形の取り方
本日は月曜日でしょうか。
今回は形の取り方というものを考えて行きたいと思います。
前回円筒の話をしましたが、それと実際に人や動物を描こうと考えることはまた別ではないか、と考えられると思います。ですが、実際は全く同じことです。人の顔も胴も円筒、球、円錐の寄せ集めで表す事が出来ますから、それらを描けるということはとても大切なことになります。
ただ、その個々の大きさのバランスをとる、となるとそう簡単には行きません。頭から描き始めて足が入りきらない、なんてことは多くの人が経験したことではないでしょうか。今回はそれに対応する方法を解説して行きたいと思います。
まず、よく言われる全体から大まかに描け、と言うことですが、この理由を詳しく説明します。
実際はどんな順番で描いても良いのです。19世紀のイギリスの画家の一部なんかは、頭から完成させて順番に、なんて人も居ました。
それでも全く問題はありません。
では、何故全体から大まかに描けと言われるのか。理由は簡単です。
【確定した輪郭線を一本でも引いてしまえば、その時点でその他全ての線の完璧な位置は確定しまうから】です。
例えば最初に目を片方描いてしまえば、その瞬間につま先まで、描く人の頭の中では完成していなければならないのです。それが出来ていない場合、必ず違和感が生まれます。
大きさ、角度、線の厚み、様々な要素を持った最初の線一本が、必ず全体に影響を与えるのです。と、いうのも、絵は写真と違い四角いキャンバスが世界の全てとなり、写真の様に宇宙を切り取るわけではありません。ですから、キャンバスの外を想像させる様なトリックを使うことは構わなくても、キャンバスの外にあるものを描く必要が生じてしまってはいけないのです。
なので、最初に線を描いた瞬間に世界の全てが見えるのならいきなり確定させても構いません。 でも、それが出来ない場合は、それが出来る様になるまで少しずつ確定する位置を探って行けば良いのです。
その為、最初は全体から大まかに形をとれ、と言われるのです。
まずは四角いキャンバスをよく見つめます。描く対象が目で見えるものなら、これをこの辺りに入れたい、これはこの辺り、そう言ったことを考えてみて下さい。そして実際にその位置に軽く印を付けてみます。鉛筆で描くなら殆ど鉛筆だけの重さで。これは見ずに描く場合でも同じでしょう。
人を描くならまずはその人全体の大きさを楕円か何かで記してみます。次に胴、そして頭、手や足はただの線でも構いません。描き初めは棒人間の様な形で問題ありません。
例え棒人間だとしても、その時点で間違っていれば必ず違和感が出ます。
私の場合はまず頭を丸、それ以外は一本の線で、背骨、腰骨、足、肩、手と順に描いていくことが多いですが、その形の取り方はある程度個人差が出る為、色々方法を試してみて下さい。
例えば私は描き始めはこんな風になることが多いです。ちょうど実写シンデレラのポスター画像を見ていたので1分程で描いてみました。写真写りの為に濃く描きましたが、ここに肉をつけていけば人になる、というのはなんとなく想像が付くかと思います。
なので、ゆっくりと探って行けば良いのです。
そして、ある程度位置や大きさが固まってきたら、前回記述した円筒、円錐、球という考え方を取り入れて、違和感の無い形にしていきます。
それと同時に、クロッキーも有効です。
3分とか5分という短い時間の間に描きあげるのです。この場合はのんびり描く時間は一切無いので、いきなり確定した線を描く必要があります。クロッキーで重要なことは、とにかく時間内に、下手でも良いから完成させると言うことです。輪郭線だけで構いません。前述したこととは真逆の発想で、いきなり全てを把握する練習をする、と言うわけです。時間が無かったから描ききれなかった、ではこれの意味はありません。下手でも良いから完成。と言うことがこの場合は形を把握する事に重要な役割を担うのです。
この二つの考えを並行して行う事で、形を取る目は格段に鍛えられます。
そして、出来ればどちらであっても一回描く毎に紙は一枚ずつ使って下さい。部分の練習をするだけなら良いのですが、出来ればその紙一枚を世界の全てだと思って描いてみることで、より形を取る、という意識は高まります。はみ出してしまう、だとか、小さ過ぎる、という事はそれを意識出来ない為に起こってしまうからです。
頭を描く時にはつま先を、せめて顎を描く時に後頭部を意識できるといいです。もっと難しいことを言えば、何処を描いていてもキャンバスの四隅を意識出来るとベストです。
ちょうどキャンバスの四隅という話が出たので、絵を描く時の姿勢の話をしたいと思います。
基本的には常に全体が見える距離で描いて下さい。絵を描く上で見えないという事は存在しないのと同じです。意識しようが無いのです。細部を描くのに集中する余り他への意識が疎かになってしまえば、その部分だけは力が入っている様でも他は全く噛み合っていない、なんてことになります。目を描く時には特に注意しなければならない部分ですね。
なので、細部を描く時には何度も小まめに離れて見るようにしましょう。
あ、ちなみに私はこれが主な理由でパソコンで絵を描けません。拡大すると周囲がカットされてしまうことに余りにも違和感を感じてしまうのです。何度も拡大したり縮小したりすれば良いと思うのですが、それなら最初からキャンバスの方がストレスが少ないと思ってしまうのかもしれません。他にも色々と要因はあるのですが、少なくとも自分のアナログに追いつけるまでに20年位はかかるかなぁと思ってしまいます。なので、この辺りのテクニックは私には教えようが無いのですが…。
ただ、全体を常に見るということはその位重要なことです。顔が画面に近づいてしまう場合は意識して離れるようにして下さい。
実は、一つ面白い技術があります。馬鹿にしているのかと言われそうな方法ですが、真剣な方法です。プロも普通に行う方法なのです。
それは簡単です。
【適当に描いて、たまたま上手く行くまで何枚でも描く】です。
良し悪しを見極める目さえ持っていれば、真剣に一枚を描いてダメであるよりも遥かに精神的な負担も少ないわけです。ある意味ではクロッキーに近いですが、それをそのまま作品に持っていこうという手段。そしてこちらは時間制限はないので、より肩の力を抜けます。
なんでもそうだと思うのですが、正直に言って、真剣にやったから良くなる、なんてことは有り得ません。
力を入れるほど余計な意識が生まれ、重要なことが見えづらくなる為、時間あたりで考えれば肩の力を抜いた時の方が良くなる可能性はむしろ高いくらいなのです。そして、力を入れるほどにストレスが貯まります。そうなると悪循環が始まってしまうわけで、頑張っているのに結果が出ない、という事にも……。
どんな分野であっても超一流の人が簡単にこなしてしまうように見えるのはこれが大きな割合を占めていると思います。真剣であっても肩の力が抜けているから簡単にこなしてしまえるように見える、わけです。
なので、たまたま上手く行ったらそれを作品にする。それで良いという考えを持つのです。私自身も”描き始める”までに半年とか普通にかかる時がありますが、有名な作家にも一枚数分で何十枚も描いて放置、1年後に見直して作品になり得るものだけを拾う、なんて人もいます。
もちろんですが、力を入れるべきところは入れる。その見極めは重要ですけれど、偶然に頼ることは悪くない、という考え方に基づく方法でした。
適当にやる。これが二重の意味を持つ理由だと私は考えています。
それでは次回は少し趣向を変えて、輪郭線の重要性について書いていきます。
現実に輪郭線は無いでしょ?という主張に対する反論だったり、二次元絵には輪郭線が必要!
みたいなことを書こうかな、と。 全て持論の回です。
次回は月曜日夜を予定しています。