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形を取るときに注意したいこと

 今回はタイトルの通り、意外と陥りやすい注意点を上げていきたいと思います。丁寧に描こうとすればする程にこの辺りへの注意力は散漫になってしまう、というものになります。


 まず最初に、これは凄く陥りやすいです。

 「左右対称に拘ってしまう」

 これは意外と意識しすぎてしまいがちです。

 特に見るケースはやはり人の顔でしょうか。これは見ずに描くときにもあえて少しばかり変化をつけることが実は重要です。

 と、言うのも理由はとてもシンプルで、人の顔は左右対称ではありません。そしてマネキンの顔は左右対称です。マネキンを描くのが目的であればそれで良いのですが、生き物を描く場合はあえて少々の変化をつける、と言うことが重要になります。

 人には利き腕があるので、左右で描きやすさが違うと思います。それを無理やり矯正するよりも、あえてその利き手の描きやすさに任せた変化をつける、ということも手かもしれません。以前私は常に全体を見ろ、と言いましたが、実は左右に同じモノがある場合には片側ずつ顔を近づけて連続で描き、その後に離れて大きさなどの大きな違和感が無いか確認する、という方法をとることが多いです。

 パソコンで描く場合に、フリーハンドで描いた時と、それの片側ずつを反転コピペした時、どちらが魅力的か比べて見れば分かりやすいと思われます。


 次に多いことは、以前にも書いたことですが、最初から強い線で書いてはいけない、と言うことです。

 例えば鉛筆であればデッサンとしてハッチングに入っていく時に、下書きは消しゴムを使わなくていいくらいの線で描く、と言うことです。筆圧で紙を凹ませてしまえばその跡はずっと残ってしまいますし、残ってしまうということは見苦しいだけでなく、その形が目に影響を与えてしまうということでもあります。

 見えると言うことは完全に無視することは出来ていないということなので、必ずその他を描く時に影響してきます。


 ちょうど鉛筆の話が出たのでその話をすると、鉛筆で描く場合、美術の授業ではBか2B辺りを使えと教えていたような記憶がありますが、中心はHBです。柔らかい鉛筆を使うほど線も柔らかくなり、固い鉛筆を使うと鋭くなります。なので、柔らかい鉛筆を中心にすると、その絵の雰囲気はパステルやクレヨンに近づいていきます。完全に個人的な意見ですが、不器用な人はとりあえずHBを使った方が良いでしょう。

 私は大体3H~5B位までは常に持っていますが、固い鉛筆にも柔らかい鉛筆にもメリットとデメリットがあるので、適当に何かを描くときはいつもHBかFを使っています。

 もちろん、上記したように筆圧をかけすぎないというのが前提の話になります。

 もしかしたら中学生だと筆圧をかけすぎるのでBか2Bを使えと言っていたのかもしれませんが……。


 もう一つは表面の情報に騙されないと言うことです。

 服のシワや髪の毛なんかは特に気になるところでしょう。でも、服の中には体があって、髪の毛の奥には頭があります。円筒を組み合わせた体の上に服を着ているということを意識してください。

 頭があって、そこから髪の毛が生えているということを意識してください。頭が出来てようやく、そこに生える髪の毛の硬さや形を考えて描くことができるのです。

 形の本質を描くということをなるべく心がけることが重要です。



 さて、この辺りで非常に難しい話もしてみます。

 絵の勉強をすると嫌という程耳にする言葉にパースという言葉があると思います。

 遠近法。

 インターネット上だとパースの狂い云々って話をよく目にしますが、遠近法が100%正しい絵は良い絵かと言えば、それは違います。


 最低限の知識は当然必要ですが、事実だけを画面に映すことがどれほど重要か、ということがあります。

 それはどういう事かといえば、例えば完璧に正しいパースを描くなら写真をトレースして描くのがベストです。そしてそれがダメな理由は一切ありません。インクで再現された立体を平面化したものを顔料を接着剤で練った絵の具というもう少し立体的な素材に置き換えて描けば、それは絵だと言えるでしょう。少なくとも色彩感覚はその人の持つものに置き換わるからです。


 でも、敢えてフリーハンドで描くなら?

 それならばパースを重視する部分と、平面構成を重視する部分、両方が複雑に重なって一枚の絵を構成する、要するに部分的には100%の遠近法を無視してでも平面的に見栄えのする形を選択することに価値が出てきます。

 どういうことかというと、とてもシンプルに言えば描いているのは写真ではなく絵なのです。と言えるということです。

 三次元的には歪な形であっても、平面であれば納得できる模様を描くことも、また手段の一つ。

 例えば、ジョルジョ・モランディを画像検索してみてください。正に歪な【絵】だと思います。

 この画家は瓶や壺をペンキで塗装して並べて描くという方法をとっていますが、それでもどう見ても現実とは違います。でも、この絵は絵なのです。

 明らかに逆遠近になっている部分も歪んでいる部分も多くあるにも関わらず、実は実物を離れた位置から見てみるとちゃんとテーブルの上に存在していて、それぞれの距離感が分かるのです。

 30×40cm程の絵でも4m程度離れると分かり易いです。

 それは絵だから出来る芸当で、それを自分の目でしっかりと見て判断しているからこそ歪でも許されるのです。単に機械的に遠近法を判断するだけなら機械がやれば良い事。


 あえて絵を描くということは、上手い下手だけではなく、人間を表すということ。

 意外とそういうことなのです。

モランディを見て子どもでも描けそうと言っているのを聞いたことがありますが、それは絶対に不可能です。

子どもが瓶や壺を描くためにペンキで塗って並べたものを平面的に解釈した上で、更に背景は奥に、手前のモチーフは手前に、ちゃんと描けるのであれば可能なのですが。

大学教授が実物見るまで2流だと思ってたと言うくらい難しい絵なんです……。

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