第一章其の一
漆黒に飛び散る血しぶきは生暖かく、血なまぐさい。全身に浴びた返り血は、纏った鎧に無感情な血色の模様を作っていたが、ゼファードは躊躇せずに仕事を遂行した。
彼の足元に転がっている死体は、この集落に住む村人だ。さっきまで耳障りないびきをかいていた農夫も、その妻も、息子も、今はもう屍と化している。命乞いをする間もなく鋼鉄の剣は無慈悲に彼らの心臓を一突きにした。屍の胸に深々と突き立った血染めの剣を、ゼファードは引き抜く。機械的に繰り返されるその作業は、小さな集落に住む村人全ての命を奪い、物言わぬ死骸は断末魔の悲鳴を上げることさえ許されない。
眠ったまま心臓を貫かれる死に方が安楽だとは思わない。死の恐怖を標的に与えずに事を済ますことが、かけられるせめてもの情けだとゼファードは考える。
――情け……か。
兜の内側で、ゼファードは自嘲の笑みを浮かべた。
情けなどという人間的な感情が自分の中に流れていないことを、ゼファードは自覚していた。ありもしないものに紛らわそうとした罪悪感さえ、自分は感じてはならないのだ。奪った命に等しい対価などこの世にありはしないのだから。
ゼファードは血のまとわりついた剣をそのまま腰に差した鞘に収め、死体に背を向けた。自分の歩く後には、必ず物言わぬ死体が転がっている。その死体が生前どんな人間だったのか彼は知らない。知る必要もない。必要なのは、自分が生き残るために他人の未来を握りつぶす非情な感情……殺意だけだ。
開け放っておいた戸をくぐって外に出ると、ゼファードは兜を脱いで空を仰いだ。標的は何の戦闘手段も持たない農民。しかも、寝こみだ。顔を隠すための配慮も武装も本来なら必要ないのだろうが、万が一ということもある。その万が一が命取りになることを彼は十分に承知していた。
どこまでも続く満天の星は、一人の若い男を映し出す。長髪を後ろで一つに縛った鮮やかな銀髪が空から降ってくる星の明かりに映えていた。血染めの鎧に身を包んだ彼の体は痩躯でありながら、鍛え抜かれている。まだ幼さを抱えた若気の面影を残した青年――ゼファードは、目を細めて、決して手の届かない星空に向けて手を伸ばした。
空にかざした彼の手は、冷たい手甲に覆われていた。鉄製の指先にこびりついた朱色は、彼の手に生々しい感触を蘇らせる。生きた人間の胸に剣を突き立て、心臓を貫き、命を引き抜く瞬間。傷口から吹き出す鮮血は、やがて勢いを失くし、散っていく。
手の内にじわじわと広がっていくものをかき消そうと、ゼファードはかざした手を握り締めた。今、自分がどんな顔をしているのかを想像して、ため息を漏らす。
――こんなとこ、あいつらには見せられないな……。
ため息とともに、ゼファードは心の中で呟く。
――さてと。もう一仕事だ。
憂いを打ち消すために硬くまぶたを閉じ、再びゼファードは夜空を眺めた。銀色に光るゼファードの双眼には、もはや今までのかげりは見られない。
血まみれた彼の手が、仰いだ光に届くことはなかった。




