はじめに
私は現在美術の中高教員免許を持っています。
ある理由から教師の道は諦めてしまったのですが、絵を教えたいという気持ちはずっとあるので、ここにぶっちゃけていきたいと思います。もしかしたら割とシビアな内容でもあるかもしれません。
まず始めに、中学生に美術の授業をに求めるものをアンケートを取った場合、一番は「絵が上手くなりたい」なのです。
ただ、現状美術のカリキュラムではとてもそんなことは教えられません。圧倒的に時間が足らないのです。その為、美術の授業では「発想力や独創性」といったものが重視されるのです。もちろんそれは重要ですが、現在の美術の授業方法では、それはむしろ才能の選り分けといったイメージになってしまい、美術が苦手というイメージは一層強くなりがちになってしまうとも考えられます。実際、私が受け持った授業でも、生徒がなかなか絵を見せてくれないということが起こったりしました。
そんな現状を見つめる中で、どうしても思ってしまうのです。
豊かな想像力や独創性は、ある程度の自信と共に沸き上がるものではないのか、と。
よくある日本人と西洋人の違い等は、こういうところにあるのではないのか、と思うのです。
まあ、実は美術を学んだが故に、日本人はそれでも良いと思ってしまうところもあるのですが……。日本人は輸入品を独自に昇華させるのがとても巧みな民族ですからね。
それはともかく、グローバル化を目指す現代としては、実はその子が隠し持つ独自性やある種の変態性等の才能が恥ずかしさの元に隠れてしまうということをなるべく避けたい。そうですね、あえて挑戦的な言い方をすれば、大して考えもせずに否定から入るような人間にそう言った独自性が潰されることはとても悲しい。面白くても、それを見もせずにただ下手というだけで否定する人間は多くいますよね。なら、そんな本質も見られない人に負けない程度には上手くなればいい。そう考え、これを執筆することに致しました。
まず、絵とは才能である。
これは正直に言えば正しいです。でも、それは全てに於いてそうです。人間最初の才能は生まれなのです。しかし、絵は20歳から肉体は衰え後は老化とも戦っていくスポーツよりは遥かに猶予があります。目が見えている限りは手が動かなければ足で、足が動かなければ口で描けますからね。それは言いすぎかもしれませんが、ともかく、多くの場合死ぬまでは続けられるものなのです。
そして絵の才能とは決して生まれ持ったものだけではありません。その人の生きた環境、経た経験、そして人生感はそのままその人の才能となります。生きていくだけで蓄積していく才能は、常にその人の絵を変えていくのです。
なので当然、下手だからと自分を否定しているだけでは下手な絵しか描けません。自分は下手だという才能を持ってしまっているからです。
では、下手くそはどうすればいいのか。自信を持てない場合はどうすればいいのか。
それを私は書いていきたいと思っています。
ズバリ言えば、下手くそは考えて描け。
これなのです。
例えば、ピカソの絵です。ピカソはシンプルに天才な画家ですが、とても人間的な画家でもあります。
その絵は革新的なものではあれど、常に完璧なものではないのです。
具体例を出すといきなりごちゃごちゃしてしまうので書きませんが、ピカソについてよく言われる言葉があります。
「ピカソにはあの様に見えている」です。キュビズムと言われる、多方面から見た映像を一つの画面に纏める方法のことについてですね。
「ピカソにはあの様に見えている」こう聞いてしまえば、ああ、天才じゃないから自分には無理だ。そう、思ってしまっても仕方がないと思います。当然です。「誰もそんな風に見えるわけはないのですから。」
でも、「ピカソはあの様に見ている」と言えばどうでしょうか。
人間は左右でたった10cm足らずの間隔にある目で全てを見ています。故に、他人の横顔を描いて両目が見えることなど有り得ないのです。それはどういう事かといえば。
ピカソは”その目で見た動画を”、一枚の平面の中に纏めたのです。
その結果、あの様な絵ができることになりました。そう聞けば、「あの様に見えている」よりもなんとなく納得できるような気がしませんか。
そんな見方で、絵の上達方法を綴っていきたいと思います。
あ、タイトルに高校で美術3だったとありますが、これはマジです。選択科目で1年だけしかない美術でしたが、私の成績は1年間ずっと3/5でした。
そして器用さを偏差値で表せば55と言ったところだと思います。正直そんなに器用ではありません。
そんな私の絵は、6年ほど前のシンプルな物をお見せすればこんなものです。
これが希望になるかどうかは分かりませんが、そんなに器用でなくても、考えて描けばそのうちこの位は行くのです。
それでは一緒に絵の上達方法を考えていきましょう。
大体なんでもそうだと思うのですが、上達に必要なのは、アドバイスは頭の片隅に残しておく、ということです。信じすぎてはいけない、ただ否定するだけではいけない、です。
例え嫌いな人の言葉でも覚えておけば、聞いた時には意味不明でも、あ、あの時この人が言ってたことはこういうことだったのか、と思うことがあります。そしてそれは強く力として残ります。ただ、それは数年後かもしれませんし、ずっと分からないかもしれません。
逆に尊敬している人物だからと盲目的に信じてしまうと、それはその人の個性を潰してしまうことになりかねません。尊敬とその人の本質が絶望的に合わない時もあるのです。
なので私の意見が間違っている、そう思えばそれはもしかしたらあなたのみの才能かもしれません。そしてめちゃくちゃ納得だと思っても、私の意見など無視して感覚を出すべき部分もあるのです。
ただ、その辺りの判断はお任せするしかありませんが……。
ではまずは、【紙と鉛筆を持ってコップを描いてみてください。何も見ずに】
とてもシンプルな台形のコップを、斜め上から。
Instagramに描いた絵の一部をアップしています m.natsum9