殿下と私、ささやかな口論
納屋に何があるのだろうか。
怖くて聞けない。
大変なものが地下にあったらどうしよう。考え出すと止まらない。
私が今まで読み耽った小説の数々から、納屋の地下に対する妄想が止まらなくなっていた。
恐ろしい小説の中には、妻を次々殺害してその遺体を埋めていたものもあった。……それじゃ、次の被害者は私か。私は彼の初めての妻のはずだけど。
そもそも第四王子である彼が私に求婚してきたこと自体がおかしいのだ。この結婚劇と、もしやあの地下室は何か関係があるのだろうか……?
私は怖くてギュッと自分の身体を抱き締めた。
ーー地下室にノランの愛人が暮らしているとか? 世には出せない猛獣を飼っているとか? 人には決して見せられない趣味の部屋とか?
もしくはピーターが言っていたみたいに、海賊の財宝? 実はノランは海賊の頭領で、武器具をあそこに隠している?
まさかこの屋敷の納屋の地下にそんなものがあるとは思いたくない。
でも、でも。じゃあノランは何を隠したがっているのだろう。
ーーだめだ。気になって仕方がない。病気になってしまいそう。
思わず頭を両手で抱え込む。
納屋にとんでもない物があったとしても、私の実家はテーディ子爵家しかない。あんな所、帰りたくない。
けれどこのままでは……。
その夜はちっとも眠気が訪れてくれなかった。ぐるぐると思い悩み、すっかり冴えた目で暗い寝室の天井を見上げていた。
隣に横たわるノランの様子をうかがうと、彼は全く動かない。
もう寝たのだろうか。
ーー納屋の地下がどうしても気になる。
崩落の危険があると言う割に、階段は立派だったし、つい最近歩いたみたいに通り道がついていた。……あれは私の見間違いだろうか?
ちょっとだけ、少しだけ、もう一度見てみたい。
階段の様子を上から確認するだけだ。だってよく見れば本当にノランの言う通り、結構傷んでいるのかもしれない。
思案に暮れながら天井を見上げ続けて、どのくらいたっただろう。
私は静かに上半身を起こした。
そのまま床に滑り降りると、そっと寝室を抜け出した。抜き足差し足で廊下を抜け、静かに玄関の扉を開ける。
外は真っ暗で物音一つしなかった。
ほんの少し躊躇した後、手にしっかりとランプを握り、私は納屋に向かって駆け出した。
外は月明かりでそれほど暗くはなかった。
はあはあと肩で息をしながら、納屋の扉を開けた。さすがに納屋の中は暗かった。
ーー確か、地下の入り口はあの辺だった。
ピーターと二人で干し草を掘った場所に目星をつけ、両手でかき分けた。身体全体を使って干し草をどけ、地下への扉を露出させると、いよいよだと、呼吸を整えた。
そして私は暗がりの中、よく見ようと扉に顔を近づけて、絶句した。
扉に南京錠が据え付けられていたのだ。
「嘘……」
こんなものは、ピーターと来た時は絶対になかった。
私と話した後で、ノランが鍵をつけたに違いない。
ここまで来て、扉が開かないとは……!
試しにガチャガチャと力任せに開けてみようとするも、無駄な抵抗だった。開かない扉を前に、私は脱力して、座り込んだ。
ーーそうだよね。入って欲しくなかったら、カギかけるよね。
どうせなら、もっと前からそうしていて欲しかったかもしれない。でなければ、こんな事態にならなかったのに。
私はノランを信じたい。
でも信じ切れてない私がいる。
座り込んだ状態で納屋の小さな窓に視線を投げる。屋敷の建物の一部がそこから見えた。
ーーノランが、遠い。
この距離は物理的なものだけでなく、彼と私の心の距離でもあった。
私はうんざりするほど長い溜息をつくと、干し草を元に戻してから、項垂れて納屋を出た。
肩透かしを食らって屋敷に帰り、他の人を起こさない様にまた静かに廊下を歩く。
ノランを起こさないよう、二人の寝室の扉のノブを慎重に回した。音を立てずに扉を開けることに成功し、ホッと胸をなで下ろす。
寝室に一歩入ると、私は大層な叫び声を上げてしまった。
寝台には誰も寝ておらず、ノランは窓際に立ち腕を組んで私を見ていたのだ。
「……納屋へ、行っていたのか?」
彼は窓から見ていたのだ。
いつから起きていたのだろう!?
納屋へひた走る私を上から眺めていたのなら、ここで偽りを述べても無駄だ。観念するしかない。
「……はい。行きました」
「貴方の誓いの言葉は随分と軽いようだ」
「も、もう行きません。鍵がかかっていたら、どうしようもないですから」
「開き直ったのか」
呆れたようなノランを無視する。
「ーー本当はあの地下に何があるんですか?」
「崩落の危険があると言わなかったか?」
「ピーターが、財宝かも知れないと言ってました」
ノランは鼻で笑った。
「そんなものは隠匿していないから、安心しなさい」
余計安心できない。
私はそれ以上部屋の中に進むことなく、寝室の入り口で固まっていた。一方のノランも黙ったまま窓際から私を見ていた。
しばらくの間、両者一歩も動かぬ張り詰めた空気に包まれた。
やがて思わず漏れたような小さな息を吐くと、ノランはこちらにつかつかと歩き出した。
ほんの少し怯んだ私が右足を一歩後ろに下げた時、ノランは素早く私の二の腕を掴んだ。
「夜中に一人で外に出るものじゃない。ーー黙って出るなどもっての他だ」
明かりがないからか、ノランの瞳の色がとても暗く見え、それが怖さを増幅させる。
私が答えられないでいると、ノランは私を掴む手に力を入れた。そうして私の二の腕をぐいっと引き、部屋の中に引っ張りこんだ。バタン、と扉が閉まる音が後ろで続き、ノランが寝室の扉を閉めたのだと気づく。
彼は私の二の腕を掴んだまま、もう片方の手を私の肩に回した。
「いつまで立っている気だ?」
ノランは力任せに私を寝台まで連れて行くと、真後ろから強張る声で言った。
「貴方は意外と手のかかる妻だ」
カッと私の全身があつくなる。怒りか羞恥からか、自分でもよく分からない。
ノランは強引に私を寝台に乗せようとするので、私は手を振り払って反論した。
「それはどっちもどっちです!」
するとノランはその形の良い眉をひそめた。
「どう言う意味だ?」
「ノラン様も……しょっ中私を困らせています!」
「あいにくだが、妻は夫の言うことをきくものだ」
「きいています!」
「どこがきいている?」
「全部じゃないですけど、だいたいはきいています」
恐ろしく低い声でノランは、だいたいは?と呟く。
一歩分の距離すらあいていない至近距離から、ノランは腕を組んで顎を逸らし、私を見下ろしていた。
対する私は一歩も引かぬよう、なんとか踏ん張っていた。
後ずさりしたら負けだ、という気がしたのだ。
毅然とノランを見上げていると、彼はため息まじりに言った。
「まったく。ーー貴方には令嬢らしさがまるで無いな」
令嬢らしい奥方がご所望だったなら、他を当たって欲しかった。
ぷいと顔を背け、私は寝台に座り込んだ。
「ですから私、エセ子爵令嬢なんです」
ぎこちない間が開いた。
「……悪かった。言葉が過ぎた」
驚いて目を瞬きながらノランを見上げる。ここで謝られるとは思っていなかった。
彼は組んでいた自身の腕を解くと体を反転させ、私の隣に腰かけた。ギジリと寝台が軋む。
「失言だった。貴方を傷付けた。申し訳ない」
ノランはそう言うと、私が自分の太ももの上に無造作に置いていた私の手に、自身の手を重ねた。私の手の甲が一気に熱を帯びる。
重ねられた手の上に視線を落とす。ーーふと中央教会で挙げた結婚の儀のことを思い出した。
あの時、手を重ねたノランが私の手をそっと包むように握ったのだ。ドキドキと緊張しながらも私は頼みごとをした。
「ノラン様。ーーこのまま……、ギュッてして欲しいです」
手をもう一度優しく握って欲しい。
あの時、ノランを信じたいと思った気持ちと覚悟を、思い出せそうだから。
ところがノランは私の手の上から手をサッと放した。動揺する私に、予想外の言葉が投げられる。
「貴方は、小悪魔だな」
どういう意味なのか、とかなり傷つきながら視線を上げると、両腕を広げたノランが私に迫り、次の瞬間私は彼に抱き締められていた。
ーーあ、もしかして、こっちのギュッ? そんなつもりじゃないんだけど……。
力強く腕の中におさめられ、どんどん恥ずかしくなって、私は彼の肩に上気した頰を埋めた。
ドクドクと自分の心臓が鳴っているのが分かる。
最早、痛いほどだ。
ーーああ、どうしよう。……物凄く、嬉しい。
少し長めの抱擁が終わると、私は恥ずかしくてノランから慌てて離れた。そのまま寝台の上を這うと、枕元まで行き、寝具に潜り込んで彼から背を向けて丸まった。
布団を口元まで引き上げ、顔を隠した。




