油絵について
油絵は15世紀、ヤン・ファン・エイクが確立したと言われています。
その後徐々に技術的にも変化を重ね、今の厚く盛る様なイメージを持つに至ります。
まずはその技術変化の変遷を。
初期、15世紀の画家達は白いキャンバスに描いていました。白亜地や石膏地を用いた白の支持体に、薄く層を重ね、白い支持体を生かした画面作りをしています。具体的に言えば、暗い部分は10層以上重ね、明るい部分は層が薄い。しかし、明るい部分でもその一部は白をたっぷりと使って描くことで貧弱な画面になることを防ぐ。そんな描き方をしています。
例えば赤い服を描くのに、まずはヴァーミリオンを全体に乗せ、次に明るい部分に白を混ぜたものを、暗い部分には黒を混ぜたものを乗せ描き分けると、そこにマダーレーキ(※)を乗せて行きます。明るいところは5-8層、暗いところは15層以上。マダーレーキは乾きが遅いので一度乗せたら2週間は乾燥させます。
そうして紅色の美しい服を描いていくのです。
こうして描かれた画面は非常に堅牢で、ファン・エイクの絵は今でも見事な色彩を残しています。
16世紀になると少しばかり変化してきます。
ルネサンス期に自由になった絵画はさらに需要が高まり、高名な画家の絵を持つことがステータスになる為、早く描くことが求められます。その為、最初から支持体に色を付けると言うことを思いつきます。
例えば麻布の灰色に不透明の褐色を乗せた下地を作っておけば、暗い部分は絵の具を少し乗せるだけ、逆に明るい部分は今までよりも多めに乗せる。少し暗い部分は殆ど乗せなくて良い。
パッと見ではあまり時間短縮に変化が無いように見えるかもしれませんが、実はこの方法は大幅に時間が短縮出来るのです。当時の白、シルバーホワイトは塩基性炭酸鉛を顔料にしていて、それが非常に乾燥が早いのです。以前書いたように、油絵は化学反応で乾燥するため、使用する顔料によって乾燥速度や堅牢性が違います。このシルバーホワイトは乾燥時に鉛石鹸というものを作り出し、非常に乾燥が早く、堅牢性の高い絵の具となるのです。簡単に言えば、擦りつける位薄く乗せたマダーレーキよりも、1mm位の厚さで乗せたシルバーホワイトの方が表面乾燥が早い。その位違います。
そして17世紀、油彩技術の最盛期と言われている時代ですが、この頃の技術は更に発展していきます。有名な画家も多く、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン等、特殊な技術を持った画家が多く現れます。
順に説明していけば、レンブラントは最小限の絵の具で最大限の効果を示す絵を描くことにかけて圧倒的です。画集で見た絵の具の厚さのイメージに比べて、実際に使っている絵の具はとても少ない。これは見てみると驚くと思います。
私個人の感想としては、最晩年の自画像なんかは人間の描いたものではない。
言い換えれば、レンブラントは悟りを開いており既に解脱していて、輪廻から抜けているのだろうな。宗教など全く違いますが、その様な感想を持ってしまう程の絵を描いています。
ある事件をきっかけにパトロンから見放され、愛する息子にも先立たれてしまったレンブラントの人生が、彼の自画像には詰まっています。
写真でよく使われるレンブラントライト、聞いたことがあると思います。
フェルメールはよく言われていることと言えば、ダリが「フェルメールは奇跡に到達した」とか、ゴッホが「それを前にして言葉が出せなかった」とか、そんな逸話があります。19世紀になってから再注目された画家の一人ですが、下地にラピスラズリのウルトラマリンブルーを使っている、カメラ・オブスクラを使っているなど、色々な実験をしていますが、非常に美しい絵を描いています。陶器の様な質感の画面に、カメラ・オブスクラを使っていることを隠さない描き方など、子どもが14人、貧乏で若くして亡くなった天才画家は、レンブラントと同じオランダの出身でありながら、全く違う魅力を持っています。長くなってしまうのでこのくらいにしておきますが、現在最もファンの多い古典画家ではないでしょうか。
ルーベンスは「画家の王」。凄まじいデッサン力と非常に美しい色彩が特徴です。
デッサン力はともかく、色彩に関しては特殊な技術を使っており、白亜の下地に透明な茶色を刷毛目が残る様に乗せる下地と言うものを使っています。その為、不透明な褐色下地を使えば時間が経つと徐々に透けが大きくなり暗くなってしまうのに対し、透明の茶と白亜の白(水彩なので透けません)がそれを支えているので時間経過で暗くなりません。肌の影の部分など、刷毛目が見えている部分はほぼ下地のままということになります。それを意識してみると画集でも面白い発見のある画家なので、見てみると面白いかもしれません。
ベラスケスは油彩技術の最高峰と言われている画家です。特徴としては単純に油絵が上手い。
こればっかりはなんと説明して良いものか悩むところではありますが、足を踏み入れることも容易に見える程です。以前、2009年のハプスブルク展の京都展を見た方は分かると思いますが、18世紀の画家達と並べて置いてあると、そちらは芸大生が描いたのだろうかと思ってしまうほど。少しばかり見方が難しい所ではありますが、抜群の技術を持つ画家となります。
プッサンもある意味特殊な画家で、パッと見は最もつまらない画家の一人だと言えます。
しかし、ルーブル美術館に最も所蔵作品が多い画家で、研究するには最も面白い画家の一人となります。
例えばセザンヌが勉強しています。プッサンを学べ。そう言っているのは有名で、その多方面の視点から見た特殊な画面が有名なセザンヌですが、プッサンと見比べてみると確かにそこから学んでいることが生かされていることが分かります。特徴的なのは構図で、例えば『アルカディアの羊飼い』などは中心に五芒星を描いていることが知られています。他にも三角構図を複数の人を使って再現するなど、群像を描きながらもその組み合わせは面白いものとなっています。
ルネサンス以前を中世、15-17世紀を西洋美術では古典と呼びます。
さて、18世紀になると、技術的には少しばかり衰退していきます。
この頃になると画材屋が誕生し、絵を描いているとこの頃の話はほぼ出ませんが、ゴヤとシャルダンなんかは今でも有名でしょうか。
19世紀になるとまた少しばかり変わってきます。技術の衰退に伴ってか、新古典主義と呼ばれる古典回帰の思想を持つ画家たちが現れ、その流派の人々で言えばアングルだとか。ライトレッドの様な彩度の高い下地を使うことが多いです。逆に開き直ってなのでしょうか、歴史的な背景もありますがこの頃になると、もっと描き方は自由になってきます。例えば印象派の登場です。水色やピンクと言った下地を使い、場合によっては白色下地を使うことも。発色の良さと独自の解釈によって、新しい風を起こしました。
その後、美術は更に自由度を増します。スーラに代表される新印象派、ゴッホやセザンヌ等のポスト印象派、そこから更に多方面から見た画面を一つの画面にまとめたキュビズム、強い色彩を用いたフォーヴィズム、更に発展して芸術の意義そのものに問いかけるマルセル・デュシャンから始まった現代芸術。
デュシャンの『泉』もその内容を知ると意外と面白いのですが、今回は省きます。
ともかく、その様にして西洋美術は発展してきました。
ちなみに、日本と西洋美術が交わったのはモネやゴッホ等19世紀の画家が有名ですが、実はそれより以前、17世紀オランダの画家達の中にも日本を知っている画家が居ます。甲冑が登場する絵画なんかもあります。当時のオランダは鎖国の日本と交流を持っていただけでなくヨーロッパで思想の中心地だったのです。
さて、ここまで歴史的なこと書いてきましたが、油絵はその様な発展の仕方をしてきました。
絵は自由、よく言われることですが、ここまでのことを知っているか知らないかで、実は大きく自由度が変わります。下地の意味を知るか知らないか、絵の具の厚みの違いの理由を知るか知らないか、様々な絵を見ているかいないか。これらを知ることで不自由になると思う人も居るかもしれませんが、そうとも言えません。
例えば、天才的な人であれば別ですが、低レベルな自由(だと思っている)か、高度な少しの不自由、どちらが良いか、みたいな話だったりします。歴史の変遷を知っていれば、過去の人が何故それを選択したのか、そういうことを考えることが出来るのに対し、何も知らなければたった一人の知恵でしかありません。
その為、基本は重要、言うことになります。
例えば私は現在、基本的に白亜地に半不透明な茶褐色の下地を刷毛目を作りながら使っています。
この様な。
少しシルバーホワイトを多めにして彩度が高くならない様に注意して。そういう下地にするのに至ったのも、白地や16世紀式、新古典式、ルーベンス式など様々な下地を試した上で、最も良かったのが16世紀とルーベンスの中間だったのです。私は彩度を高くした絵ではなく、灰色が中心の画面を作りますので、完全なルーベンス式である必要もなく、かと言って16世紀の絵の様に明暗のはっきりした絵を描くわけでもありません。そうなると結果的にその中間の下地が最も良いとなったわけです。
何も知らなければきっと白地に適当な下色を乗せて適当に描いた結果、絵の具が無駄に分厚くなってしかも深みもない絵になっていたことだと思います。
上の下地が、この様な灰色中心の絵になります。
それでは最後に、最初の回で見せた手の絵の途中経過を載せていきたいと思います。
この絵に関しては実験的に描いたものなので、普段の描き方とは随分異なりますが、細部等を見てみると油絵の基本が少しばかり分かるかもしれません。
普段はこんな風に細い筆は使いませんが、手の下の茶色部分が下地になります。
そこにシルバーホワイトで明部を中心に描き、バックは黒にしようと決めていたので、ライトレッドを乗せています。黒は穴の様に奥に行ってしまうので、基本的にはバーミリオンだったり黄色等の暖色でも明るい色を下色にすることが多いのですが、今回はバック、手よりも奥にないといけないので、彩度を落としたライトレッドを乗せています。
先ほどより少し描き進めた状態となります。確か、ローシェンナとシルバーホワイトだけで描いています。最初は少ない色数で描くのが私の場合の方法なのですが、この方法で描く場合、彩度は必然的に落ちるので明るい絵を描こうと考えている方は注意してください。
はみ出していますが、はみ出さない様に丁寧に、ということのみを考えていると形が固くなります。
生身の手と言うより剥製を描いている、と、そういう感じになってしまうので、自分の器用さによってははみ出してしまっても拭いて対処で仕方ありません。
バーミリオンやテールベルト、その他茶色を使い始めています。
大分絵の具の厚みが増してきました。
明部と暗部で厚みの差が1mm位あります。それと同時に、形も気になるようになってきました。引っ張るとちぎれそうな手首です。
最後に色の調整と明るい部分のハイライトを乾く前に乗せて完成。背景の黒はよくよく見ると下のライトレッドが見える部分もありますが、パッと見はほぼ真っ黒。
形の調整はバックの黒を良い感じに乗せて行っています。これを厚くしてはいけません。
細部
細部の灰色っぽく見える部分はウルトラマリンブルーです。
明るいところを中心に描き、暗い部分は殆ど描いていません。
製作期間は確か2週間程でした。
※ レーキ系顔料はコチニールやアリザリンの様な染料(直径が顔料の1/10程の粒)をミョウバンの様な油で透明化する顔料に定着させ作られた透明絵の具。下層に使うと表面張力やらなんやらの関係上染料が剥離して上層まで浮かび上がってしまう現象が起こる可能性があるので、決して下層で使ってはいけません。特に上層に質量の高いシルバーホワイトを乗せた場合に起こりやすいので注意。
予想以上に長くなってしまったので、次週この続きを。