気をつけないといけない。

 トロフィーの代わりになるものはないかと、盗人猛々しい視線をあちこちに投げながら屋敷内を物色すると、丁度良いオブジェが空き部屋にあった。

 銅色の巨大なそら豆から髪が三本生えているような、前衛的な形をしていたが、大きさは両手で抱えるくらいの、程よいものたった。

 私は適当に見繕って来たそのオブジェをトロフィーがわりに、寝室の大きな鏡の前で何度も予行練習をした。

 しずしずと歩きながら、トロフィーを両手で持ち、優勝者の元へ行く。

 チラリと鏡をチェックすると、ニッコリと笑う。


「おめでとうございます」


 ……いや、だめだ。

 笑いが大袈裟過ぎて、品がない。王侯貴族はもっと優雅に、慎み深く笑むものだ。……たぶん。

 もう一度定位置に戻り、しずしずと歩き、鏡の前に来ると微笑む。

 だが控え目に笑うと、今度は少し不機嫌そうな顔にも見えた。新しく来た伯爵夫人はボート大会を楽しんでいない、イヤイヤ参加していると思われてしまったら良くない。やり直しだ。

 そもそも王子が一目惚れした女性、としての評判が一人歩きしている私なのだ。美しい笑顔を披露しないといけない。

 ノランが勝手に上げ過ぎたハードルを、私が飛び越えようと頑張る必要もないかもしれないが、なるべく島民たちからガッカリはされたくないものだ。

 私は鏡の前で、目を大きく見開いて見せたり、二カッと笑ってみたり、首の角度を微調整してみたりして、自己史上最高の笑顔作りに精を出した。

 そうして、謎のオブジェを抱えたまま、鏡に向かって寝室を何往復もした。




 ボート大会当日、ダール島はここが本当にダール島だろうか、と驚くほど人が押し寄せていた。

 島で一番大きな湖が会場となっており、私たちが馬車で到着すると、島の大会を取り仕切る運営委員という人たちが出迎えてくれた。

 彼らはかしこまってノランと私に挨拶をしてくれたのだが、ノランが大変社交的な笑みを浮かべていたので、多少は自宅で見慣れたはずのその顔を私は二度見してしまった。

 ノランは私が見たこともないほど、誠実そうで気さくな笑顔を披露していた。

 実はボートが凄く好きなんだろうか。そんな気は全くしないが。


「伯爵夫人、お席までご案内致します!」


  伯爵夫人と呼ばれるのは、なんとなくこそばゆかった。

 この島の領主であるノランと私には、立派な観覧席が用意されていた。

 湖が一望できる位置に設けられた私たちの席は、布製の屋根もかかっていて、湖を渡る涼しい風も吹いて居心地が良かった。


 私が観覧席についてもノランはまだ座らす、彼は運んで来た酒について、委員にあれこれと指示を出していた。その際も彼は大層きらきらしい表情を見せ、観覧席から私は思わずそんなノランを観察してしまった。

 ノランがしばらくしてから私の隣にやってきてやっと席に座ると、私は真横から彼を見上げた。するとノランは怪訝な顔をした。

 運営委員の前で見せていたさも上機嫌な明るい表情は、見事にかき消えていた。


「私の顔に何かついているか?」


 逆だ。どちらかと言えば、愛想が消えた。

 ノランなりに、気の良い領主という印象を島民に与えたかったのだろう。なんだかそれがちょっと面白くて、彼を可愛く感じた。


「いいえ。ただいつものご様子とだいぶ違ったので」

「どういう意味だ」

「深い意味はありません」

「では、どういう浅い意味があったんだ。教えてくれ」


 意外にもノランは食い下がってきた。

 顔を観察すると、眉根を寄せて、ちょっと不機嫌そうになっていた。

 私は悪戯心も手伝って、少し助言してみることにした。


「笑っている方が素敵ですよ、ノラン様。ノラン様はとても格好良いですから」

「知っている」


 ――え、どっちを?


「リーズ、貴方も笑っている方が素敵だ」

「えっ!? あ、あの……」


 突然褒め返され、しどろもどろになってしまう。自分も同じことをノランに言ったのに。


「だがあんなに自分の笑顔の研究をしているとは、驚いた」


 笑顔の研究?

 私はとっさに何の話かわからず、目を瞬いた。


「……実は昨夜、寝室に入るタイミングが掴めず、廊下で立往生していた」


 寝室で……笑顔の研究? まさか……。

 ま、まさかトロフィーを渡す練習を見られていた……!?

 無言で激しく動揺していると、ノランは畳み掛けるように言った。


「おめでとうございます、と三十回は言っていたな」


 死ぬほど恥ずかしい。

 恥ずかし過ぎて顔向けが出来ず、そっぽを向いた。観覧席まで吹き渡る湖からの風が、上気した顔を冷ましてくれないだろうか。

 チラリと視線を横に向け、ノランの様子をうかがうと、彼の水色の瞳としっかり目が合った。彼は私を見て至極嬉しそうに笑っていた。

 からかわれた。


 マルコは湖の浅瀬で、島の子どもたちを両手に抱えて人間遊具と化していた。彼の伸ばした腕に子どもたちがぶら下がり、開いた足からも別の子がよじ登っている。

 やがて彼は子どもたちを振り回してから、みんなで浅瀬に飛び込んではしゃいでいた。子どもたちの可愛らしい歓声が響く。

 リカルドは島の女性たちとの交流に勤しんでいた。

 彼は女性たちが集まって、飲み物を用意している場所へ行くと、いつもの嫌味のない薄利多売の笑顔を披露していた。女性たちの黄色い歓声が響く。

 私はリカルドに視線を釘付けにしながら、隣に座るノランに尋ねた。


「ねぇノラン様。リカルドは、女性が大好きですよね」

「私はその点に関しては、干渉せず、放任している」

「でも彼は既婚者なんですよね?」

「ああ。五年前に結婚している」


 リカルドは、ノランが都落ちするに当たり、奥さんと子どもを王都の屋敷に残したまま、ダール島へやってきたらしい。彼はいわば、単身赴任中だった。


「奥さん、怒らないんでしょうか」

「怒っても無駄だと既に悟っているのだろう」

「そんなものでしょうか。リカルドさんが凄いのは、彼は年齢関係なく、女性にはいつも笑顔ですよね」

「私にはとても真似出来ない」

「そ、そうでしょうね」




 運営委員の開会の言葉を皮切りに、ボート大会が始まった。

 色とりどりの細長いボートが湖の上に並び、そこに二列に座る男たちが、一斉にオールを漕ぎだした。漕ぎ手たちは衣装までお揃いで、そんな彼らか一糸乱れず速さをあわせ、オールを回していく様子は、とても見応えがあった。

 スタートは湖のあちこちの地点にあり、漕ぎ出しのタイミングまでバラバラだった。

 結果的に私は一体どこで何が行われているのか、よく分からなくなった。

 島民たちは湖にギリギリまで近寄り、大きな歓声で大会を盛り上げていた。彼らにはルールが分かるらしい。

 湖の上はもはやボートだらけだった。これでは私にはどのチームが優勝しそうなのかも、さっぱり分からない。

 とりあえず盛り上がりに水を差してはならない、と考えて私も応援してみたり、なんとか笑みを絶やさないようにした。


 ボート大会を見にきた人々は多くが家族連れで、彼らは湖の側に敷物を敷いて、飲み食いしながら観戦していた。

 この大会は島の人々にとっては、のどかなダール島の貴重な娯楽の一つだった。

 私は家族連れのなかに金色の髪をした小さな少年を見つけ、ピーターを思い出した。彼は今、ノランの叔父の援助のもと、母親と王都で暮らしているはずだった。

 元気にしているだろうか……。


 湖の端の一画では、若い女の子たちが集まって、服を膝上近くまで上げて、キャッキャとはしゃぎながら、足を水に浸けていた。

 ふと視線を上げれば、近くに立っていたリカルドもそちらを見ていた。

 彼にはボートの試合を見るより、魅力的な光景なのだろう。

 私はリカルドを近くに呼び、尋ねた。


「あの、リカルドさんはどうして結婚指輪をつけないんですか?」


 リカルドは優しく笑った。


「結婚指輪をつけていると、変に警戒されてしまいますので。つけないほうが良いのです」


 警戒されるとなんの不都合があるのだろう。

 腑に落ちない。

 私は試しに、リカルドに聞いてみた。


「あの、今どこのチームが勝っているんでしょうか……?」


 リカルドは私にそっと教えてくれた。


「奥様。いま一番優勝しそうなのは、あの赤い衣装のチームですよ」


 どうやらリカルドも試合の状況が分かっているらしい。




 ひときわ大きな歓声が上がると、青い衣装を身につけた団体が、ボートの上で諸手を挙げて喜んでいた。大勢の観客が彼らの近くまで駆け寄る。

 私は隣に座るノランに尋ねた。


「あれは何を騒いでるんですか?」


 ノランはやや呆れた声で答えた。


「今年の勝者が決まったからだろう」

「えっ、あのチームが優勝ですか?」

「分からなかったのか……」


 リカルドは赤のチームと言っていたのに。いつの間にか抜かれたんだろうか。

 勝手ながら非難がましい目つきでリカルドを見ると、彼も目を瞬いて混乱した表情をしていた。

 最近気がついたが、リカルドは意外と頼りないところがあった。


 優勝したチームの人々が、運営委員によって会場の真ん中まで連れて来られると、いよいよ私の出番だった。

 私は指示されるまま観覧席を立ち、晴れやかな笑顔を見せる優勝者たちの前まで進んだ。皆、さぞ練習を積んでいたのだろう。真っ黒に日焼けをしていた。

 そして運営委員長より、私の身長の半分はあろうかという大きさのトロフィーを受け取ると、恭しくそれを青いチームの代表者に手渡した。

 大歓声が上がり、優勝者たちは弾ける笑顔を見せ、観客たちは惜しみない拍手を彼らに送った。

 実に平和な一日だった。



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