殿下の一目惚れ
久々の投稿です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!
よろしくお願いいたします。
昨年末のことである。
我が国の第五王子が、お忍びで歌劇を観覧した帰り道、夜の路上で何者かに突然襲われ殺された。
まだ十九歳の若き王子だった。
捜査の甲斐なく、犯人は逮捕されなかった。
王妃からとりわけ愛され、国民からも人気が高い、陽気で気さくな王子だった。
――なんておかわいそうに。
世間は涙を流した。
その頃、屋敷の掃除に日がな明け暮れていた私、リーズ・テーディはまさかこの話題が自分に後々深く関わってくるなんて、夢にも思っていなかった。
人生は山あり谷ありだという。
だが私、リーズ・テーディにとっては、長らく底の見えぬ谷を目指して、下り続ける人生が続いていた。
没落貴族出身だがとんでもなく美人で有名な母が、私を連れて金持ちのテーディ子爵と再婚したのは、私が四歳の時だった。
私の坂道はここから始まった。
勿論、急勾配の下り坂だ。
テーディ子爵家にいた二歳歳上の義理の兄は、私を嫌い、徹底的にいじめ抜いた。彼の趣味は、玩具の剣を振り回して私を追い回し、探し出しては頭を叩きまくる事だった。幸いなことに、兄は太っていたので、足が遅く、彼から逃げるのは容易だった。
義理の兄が私に向けた嫌悪は、清々しいほどブレなかった。首尾一貫、初志貫徹が彼の座右の銘だったに違いない。
母はテーディ子爵との間にできた子どもである、私の妹を生むと、子育てに飽きでもしたのか、旅行三昧の日々を過ごすようになった。
妹はかわいそうに、母親の顔を半ば忘れて成長していた。私も同じくらいかわいそうなもので、妹は天使のように愛らしく、母親の美貌を受け継いだ子だった為、私は彼女と常に比較されてこき下ろされた。
母は一年のほとんどを旅行に費やし、やがて家族の誰も母の現在地を認識しなくなった。
突然両手いっぱいのお土産を抱えて帰宅し、機嫌よくその美しい笑顔を振りまき、父や娘たちにキスをし、翌日には新たな旅先へと出て行く。
私の母親は、そんな女性だった。
この辺りから私の人生の坂道は、更に勾配がきつくなった。殆ど転がり落ちる勢いだった。
義理の父は善良な人間で、私と義兄の仲をどうにかとりもとうとしてくれたが、全て徒労に終わっていた。
義父は、いつまでも母の帰宅を待っていた。
母がいつか己の過ちと、真実の愛に気づき、自分と子どもたちのもとへ帰ってくると、信じていたのだ。
義父は母を心から愛していた。
私が十歳になった頃。
母はいつもと同じく、唐突に帰宅をして、そして翌日にはまた私たちを置いて去って行った。
その早朝、まだ皆が寝静まっている時間に、母が馬車に乗り込む音を聞いた。わたしは寝間着姿で外へと飛び出し、喚き散らしながら母を引き止めようとした。
馬車の扉を閉めさせまいと私は扉を押さえたまま、母を説得した。どこにもいかないで、と。
十歳の私は、まるで二歳児のごとく、叫び、泣き、暴れた。私は全力で己の感情を吐露した。
だが母はその美しい顔で、少し困ったような表情をして、御者に命じて私を引き剥がした。
動き出す馬車をしばらく追いかけたが、やがて引き離された。
朝霧の漂う王都の道を、呆然と立ち尽くす自分が、あまりにも惨めだった。
遠くへ消えゆく馬車の音を、失意の中で聞いた。
そして、母はその旅の途中で馬車の事故にあい、永遠に私たちのもとには帰らぬ人となったのだ。
あの辛さは私にとって、その後の人生の支えとなった。
あれ以上辛いことはもう起こり得ないだろう、と確信出来たからだ。
病気がちだった義父は母の死を契機に一層弱っていき、私が十五歳の時に亡くなった。
義父が亡くなると、最早テーディ子爵家は義兄である、シャルル・テーディの天下となった。
彼は私を使用人として扱うようになり、私の日課は屋敷の掃除となった。
広大なテーディ邸の掃除は大変だったが、出て行けと命じられないだけでもマシだと思うようにした。
遊び歩くシャルルや妹を尻目に、私は使用人と同じくらい地味な服を着て、ひたすら掃除に明け暮れた。
唯一の楽しみは、本を夜に読むことだった。
兄のシャルルは19歳で妻を迎えた。
新たにテーディ子爵家の一員となったのは、ダフネという名の伯爵令嬢で、どこで学んできたのか、私に初対面から横柄な態度で接してきた。そしてその態度は、やはりブレを知らなかった。
義姉も終始一貫、徹頭徹尾を座右の銘にしていたのだろう。
義理の兄とその嫁は、小姑である私をどうやって屋敷から追い出すか、という議題についてしばしば居間で楽しげに討論を繰り広げていた。
とりわけ兄夫婦の間に子どもが生まれると、ダフネは一刻も早く私を追い出したくてウズウズし始めた。
「ねえ、居候さん。この子ももう、一歳になって良く動き回る様になったでしょう? あなたが今使っている部屋をこの子に使わせたいのよ」
屋敷には数十の部屋があるというのに、なぜピンポイントで私の部屋を狙うのか。直球過ぎる嫌がらせに、返事が思いつかない。
そんな時、妹のレティシアがいつも、私の味方をしてくれた。
「ダフネお義姉様、あんまりだわ!リーズお姉様の使っている部屋は、地下にある狭い部屋なのよ! それだって、去年二階の部屋から追い出されて移った部屋ですのに……!」
義理の兄はレティシアに甘かったので、兄嫁は彼女には逆らわなかった。私は情けなくも、こうして母の残した実の妹に庇われて、この屋敷での日々を送っていた。
転機は私が十九歳の時におとずれた。
ある夕方、義理の兄と兄嫁が廊下で掃除中だった私を捕まえるなり、物凄い笑顔で話しかけてきたのだ。
そしてその満面の笑顔たるや、天変地異の前触れかと思うほどだった。
「リーズ! 探したわよ! こんな所にいたのね」
私はいつも義姉と義兄からは、居候娘と呼ばれていたので、名を呼ばれた事に驚いた。
どうやら一応ちゃんと私の名前は憶えていてくれたらしい。
「お前も、隅に置けないわね!」
何、なんだろう?
確かにいつも屋敷の隅にいるけど、その事すら文句を言われるのだろうか。
思わず身構える。
だが義姉は猛烈な笑顔のまま、続けた。
「知らなかったわ、良く外出すると思ったら、外で殿方に見染められていたなんて!」
……何を言われているのか、分からない。
私が外出する時は、古本屋に行って本を買って来るくらいだ。それも直行直帰だ。
何の話だろう。
義姉の新手の嫌がらせが始まっているのだろうか。流れが読めないのが怖い。
あろうことか、義兄まで笑顔を浮かべて、話しかけてきた。
ちっとも嬉しくない。寧ろ不気味だ。
「いま王宮中がこの話題でもちきりだ! なんとノラン殿下が、お前を見染められたそうだ!」
ーーは?!
「今朝から王宮は蜂の巣を突いたような大騒ぎだ! お伽話のような世紀の幸運、と! ノラン殿下は、お前との結婚をご所望だそうだ!」
「あの、なんのお話でしょうか……」
「わたくしたちも誇らしいわぁ!」
興奮のあまり目を潤ませ、謎の悶えを見せる義姉を、私は表情を失って見つめていた。
二人が何を言っているのか、理解出来ない。こんなつまらない冗談を言うために、久しぶりにわざわざ二人して、私に話しかけているのだろうか。
「あの、何のことですか? 私には……」
「お前に縁談が持ち上がってるのよ!」
一瞬幻聴かと戸惑った。
「え、縁談ですか……?」
あまりに急な話で、何かの冗談としか思えない。
すると義理の兄も口を開いた。
「このお話を頂いた時は、身震いがしたぞ!」
兄嫁は過度に興奮しているせいか、本当にブルブルと腕を震わせながら、猛烈な笑顔で続けた。
「もう一度言うわよ。お前に、ノラン殿下が求婚なさったの」
「ノラン殿下って……」
「馬鹿ね、ノラン殿下よ! 我がティーガロ王国の第四王子殿下の!」
「お、王子様……?」
話が突飛過ぎて、ついていけない。
義姉たちはこの冗談をいつまで続ける気だろう。
何が面白いのかさっぱり分からない。
「そうだ。しかも、美丈夫として名高い第四王子殿下だぞ! 名ばかりの子爵令嬢である、血筋の悪いお前が嫁に行くのに、これ以上のお相手がいるだろうか」
嬉しいでしょう?、と言い募りながら顔を寄せてきた兄嫁から、キツイ化粧品の匂いが漂い、頭がクラクラした。
このティーガロ王国では一応名家で通っている、テーディ子爵家とはいえ、実際にはその血を一滴も継いでいない私に、王子様などから縁談が降ってくる筈がない。
気味が悪いほどの笑顔を浮かべた兄嫁は、説明を続けた。
第四王子は以前、街中で私を見かけて恋に落ちたのだという。義兄はもっともらしく言った。
「お前が驚くのも分かる。俺たちも驚いたからだ。正直、お前の一体どこを殿下が見染められたのか、全く分からんが、世の中には色々な趣味の男がいる」
「んまぁ、あなたったら、そんな正直に言っちゃったらリーズに失礼よぉ!」
「だがノラン殿下は、ここ最近はお前が愛しくて、夜も眠れぬそうだ」
ーー何それ、怖い。
「ノラン殿下は国王陛下に対して、リーズ・テーディとの結婚を認めて貰えないなら自害も辞さない、と直談判されたそうだ!」
ーー何それ、重たい……。
義兄の説明によれば、最初国王は激怒して断固私との結婚を認めなかった。だが第四王子の本気ぶりもかなりのもので、彼は国王の制止を無視し、田舎に引っ込んでしまったのだという。
ここへ来て、国王も折れたらしい。
「今朝、王宮に呼ばれて俺も仰天したよ」
「陛下はノラン殿下とお前との結婚を、お認めなさったのですって! ノラン殿下が殿下の称号を放棄する事を条件に」
第四王子が、血筋の悪い私と結婚する為に、殿下の称号を捨てる?
絶対に何かの間違いだ。
だが義姉たちの興奮はいまだ冷めず、どうやら本気で彼らもこの話に驚いている様子だった。
ーー第四王子なんて、見たこともない。絶対に会ったりしていない……!
ちなみに第四王子は、昨年殺された第五王子とは「双子兄弟」と呼ばれるほど仲が良かったらしい。第五王子亡き後、その墓前に雨の中立ち尽くし、肺炎になって死にかけ、ひと騒ぎ起こした人騒がせな王子だった。
しかし、そんないわくつきの王子が、一体なぜ私に求婚などしてきているのか。
私を誰かと間違えているのだろうか。それともまた騒ぎを起こしたいのか。
その辺の道端を歩いている商人よりも貧乏な、底辺貴族の娘だった私にとっては、王子との縁談なんて、あり得ないくらい贅沢なことだった。
ーーこんな話があるはずない。絶対に何かウラがあるに違いない。
「ああ、リーズ。お前ったらなんて幸運なのかしら! 分不相応なお相手に見染められるなんて、お伽話の主人公のようだわ!」
羨ましいわぁ、と嫌味と揶揄が混ざった表情で、義姉は私に流し目をした。
そうなのだろうか。ーー発想の転換をして、私もこれはチャンスだと考えるべきなのだろうか。
……それにもしかしたら本当に私は王子にどこかで見られて、……そう、一目惚れされたのかもしれない……。
ちょっとそんな想像をしてみた。
けれど窓ガラスに映った平凡を絵に描いたような自分の姿を見て、我に帰る。
あり得ない、と。
一目惚れというのは、普通容姿が優れた人に対してしかしないものだ。
いくら子爵家の居候娘だろうが、人間違いで求婚されたらたまらない。