荷馬車に揺られて
翌朝、ノランとリカルドは馬に荷馬車をつけていた。
ノランは庭に出て来た私を見つけると、声をかけて来た。
「今からダール島の外に出て、酒の買い付けに行く。貴方も来なさい」
そんな急に誘われても……。
私は今日、やり残した芝刈りをする気満々だったのだ。伸び放題の雑草をこれ以上放置したくない。
私が乗り気ではないのを察したのか、ノランは付け加えた。
「貴方の昼食も積んである。あと十五分ほどで出発する。準備してくれ」
「私、芝刈りをしないと…」
「子爵家の娘が芝刈りまでするとは想像もしなかった」
私も王子様がこんな質素な荷馬車に乗るなんて想像もしていなかった。
座席は御者の座る一番前の所しかない。つまるところ、私とノランは荷台に座るのだろう。
私たちの様子を窺っていたリカルドが、荷馬車から声を上げてきた。
「奥様、芝刈りなら後で私がやっておきますよ〜!」
優男風の羽のように軽い笑顔が、信用ならない。
だがふと振り返るといつの間にマルコがいたのか、彼はまたしても猛烈な勢いで雑草を抜き始めた。芝まで根っこから抜いていそうでちょっと怖い。
マルコ……違うの。私がやりたいのは、芝を刈り揃えることであって、根こそぎ絶やすことじゃないの……。
得意満面のマルコを傷付けずにどう説明すべきか迷っていると、マルコと目があった。
するとマルコは二カッと笑った。
「自分がやっておくっす!」
続けてノランが言い足した。
「女性は荷物が多いと相場は決まっている。リーズ、早く支度を」
女性の荷物に偏見があるらしい。
しかし、ここで行きたくない、と強情を張っても仕方がない。
私は芝刈り用に被っていた、色気もへったくれもない作業用帽子を脱いだ。
ーーノランは、自分が外出中に、私が納屋に行くのを疑っているのではないだろうか? だから、私も連れ出そうとしているのでは?
そんな事を邪推しつつも、少しは手間のかからない妻らしく、従順にも出かける準備をした。
リカルドは御者として前に座り、私とノランは荷馬車の荷台部分に乗り込み、座った。
荷馬車の荷台は板張りで、座席がない。その為、荷馬車が動き始めると私は座っていた中央部から、振動のたびに少しずつ後ろへ流されていき、終いには一番後ろの壁にしがみついていた。
ノランはそんな私を見て、呟いた。
「貴方は端が好きだな」
好きでここに座っているんじゃない。不可抗力だ。
ノランはリカルドの直ぐ近くにいたが、掴まっていた手を離すと、私の隣までやって来た。彼は必死で壁にしがみついている私を見て、おかしそうに言った。
「意外と落ちたりはしない。先は長いのだから、ずっとその姿勢でいると持たないぞ」
でも、さっきからお尻がポンポン跳ねているのだ。とても安心して座っていられない。ノランの説得を無視してしがみついていると、彼は至極冷静な顔で言った。
「貴方は飛ばされるほど軽くないはずだ」
「軽いんです!」
ムッとして睨みながら反論すると、ノランは黙った。そして、相変わらず荷台後方の壁にしがみついている私を、珍妙な動物でも見るみたいな表情で見ていた。
荷馬車が島を出るころ、私は両腕の筋力に限界を感じ、結局荷台に突っ伏すように座り込んでいた。荷馬車は地面の起伏が伝わりやすく、凄く気持ちが悪くなってきたのだ。要するに私は酔っていた。
ノランは涼し気に荷馬車に腰かけたまま、言った。
「今度ダール島の湖でボート大会がある。毎年ダール伯爵家は大会に参加する島民に、酒を振る舞う事になっているんだ」
「はあ。そのお酒を買いにいくんですね」
「去年は島の業者に頼んだのだが……、かなり高くつくんだ。今年の我が家の経済状況では、仲介を挟むわけにはいかない」
そうですね。
この家、カネが無いですもんね。
「そ、それでご自身で買い付けに行かれるんですか」
島の外で買う方が、島内で買うよりお得なのだろう。
荷馬車に突っ伏し、死んだ魚のような目でノランを見上げた。
元殿下な金欠伯爵は、車酔いした妻を荷馬車に乗せてまで、酒代をケチるために、朝っぱらから出掛けている。
ノランは正体不明な夫だが、やることがどこか滑稽だ。
私が物言わずノランを見つめていると、彼は私の肩を軽くたたいた。
「起き上がって、景色を見た方が良い。そうしていると、酔うぞ」
私は首を左右に振ってノランの提案を却下した。
自分が荷台から落ちそうだから起き上がりたくないのではない。……実は、あまりに気持ち悪くて起き上がれそうにない。
そうしてノランの助言を無視していると、彼は怪訝な目つきで私を見つめながら畳み掛けた。
「意地を張るな。この先はあまり揺れないから心配いらない」
私は口元を押さえながら呻くように言った。
「……ません」
「えっ?」
「吐きそうで、動けません」
一瞬ノランの水色の双眸に、殺意が宿った気がした。
手間がかかる妻だ。
物言わぬ彼の心の声が聞こえた。
少しでも気分を誤魔化そうと私は目を閉じた。だがその直後、突然両肩を掴まれて驚いた。
慌てて目を開けると、ノランが私に手を掛けて起こそうとしている。
「だから、変な姿勢でいるなと言ったのに……」
ノランの手を借りてしぶしぶ上体を起こす。
間違っても王子様の上に嘔吐してはならない、と死に体で距離を取ろうとするが、なぜかノランは私の腕を掴んで自分の方に私を引き寄せる。
そのままノランは私の背中に手を当て、上下にさすってくれた。
「リーズ。下を見ていないで、景色を見た方が良い」
のろのろと視線を上に上げる。
壁も天井もない荷馬車からは、島内の景色を存分に堪能できた。なだらかな芝の丘や、キラキラと輝く大小様々な湖。
思わず目を見張る。
ダール島の、掛け値なしに美しい自然が三六〇度広がっていた。
どこを切り取っても絵画になりそうだ。
確かに、寝転がっているより良いかもしれない。
心地良い風が頰を撫で、鮮やかな緑のダール島を眺めるのは、気持ちよかった。
私はノランがテーディ邸を訪れたときに、伯爵領を美しいところだ、と言っていたのを思い出した。
彼のその言葉には偽りがなかった。
島の景色を苦笑しながら見ていると、ノランが私をずっと観察していることに気がついた。
一人で無言でニヤケているところを見られてしまった。
島を出て、私たちは一番近くにある街へ向かった。
荷馬車は乗り心地が決して良くないので、目的地があまり遠い所でなくて、良かった。
私たちは街中の大きな通りにある、酒屋に行った。ノランはそこで数種類の酒をえらび、次々と大量に注文していく。
どうやらノランはお目当の酒があったようだが、その内の一種類がこの店には入荷されていなかった。
そのことをノランが尋ねると、店主は困った顔をした。
「今朝、イティアで暴動があったらしいんだよ」
「イティア?」
イティアは王都とダール島の中間に位置する、大きな街だった。
「道が幾つか兵たちに封鎖されていて、仕入れが出来なかった酒が今日はあるんだ。タイミングが悪くてすまないねぇ」
横から話を聞いていた私は、思わず話に割り込んだ
「暴動って、何が起きたんですか?」
店主は酒瓶を棚から下ろす作業を一旦中断して話し出した。
「王都を始めとして、大きな街に新たに税金がかけられることになっただろう?それに対する暴動が、起きたようだよ」
ここのところ、長引く戦争による国家の財政負担が大きくなり、増税が続いていた。
なりふり構わぬ増税は、あちこちで不満をくすぶらせていた。
店主は肩をすくめた。
「くだらない戦争に肩入れするからだね。もともと他の国どうしの戦争なのに」
隣国セベスタ王国は、その隣に位置するリョルカ王国と戦争をしていた。我が国ティーガロは長年セベスタを支援していて、リョルカに不定期な攻撃をしていた。長引くセベスタへの援助は、我が国ティーガロの財政を次第に蝕んでいた。
ノランは店主を見ると言った。
「リョルカは強い。そもそも、他国の喧嘩に割って入るのが間違っている。民は困窮していく一方だというのに」
国王の息子であるノランが、戦争を非難する口ぶりだったので私はとても驚いた。
第一王子は反戦の立場を取っていることで有名で、国王とあまり折り合いが良くないとは聞いていた。だが第四王子のノランまでそうだとは、聞いたことがなかった。
当然ながら店主はノランが誰かを知らないようだった。
店主は大仰に頷くと、ノランに同調した。
「今の陛下はダメだな。もう懲り懲りだよ」
国王を批判する話をノランにこれ以上あまり聞かせたくない私は、あわてて話題を別の方向へそらした。
「暴動はもうおさまったんですか?」
「軍隊が出て来て鎮圧したらしいが……。当分は別のルートで仕入れることにしてるよ」
荷台に大量の酒を積み込むと、私たちは行きとは違って速度を落して進んだ。
買い付けた酒樽はたくさんあり、積みきれなかった分は後日発送となった。
途中、ノランはボート大会の話をしてくれた。
どうやらボート大会には毎年ダール伯爵も招待され、観覧席から見学をするらしかった。前伯爵は、伯爵夫人と出席したのだという。つまり、今年は私もノランと一緒にボート大会に行かねばならない、ということだ。
ボート大会で優勝したチームには、毎年使い回されるトロフィーが渡されるのだという。トロフィーは一年間、優勝したチームのリーダーの自宅に誇らしげに飾られ、また次のボート大会で、次期優勝者の手に渡るのだ。
「実はこの大会では貴方に重要な役どころがある」
「えっ!? ……まさか私もボートを漕ぐんですか?」
ノランは驚いたように一瞬目を見開いた。
「まさか。あれはかなりの力作業なのだから。……出場したいのなら止めはしないが」
自分がボートを漕いでいる場面を思い描き、笑ってしまった。
「遠慮しておきます。万一私が優勝してトロフィーを貰っちゃっても困りますもんね!」
「その通りだ。貴方がトロフィーを授ける側なのだから」
「私が……?」
「毎年、伯爵夫人が優勝チームにトロフィーを渡す大役を担っている。それを貴方にお願いしたい」
それはまた、なんて栄誉ある役どころだろう。私なんかで良いのだろうか。
それに伯爵夫人として公衆の面前で扱われることに、いまだ気恥ずかしさを感じた。




