三次元的表現と二次元的表現
さて、絵画と言うものは空間芸術です。
絵画の内部空間そのものが表現領域でもあるし、壁面を彩る為の窓ともなります。
場合によっては人が存在することによって成立する、なんていうものもあるでしょう。
ともかく、視覚を使った芸術です。
以前写真と絵画の違いについて少しだけ書きましたが、改めて記してみたいと思います。
写真は基本的に単眼のレンズを用いて見た像を平面に映し出す、空間を平面的に切り取る方法です。と言うのも、単眼で見た映像をインクで写しだすので、遠近感は色とサイズのみで表現されます。
そして、膨大に広がる空間を、四角の中に切り取る。という方法となります。
しかし、絵画は二つの目で見たものを人間の脳を通して解釈し、それを様々な支持体に描き出す方法になります。その視点は単眼ではなく両眼なので、輪郭線を工夫することによって色とサイズ以外に、形で遠近感を表すことができます。
そして、世界は四角いキャンバスそのものです。
その為写真を元に描く場合、その差を意識しなければなりません。
私は写真を元に絵を描くことも多いですが、恐らく写真を見ている時間よりも自分の描いている絵を見ている時間の方が多いくらいになります。
写真を完全に正しいと考えてそれを目指せば、描ける作品は写真に劣ります。理由は簡単で、『写真の様に描きたい』と考えているから。写真に劣っていることを最初から認めた状態で描けば勝てる道理はありません。
とは言えレンズの歪みもあるとは言え写真は基本的には正しいので、参考にする分なら問題は有りません。
現実は二眼であると言うことさえ理解していれば、写真を上回る立体感を出すことは簡単です。
さて立体感と言う言葉が出てきた所で、一つのポイントがあります。
絵画の世界は四角いキャンバスの中が全てと言いましたが、それは三次元的な意味も含まれています。
つまり、奥行です。
絵画で立体を描く場合、飛び出すことを意識して描いてはいけません。あくまでキャンバスの表面より奥に世界が広がる様に描くことが重要です。
と言うのも、それが出来れば問題ないのですが、まず出来ません。奥に空間が広がる様に描くのと飛び出すように描くことを並行して行えば、単純に考えて目に正しい錯覚を持たせるために倍の複雑さが必要になります。その様に無駄に複雑にすれば、今度は別の所から意識が削がれます。
そんなこんなで、奥に空間を創り出す様に意識することが重要となります。
もちろん歴史的な絵画は全てその様になっているので、美術館などに行った時には意識してみると面白いかもしれません。
そんな立体的な表現と同時に、絵画は平面です。多少の凹凸こそあるものの、その四角の中には平面として美しい形と言うものが存在します。例えば浮世絵なんかはそんな形の典型です。
日本人は基本的に前述した立体表現よりも平面表現の方が得意です。
理由は気候であったり、地形であったり、隣国であったり、様々な理由があると思いますが、ともかく基本的にはこちらの表現に優れている場合が多いです。
私は元々日本画が好きでしたが、完全にこちらに向いているというわけではないので西洋絵画を学びましたが、困った時にはこの手段を使います。
立体的なものもあえて平面に置き換えて形と配置を工夫するという方法です。
ここにあるべきはこの程度の円。ここの腕はこのような形で欲しい。様々ですが、ともかく平面的な形の為に現実的な立体をあえて無視する方法を多く取ります。
これは絵だからこそ出来ることなので、整合性さえとれるならば現実的なパースよりも優先されるべきことになります。もちろん、一箇所の狂いは全てに影響してくるので、全体を見ながら形を変形する必要があります。
全体から描くことの理由の一つというわけですね。
と言うことで、一つの画面内に様々な情報が詰め込まれることになります。
意外と頭で考えていけばこの辺りは見えてくることでもあって面白いのですが、描く時には更に意識する必要があります。
例えば以前パースの話をしましたが、遠くにあるものはそれだけでなく形も色も曖昧になります。
聞いた話によると、年配の方によくある事の様ですが、丁寧に描くあまり本来はよく見えない部分まで詳細に描いてしまって逆に遠近感が無くなってしまう。
そんなこともよく起こることです。
目の解像度は非常に高いですが、それを手だけで再現することは非常に難しいです。
ならば目を騙す方向に力を入れる。
もちろん見たままを完全再現出来るのならばそれで問題ありませんが……。
さて、今回はこの辺りで。